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『Zの悲劇』エラリー・クイーン著/越前敏弥訳(角川文庫)角川書店

黒い噂のある上院議員が刺殺され、刑務所を出所したばかりの男に死刑判決が下されるが、彼は無実を訴える。サム元警視の娘で鋭い推理の冴えを見せるペイシェンスとレーンは、真犯人をあげ彼を救うことができるのか? (Amazon.jp)


改めて、翻訳小説において翻訳者は大事だということを噛みしめた1冊となりました。翻訳の良さはむしろ作品のレベルが残念なときにこそ、よりそのありがたさがわかりますね!(おい)

初読の際は、ペイシェンスもさることながら、その求婚者の青年・ジェレミーにいらいらして話の筋が頭に入らないほどうっとおしかったものでした。
今回読んでもその印象は変わらなかったのですが(笑)、ああ~どっかで見たと思ったら、このジェレミーはあれだ、『マイ・フェア・レディ』のときのジェレミー・ブレット(オードリー・ヘップバーンにモーレツ★アタックする青年の役)です。そんなことを連想するくらいの余裕はありました。
奇しくもどちらもジェレミーです。『マイ・フェア・レディ』を見たときはクレジットで「ええ、あのシャーロック・ホームズの人!!?」と我が目を疑いましたが、ルックスはいいのに中身のアホがだだ漏れというか、おバカさんの見本というか、とにかく残念な感じの、あんな感じです。

『Z』は1933年の作品なので、ロマコメにはこの手のアホ男がデフォルトだったのかもしれませんが、エラリー・クイーンがロマコメを書きたかったのかと問われると、そうだったのかもしれません。(おおおおい!!)

『X』『Y』が傑作の名高く、その次が『Z』だったので、そのギャップで「ええー」と思われた向きも多かろうと思うのですが、ミステリとしてもやはり地味で無理があると言わざるをえません。
利き手、利き足の推理も、そういう傾向があるといういわば蓋然性の問題で、いかなる状況、いかなる人間も100%そうであるという根拠にはなりません。
これを論拠にしようと思ったら、少なくとも事件関係者全員の利き手利き足を調べるくらいはやらなければ、「レーンたちが犯人であって欲しくない人」だけを選んで条件潰しをしたところでご都合主義だと言われても仕方がないのでは?と思ってしまいました。
やけにリアルな電気椅子による死刑の描写は圧倒されます。これもミステリのコマとして使われているところは見事だと思いますが、同じクイーンの作品で中編の『キャロル事件』のほうがドラマとしての余韻を残します。(新潮文庫版で訳者の方はこのシーンを「社会見学」と書いてらっしゃいますが、言い得て妙です)
自分たちが奔走して死刑から救い出したエアロン・ダウについて「社会にとって必要のない人間だ」と、さらっと述べるペイシェンスもどうなのと思いました。結局、ダウはあんたにとって推理の正しさを立証するための駒でしかなかったのか、人一人の命をなんだと思っとんのかと。
このペイシェンスの冷酷さがだめ押しでした。

最後の消去法による犯人の断定の部分も、推理そのものはゲームと考えればおもしろいです。クイーンが大好きで得意な部分ですが、今ひとつカタルシスがありませんでした。
理由はやはり、物語の語り手が冷酷で共感できないため、主人公側の推理が立証されても心から「やったね!よかったね!」と素直に思うことができないからでしょう。
ほかに、女性探偵ペイシェンスの登場や、死刑になるまでに謎を解かなければならないというタイムリミット・サスペンスなど、先駆け的な設定を盛り込みながら、もっともっとおもしろくなっただろうにと残念です。

やはり、『Z』から(わけあって)ペイシェンスの一人称の語りに変更になったというのに、このヒロインの設定ひとつ取ってもキャラクターが不自然で、おまけに魅力がないというのが致命的だったのではないかと思われます。
ゲームがしたければゲームをします。
ミステリを読むのはミステリという”小説”が読みたいからです。
頭が良くてスタイルバツグンの美女であれば小説のキャラクターとして魅力があるというわけではありません。これはもちろん男性キャラにも言えます。頭が良くて美男であれば人をして惹きつける力があるかというと、そんなことはありません。
ペイシェンスを「女装したエラリー・クイーン」と表した方がありますが、これはクイーンの若いキャラクターの人物造型のまずさを如実に言い得た言葉だと、深く頷いた覚えがあります。
ペイシェンスが男性から見ても「女性ですらない」ということであると同時に、ペイシェンスから透けて見えるいろいろな問題点がエラリーを想起するということですから。
年配のキャラクターは良い感じのキャラが男女ともたくさん出てくるんですけれどもねえ。クイーン警視とか。クイーン警視とか。あと、クイーン警視とか。(もうだまれ)

ペイシェンスが不自然なのは、その登場の仕方が一番不自然なのですが、これはまあプロット上の必然ということで。
しかし今まで登場しなかった理由というのが、ヨーロッパに遊学していたからということになっています。
20世紀初頭のことですので、良家の子女がフィニッシング・スクールに行くならわかりますが、ごくふつうの公務員であるサム警視の娘であるペイシェンスが専任の家庭教師らしき女性を付けて、何年もヨーロッパを遊学できるというのが不思議です。

父親のサム警視から「レディらしくないぞ」といろいろとその言動をたしなめられるたびに、自分をヴィクトリア時代に閉じこめておきたいのだとかなんとか不平を述べるのですが、大勢の人前で(しかも話をしている途中で)「唇をすぼめて紅を差す。」とかどこのはすっぱだ。マナー以前に会議中にそれはないだろ。
選挙権や産児制限についてはペイシェンスの意見に賛同しますが、ちょっとセクハラされたら悪夢を見るような繊細というかうぶというかなのに、サム警視でなくても「生意気言うな」と思っちゃいますよ。
かく言うサムも娘にセクハラしております。親子関係がまだ浅いということが読者にわかっているので、やりすぎ感が否めず「セクハラだ」と感じてしまうのでしょう。(それに娘が若い男に両足首をつかまれているのを見ても何も言わない父親なんているのか?)
クイーンさんが、いったい、ペイシェンスをモダンで自立的な女性として描きたかったのか、それとも口ばっかり達者で頭でっかちなお嬢ちゃんを描きたかったのか、わからないのですよ。

母親も生きているのかどうかも不明です。
最初の自己紹介が全部ペイシェンスの妄想というならわかるのですが。(えええ)
幼い頃に両親が離婚したことから精神的に不安定になって長期入院していたのだが、面倒をみてくれていた母親が死んだので最終的に父親がいやいや引き取った、というほうがよほどアメリカにありそうな話だし。(えええ)

悲劇シリーズの探偵であるドルリー・レーンがそもそもかなりやばい人ですから、「すいません、全部パラノイア日記でした」って言われたら、信じますね。(信じるな。)
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by n_umigame | 2011-04-26 21:17 | *ellery queen* | Trackback | Comments(0)
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