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『鳩の中の猫』アガサ・クリスティー著/橋本福夫訳(クリスティー文庫)早川書房

中東の王国で起きた革命騒ぎのさなか、莫大な価値をもつ宝石が消え失せた。一方、ロンドン郊外の名門女子校、メドウバンクにも事件の影が忍び寄る。新任の体育教師が何者かに射殺されたのだ。ふたつの謎めいた事件の関連は?女子学生の懇願を受けて、ついに名探偵エルキュール・ポアロが事件解決に乗り出した。 (Amazon.jp)

紆余曲折の末(ほんとうに…)やっと読み終えました。

上のあまぞんさんの内容解説文ですが、「ついに」までが長 す ぎ る…!

ネタバレ(ドラマ版も含む)感想文なので潜ります。↓









クリスティーの作品は平均点が高いのであくまでそれらと比較しての話になりますが、別に凡作とかましてや駄作というわけではまったくないのに、読むのに何度も中断してしまいました。
理由として、ポワロが出てくるという期待の元に読み始めたものの、小説の方はなかなか出てこないということもあったかと思われます。
ドラマの感想にも書きましたが、ドラマ作品らしく視聴者が飽きないように上手に工夫されておりました。表現メディアごとの特長があるのでどちらが良いとは一概には言えませんが、ドラマ制作者が「早くポワロを出した方が良い」と判断したことはやはり良かったと思います。

非常に清々しい終わり方だったのですが、こちらもドラマでは少し変えてあり、最近の「ポワロ・パパ」なシリーズの中では、やはりそれを意識したのかな?というすばらしいエンディングだったと思います。

ほかにはアダム・グッドマンと犯人の関係が少し温度差がある(笑)ところや、ドラマではキャラクター自体が削除されていたり、殺害方法の違いなど細かい差異はいろいろとあるのですが、読み終わってひっかかったのはやはりミス・チャドウィックの部分です。

ドラマではミス・チャドウィックの殺人は未遂に終わるのですが、原作では完遂(って言うのか)されています。
ドラマを見たときは、人殺しとして死んで行くより未遂だった方が安らかに死ねるだろうと思って見ておりました。が、原作を読んで、逆にドラマだとミス・チャドウィックは横死しなければならないほど悪いことはしていないにもかかわらず死んでしまう、という解釈も成り立つと思い、考えてしまいました。

現実の世界では人は罪無くして死に行くものだということはわかりますが、フィクションの世界では必ずしもそうではありません。
当ブログでもクリスティーの作品の感想を書くときに何度か触れておりますが、クリスティーは非常に信賞必罰のはっきりした作家だと思っていました。
動機や状況がどうであれ「人を殺した者は死の報いを受ける」という点で、死刑制度そのものに疑義を提出するという姿勢を感じない作家だとも言い換えることができるかもしれません。
人命を軽視するということでは決してないことは、ポワロやバトル警視が作中で「殺人は絶対に是認できない。絶対に。」と強く主張することからもわかるのですが、むしろ、人命を重んじるゆえに、信賞必罰がはっきりしているとも言えると思います。
自白の限界や冤罪の可能性も『五匹の子豚』でクリスティーは描きました。ですからそんなに単純なことではないということを、理解していたはずです。
にも関わらず、やはりクリスティーの作品では人を殺した人はたいてい報いを受けます。
それは犯人の自殺を見過ごした(あるいはそうするようにし向けた)「名探偵」も例外ではありませんでした。
この後始末のつけかたはいっそ清々しいほどだと思いますが、ここまで徹底していると、死刑制度を明らかに疑問に思っていたのであろうエラリイ・クイーンと比較して、ちょっとぞっとするときもあります。

そんなことを気にせずに読めば、ふつうに秀逸なミステリであります。

最初、あまりに読みすすめないのでドラマの方を先に見て失敗したと思いましたが、やはりドラマの方を先に見てよかったです。
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by n_umigame | 2010-10-25 18:29 | ミステリ | Trackback | Comments(0)
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