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『これが見納め』ダグラス・アダムス,マーク・カーワディン著/安原和見訳(みすず書房)

『銀河ヒッチハイク・ガイド』のダグラス・アダムスが世界中の絶滅危惧種を見に行くという少々不謹慎な(!)旅に出た。そこで目にしたのは……。1990年の刊行以来、愛読者の絶えない不朽のネイチャー・ルポ。待望の初邦訳である。
種の存亡の瀬戸際にある生きものたちをとりまく荒涼たる現実、人間の浅はかさが生む悲喜劇や、動物たちそれぞれの興味深い生態が、小気味よいウィットと諧謔味満載で語られる。いたるところに皮肉のきいたドタバタ劇の奥には、ヨウスコウカワイルカの苦境をとことん思い描いて震えあがり、観光資源化したコモドオオオトカゲを目の当たりにして恥じ入ってしまう著者の、欺瞞のない鋭敏な眼差しがある。その観察眼は、天安門事件前の中国社会やザイール行政の腐敗へも向けられている。
「まれか、ややまれか」の章で、モーリシャスの生物保護活動家たちの超人的な奮闘ぶりと、彼らの奇矯だが筋金入りの生活をユーモラスに写し取る手腕はアダムスの真骨頂。絶滅危惧種の保護活動は第一日目から絶望的なチャレンジだが、消えゆく生きものを守りたいという衝動を理屈を超えて引き受ける人々を、本書はからりと、しかも生き生きと描き出している。
深刻なテーマだからこそ笑いの力を感じさせる、愛すべき、愛すべき一冊。
(出版社HP)



内容紹介の最後の一行に言い尽くされていると思います。

笑って笑って考えさせられる1冊でした。電車の中で不審な目で見られつつ読む毎日は至福のひとときでございました。
3000円もする本なのでどうしようかととても悩んだのですが、みすず書房から出ているので文庫落ちは(同じ出版社では)しないだろうと思いなおし、買いました。買ってよかったです。


『銀河ヒッチハイク・ガイド』(以下H2G2)のダグラス・アダムスがBBCラジオの取材で世界の絶滅危惧主を見に行ったときの様子を、アダムス一流のユーモアとアイロニーで書き留めた旅行記です。
また、わたくしの大好きな安原和見さんの訳文も相変わらず名調子で、最高でした。何か、文章がかわいいんですが、このダグラス・アダムスのブリティッシュ・ジョークに合うんですよ。

H2G2のときも思いましたが、ダグラス・アダムスは「論理的なんだけれども、頭は悪い」あるいは「知識は多いが、賢くない」とはどういうことかということを、とてもよくわかる例で描写してくれる天才だと、改めて思いました。
昨今、論理的であることや、博識であることが無条件無前提でもてはやされるような風潮があるように思いますが、その危険性を非常に鋭く点いていると思います。
カールという名のモーリシャスチョウゲンボウの行動の下りは大笑いさせられつつも「うーーーん、確かに論理的だけど、こいつはバカ以外のなにものでもない…かも。」と考えこんでしまいました。
でも笑ってしまうんですけれどもね(笑)。
H2G2を読んでから、論理的であることを自らの売りにしている某名探偵のことを以前から「…たしかに論理的だ。だがこの男は本当に頭がいいと言えるのか」と疑問に思っていたもやもやが、氷解しましたね。でもそれはまた別のお話です。

以下、考えさせられたところを抜粋いたします。

コモドオオトカゲについて。
わたしたちがあれほど不安に襲われたのは、まるでたじろぐ様子もない、人を見下したような冷たい態度のせいだったかもしれない。しかし、どんな邪悪な感情をあのトカゲに押しつけようとしても、それはほんとうはトカゲの感情ではない。わたしたち自身の感情でしかないのだ。あのトカゲは、単刀直入なトカゲなりのやりかたで、トカゲのやることをやっていただけだ。トカゲは憎悪も罪悪感も自己嫌悪も醜悪さも知らない。ほかの動物とちがって罪悪感と自己嫌悪に襲われがちなわたしたちが、それをトカゲに押っかぶせようとしているだけなのだ。つまり、すべてはまっすぐこちらに戻ってくる----揺らぎもせずに平然と見返してきたあの目は、鏡のようにすべてをはね返してきたわけだ。


