『翻訳がつくる日本語 : ヒロインは「女ことば」を話し続ける』中村桃子著(白澤社)

ヒロインたちは強くなっても「女ことば」を話し続ける!?
女らしい「女ことば」を話し続けているのは、日本人女性ではなく洋画のヒロインたちだった!?
『ハリー・ポッターと賢者の石』のハーマイオニーも、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラも、映画『エイリアン』の戦う女リプリーも、「~わ、~だわ、~のよ」と、コテコテの「女ことば」で話す。
一方、男性は、洋画の白人ヒーローが話すときは主に「標準語」だが、ビバリーヒルズの男子高校生たちは、現実の日本の若者たちが使わない「~やあ、~さ」とキザに、気さくに話しかける。
そして、名作に登場する黒人たちは「~ただ、~ごぜえます」と方言で話す。
洋画、海外ドラマや小説の登場人物たちの翻訳ことばが気になってしかたがなくなる、新しい視点の日本語論。
(出版社HP)


 なぜ、一九七〇年代の翻訳家たちは、強い女の発言を機械的に女ことばに翻訳したのだろうか。
(中略)
 「女は女ことばを話している」という信念が、これほど長期にわたって強い影響力を維持していきた事実は驚きでもあるが、それは、翻訳によって可能になったとも言える。
(p.190-191)



小説、映画、CM、ニュースや新聞といった、中でも主にフィクションにおける各種メディアで翻訳された「女ことば」について例をあげ、それが日本語にどのような影響を与えてきたと考えられるかについて考察された本です。
最終章にまとめられたように、今現在日本の女性が使っていない「女ことば」が、いまだに「翻訳」の世界で生きているという事実は、改めて指摘されるとたいへん考えさせられました。

わたくしは主に英語圏のフィクションに好きな作品が多いので、英語から日本語への翻訳についても、とても興味があります。
特に小説では、原作(テキスト)が同じ作品でも翻訳者が変わると読み比べたくなるのは、必ず新しい発見があるからです。
(これは新しい方が必ず良いというわけではなく、旧訳の方が日本語の表現としては豊かで深いということもあります。それを発見できるところがまたとても楽しいのです。同じ時代を生きた人にしかわからないこともたくさんあると思うので、生きた時代が近いがゆえの有利さ、ということもあるかもしれません。反対に、時代を離れたことによって俯瞰できる有利さということもあるでしょう。一長一短です。)
原作を読むチャンスがあった作品では、自分のはかない英語力をふりしぼって、英語の表現と日本語の表現に乖離があると感じられると興をそがれますし、思いもよらないすてきな日本語表現になっていると原文の意味なんかもう二の次でいいと思うことすらあります(笑)。
フィクションの翻訳は翻訳者の語り直し…語弊を恐れずに言えば、二次創作だと考えているからです。(非常に制約の多い二次創作だろうと思われますが。)

にも関わらず、つまり翻訳者の数だけ表現があって良いはずであるのに、女ことばについてはあまり深く考えずに使われてきたのではないか、というのが著者の指摘です。

翻訳する側にももちろん言い分があると思います。
特に小説では、登場人物を文章で描き分ける必要があるので、とりあえず男女を描き分けるのに「女ことば」は便利だから、ということがあると思います。
ただこれも、例えば英語の場合、テキストの英語の表現では男女差があるようには思えないのに、なぜ日本語だけことさら「女ことば」に変換するのだ、という疑問も残りますが。英語圏の読者は、男女差があるように思えない表現(表記)でちゃんとキャラクターを見分けて読んでいるに違いないからです。


個人的には、翻訳を通して日常生活に蔓延する「女ことば」がはたしてどれくらい日本語に影響を与えているのかという点については、それほど影響を受けていないのではないかと感じています。

まず、著者がおっしゃるように、実際翻訳物の「女ことば」でしゃべっている女性にはお目にかからないということ。
次に、「翻訳大国日本」とは著者の言葉ですが、翻訳ものが好きな人間は比較的限られているということ。そうでなければ、翻訳小説や洋画がもっと経済的にも大きな効果があってもいい、平たく言えば、儲かってもいいのではないかと思うのです。
そして、具体的には、フィクションの世界においても、最近人気のとある漫画を読んでいて、お若い漫画家さんの作品ですが、男女の言葉の差がほとんどないことに気がついたからです。
特異な世界観のディストピア・ファンタジーものなので、それもあるかもしれませんが、「女ことば」から自由なクリエーターが育っているのではないかと思いました。

本書中で引用される「女ことば」の翻訳は、ほとんどが1970年代から21世紀に変わるあたりまでの例でした。つまり、たいへん失礼ですが、中高年齢から、あるいはすでに亡くなっている世代の方たちが考える「女のことば」であるのです。
現在第一線で活躍されている各種翻訳者の方たちは、おそらくお若くても30代にはなっていらっしゃる方がほとんどで、指導していらっしゃるのは40代から50代以上の方ではないでしょうか。つまりまだ前世紀の翻訳文化で育った世代が「女ことば」を再生産している可能性が高いということです。

自分が、本書を読んでこれは盲点だったと考えさせられたのは、まさしくわたくし自身が、この「前世紀の翻訳文化」で育った世代だからです。
それを当たり前のことだと思っていたのです。少なくとも違和感を感じたことはほとんどありませんでした。

ですが繰り返しますが、そんなにフィクションにおける女ことばが、日本語に大きな影響を与えたとは思えないのです。
問題は、「女ことば」自体にあるのではなく、ジェンダーの問題への影響でしょう。

「女は痴漢に遭っても『やめてください』とお願いしなければならないのであり、『さわってんじゃねえよ、バカ野郎!』と言ってしまうと、被害者であるにも関わらず、周囲の同情を得られないことを、女自身が知っている」という指摘には大笑いしつつ、まさしくそのとおりだと悲しくなりました。 この例は本書中2回も出てくるので、著者の方も腹に据えかねる思いで書いてらっしゃるに違いありません。

「女ことば」については、翻訳者の性別や年代にあまり関係がなく採用されているとありましたが、もし女性翻訳者の方が、率先して「女ことば」をやめてしまったらどう思われるだろうか、という配慮がまったく動かなかったとも考えにくい…と言ってしまうと、うがち過ぎでしょうか。
一人の女性が女性らしいということは、「女ことば」を使うか否かとはまったく関係がないのですが(少なくともわたくしはそんなところにいわゆる「女子力」を感じたりしません)、それを直線で結びつけてしか考えられない側に問題があるのではないでしょうか。
これも繰り返しますが、それがあまりにも「わかりやすい」ため採用され続けてきたという背景はあると思いますが。

本書では、疑似東北弁が黒人英語の翻訳に使われてきた背景についても触れられているのですが、ここでも問題は、もちろん東北弁にあるのではありません。

今回はいわゆる「おネエ言葉」について一切触れられていないのはなぜなのかなと思っておりましたら、あとがきによりますと、ゲイの人々の使う言葉についてはまた機会を改めるということですので、それも楽しみです。
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by n_umigame | 2013-09-04 21:27 | | Trackback | Comments(0)

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