*さいはての西*

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『ノウイング』(2009)

50年前の小学生たちが埋めたタイムカプセルから、数字が羅列されたメモを持ち帰った小学生ケイレブ(チャンドラー・カンタベリー)。彼の父親で宇宙物理学の大学教授ジョン(ニコラス・ケイジ)は、その数列を解析し、激しく動揺する。その数列は、実際に起きてきた過去の惨事と、これから先の未来に起こる災難を予知するものだった。(シネマトゥデイ)


ほとんど予備知識なしで見たことが幸いした1本。

ツッコミどころ満載、ご都合主義的な展開、ローカルに盛り上がる大災害、トンデモと言われても仕方がない脚本、安易なドラマ、すべてがハリウッド映画的と言えなくもなく、謎はすべて解き明かされず、客観的にはどこを褒めて良いのかわからない、誰にでもお勧めできる作品では決してない。

SFなのかパニック映画なのかオカルトなのかホラーなのか主眼ははっきりせず、わかりやすいメッセージもなく、宗教に逃げたかに見えないこともないけど、それも違う気がする。

けれども、わたくしはこの映画が、何だか好きです。

少なくとも、地球の90%が焦土と化していても助かって良かった良かったとか言ってハッピーエンドのつもりになったような映画より、よほど好感が持てました。

↓ 以下、全面的にネタバレ(伏せ字なし)です!!

*追記有ります*









謎解きのおもしろさが前半はぐいぐい引っ張ってくれるので、そこは素直におもしろかったです。

予告だけ見るとディザースター・ムーヴィーかと思っていたのですが、これ、違いますね。

確かに、地下鉄の脱線事故のシーンなどはけっこうリアルで、絶対巻き込まれたくないなこんな事故、という感じで(しかも長い)、飛行機のシーンは残念ながら火が全然熱くなさそうだったけれども事故直後の大混乱ぶりと被害にあった人の恐怖が肌を這うような気がしましたし、(助かった、と思った人が爆発に巻き込まれて火だるまになるシーンは本当に何というか、がーんとなりました)9.11とか阪神淡路大震災とか、一歩間違えれば不謹慎のそしりを免れないネタを盛りっと大盛りなのですが、これ、違いますね。
これがメインディッシュではないように思います。

SFとしては新味はなく、むしろ古典SFに親しんだ人間にはなつかしさすら感じる作品でした。

あと、ホラー映画ではお約束なのでしょうが、ダイアナ(”月の女神”とはこれまた皮肉な名)のパニックっぷりが、『ハムナプトラ』のジョン・ハナーと張るウザさ(笑)。あっさり交通事故で死ぬところが、この映画のらしさで、かわいそうだけれど良かったと思いました。映画の見せ方として。(決してウザいからではないですよ)

あと、あの「彼ら」ですね。

この映画を、何もかも「彼ら」のせいだった!というオチで片づけたら、なんじゃそらーのバカ映画決定なはずなのですが、(それで「カネ返せ!」「サイテーだ!」という感想も見かけるのですが(笑))それも違う気が。

かく言うわたくしも見終わったあとは、アーサー・C・クラークの『地球幼年期の終わり』のオーバーロードのような存在だったのかな、と解釈したので、それだけ高度な船団を組んで地球に来られるんなら、せめて子どもだけでも全員助けてやってくれと思ったのですが、「彼ら」はたまたま地球の生命の滅亡を察知して助けに来てくれただけの善意の宇宙人なのではないか、という感想を見かけ、とてもすとんときました。
あの「予言」も「彼ら」とは関係がない。
たまたま波長の合う地球人にメッセージを託そうとしたけれども、無口ですから(笑)、「彼ら」は警報を発しただけ。上からものが落ちてきそうだったから「危ない!」と声かけただけ(のつもり)だったんだけど、なんか怖がらせちゃったねえ、みたいな。

その説明に説得力があると感じたのは、この作品には科学批判や文明批判が一切感じられないからです。
ただ淡々と、太陽のスーパーフレアという自然現象が起きてしまって、いわば「野良犬に噛まれた」かのように地球上の生命は偶発的に死滅してしまったのだという、諦観とも違う、単に事実そうだったのでそうでした、というような描かれ方なのです。

ジョン(ニコラス・ケイジ)が飛行機事故のときに、茫然としながらも無意識に、助けを求める人々を助けようとしたように、限界がある存在ではあるけれども自分ができるだけのことをしようとした。

