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『エンダーのゲーム』上下〔新訳版〕オースン・スコット・カード著/田中一江訳(ハヤカワ文庫SF)早川書房


   地球は恐るべきバガーの二度にわたる侵攻をかろうじて撃退した。容赦なく人々を殺戮し、地球人の呼びかけにまったく答えようとしない昆虫型異星人バガー。その第三次攻撃に備え、優秀な艦隊指揮官を育成すべく、バトル・スクールは設立された。そこで、コンピュータ・ゲームから無重力訓練エリアでの模擬戦闘まで、あらゆる訓練で最高の成績をおさめた天才少年エンダーの成長を描いた、ヒューゴー賞/ネビュラ賞受賞作!
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 ヒューゴー、ネビュラをダブルクラウンで受賞した作品ということもありタイトルだけは知っていましたが、長年品切れだった作品だったようです。映画化を機に新訳が刊行されましたので読んでみました。
 新訳版の訳者は、パーネル・ホールの“ひかえめ探偵”ことスタンリー・ヘイスティングズシリーズを手がけた田中一江さん。実は訳者さん買いした本でもあります(笑)。大好きなんです。

 『エンダーのゲーム』というタイトルで発表された作品には短編と長編があり、前者は1977年に、後者は1985年に刊行されたそうで、映画は長編の方がベースになっています。
 東西冷戦の時代に発表されたこともあり、アメリカとロシア(ソ連)が地球の覇権争いをしているさなかに異星人バガーがやってくるという設定です。「ワルシャワ条約機構」という言葉を久しぶりに見ましたよ。歴史で習いました。なつかしいです(笑)。

 人類共通の敵バガーを前にし、地球上での覇権争いは横に置いておいて、侵略者と戦うために国際艦隊(IF:Internatuinal Fleet)が設立された。IFでは将来、指揮官として有望な少年少女たちをいわば遺伝子レベルから青田買いして養成する学校を抱えている。
 ある日、IFの士官養成学校の初等学校とも言うべきバトル・スクールの責任者グラッフ大佐が、6歳のアンドリュー・ウィッギンの家にやってくる。人口増加による産児制限下の地球において、アンドリューは生まれる前からその天才を見込まれ、例外的に第3子を持つことを認められた夫婦のもとに産まれてきた子どもだった。アンドリューはバガーとの戦いを終わらせる者、エンダーと呼ばれていた…。
 というようなお話です。

 このあらすじだけ聞いているだけでは、実はわたくし、あまり食指が動きませんでした。
冷戦時代のアメリカで書かれたフィクションというと、善悪がはっきりしていて、結局良い者側(“作者が考える善”の側)が勝ちました、めでたしめでたし。という、永遠の5歳児みたいな(おいおい)単純な話で、しかも産まれる前から天才であることがわかっている少年がやっつけるという、なんだか燃えない設定だなと思っておりました。

 実際に読んでみて、あらすじだけではとても伝えきれないテーマを内包している小説だと思い直しました。


 以下、ネタバレです。
 ラストにも触れていますので、未読の方は回れ右推奨です。

 







 この単純そうなあらすじに内包されているテーマとして深いと思ったことが、3点あります。 

 一つには、あとがきでも触れられていますが、エンダーの成長を通して、指揮官、つまりリーダーとは何か、信頼と友情で結ばれたチームを作るにはどうすればいいか、戦略(家)と戦術(家)の違いとは、といったことを考えるテキストとしても読めるということです。
 軍隊と民間でのリーダーシップの違いなどにも言及されているので、リーダーシップや組織論に興味がある方は、そのあたりを読み解く材料とされてもおもしろいのではないかと思いました。

 二つ目は、なぜ年端もゆかない子どもたちが主人公なのかという点。
 これには理由がさらに二つありました。
 1。設定上は、子どもがゲーム感覚で戦う直感が敵を破るから、ということになっていますが、たびたび描かれるエンダーの容赦のなさを見てもわかるように、子どもの残酷さが必要だということです。
 この作品に登場する大人たち、グラッフ大佐やアンダーソン少佐、あるいは伝説の英雄メイザー・ラッカムは、戦争体験や人生経験があるがゆえに冷酷になりきれないところがある人物として描かれています。
 これは「大人になると涙もろくなる」ということがわかる年齢に、自分もなってきたせいか(笑)、子どもは人生経験が浅いがゆえに残酷(なところがある)ということがとてもよくわかります。これは個々人の聡明さとは関係がありません。人生には経験しなければ想像が及ばないということが必ずあるからです。(もちろん、大人になっても冷酷な人間はいますが)
 2。メイザー・ラッカムの艦隊が地球に帰ってくるのを待っていたのですが、その帰還のタイムリミットまでに指揮官を仕上げなければならなかったから、こんなに急いでいたということが明かされます。

 三つ目は、二つ目とも関係しますが、エンダーが天才的な戦略家で、冷徹な判断をくだし、ときに完膚なきまでに「敵」を潰すような残酷さを持ちながらも、慈悲深い面も持ち合わせているということ。
 タイトルの「ゲーム」は非常に秀逸だとわかる瞬間が作中にありますが、敵であるバガーと対話できたのではないか、戦わずに済んだのではないかと思い悩み、種を一つ絶滅させてしまったことから、バガーの代弁者であろうと宇宙を彷徨する旅に出るエンダーの姿は、敵をやっつけたぞ万歳万歳で終わる物語とは一線を画しています。
 6歳のエンダーが仲間たちと成長すると姿をずっと追ってきた読者には、これが安っぽい偽善ではないことがわかるように描かれているのも秀逸です。
 これが冷戦の頃に書かれた作品だということも、改めて意義があったことだろうと思いました。
 著者のオースン・スコット・カードは熱心なモルモン教徒だということを知り、エンダーの姿は贖罪の十字架を背負って旅に出る巡礼者のようにも見えました。

 また、エンダーの兄と姉であるピーターとヴァレンタインが、インターネットを使ってネット人格で大人になりすまし、やがて世論や世界を動かしていく、というところも、よくぞ1985年にと思いました。


 以上がまじめな感想です(笑)。
 チーム萌え小説として読むこともできるところが一粒で二度おいしかったです。ごちそうさまです。特に、ビーンがエンダーになついていく様子とか、アーライとの関係とか。クライマックスで、バトル・スクールのエンダーの仲間たちが集結するシーンは鳥肌ものです。惜しむらくは全員子どもだということです。せめてみんな20歳以上になっていたら、自分的にはものすごい破壊力だったと思いますが(笑)、物語の要請上、子どもでなければならないのは上述したとおりです。


 このシリーズは何点か邦訳が出ていたようなのですが、『エンダーズ・シャドウ』以外はみごとに品切れでした。
 続きを読んでみたいので、とりあえず手に入るところから読んでみたいと思います。
 


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by n_umigame | 2014-01-22 21:03 | | Trackback | Comments(0)
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