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『カーテン』アガサ・クリスティー著/田口俊樹訳(クリスティー文庫)早川書房

〈クリスティー新訳シリーズ完結/期間限定カバー〉名探偵ポアロ最後の事件。懐かしきスタイルズ荘へ戻ったヘイスティングズが目にしたものは?

ヘイスティングズは親友ポアロの招待で懐かしきスタイルズ荘を訪れた。老いて病床にある名探偵は、過去に起きた何のつながりもなさそうな五件の殺人事件を示す。その影に真犯人Xが存在する。しかもそのXはここ、スタイルズ荘にいるというのだ……全盛期に執筆され長らく封印されてきた衝撃の問題作。新訳決定版。(解説:山田正紀/期間限定カバー:鈴木成一)
(出版社HP)


アガサ・クリスティーとの出会いは高校一年生のときでした。
同級生が赤い背の本…『カーテン』だったのですが…を読んでいて、彼女は『そして誰もいなくなった』の次にこれをすすめてくれました。積極的にこれを読めと言われたのではなく、「おもしろいよ」「へー」という程度の流れだったと思います。
なぜそうなったかは覚えていないのですが、こんなにおもしろい本があるのかと度肝を抜かれた覚えがあります。
その後『オリエント急行の殺人』『アクロイド殺し』と代表的なものを次々読んで、ゆるいファンになり今に至ります。「ゆるいファン」と申しましたが、ミステリーのおもしろさをわたくしに教えてくれたのは間違いなくアガサ・クリスティーです。

かような出会い方をしてしまったため、白状させていただくと、名探偵としてのポワロにはそんなに思い入れがあるわけではなく、ポワロ最後の事件である『カーテン』を読んで特別に感銘を受けたということは当時はありませんでした。
ポワロをキャラクターとしていろいろと考え始めたのは、NHKでITVのドラマ『名探偵ポワロ』を見始めててからです。

以下、ネタバレになります。完全にネタバレになりますので未読の方はここで回れ右。
『アクロイド殺し』(ドラマも含む)のネタバレもありますので、ご注意下さい。

*追記*『カーテン』は過去何度も読んでおりまして、今回は新訳による再読です。
感想もそんな感じです。
未読の方も、ラストは知ってる、という方ならお読みになっても問題のない書き方をしています。





















アガサ・クリスティーは単体で何の前知識もなく読んでもすばらしくおもしろい作家だと思いますが、ほかのミステリーを読んでさらに好きになった部分があります。
それは、自分が生みだした名探偵・ポワロを、こんな最後で終わらせたところです。

クリスティーは非常に信賞必罰のはっきりした作家だと思います。
人を殺した者は罰を受ける。
人を虐げた者は罰を受ける。
つらい目にあってきた人は、最後には人生に希望を見いだす。

おそらくこういった部分を指して「クリスティーはメロドラマだ」と言う人もいるのだと思いますが、だから何だって言うのでしょう(笑)。
クリスティーのメロドラマには、クリスティーの類型的に見えるキャラクターには、真実があります。
これは例えば民話や伝説のキャラクターに近いのかも知れません。
特定の役割を担う「駒」なので、深みや厚みはない。けれども普遍的で、どこの国にもいそうな人が出てくる。それがクリスティーの作品が広く国境を越えて読まれる一因でもあると思われます。

そして、その真実を描き出すのにクリスティーは遠慮がありません。
そのズバズバと人間をかっ捌いていく様は容赦がなく、よくこんな恐ろしいことができるなと思うくらいです。(クリスティーの文章が怖いと言った人がありますが、その気持ちは良くわかる気がします。わたくしは文章が、というよりは、この容赦のなさが怖いです。)

『カーテン』には、高圧的な母親に育てられてねじ曲がった人間が出てきます。(クリスティーの作品には、人格的に病気とすれすれの母親がよく出てくる気がしますがそれはさておき。)このキャラクターはクリスティーが繰り返し描いた、「イアーゴウ型」の殺人犯です。
自分は決して手を汚さないのですが、巧みに人心に介入して人殺しをさせる人物です。

