*さいはての西*

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『刑事ジョン・ルーサー』 #6(S1:終)

一応最後まで見たので、感想を上げておきます。

こういう時期にオンエアされたということも不幸だったのかもしれませんが、率直に申し上げて最後まで楽しめませんでした。

イギリスのドラマなので、アメリカのドラマのように白黒つけておしまい、みたいなオチにはなるまいと思っていましたが、なんじゃそらーというのが最後まで見た感想です。

思うに、このドラマは人間の二面性を描きたかったのかなと思いました。

ルーサーは、繊細で知的、犯人逮捕のためなら手段を選ばないようなガッツがある反面、激情と暴力を抑制できない脆さ・弱さがある。
別れた妻を愛していると言いつつ、シリアルキラーであるアリスにも惹かれていて、自分ではそれを認めたくない。
イアン・リードは、温和で、一見シンパシーにあふれた優しい人なのかと思わせておいて、実は小心で同僚に対して面と向かって文句も言えないくせに、小金に弱くて卑劣だった。
ジャスティン・リプリーは、最初は上司であるルーサーのやり方が納得できず反発していたのに、実は誠実で忠実な一番の理解者だった。

などなど。

それはいいのですが、そういった設定がドラマ世界全体を深めたり盛り上げたりするのにいまひとつ役にたっていない印象でした。

重い現実を描くということと、エンターテインメント性を重視するということは、相反しないと思います。
イギリスにはそのお手本とも言うべき作品が数多くあって、最近見た例で言えば、『ジョージ・ジェントリー』しかり、『ルイス警部』しかりです。
いかに重い「現実」を視聴者に突きつけようが、それをエンタメに昇華するのが制作者の腕の見せ所だと思います。
それを、見ている人に「現実は重くて不愉快なんだからしょーがないよね」と調理しないまま投げてしまうと、もうフィクションでエンタテインメントを創る意味がなくなってしまいます。
よほど特殊な趣味の人を除けば、不愉快で悪夢を見そうなドラマだけが大好きという人はいないと思います。少なくともわたくしは、そんなドラマをお金を出してまで見たいとは、あんまり思いません。
エンタテインメントとしてのドラマを見たい人は、楽しい思いをしたいから見るのですから。「楽しい思い」というのは、やりきれない気持ちに涙を流しつつも、という意味です。

シーズン2に続く気満々の終わり方でしたが、たぶん続きは見ないと思います。スミマセン。
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by n_umigame | 2011-05-16 16:23 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)
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