*さいはての西*

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『カンフー・パンダ』(2008)&『カンフー・パンダ2』(2011)

2013年も引き続きDWA作品を見てみるマラソン続行中。
またまた長いですすみません。

主に『2』の感想になります。
これもDWAらしい作品ですね。1も『2』もある面で同じモチーフの繰り返しと言えるでしょう。特に『2』の方は、『長ぐつをはいたネコ』と重なるものが大きかったように思います。理由についてはのちほど。
DWAの作品はもう物語がどうという部分はあまり見ていません(笑)。作品の良さは特にそこにあるんじゃないと思うので。


まず言わせていただいていいですか。
肝心のパンダかわいくないよ!と思ってました。わたしパンダ大好きなのですが、あんまりパンダがかわいくないので手が出ませんでした。
けど『2』で赤ちゃんのときのポーを見て「………カッ!(*゚д゚*)vvvv」とキュン死。もっふもふのころっころ。まんまとしてやられましたよちくしょう。でもパンダのしっぽは黒じゃないのよー!

1作目は往年のジャッキー・チェンのカンフー映画を見ているようでした。お師匠が一見全然強そうじゃないところとかお箸を使ったトレーニングシーンとか、似てますね(わざとでしょうけれども)。
武術としてのカンフーには興味がないのですが、動きを見ているのは好きです。まるで舞っているようでとても美しい。
ちなみにジャッキー・チェンも声で出演しています。

雄大で美しい古代中国の風景もすばらしかったです。いかにも「なんちゃって中国」じゃなくて、きちんと取材したものが十全に活かされている印象です。
剪画(中国伝統の切り絵)と影絵を使ったイントロもすばらしいですね。公開された当時中国が「文化的侵略だ」と言ったとか言わなかったとかですが、悔しければ中国ががんばってくださればよいことです、あくまでもオリジナルで。コピーでなくオリジナルで。(大事なことなので二度言いました)


以下、DWA『長ぐつをはいたネコ』のネタバレもありますのでご注意ください。


























『長ぐつをはいたネコ』と『シュレック3』は、犯罪に手を染めて人生を誤った人にセカンド・チャンスをあげてほしい、という内容でした。後者は残念ながらプロットとしてまとまっていませんでしたが、前者は悪役であるハンプティは何度もチャンスをもらったのに結局最後は死んでしまいます。大人が見ると、ハンプティの人生には同情の余地があるというか、気持ちに寄り添うことができるような作品になっていて、一応ハッピーエンドなんだけれどもほろ苦い終わり方でした。

『カンフー・パンダ2』は、この『長ぐつをはいたネコ』とある意味相似形の物語でした。
今作でははっきりと、しかも二度も、「お話の始まりは幸せではなかった。でもそれは今からどう生きるかとは関係ない。おまえはどうなりたいのか」と言わせています。

これが作品のテーマでしょう。

1作目は往年のカンフー映画の定石通り、弱かった主人公のポーがだんだん強くなるというお話です。
2作目ではクライマックスで「心の平和」の境地に達します。
ただこれがけっこう安直な描かれ方で、シーフー老師の1作目の苦悩はなんだったのかと思うような成長の仕方でした。ブレイクスルーというのは、その壁なり殻なりを突破して振り返ってみると「あのつらさは何だったんだ」と思うくらいあっけないものですが、もがいている最中は本人にとってはとてもしんどいものです。その苦悩がポーの場合あまり描かれず、1作目のシーフー老師の方が描き込まれていました。
一応シーフー老師から「その若さで」と突っ込ませることで、観客が突っ込みたい気持ちを代弁してくれていました。(こういうところがDWAは本当にうまいですね。ノリツッコミというか「わかっててやってるんだよ」という目配せが。)

また、ポーのようにすばらしいお師匠や兄弟弟子、愛情深い親に恵まれていたとしても、ブレイクスルーは自分との戦いですから、戦うときは自分一人です。(シーフー老師も「問題はおまえではなく自分にあるとわかったときに、心の平和を得た」と言っています。)
その戦いの孤独やつらさなどを体現していたのはポーではなく、2作目でもどちらかというとシェンの方だったと思います。