ところが、「自分は手を汚さずに人を殺したキャラクター」がもう一人います。
信賞必罰を明かにするクリスティーが、自身苦々しく思っていたことを明かしたキャラクター。
それが、ポワロでした。
法的には自殺教唆になるのかどうなのか、わたくしには良くわかりませんが、『アクロイド殺し』で犯人に自殺するよう促します。
ドラマの『アクロイド殺し』ではどう見せるのか、わたくしがドキドキして見守っていたのは、「語り手が犯人だった」というトリックの部分ではなく、このラストシーンでした。
ドラマでも犯人は自殺しますが、それはポワロにすすめられたからではなく、追いつめられて逃げ場がなくなったためというふうに変更されていました。やはりこうなったかとほっとする反面、やはり『アクロイド殺し』のラストシーンは現代人から見たらまずいということだったんだなと思いました。

おそらくクリスティーは、後悔したのではないかと思いました。
「人殺しは絶対に許せない」と言う<名探偵>が、法的に立件できないとなると犯人を自殺に追い込んで平然としている。
自分は手を汚さないというところがなおさらたちが悪い。
ではどうするか。
<名探偵>に手を汚してもらおう。
手を汚したからには最期は決まっている。
相手と同じ土俵に降りたらその人間も人殺しである。
「自分は手を汚さない」殺人犯のたちの悪さをポワロ自身の口から語ってもらおう。
それが自殺を教唆したポワロがなぜ法的には裁かれなかったかという説明にもなる。

発表された時期こそ遅かったそうですが、クリスティーは『カーテン』をかなり早い時期にすでに書き上げていたとのことですから、もうそのころにはクリスティーの中では、ポワロは断罪されたキャラクターだったということです。
恐ろしいですね(笑)。

でも、繰り返しになりますが、こう思い至ってわたくしはアガサ・クリスティーがなおさら好きになりました。

エラリイ・クイーンやS.S.ヴァン・ダインが、そのドル箱<名探偵>キャラクターに平然と人殺し(自殺)をさせて、のうのうと生き延びているところを見ると、なおさらクリスティーの清々しいまでの信賞必罰のはっきりした部分が際立ちます。
わたくしが作家エラリイ・クイーンのファンでありながらどうしても<名探偵>エラリイ・クイーンが好きになれないのは、この人を殺したことに対する無反省さ、無神経なまでの屈託のなさに理由があります。ファイロ・ヴァンスくらいになると突き抜けているので(笑)もういいような気になるのですが(おいおい)、エラリイ・クイーンの場合は中途半端にプロ(警察)の仕事に(しかも何様かと思うような態度で)介入してくるくせに責任は取らないという子どもっぽさが鼻につくのでした。
クイーンはせめて中学生くらいまでに読んでおけば良かったと思う所以でもあります。そうすればエラリイが子どもっぽいとは思わなかったでしょうから。

ですがクリスティーの結論は「人を殺した人間は死んでもらいまひょ」ということですので、これはこれで怖い(笑)。
でもそれは一方的に<名探偵>の…言い換えれば作者の都合の良いように犯人にだけ適用されるルールなのではなく、<名探偵>…物語を紡ぐ側…へも跳ね返ってくる切っ先なのだ。
『アクロイド殺し』がフェアかフェアでないかという議論は、わたくしにはどうだっていいことです。シリーズ全体…つまり<名探偵>の一生を通じて精算して行かれたという点をもって、クリスティーは最高にフェアな作家だと思っています。


とは言え、気になっていることがあります。
ドラマのポワロは原作のポワロと違って、犯人を自殺に追い込んだことはありません。目を離した隙に死なれてしまったことはありますが、基本的に心優しいキャラクターを貫いています。
ですので、ドラマのポワロの最後が『カーテン』だったとしたらそれは悲しすぎると思います。
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by n_umigame | 2011-10-16 21:26 | ミステリ | Trackback | Comments(1)
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Commented by mimi at 2014-10-07 01:15 x
ドラマのポアロの最後はカーテンでしたよ。
確かに哀しい感じですね。正義感の強いすがすがしいキャラでしたから。ちょっと私もがっかりしたところがあります。
でもこの物語が戦争中に書かれたことを思い出しました。そう思ってドラマを見直すと、各所で当時を彷彿とさせる言葉が出てきます。「人を殺すことは悪か?」「いらない人間は排除していいのではないか」「それは勇気だ」
「その人間を殺すことは罪でも、それでもっと多くの善良な命が救われるのではないか」ポアロはそういいます。これはたぶん原作が書かれたときのクリスティーの心境かもしれません。当時はナチスドイツが虐殺してた時代です。リアルタイムでイギリス人のクリスティーがどこまで知ってたかわかりませんが、ロンドンは空襲されていたかもしれませんし、ナチスがだんだん台頭してくる事に敵対していたのはイギリスです。ずいぶんユダヤ人がイギリスに逃げたようです。