アメリカ人団体観光客のために、コモドオオトカゲにヤギを食べさせる場面のあとに。
正と不正を区別する唯一の生物種である、というのは得なことだ。なにしろそのときどきに自分に都合のいい規則をでっちあげることができる。


 いまから三億五千年後に、この魚の子孫が首にカメラを下げてこの浜辺に座っているとしたら、その長い道のりにはそれだけの甲斐があったと感じていてほしいと思った。そして、それが生きているこの世界と自分自身との関係を、もっとよく理解してくれていればいい。ほかの生物を絶滅から救おうとして、その生物にホラーショーを演じさせるような、そんな生きものにはならないでほしい。ちょっとスリルを味わいたいからと言って、ヤギの遠い子孫をオオトカゲの遠い子孫に食わせてみようとする者がいたら、それはまちがったことだと感じる生きものであってほしい。
 そして、それを堂々と口に出せない臆病者(チキン)ではあってほしくないと思った。


キタシロサイの乱獲について。
というわけだから、ほんとうの問題はこうだ----なんと言って若いイエメン人を説得すれば、サイの角の短剣は男らしさの象徴ではなく、そういう象徴がなければ自信を保てない男のしるしだとわからせることができるのか?

「サイの角の短剣」と「イエメン人」の部分はほかにも言い換えることができますね。

カカポの求愛について。ここは爆笑したところ。
カカポの保護にたずさわるある人などは、オスの求愛の叫びは、じつはメスを追い払っているのではないかと思うことがあると言っている。いわば自然の愚行であり、こんなばかな行動が見られるのは、ここ以外ではディスコぐらいしかない。

原書は1990年に出た本なので、ディスコって(笑)。

ここも笑ったところですが、カカポの食べ物について。
これについてはざっと片づけよう。航空機の客室乗務員になったとして、乗客がイスラム教徒とユダヤ教徒と菜食主義者と絶対菜食主義者と糖尿病患者だらけで、その全員に食事を出さなくてはならないのに、クリスマスの時期で機内には七面鳥しかないという状況を想像してみれば、そのむずかしさがわかると思う。

すごい想像力です(笑)。

カカポをイギリス産のオートバイに例えているところ。日本が出てきますが大爆笑。
 実際カカポを見ていると、なんだか英国のオートバイ産業を思い出す。長いこと自己流でやってきたので、すっかり偏屈になってしまった。(中略)そうこうするうちに、英国のオートバイ産業にとってほとんど話が終わりになりかけるときが来た。言うまでもなく、日本人があるとき急に、オートバイはそういうものでなくてもよいのではないかと思いついたからだ。かっこよくて、汚れも出さず、故障もせず、いつも言うことを聞く、そんなものであってもいいじゃないか。(中略)
 このきわめて競争力の高いマシンがイギリス諸島(ここでもやはり、厳しい競争を知らなかったのは島の種族だったのだ。日本も島国なのはわたしも知っているが、それを認めるとアナロジーがうまく成り立たないので、ここでは軽やかに無視することにする)にやって来ると、英国のオートバイはほとんど一夜にして絶滅してしまった。


 地球上の生命は、気が遠くなるほど複雑な系をなしている。複雑すぎて、ひとつの系だということすら人は長らく気づかなかった。生命はたんにそこにあるだけではなかったのに。


ドードーの滅亡で人間は以前より悲しみを知り、以前より賢くなったと言うのは簡単だが、数々の証拠から見るかぎり、人間はたんに悲しみを知り、知識を仕入れただけだったようだ。


ぜひ、お読み下さい。
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by n_umigame | 2011-09-10 19:22 | | Trackback | Comments(0)

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