クライマックスでシェン大老の大砲(火力=火)を、水の上にいるポーが受け流すシーンは、水が火を制す(水剋火)という五行の理を表すと同時に、「水」が方円の器にしたがいすべてを受け入れ、居着かず(過去に執着せず)に流れていくことで自らをも清める、という象徴でもあるのでしょう。
「心の平安」を得る技のトレーニングに、シーフー老師もポーも「水滴」を使っていたところからも、それは伺えます。

火と水という象徴以外にも、ポーとシェンは対照的な存在として描かれます。

シェンを見ていると『長ぐつをはいたネコ』のハンプティと重なりました。
いわば自業自得だったのを、自分が悪かったとは考えずに周りのせいにしている。だから何も解決しない。(ちなみにおまけで入っていた短編アニメでも、「あなたがたは自分のことしか考えていない。だから道は同じところに帰ってきてどこへも行けない」とウーグェイ導師が諭すシーンがあります。『カンフー・パンダ』シリーズはこれがテーマなんですね。)

シェンは何度もポーに「おまえは親に愛されていなかった」と言って自分と同じ土俵に引きずり込もうとしますが、成功しません。
捨て子だったということを知ったものの、ピンお父さんの愛情を一身に受けて育ったポーは強い。(赤ちゃんポーが大根が大好きだと知って、仕入れた大根は全部ポーのごはんにすると決めたということだと思うのですが、「わしのスープには大根を使わないこと」「わしの人生と、うちのスープは甘くなった」というシーンは大好きです。ピンさんの声をあててらっしゃるジェームズ・ホンさんが「彼はジューイッシュ・マザーでもありチャイニーズ・ファーザーでもある」とおっしゃっていましたが、まさにそんな感じです。過保護で子どもを愛していることをどこでも隠さないと言うか…「これはかわいいからやっぱりわしが持っとこうかな」「ラーメン…」のシーンも好きーv)

ポーのノーテンキおおらかな性格もあるでしょうが、自分の仲間の村を焼き払い、実の親と生き別れになった原因を作った張本人がシェンだと知っても、ポーはシェンを憎まない。
憎しみが原動力だったシェンは「なぜだ」と、ポーを理解することができません。
両親に愛され認められたかったのに、それがかなわなかったと思い込んで自分の憎しみの中に閉じこもっているシェンは、「30年前」と言っていますが、何歳になっても(何歳か知らんけど)結局どこへも行くことができませんでした。

1の方も敵役がシェンみたいな大人子どもで、彼の憎しみの対象はシーフー老師でした。師弟関係というのは疑似親子で、やはり彼も自分を認めてくれず牢に押し込めたシーフー(師/親)を憎んで、その憎しみから自由になることができませんでした。

アイデンティティ・クライシス---「自分は誰なのか」「これまで自分だと思っていた自分は実は違ったんじゃないか」--- もDWAではよく出てくるテーマで、『カンフー・パンダ2』もいわばアイデンティティ・クライシスのお話と言えます。
ですが主人公のポーは少し悩みはするものの、あっさりとそれを乗り越えて成長します。それを乗り越えられないと自分がつらいだけだ、というアンチ・テーゼとして配されたキャラクターであるシェンの方が、大人が見ていると感情移入してしまいますね。
シェンにもオオカミの隊長にもセカンド・チャンスをあげてほしかったな。オオカミ隊長は仲間思いで彼なりにいいやつじゃないですか。最後の「断る(No!)」はかっこよかったですよね。

ディズニーの作品の悪役はリアリティがある不愉快さがあって本当に厭な感じなことが多い気がするのですが、DWAの悪役は、行いはまずいけど彼/彼女がどうしてそうなったのかをいろいろ想像してしまって、安易に憎めないところが気にいっています。だから死んじゃうと悲しいのですが…死ななくてもいいじゃない、と。


