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*さいはての西*

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『僕の知っていたサン=テグジュペリ』レオン・ウェルト著/藤本一勇訳(大月書店)


「レオン・ウェルトはサン=テグジュペリの友人である。言葉の真の意味での友人。思想の共鳴ではなく魂の共鳴で結ばれた相手。ウェルトが「けれども、僕らの友情は、思想の凡庸な一致などというものを超えたものだ」と言うのはそういう意味である」。
池澤夏樹(「巻頭エッセイ」より)
(出版社HP)


レオン・ウェルトに

 この本を一人の大人に捧げることを許してほしい、とぼくは子供たちにお願いする。大事な理由があるのだ。まず、その大人はぼくにとって世界一の親友だから。もう一つの理由は、その大人は子供のための本でもちゃんとわかる人だから。三番目の理由は、その大人は寒さと飢えのフランスに住んでいるから。慰めを必要としているから。これだけ理由を捧げても足りないようなら、ぼくはこの本をやがて彼になるはずの子供に捧げることにする。大人は誰でも元は子供だった(そのことを覚えている人は少ないのだけれど)。だから、ぼくはこの献辞をこう書き換えよう----

小さな男の子だった時の
レオン・ウェルトに
(本文より)



ご多分に漏れず(?)、レオン・ウェルトというとサン=テグジュペリによって『星の王子さま』で巻頭の献辞を捧げられた相手、ということしか知りませんでした。

『星の王子さま』は小学校5年生のときに初めて読んだのですが、そのおもしろさがわからず、大学生になって第二外国語(フランス語)のテキストとして読み直す機会があり、そのときになって初めて「こんなお話だったのか…」と感動した覚えがあります。
フランス語の語の意味を一語一語読む機会があったのは、今思えば幸いでした。

宮崎駿監督だったと思うのですが、サン=テグジュペリの作品を読んで共感を覚えると、今度はサン=テグジュペリという人そのものに興味が出てくるようになる、とおっしゃっていて、そのとおりだなと思いました。
そんなにたくさん評伝などを読み込んだわけではないのですが、サン=テグジュペリという人はきっとやんちゃで愛すべき人物だったのだろうなということが想像できます。
その死がドラマティックだったせいか、必要以上に美化されたという面もあったようですが、こんにちでは良い面もそうでない面も公平に評価しようという動きが主のようです。

この本は、レオン・ウェルトによって書かれたサン=テグジュペリとの友情についての記録なのですが、友情とは何かということを考える内容でもありました。
二人の間で交わされた手紙や日記などを読んでいると、相手に対する信頼や尊敬、気遣いが淡々と伝わってきて、何とも言えないあたたかい気持ちになります。
これが第二次大戦の時期に書かれ、レオン・ウェルトがユダヤ系の人であったということもあるいは大きいのかもしれません。

レオン・ウェルトは友情と愛を分けて論じているのですが、あまりにも友情が深いと果たしてこの二つを分ける境目はどこなのかということを考えてしまいます。
なまじなハードボイルド小説を読むよりも、サン=テグジュペリとレオン・ウェルトのロマンティシズムに酔いそうになります。

 まず第一に、彼は地上における僕の最高の友のひとりだったからだが、そればかりでなく、また僕は彼に精神的に負うところがあったからである。というのも、彼と知り合いになる前から、僕は彼のものを読んでいたのだ。----そして、僕がどれほど彼に多くを負っているかを、彼は知らない。
                        心からの愛情をこめて
                             アントワーヌ
(p.19)


 1940年10月15日
 サン=テグジュペリは僕と二日間過ごした。友情とは「魂の訓練であり、それ以外の成果をもたない」。友情が文学に霊感を吹き込むことはほとんどなかった。このモンテーニュの言葉のなかには、何世紀も積み重ねられた書物よりも、多くの友情がある。愛はなぜ尋常ならざる特権をもつのだろう。たぶん、愛がほとんど普遍的と言っていいから、愛について何かを体験したことのない人間など、ほとんどいないからだ。
 友情もまた愛と同じくらい謎めいているが、その謎はもしかすると愛以上かもしれない。
(中略)


 友をあるがまま受け入れるのでなければ、友情はない。その人そのものを受け入れるのでなければ、友情はない。友人たちの一方が肥大化したり、矮小化されたりすれば、また二人が一個の人物になってしまったら、もはや友情ではない。
(p.24)


1944年8月9日
 愚かな考えがいくつも浮かぶ。彼が死んだと思うこと、それは彼を疑うことであり、彼を裏切ることだ。僕は希望を持つ。
(p.38)


親愛なるレオン・ウェルトとシュザンヌ。僕らを同じ惑星に住まわせてくれた幸せな偶然にとても感謝している。また、さらに幸せな偶然から、同じ時代に暮らすことになったことに! 星の数と時代の数を考えてみれば、これはほとんどありえないことだった……。
(p.55)



「その大人は子供のための本でもちゃんとわかる人だから。」
…自分は「子どものための本でもちゃんとわかる大人」になれたかどうか。我が身を振り返ります。


……というのが真面目な感想なのですが。

が!!

もう、通勤途中電車の中で「まったく男の友情ってやつはやつはやつはー!!」と、萌え死ぬかと思いました…。
上に引用しなかった部分もいろいろしみるところが満載です。
ごめんなさいレオン・ウェルト。ごめんなさいサン=テグジュペリ。お二人ともそれぞれ愛する女性がいるのにコレというところがもうツボでツボで…。
(不愉快に思われた方にも申し訳ありません。)

『星の王子さま』を未読の方、子どものときに読んだっきりという方には、ぜひこちらもお読みになることもおすすめいたします。
by n_umigame | 2013-01-23 21:44 |