*さいはての西*

fwest.exblog.jp
ブログトップ

『風立ちぬ』(2013)

宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」(2008)以来5年ぶりに手がけた長編作。ゼロ戦設計者として知られる堀越二郎と、同時代に生きた文学者・堀辰雄の人生をモデルに生み出された主人公の青年技師・二郎が、関東大震災や経済不況に見舞われ、やがて戦争へと突入していく1920年代という時代にいかに生きたか、その半生を描く。幼い頃から空にあこがれを抱いて育った学生・堀越二郎は、震災の混乱の中で、少女・菜穂子と運命な出会いを果たす。やがて飛行機設計技師として就職し、その才能を買われた二郎は、同期の本庄らとともに技術視察でドイツや西洋諸国をまわり、見聞を広めていく。そしてある夏、二郎は避暑休暇で訪れた山のホテルで菜穂子と再会。やがて2人は結婚する。菜穂子は病弱で療養所暮らしも長引くが、二郎は愛する人の存在に支えられ、新たな飛行機作りに没頭していく。宮崎監督が模型雑誌「月刊モデルグラフィックス」で連載していた漫画が原作。「新世紀エヴァンゲリオン」の監督として知られる庵野秀明が主人公・二郎の声優を務めた。松任谷由美が「魔女の宅急便」以来24年ぶりにジブリ作品に主題歌を提供。
(映画.com)




賛否両論レビューが割れていますが、割れた理由がわかったように思います。
わたくしはこれは「有り」だと思います。
ラストシーンまで見て初めて、「ああ」と腹に落ちました。

あるシーンで泣きそうになりましたが、それは主人公に共感できたからではありません。

すでに、それぞれの視点から読み応えのあるレビューをweb上に上げてらっしゃる方が大勢いらっしゃいますが、自分の覚えとしていつもの独り言垂れ流しの感想をまとめておきます。

以下、作品を見終わった方向けのネタバレ感想文です。
最初から最後まで割っていますので、ご注意ください。















この作品は、主人公の少年時代から始まります。
時代背景を概観するためだったのかもしれませんが、この物語が、「少年」の姿から始まるというのは、非常に示唆的だと思いました。

しかも、「少年である主人公」が「空を飛ぶ夢」を見るところから物語が始まるのです。
(唐突に個人的な話で恐縮ですが、わたくしも小学生から10代の頃までは、頻繁に「飛ぶ夢」を見ました。20代になってからはほとんど見なくなったので、あれは10代までの特権なのだろうと思っています。)

この夢の中で、人生のメンター(精神的な指導者)であるカプローニに出会います。カプローニに主人公…少年である二郎は「日本の少年です」と名乗ります。
ラストシーンは(明白な描写はありませんが)妻に死なれた主人公が、少年期から青年期をかけてのメンターであるカプローニと再会するシーンで終わります。
ところが、姿は大人になっているはずの主人公に向かって、カプローニは「やあ、来たな、日本の少年」と呼びかけるのです。

ここでわたくしは、これは、この『風立ちぬ』という物語自体が、主人公の壮大な夢であったのかもしれないと思いました。
ラストシーンは、ですから、「ああこれは夢だったのだ」という、いわゆる「夢オチ」です。
誰もが人生で一人得られるかどうかわからないメンターを得て、青春を全て「飛行機を作る(ほんとうは飛びたかったのですが近視が強くパイロットになれなかった)」という夢に費やした。「美しい」ものが好きで、容姿が美しい妻を得、美しい姿のまま失うことができた。
それはすべて、「少年」が見た夢だったのかもしれないと。

主人公は身勝手で冷淡で、何を考えているのかよくわかりません。
ですが、夢であれば見ているのは自分だけなのですから、身勝手でかまいませんし、何を考えているのかをギャラリーに対して説明する責任はありません。
一見、たいへんさわやかな青年ですが、シベリヤ(というお菓子の存在を生まれて初めて知りました)のシーンで友人に言われているように、「そりゃ偽善だ」。
関東大震災発生時に、のちの妻になる菜穂子とそのお手伝いさんのおキヌを助けますが、定規を届けてくれたときのシーンから、実はおキヌさんの方に気があったことがわかります。二郎は「美しい」ものが好きなだけで、一人の女性、あるいは人間として相手を愛しているわけではないのだということが臭わされます。身も蓋もないですが、彼女が美しい女性でなかったら助けたかどうか。
少年時代にも正義感が強い性格であるように描かれていますが、であればあとのエピソードと矛盾します。親友は主人公の偽善を見抜いているんですね。ずばり言ってくれるなんて、友だちに恵まれていると思いますが、本人はそれがわかっていません。だから偽善であり、冷酷であるのですが。
しかもこの親友も主人公の「夢」の具現かもしれません。二郎は上司にも恵まれていますが、日本が非常に貧しかった時代に、生まれたときから衣食住で苦労することなく、最高の教育を受けさせてもらうことができ、飛行機を設計するという自分の夢を実現する才能にも恵まれています。恵まれすぎで空々しいくらいだと思いますが、これも夢なら納得です。

