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『街場のマンガ論』内田樹著(小学館クリエイティブ)

『エースをねらえ!』から“男はいかに生きるべきか”を学び、『バガボンド』で教育の本質を知る。手塚治虫の圧倒的な倫理的指南力に影響を受けた幼少時代、今なお、読み続ける愛すべき少女マンガ…戦後マンガからボーイズラブまで、雑食系マンガ・リーダーの著者が、世界に誇る日本カルチャーについて熱く語る。『日本辺境論』で語りつくせなかった「日本人論」。 (Amazon.jp)


いつものようにブログでアップされた記事を編集して本にされたもの。

内田センセイの「街場の」シリーズはどれもおもしろいので基本的に"ジャケ買いどころかジャケすら見てない買い"なのですが、前回の『街場のメディア論』が久々にちゃんと感想書かなきゃと思った(けど書いてない)に比して、うーん、ちょっと微妙という内容でした。
ブログで拝読した際はけっこうおもしろいと思ったのに、まとめて読むといまひとつというのはなんでなんでしょう。

とりあえず思い当たる理由のひとつとして、やっぱり主題に「マンガ」を持ってきているけれども、少女マンガやBLについてはいかにも「ものわかりのよさげなおじさんのエッセイ」といううさんくささを、どうしたわけか感じてしまったせいかもしれません。
「おじさんが女子中高生になりすまして書いた文章」とどことなく通じるような気持ちの悪さ、お尻の座らなさ、と言いますか、どこか的はずれなんだけどご本人はおそらくその自覚はないのだろうなあという。
わたくしは『おじさん的思考』の頃から内田樹さんの著書はほぼ全部買って読んでいるほど愛読者ですが、積極的に違和感を感じたのはこれが初めてかもしれません。

BLについてはわたくしはまったく読まないので、ノーコメントであります。ただ、BLと同性愛は同列に議論されるべきものなのかという疑問は、なにかあるごとに感じておりました。
内田センセイは「聞かれたらなんでも答える」というアクロバティックな論理展開が持ち味の方ですので(「理屈と膏薬は何処にでも付く」とも言うけど(笑))、これについてはあまり真に受けないようにしています。

ですので、個人的にひっかかったのはやはり少女マンガについての論考でしょう。
この著書はマンガ作品自体について論じたものでは決してないのですが、それゆえに、と申しますか、少女マンガのような広さと豊かさを持つ表現媒体を十把一絡げ的に論じることに対する限界を感じました。
「少女マンガとは何か」という定義付けも昨今は非常に難しいですが、青年誌で発表された佐々木倫子さんの『Heaven?』も内田さんは「少女マンガ」として論じておられます。最近は青年誌で活躍している女性の漫画家さんも多いですが、内田さんにとっては「女性が描いている=少女マンガ」なのでしょうか。
昔、SF小説が男性のもの(?)で、「女性が書いた」ということがわかると作品自体で論じるのではなく「女が書いた」というバイアスがかかった上でしか評価されないので女性であることを隠す時代があったそうで、ル=グウィンがデビューしたときに「最近男性のSF作家はだらしない。ル=グウィンに互する男性作家はジェイムズ・ティプトリーJrだけだ」と言われていたけど実はジェイムズ・ティプトリーJrは女性でした、とカミングアウトして大騒ぎになったということがあったそうです。なんだかこの話を思い出してしまいました。
この「ざっくり論じる」というのも、元々ブログの記事だったのだから大目に見るしかないのですが
、いっそ巻末対談での養老猛司さんのように「〔少女マンガ読むんなら〕虫でも捕ってる方がいい」と言い切るくらいの方がまだいいかも(笑)、とちょっと思ってしまいました。わからないものをわからない、と言ってくれるほうが清々しいです。(←ちょっと投げた)

今回の著書の構成は、井上雄彦さんラブ!論(笑)から始まって、なぜ日本でだけマンガがこんな隆盛を誇ったのか、少女マンガ論(上述したように内田センセイが”少女マンガ”だと考えている少女マンガ論)、オタク論・BL論、宮崎駿論…と続きます。

宮崎駿論の「<空飛ぶ少女>のために」は、なぜこんなにマイケル・ダグラスの映画が不愉快かということがすとーんとわかったエッセイでした。
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by n_umigame | 2010-10-20 19:31 | | Trackback | Comments(0)

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