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『希望のつくり方』玄田有史著(岩波新書)(岩波書店)

希望は与えられるものではない、自分たちの手で見つけるものだ! でも、どうやって? 希望が持ちにくい時代に、どこから踏み出せばよいのだろう? 著者が出会った、たくさんの声に耳を澄ませて、希望をつくるヒントをさがし出す。「希望学」の成果を活かし、未来へと生きるすべての人たちに放つ、しなやかなメッセージ。
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帯には「さよなら閉塞感 壁にぶつかっている人へ 希望学がおくる リアルでしなやかなヒント」とありますが……ヒントになりませんでした。
書かれている内容とは関係がないのですが、語り口に新興宗教的なうさんくささを感じてしまい、文章に入っていけませんでした。すみません。

なぜそう感じたのか自分なりに考えたのですが、実存在としてあるかどうかもわからない、あったとしても千差万別でしかるべき「希望」というものに絶対的な一事として「すがる」感じが、特定の「神」を信仰するイメージを連想させるから。あるいはそれを「在る」ものとして理想を語られているところに、一方的なものを感じたから。
大仰に「希望」と言い立てなくてもそれなりにやっていけるものを「在るべきである」(=ない人は不幸である)という前提で語られるから。
著者が善意でやっておられるということがわかるので、それがなおさら。

かもしれません。

帯のうしろに、一番に言いたかったのは、かつて希望は前提だったが、今は自分(たち)でつくり出さなければならないもの、とあります。
これすらもおそらく「希望が前提だった時代」というのは人間の歴史にはなく、自分(たち)で希望を作り出せる人が多かった(あるいは多いように見えた)時代に居合わせた人がいた、ということなのではないかと。
年配の人が「あの頃は良かった」と言えるのは、絶対に「あの頃」には帰らなくてすむことがわかっているからですよ(笑)。本当に戻ったら、それはそれでつらいこともうまくいかなかったこともあったことを思い出すと思います。

希望も大切なことに間違いありませんが、わたくしはむしろ、歴史をひもといて感じる、先人のこのガッツやバイタリティはどこから来るのか、それを教えてほしい(笑)。おそらくエネルギー源は「希望」だけではなかったと思います。
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by n_umigame | 2010-12-26 17:10 | | Trackback | Comments(0)

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