夢と現(うつつ)の境目がわかりにくい、という感想をたくさんお見かけしました。
どうやらそれもこの作品が酷評される一因にもなっているようですが、境目がわかりにくいどころか、そもそもこれは全編主人公の夢だと考えると、腹に落ちます。

そして「つまらなかった」とお感じになった方は、それは偽らぬ感想だろうとも思いました。
他人の夢を聞かされるほど、退屈でつまらないことはないからです。
ましてや物語において、たいていの「夢オチ」は禁じ手です。
飛行機と飛ぶことに取り憑かれているという意味で、主人公と宮崎駿監督の姿が重なる観客には、「子どもの頃からの夢」をフルスロットルで見せられてもねえ、と(笑)。


一カ所だけ、泣きそうになったシーンがあります。
菜穂子がサナトリウムに戻ったとわかったあと、二郎の上司の奥さまが「美しいところだけ見てもらったのね」と言うシーンです。
このシーンには女性(奥さまと、二郎の妹)しかいないのも納得です。
あの男、ほんとうにひどいよね、というシーンですから。
菜穂子は二郎を愛しているがゆえに、二郎が自分を一人の女性として愛してくれているわけではない(かもしれない)ということに気づいています。(美しければ誰でも良さそうなことは、おキヌさんとのエピソードがそれを物語っています。)
これだけでも充分悲しいのに、菜穂子は結核で、顔色が悪いのをお化粧で隠しています。二郎が「美しい」自分が好きなのであって、容姿が崩れれば嫌われるのではないかということもわかっているからです。
妹が「菜穂子さんはお化粧して顔色を良く見せているのに」と兄・二郎に怒るシーンがありますが、二郎はきょとんとしています。「自分のために美しくあるのは当たり前」なのに、妹は何を怒っているのだろうと言わんばかりです。
一生自分を一人の人間としては決して愛しも理解もしてくれはしないであろう、夢に取り憑かれた男を愛してしまった菜穂子は、それでも惚れた弱みで(笑)、「美しい自分」でいたかったのだろうと思い、思わずもらい泣きしそうになりました。
この「美しい自分」というのは、容姿のことだけでなく、自分が愛した「美しいものが好きな人」のために、最後まで美しい生き方でありたいという思いもあったんだろうなと思いました。

最後に菜穂子が自分を許してくれ、「ありがとう」とお礼を伝えることができるのは、これも「夢」の中だったからですね。
さすがにひどかったから、お礼くらい言いたかったのね、ということはわかりました(笑)。

「特高」や、リヒャルト・ゾルゲを思わせる外国人が登場するなど、暗い時代であったことは間違いありません。
ですがこれらの「暗い時代」を象徴するアイコンは、プロットにおいては背景程度しか機能していません。
それでも出てきた理由はなぜかを考え、そしてラストシーンで「あ、これは主人公の夢だったのかも」と思った瞬間、最初に述べましたように、この物語は「有り」だと思いました。

見てきたように、二郎は、自分の夢だけを追いかけていられればいい、妻もほしいけど「美しい」お人形さんのような人であってほしい、というような、たいへん身勝手で子どもっぽい人間です。その子供っぽさ、弱さ故に、自分を夢というシェルターで守らなければ、このつらい時代を生き延びることができなかったのかもしれない。

キャッチフレーズは「生きねば。」です。
二郎の時代やわたくしたちの時代に限らず、いつだって人生は生きづらいのだと思います。
弱いなら弱いなりに、身勝手なら身勝手なりに、自分を守る方法を考えて、生きなければ。
そして、それでいいのだろうと思います。

主題歌「ひこうき雲」には「ほかの人にはわからない」というフレーズが出てきますが、そりゃわかりません。主人公の見た夢なんですから。

この物語が夢だったとしたら、このラストシーンの後にほんとうに「目が覚めて」、ほんとうの人生が始まる主人公がいるのかもしれませんね。
[PR]
by n_umigame | 2013-09-01 18:29 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://fwest.exblog.jp/tb/19577089
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。