マスター5の中ではカマキリ君が好きです。(声はセス・ローガン)
「俺は親父のことで悩んだことねえわ。お袋に食われちまったからかな」「かわいい女の子と結婚して、がっつり食われたかった」ってここだけなんでこんなリアルなんですか(笑)。
クライマックスで加勢に来るシーフー老師もかっこよかったですね。わたし、体が小さくてかわいいのに強いキャラクターが好きみたいです(ペンギンズとか…)。
シーフー老師は何の動物なんだろうと思っていましたが、レッサーパンダなんだそうです。見えないな…。
「今年はクジャク年にする!」と言うシェンに「え、こんな中途半端な時期から?だったらあと半年しかないですよ」とツッコむオオカミ隊長も笑いました。あと、ポーがかっこつけて屋根の上から戦いの口上を述べているのに遠すぎて聞こえなくて「えーーー!?(What!?)」と返すシェンにも。ポーがしゃべり終わるまで待っててあげるのが、また。礼儀正しいな。
緊張するシーンで要所要所で笑いを入れてきてくれます。


あと、DWAはネコ好きの巣窟だと書きましたが、追加。鳥好きの巣窟でもあると思います。
ネコがセクスィーなのは当然だけど、何ですかこの鳥のセクスィーさ。
『マダガスカル2』を見てペンギンズの特に隊長がなんて色っぽいんだとドキドキして見ていまして、隊長の場合は中味と雰囲気の色気だったのが、今回はクジャクですよ。(あ、いやペンギンもかわいい、かわいいよ!!!)
クジャクは元々が美しい鳥ですが、目がちょっと禍々しい感じで、確かに悪役にいいかもしれません。作中の羽根の使い方とか本当にエレガントで美しいですよね。カンフー映画なんかで扇を使って戦うシーンがありますが、そのオマージュなんでしょうか。今回も惚れ惚れと見てしまいました。声もゲイリー・オールドマンですからね、何もかも反則です。


以下余談。

…しかし、DWA作品の代表作をだいたい見終えて、こんなに何度も何度も同じようなモチーフのお話が繰り返し語られると、なぜなんだろうと考えてしまいますね。
子ども向けのアニメなので勧善懲悪で、結局悪役は死んでしまうのですが、シェンやハンプティのように、一度自分の愚かさゆえに傷ついて憎しみに閉じこもってしまった人にこそ、セカンド・チャンスを与えて救ってあげてほしい、という伏流するメッセージを感じます。
映画は、例え設定が「昔々」だろうと宇宙の彼方だろうと、その時代や制作国の社会状況を反映しているものでしょうから、こういう作品が必要だという気持ちが制作者にもあるのでしょう。


「悪役は死んでしまう」と書きましたが、例外が『マダガスカル』シリーズです。
ほかのDWA作品を見れば見るほど、やはり『マダガスカル』シリーズがいちばん好きです。
キャラクターがいちばんクレイジーな作風でもあって、これもアメリカらしいと言えるのでしょうか(笑)。ペンギンズやジュリアン、モートのような、明らかに何かがぶっ壊れてますというキャラクターは、日本で公開された作品を見る限り他のDWA作品には登場していないようです。
それでも(だからこそ?)あんなに魅力的なんだから、おそろしいです。
作中、あんなにcrazyだのpsychoticだのという単語がぽんぽん出てくるのも『マダガスカル』シリーズだけのように思います。
それが他の作品と一線を画すという部分もなきにしもあらずですが、キャラクターが誰も(敵役ですら)死なないこと、にも関わらず意外とドライでシニカルな目線で物語が語られるところ、誰か一人が大活躍する主人公というわけではなく「この世界に脇役なんかいない」とでも言いたげな作風、にも関わらず映画としては全員の見せ場が絶妙なバランスの上に作品が成り立っているところなど、見れば見るほどよく作り込まれています。

『ヒックとドラゴン』はちょっと別の位置にありますが、今後もDWAの作品を見守って行こうと思います。
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by n_umigame | 2013-01-02 18:48 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)
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