*さいはての西*

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『トラウマ映画館』町田智浩著(集英社)

映画はときどき、来るべき人生の予行演習だ
『傷だらけのアイドル』『早春』『マンディンゴ』『裸のジャングル』『わが青春のマリアンヌ』『かもめの城』『眼には眼を』など全25本。貴方の記憶の奥に沈む、忘れたいのに、忘れられない映画がある。 (出版社HP)


TwitterのTLに流れているのを見て、おもしろそうだなあと本屋さんを当たったのですが、けっこうどこも品切れでした。2月に出版されたばかりなのですが、重版が決まったようです。
映画のレビュー集です。
そしてこの著書で語られる映画を、幸いにして(とあえて言わせていただきます)一本も観たことがないにも関わらず、批評に上がった映画作品が著者のレビューを通して、今度は読者がトラウマになるという恐るべき構造の本です。

怖くて怖くて、読むのをやめられませんでした。
見てはいけない、見たらそのおぞましさに忘れられない記憶になるから見ないほうがいいとわかっている、わかっているんだけれども目をそらすことができない、というような感じです。

ホラーとコメディは、好きな人がある程度かぶっているように思うのですが(あくまで個人的な印象ですのであしからず。)珍獣みたいな犯人が次々と猟奇的な殺人事件をおこすといった映画は、それがフィクションの表現になった時点で、冷静に考えればギャグみたいなものです。
映画の中で殺されていく人は、例え生身の俳優が演じていても<記号>で、リセットボタンを押せば生き返るゲーム的な「設定」でしかありません。
また、それらは自分とは一線が引かれていて、あの狂気は自分とは関係がない、という一種の安心感に保障されているからこそ見ていられるのだと思います。

ところがこの著書で紹介されている映画は、人間が普遍的に抱えている負の部分が、さらけだされたりにじみ出たりしている作品です。
NYタイムズ紙が『マンディンゴ』について「『マンディンゴ』も猟奇犯罪映画だ。犯人に顔はない。アメリカ社会そのものだから」という評を載せたそうですが、ある社会そのものが抱えていて、なおかつ誰も見たがらないため「臭いものに蓋」されているものが、どうしようもない形でさらけだされている。
ある個人的な憎悪や情念といった小さいものではなく、それは歴史的、集団的に形成されてきた普遍的な真っ黒な「かたまり」です。
そしてこの「かたまり」は決して消えません。どんなことをしても償えるものではない。
だからこそ怖いと感じるのだろうと思います。

また、「ハリウッド映画」というと能天気の代名詞みたいにしか思っていない方にも一読をおすすめいたします。
逆に思ったのですが、なぜハリウッド映画は現在のようなことになってしまったのでしょうか。
作った人のあけすけなアレコレがだだ漏れ、みたいな怖い映画にあまりお目にかかったことがありませんよね。
あと小説やマンガといった個人作業のものが「作った人のあけすけなアレコレがだだ漏れ」になっているのはわかるのですが、映画のようにチームで作るものがなぜそうなるのかも昔から不思議でした。
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by n_umigame | 2011-04-15 14:29 | | Trackback | Comments(0)
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