*さいはての西*

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『ファイアーウォール』上下 へニング・マンケル著/柳沢由実子訳(創元推理文庫)東京創元社

19歳と14歳の少女がタクシー運転手を襲う事件が発生。逮捕された少女たちは金欲しさの犯行だと自供、反省の色はない。ヴァランダーには彼女たちが理解できなかった。あまりにふてぶてしい二人の態度。尋問の席で母親を罵倒し殴った少女に腹をたてたヴァランダーは、思わず彼女に平手打ちを食らわせてしまう。ところがその瞬間をマスコミに流されてしまったのだ。孤立感に苛まれるヴァランダー。北欧ミステリの巨匠の傑作シリーズ。
(出版社HP)



クルト・ヴァランダーシリーズの邦訳8作目。
へニング・マンケルの作品は、邦訳が出たものはノンシリーズも含めて全部読んでいますが、この作品は自分内歴代1位です。
ヴァランダーのシリーズとしても佳境に入ったという印象です。

この作品を原作としたケネス・ブラナー版のドラマを先に見てしまっていましたが、原作の濃さにはかないませず、ドラマとも違うので改めて楽しく読めました。

今回は事件の方も二重三重の仕掛けがありますが、ヴァランダーを取り巻く人間関係に変化があり、読んでいるとどんどんつらくなるのですが、読むのを止められません。

以下ネタバレにつきもぐります。














今作は、事件の方はタクシー運転手を少女が殺害したことから始まり、ATM前で死んでいた男が世界の金融システムを標的としたサイバー・テロと関わりがあるかもしれず、そこへ著者が活動されているアフリカの問題などを交えて物語が展開します。
(ずいぶん慣れましたがさすがにスウェーデンの田舎町とルワンダがいきなりリンクするところは、やっぱりちょっと面食らいます。(笑))

原作は今から14年前、1998年にスウェーデンで刊行されたようですが、技術的なことが多少陳腐化しているように感じる部分以外は、テーマとしてまったく古びていない作品だと思います。
訳者の方があとがきでも述べておられますが、東日本大震災を経験した今こそ、むしろわたくしたちにとって喫緊のテーマではないかと思われるほどです。

ヴァランダーのモノローグに「われわれが生きているこの社会は、想像するよりずっと簡単に壊れ得る、もろいものだ」とありますが、世界中に張り巡らされたネットワークは、だから一カ所でも輪の脆いところがあれば、悪意のある人間がそこから全体が崩壊させることも可能だということ。
また、ヴァランダーは自分の国のことにもまた思いをはせます。スウェーデンが自分の理解できないような国になっていくのが、それを見るのが怖いと。

「わずか十四歳の女の子が土曜日の朝、酒か麻薬かに正体がわからないほど酔っ払って表を歩いている。この目に映るものがなんなのか、おれにはもはや理解できない。だが、この国は家のないもの、傷だらけになってふらついているものであふれている。電気が止まったらすべてが止まってしまう。その頼りなさ、もろさが、一人ひとりの人間の中にまでしみ込んでしまっている。」


「(若者たちは)必要とされないだけでなく、歓迎されないのだ。自分自身の国で。」


事件だけでも毎度やりきれない展開になる当シリーズですが、今作ではヴァランダーの人間関係が重い苦しいものに変わっていきます。
今まで比較的良好な関係だとヴァランダーが思っていた同僚との間に亀裂が入ります。
前作で、やはり同僚のスヴェードベリが亡くなっているのですが、スヴェードベリの代わりに新しい人が入った形跡もなく、人手不足はさらに限界を突破した印象ですが,そんな中での人間関係の不和はヴァランダーにも大きなダメージを与えます。

非常に淡泊な関係として描かれてきたヴァランダーと彼の仕事仲間ですが、今作ではみんな過労でカリカリしていることもあり、ちょっとしたことでかっとなって、寄ると触るとケンカしています。
そこへ、リーダーとして不適任だという突き上げがチームメンバーから来るのですが、正直、え、マーティンソン?おまえかよ、と思いました。

