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『ルイ十七世の謎と母マリー・アントワネット』デボラ・キャドベリー著/櫻井郁恵訳(近代文芸社)


 父と母を民衆に処刑され、自らも虐待の末に10歳で獄死したルイ17世。彼は身代わりの少年だったのか―。心臓のDNA鑑定が200年にわたる謎を解明。
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 はい、そんなわけで「ベルばら」11巻を読んだのをきっかけに、久しぶりにやってまいりました春のフランス革命とその時代祭り(自分内)、そのいち。
 何点か続けて感想をアップいたします。

 サブタイトルは「革命、復讐、DNAの真実」とありますが、「復讐」のお話ではありません。


 今回の祭りでは「ベルばら」では語られなかった王家の人たちの「その後」を知りたくて、まず『マリー・アントワネットと悲運の王子』(川島ルミ子著、講談社+α文庫)を読んだのですが、メロドラマ的小説タッチで軽く、物足りず。あまぞんさんで引き続きこれをオススメされたので、こちらを読んでみました。

 内容はとてもユニークでおもしろい本でした。ただ内容が面白いだけに、造本が惜しいところが残念。これについては最後に述べますね。


 ルイ17世とは、ルイ16世とマリー・アントワネットの次男ルイ・シャルルのことです。長男であるルイ・ジョゼフが脊椎カリエスで夭折したため、幼くして皇太子となりました。
 6歳でタンプル塔に幽閉され、家族と引き離され、解放されないまま10歳になる前に亡くなりました。
 が、亡くなったのは本当にルイ・シャルルだったのか、という疑念が早くからあり、ルイ17世を名乗る者が続出。現在に至るまで彼の子孫だという人がいます。
 「はたして、亡くなったのはルイ17世本人だったのか?」この歴史上の謎をたんねんに解く作業を追ったノンフィクションが本書です。


 結論から言うと、亡くなったのはルイ17世本人だったと判明したとのこと。(謎が解明された2003年にニュースにもなったそうですが、寡聞にして存じませんでした。)
ルイ17世が亡くなったときに解剖した医師がこっそり保管していた心臓と、母方の女性の髪が現代まで残されていたので、DNA鑑定が可能だったためです。
 ですので、その後、雨後のタケノコのようにわらわらと沸いて出た”自称ルイ17世”は全員、ニセモノだったことになります。

 日本にも有名どころでは義経伝説があるように、「あの人は実は生きていた」という○○生存説が、洋の東西を問わず語り継がれることがあります。説話の類型にも貴種流離譚があるように、高貴な身分の人が艱難辛苦の末にふさわしい栄誉を得るという「お話」が人々に愛されているということもあるでしょうが、説話は別として、その発生の一番の理由は、「その人に生きていてほしい」という思いではないでしょうか。

 ルイ17世の場合は、10歳にもならない少年を虐待の末に殺してしまったことに対する、当時の人々の後ろめたさもあったのではないか。
 これは実際にひどい目に合わせた革命側の人々も、政治的に放置しておいた王族関係者も王党派も、ある意味同罪の罪悪感だったのではないかと思われます。

 当時の記録がこれだけ子細に残されていることも驚きですが、ルイ・シャルルに対して行われたことは児童虐待以外のなにものでもありません。
 王党派によるルイ・シャルルの擁立を革命政府が恐れたという背景ももちろんあったでしょうが(事実王党派はルイ17世とみなしていたそうですから)、どんな理屈を並べたところで、ルイ・シャルルに対する仕打ちは、必要でなかっただけでなく、残虐で野蛮としか思えないものです。

 読んでいて感じたのは、教養がないことの怖さ、良い意味のプライドがないことの怖さ、コンプレックスとその裏返しの嫉妬の怖さ、そして安易に流される大衆の怖さでした。
 
 当時、民衆は食うや食わずのたいへんな暮らしを強いられていました。もちろん身分制度があるので、社会的にも不公平です。同じ人間なのに、基本的人権などという概念自体ありません。
 そんなときに、贅沢な暮らしをしている王室や貴族が憎しみの対象になり、その憎悪をぶつける機会が手元に転がり込んできたときに歯止めがかからなくなってしまっても、ある意味、仕方のない部分もあるでしょう。人間、おなかが空くとろくなことはありません。「たいていのことは食えば何とかなる」という椎名誠さんの名言を思い出しますが、逆に言うと、たいていのことは食えなくなるとどうしようもないということです。
 それでもやはり、熱が冷めてみたら「いったい自分たちはがんぜない子どもに何てことをしてしまったのだろう」と、直接手を下さずともその片棒を担いだ一人として、目が覚めてしまった人も大勢いたはずです。

 コンプレックスの裏返しではないかと感じるのは、「ベルばら」にも登場するジャック・ルネ・エベールがある意味わかりやすい。彼は現在で言えば、三文大衆紙の一番下品なコラムを一紙にまとめたようなゴシップ新聞を発行するジャーナリストでした。(そんな仕事でもジャーナリストと呼んでさしつかえなければ、ですが。)結局自分も断頭台に消えましたが、ロベスピエールにすら「あのバカが」と言われるような王室ネガキャンを張っていました。実際この、特にマリー・アントワネットのネガキャンが彼女のイメージを決めてしまった側面もあったそうなので、そういう意味では革命に寄与したのでしょうが、やり方があまりにも品性下劣です。
 ゴシップや三文娯楽は何でもそうでしょうが、どんどん過激にならないと、そんなものを常習的に読んでいる”大衆”は満足しません。ジャンクフードばかり食べていると味覚が偏るようなものです。退屈な事実よりおもしろい虚構です。
 しかし、あらゆる「虚構(フィクション)」のおそろしいところは、それを生み出した人が意識していない何か、むしろ、意識は隠しておきたいと思っている何かすら、さらけ出してしまうということです。

 終わってしまった歴史上のあれこれに、安全な場所で暖衣飽食している人間が「ああすればよかった」「こうすればよかった」と言うのはたやすく、また意味のないことだということは理解しています。 
 ですが、自分もまぎれもなくその”大衆”の一人として、自分の生きている時代の問題・課題について正しく知っておくこと、知った知識を活かすこと、そのための教養と見識を磨くことの重要さを、改めて教えられたように思いました。

 あとがきにあるドストエフスキーの言葉を、孫引きになりますが、記載しておきます。
「罪のない、苦しんだ子供の涙は何によって贖えるのか。またそんなことは可能であるか」

 
 というような、興味深い内容の本なのですが、冒頭に述べたように造本が残念です。
 まず、タイトルが扇情的とまでは言わないまでも、やや安っぽく感じます。(日本ではマリー・アントワネットの名前が入る方がキャッチーだからでしょうが)
 次に、翻訳があまりにも生硬で読みにくいところがけっこうあります。版下データがもしかしてWordそのまんま?という部分があったりします。タイトルとレイアウトはまだいいとして、翻訳は快適な読書の如何を左右しますので、これだけはもう少し何とかならなかったのかと残念です。注も、脚注や章末か巻末に回すのが通例ですが、フォントが同じ大きさのまま文中にカッコくくりで続くため、論文の体裁のルールを知らない学生が書いたレポートみたいになっています。それも本の品性を落としているように思い、残念です。
 サブタイトルにある「復讐」も、これはルイ・シャルルに、父親のルイ16世が、処刑前に「けっして復讐しようなどと考えてはいけない」と諭していますので、主旨からそれるのではないかと。
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by n_umigame | 2015-04-05 00:08 | | Trackback | Comments(0)

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