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*さいはての西*

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『殺す者と殺される者』ヘレン・マクロイ著/務台夏子訳(創元推理文庫)東京創元社

おじの遺産を相続し、不慮の事故から回復したのを契機に、大学の職を辞して亡母の故郷クリアウォーターへと移住した心理学者のハリー・ディーン。人妻となった想い人と再会し、新生活を始めた彼の身辺で、異変が続発する。消えた運転免許証、差出人不の手紙、謎の徘徊者……そしてついには、痛ましい事件が。この町で、いったい何が起きているのか? マクロイが持てる技巧を総動員して著した、珠玉のサスペンス。解説=三橋曉(出版社HP)


非常にマクロイらしい作品でした。
心理学者が主人公と聞いて、「だったらなんでわざわざベイジル・ウィリング以外のキャラクターを使うの?」と思っておりましたが、読み終わって納得です。
これはシリーズキャラクターは使えませんね。

まずはネタバレなしの感想。

相変わらずタイトルが秀逸ですね。読み終わってから改めてその巧みさを思うことになり、毎回舌を巻きます。
また、伏線の張り巡らせ方、回収の仕方がすばらしい。
マクロイはどちらかというとあまりごりごりの本格ミステリ作家というわけではないようなのですが、この作品もサスペンス要素の方が強い作品です。
にもかかわらず、やはり伏線の張り方や回収の仕方に、マクロイが本当はパズルミステリが大好きだったのだろうなあということがにじみでてきていて楽しいです。

そして、古典などからの引用が的確で、著者の教養の高さ、見識の高さが伺えます。(自分の知識や教養が及ばないところも多いので、とてもお勉強になります(笑))
黄金期にはペダンティックが売りの名探偵は何人もありますが、彼らが取って付けたような「知識(というよりトリビア)」で、身に付いた「教養」になっておらず、ぼろぼろとメッキがはがれる様が痛々しかったり愉快だったりするのですが(笑)、マクロイの場合は安心して読んでいられます。(時代による限界はありますがそれを言うのは酷と言うものでしょうし…)同じように、ドロシー・L・セイヤーズもそうだったのですが、彼女のピーター卿ほど立て板に水みたいな教養のあふれ出方ではなく、マクロイの場合はもっと慎ましい印象です。
(ピーター卿はあれがかわいいというかおもしろいので、あれでいいのですが)

以下、ネタバレありの感想です。
ネタバレをせずに感想を書いてもなあという作品なので、ぱーっとやりますのでもぐります。

完全に読後の方向けの、徹底的なネタバレになりますので、ご注意下さい。(反転してあります)
クイーンの後期作品のネタバレもありますので、『最後の一撃』よりあとの作品を未読の方はご注意ください。
















この手の作品を読み慣れている読者にはすぐオチが読めてしまうのではないでしょうか。
かく言うわたくしも最近そこそこ代表作を読み終わってしまっているのか、読み始めて数ページで「ああ…」とわかってしまいました。

以下ネタバレ↓(☆の次から☆の手前まで反転しています)
マクロイは、「二重身(ドッペルゲンガー)」や「もうひとりのわたし」というテーマが非常に好きだったようで、こうやって邦訳のほとんどの作品を読み終わってしまうと、このテーマに取り憑かれたように繰り返し繰り返し語られることがわかります。

そんなマクロイが多重人格ものに手を出さないという手はありません。

これと同じトリック(?)をエラリイ・クイーンが『盤面の敵』で使っていて、この当時(1963年)に新しいことに次々と挑戦するクイーンさんはやっぱりすごいなあと思った記憶があったのですが、それより前の1959年にマクロイがこの作品を、もっと踏み込んだ形で使っていたことに、正直に驚き、感心しました。

種明かしがあっさりぎみで、これがクイーンだったら同じシーンに30pは使うだろうなあと思いました(笑)。
マクロイはこの控えめなところが良いと思うのですが、せっかくおもしろい作品を書く人なのだからもう少し「出し惜しみ」しても読者は怒らないと思うけどなあと思いました。

ただ、「オチが二重底になっている」という事前情報があったため、そこも期待していたのですが、そこは「え? もしかして「驚愕の真実」ってこれのこと?」という感じで、そこはあまり驚きませんでした。「ヘンリーが主人格」というのはヘンリーが言っているだけなので、もしかしたらハリー以外の人格もあったかもしれませんし。

河合隼雄さんの著書をひところ鬼のように読んでいたのですが、ご著書によると、日本に比べるとアメリカには多重人格が症例として非常に多かったそうです。強固な自我を持つことを子どもの頃から強制される文化的社会的要請がある社会と、「空気読む」ことが至上命令でどちらかというと自我が強いと生きにくい社会の差ということもあるかと思いますが、日本ではあまり多重人格もののびっくりミステリというのがないように思います。(東野圭吾さんの『変身』のように脳ごと入れ替えるとか、そういった「舞台設定」がなければ、日本の読者には、少なくとも日本人としては、「人格が入れ替わる」ということがリアリティを持たないのかもしれません)


そんなわけで、謎解きの傑作とか読み終わってすばらしいカタルシスを感じるとか、そういった作品ではありませんが、マクロイの文章の良さを味わいながら一気読みをオススメいたします。

わたくし、この本を旅行に持っていって、ほかにも2冊くらい本を持って行かなかったことを後悔しました。
帰りの新幹線の中で読むものがなくて往生しました…。
by n_umigame | 2010-01-02 20:33 | ミステリ