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『科学と科学者のはなし : 寺田寅彦エッセイ集』池内了編(岩波少年文庫)岩波書店

電車の混雑には法則があるのか? 虫たちは一体何を考えているのか? 日常生活の身近なことがらを細やかに観察しながら、科学的に考えることのおもしろさを書き綴った、明治生まれの物理学者による随筆。
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先日来、NHKスペシャルで東日本大震災関連のドキュメンタリーが放送されていますが、そのうちの一つを見ながらTwitterのTLを(TVの映像から逃避的に)眺めていました。
そこで「西日本の人間はこの番組を見ろ」とツイートしている方が何人かあり、わたくしは近畿地方在住の一人として、この心ないツイートに少し傷つきながら、この寺田寅彦のエッセイ集に収められている「津浪と人間」というエッセイを思い出していました。

寅彦は、同時代のこととして昭和8年(1933年)3月3日に襲来した津波について語っているのですが、これは明治29年(1896年)6月15日に同地方に起こったいわゆる「三陸大津浪」と同様の自然現象が、約満37年後の今日に繰り返されたことであると。

 こんなにたびたび繰り返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当の対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことができてもよさそうに思われる。これは、この際だれしもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうはならない、というのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。


 すると、学者のほうでは「それはもう十年も二十年も前にとうに警告を与えてあるのに、それに注意しないからいけない」という。するとまた、罹災民は「二十年も前のことなど、このせちがらい世の中でとても覚えていられない」という。これはどちらの言い分にも道理がある。つまり、これが人間界の「現象」なのである。


 災害記念碑を立てて永久的警告を残してはどうかという説もあるであろう。しかし、はじめは人目につきやすいところに立ててあるのが、道路改修、市区改正等の行われるたびにあちらこちらと移されてしまい、おしまいにはどこの山かげの竹やぶの中に埋もれないとも限らない。そういう時に若干の老人が昔の例を引いてやかましく言っても、たとえば「市会議員」などというようなものは、そんなことは相手にしないであろう。そうしてその碑石が八重葎に埋もれたころに、時分はよしと次の津波がそろそろ準備されるであろう。


 こういう災害を未然に防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津浪の周期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい。そうすれば災害はもはや災害でなく、五風十雨の亜類となってしまうであろう。しかしそれができない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するよりほかはないであろう。



「西日本の人間はこの番組を見ろ」とツイートした方が20歳未満だった可能性もありますが、そうでなければ、このツイートをした人にとっては阪神淡路大震災は「なかった災害」なのでしょう。
そうでなくとも、何万、何千という方が亡くなったような激甚災害でなくても、災害で亡くなった方の命は同じように尊いはずではなかったのでしょうか。

それをおそらく「忘れて」しまったのでしょう。
あるいはその人にとっては「なかったこと」なのでしょう。

寅彦はそれが「人間界の現象」であるとしながらも、そうであるからこそ「忘れない努力」をすべきであると言っています。


末筆ながら、東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福を心からお祈りするとともに、今なお様々な災害の爪痕に苦しみや悲しみを抱えておられる方々へお見舞いを申し上げます。
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by n_umigame | 2012-03-11 20:26 | | Trackback | Comments(0)

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