*さいはての西*

fwest.exblog.jp
ブログトップ

『もっと地雷を踏む勇気 : わが炎上の日々』小田嶋隆著(生きる技術!叢書)技術評論社

オダジマタカシがさらなる地雷を踏みに行く! 昨年刊行して大好評だった『地雷を踏む勇気』に,待望の続編登場。ハシズムも維新もTTPもドンと来い! ノイズだらけのメディア言論を一刀両断。大震災以来,目に見えて不寛容になってきているわが国の言論状況に対し敢然と立ち向かう,孤高のコラムニストの真骨頂エッセイ。「デジタルの世界に生きる人間は,ノイズに対してタフにならなければいけない」などなど,ハードボイルドな名言満載!
(出版社HP)
性急な結果を求める人々は、官僚のクビを切ることや、学校教育に競争原理を持ち込むことで、短兵急な改革を実現しようとする/持ち出してくるのが、市場原理主義の考え方だ/民主主義の多数決原理は、市場原理における淘汰の課程とよく似ているように見える/だが、民主主義は、少数意見を排除するシステムではない。むしろ、少数意見を反映する機構をその内部に持っていないと機能しないようにできている/だからこそそれは効率と縁遠いのだ。(本文より)
(帯より)



前作の『地雷を踏む勇気』の続きを収めたエッセイ集です。
前作よりさらに読みでがあり、どのエッセイも興味深く読みました。

帯にもあるように、今回は改めて、小田嶋さんの少数意見派(マイノリティ)に向けられる目の優しさ、と言ってセンチメンタルであれば、彼ら彼女らの意見、ありよう、考え方が平然と無視される社会の危険性について、とても考えさせられました。
それは日本の世の中が不寛容になってきているという危機感と抱き合わせでもあります。

例えば、新型うつや生活保護の不正受給問題について。
確かに一部には、単なる怠け者もいるだろう。けれども、実際には本当にうつ病の人や生活保護が必要な人々がいて、彼ら彼女らはすでに充分苦しい思いをしているのである。どんな時代にも怠け者は一定数いたのであり、それをわずか数パーセントの不心得な人々をしてすべてであるように言い立てどうするのかと。
この、マスメディアが「一部が全部」であるかのように過大に言い立てる、ということには、わたくしもいったい何が起きているのかと思うことがありました。
ふつうそういうことを個人の人間がすれば、ただのパラノイアです。

民主主義というのは非常に迂遠な、効率的ではないありようであり、それを選んだ我々は、迂遠でも非効率的でも、手段として民主主義のあり方から外れてはならない、というところはたいへん共感しました。

また、ダーウィンの原典にある「Struggle for existence」は通常「弱肉強食」と訳されるけれども、「生存のための努力」と訳しても良かったはずだと。弱肉強食と進化論を同一視する考えを「とんでもない誤用」とする慶應義塾大学の岸由二氏のインタビュー記事を引いて、適者生存よりも多様性(ダイバーシティ)が生物のDNAを守った可能性もあると。
NHKスペシャル『地球大進化』という番組があったのですが、確かにこういった番組を見ていると、生き残った生物は、強さや繁栄の度合いはもちろん関係なく、さらに環境に適応したから生き残ったとも一概に言えなさそうだなということがわかります。

あと、神戸の某企業での入社式の様子。気持ち悪い。そもそも採用されないだろうけど、わたくしもこういった「イベント」に何となく片付かないものを感じてしまうタイプです。
「全員同じ意見だったら、会議する必要ないんじゃないですか」と発言して会議室の空気を凍らせるくらいはやってしまってますので(笑)。
[PR]
by n_umigame | 2012-11-07 21:07 | | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://fwest.exblog.jp/tb/17127744
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。