だから創世記を思わせるラストシーンも、「今度は間違えないでしっかりやれよ」的な上から目線ではない。
例えるならば、通りかかった道に水たまりができていてメダカが住んでいた。
その水たまりがもうすぐ干上がりそうなんだけど、いかんせん、メダカですからそこから自力で出られないし出たら死ぬ。かわいそうなんだけどそこに住んでるメダカ全部を入れられる容器がない。仕方なく両手ですくい上げて、ここでなら生きていけるかな、という新しい水たまりにつがいで放してあげただけ、みたいに見えたんですね。

「一生懸命やったのに報われないで死ぬなんて、救いがない」。
そういう感想もあるかと思います。

でも、一生懸命生きようとがんばったんでしょう?
ほとんどの生き物にとって、それだけが真に報いと言えるものと言っても過言ではないのでは?

罪無くして人は死にゆく。
ましてや、ほとんどの親は子より先に死ぬではないか。
けれども、親から子へ、託せるものがある。
子の行く未来が希望であってほしいというのが親の願いであることに変わりはない。
そしてどこにいたとしても、いつかは子も親がゆくところへゆく。
"Together forever"。

かなり無理矢理(笑)この映画にテーマめいたものを求めるとすれば、そういうことなのでしょうか。

そして地球のそこここで親子だけではないドラマが繰り広げられたのであろうことを想像させるかのように、宇宙船が一斉に(ぎりぎりまで待って)飛び立つシーンはよかったと思います。
中には自分が今から死ぬことすら気づかずに死んだ人もいただろーな、これ、という感じでしたが(笑)。きっとこのあとこの宙域を通りかかる宇宙船は、死んだ自覚がない地球人の自縛霊が出る心霊スポットとして有名な話を聞かされるんですよ、きっと(笑)。

冗談はさておき、わたくしたちの住む星はこんなに小さく、こんなに儚いのだということが、そして明日にでもすべて終わってしまう可能性があるという、生命の儚さや愛おしさを改めて考えてしまうような映画でした。
まあ、映画としては、いろいろやんちゃがすぎるけれども(笑)、押しつけがましさがない。





しかし、ラストで思わず合掌しそうになった方、手を挙げて。はーい。(笑)

よく考えたら、この映画、筋だけで言うと『銀河ヒッチハイク・ガイド』のイントロ部分だけなんですよね?(笑)
なのにこの観た後の感じ方の違いっていったいなんなんでしょうか。映画ってすごいですね。


ストーリーに関係ないんですが、気になったこと。
災害が来たら安易に略奪に走るアメリカの人って…。

また、ハリウッド映画ではなぜ、こんなに父と子の断絶と絆の再生の物語がくりかえしくりかえし語られるのでしょうね。


*追記*
あとでネット上でほかの方の感想をぐるぐる拝見していると、やはり、エンドクレジットが始まったとたん席を立った人が9割くらいいた、という同じ状況だったことと、にもかかわらず、SF好きな人にはけっこう心に残るものがあった映画だったらしい、ということがよくわかりました。
でも、好きだとおっしゃる方々もやはり、「人にはおすすめしない」と述べてらっしゃるところも同じ。
うん、『アイ、ロボット』の監督さんなんですものね。
クラーク、ニーヴン、アシモフ、ハインライン辺りが好きな人には、なんというかこう、「ああ…。ねえ? うんうん」というものがあるんですよ、きっと(笑)。
SFマインド(?)を刺激するとうことはSF映画だったのかなあ。

不謹慎かと思って書きませんでしたが、最後のマンハッタンの摩天楼群が炎に包まれてあっというまに消えて行くシーンは、やはり美しかったですね。
映像としてこのシーンだけでも見る価値はあるかと思います。
人間が営々と築き上げてきたものが、太陽がちょっとくしゃみをした程度の現象で一瞬にして吹き飛ぶシーンに、諸行無常という言葉を思い浮かべました。

あと、ニコラス・ケイジ毛が増えてるとか、お父さんはウサギ以下かとか、けっこう笑える感想もたくさん見かけました(笑)。(いや、お父さんはふつう食べられないしこれ以上増えないけど、ウサギは食べられるしどんどん増えるから。ね? いや、待てよ。「ぼく急にベジタリアンになったんだ」ってセリフは伏線だったのか?)
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by n_umigame | 2009-07-25 23:07 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)
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