ですが、公平に申し上げて、マーティンソンの不満、あるいは不安もわかる気がします。
裏でこそこそ署長にウソをついてまでヴァランダーを追い落とすというやり方は、もちろん感心しません。悪気がないというのも非常にたちが悪いです。
でもヴァランダーは単独行動が多いし、携帯電話は電源が入ってなかったりそもそも携帯してなかったり、チームメンバーにちゃんと連絡したり相談したりしないし、わたくしも「え、リーダーだったの?」と思ったくらいです。
今作でも、重要な協力者の少年を知り合って間もないよく知りもしない女性の家に預けて、彼女とどこで知り合ったかも言わないというのは、この人といっしょに仕事をするメンバーだったとしたら、やっぱり信用しきれません。
もし最初は信用していたとしても、不安で仕方がない。
アン=ブリットも心配していますが、自分ではちゃんと考えてるし自分の面倒は見られると思っているようですが、健康管理もなってなければ、人の忠告も聞かない。びっくりするくらいナイーブなところがあって(そこがヴァランダーの良いところでもあるのですが)、それが原因でえらい目にあってます。
ヴァランダーは「言ってくれれば話を聞く」と言っていますが、あなたがそう思っているだけで聞いてくれてない、というマーティンソンの言い分にも一理あると思います。
自分の聞きたい話だけ聞くのは、「人の話を聞く」とは言いません。
元々ヴァランダーは、自分のメンターであるリードベリしか信用していないような節がありました。亡くなってからもリードベリの存在がヴァランダーにとっていかに大きかったか、あるいは今現在も大きいかということが折に触れわかるように描かれています。
ヴァランダーはチームを信用しているつもりかもしれませんが、申し訳ないけど、あまりそうは見えません。信用しているということを、チームメンバーにちゃんと伝えてこなかったんじゃないかと思います。
心配してくれたら「心配してくれてありがとう」と言ってたまには忠告を聞いてみることだったり、チームメンバーにも言えないような仕事の仕方をしないということの積み重ねが、信頼関係を築いていくのだと思います。

これが欧米の警察ドラマだったら、通常チームにははっきりと階級の違うリーダーがいたり、そうでない場合はチームメンバーは比較的団結しています(リーダー不在でもまとまってる)。
ヴァランダーのチームは以前からこれがなさげなのが不思議でした。
警察や軍隊が階級制なのは、強い指揮命令系統が必要なシチュエーションにさらされる仕事だということですよね。そんなハードな現場で、目の前の仕事をするのに必要な情報が降りてこない、いざとなったら指示を聞かないかもしれないメンバーがいる、というのは「現場」としてはかなりまずいと思います。

ヴァランダーはとても心優しい人で、同僚のことでも、アン=ブリットの別れた夫が別の女性といっしょにいるのを見かけてアン=ブリットのために傷つくようなところがあるのですが、いくら陰で心配してくれても、仕事のときに安心感をもらえないリーダーはやっぱり困ります。警察官の場合、いっしょにいたら文字通り死活問題です。
ヴァランダーが忙しすぎていっぱいいっぱいというのもわかるのですが。

今までに登場したキャラクターが次々と登場してはヴァランダーの目の前からフェイドアウトしていく様は、人ごとながら走馬燈を見ているようです(笑)。
笑い事ではない展開なのですが、シリーズ全作を読んでいるとなんだか感無量です。
恋人も友人もみんな行ってしまう。

それでも最後にはヴァランダーは自身の「ファイアーウォール」を突破します。
リンダの進路の選択とこの描写があること、タイトルがダブル・ミーニングになっていることが同時にわかり、この悲しい作品が一気に、明るい光に向かって窓が開いたかのような読後感を残します。
すばらしいシーンですので、ぜひ最初から「暗いよー暗いよーつらいよー」と思いながらも、投げ出さずに完読してください。
このシリーズを未読の方は、ぜひ1作目からお読みいただくことをオススメいたします。

ヴァランダーシリーズは残りあと2作で、その前にノンシリーズ2作の翻訳が先に刊行される予定だそうですが、できればヴァランダーシリーズをこのまま完結まで持って行っていただけたらと思います。
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by n_umigame | 2012-10-29 00:03 | ミステリ | Trackback | Comments(0)
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