*さいはての西*

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『ペンギンズ FROM マダガスカル ザ・ムービー』(2014)感想その2:物語



今回は、「劇場版ペンギンズ感想、その2:物語編」です。
制作を含めた全体的なことはこちらの「総評編」を参考にしてください。

今回も相当クール&ネタバレ&長い感想です。
総評編と違い、ペンギンズファンのウザ語りでもありますので、そんなもの見たくもないわという方も回れ右推奨。
以上をご了解済みの方のみ、お入りください。


*以下の作品についても触れています。未見の方は入らないでくださいませー!
TVシリーズのペンギンズ(日本未放送回あり)
『マダガスカル3』
『ヒックとドラゴン2』













わたしが「マダガスカル」シリーズが大好きで、どんな傑作が来ようとも、DWAオールタイムベストでゆるがない理由。

その一つが、物語世界の「許す」という芯の部分です。
具体的に言うと、ヴィランやそれに準ずるキャラクターを絶対に殺さないところ。
二つ目は、安易な≪父殺し≫をしないというところです。

ペンギンズの生みの親のお一人でもあるトム・マクグラス監督は、「アニメでは父親を殺して成長するというパターンが多いが、この作品ではそれはしない」と明言されています。キャラクターが成長するという物語の文法上で、誰かを殺さなくても人は変わる、成長/成熟することができるということを実践して見せたという点で、「マダガスカル」シリーズは画期的なハリウッド映画だと思っています。

それまで海外のアニメ映画というと(ご多分に漏れず)ディズニーのイメージしかなかったので、初めて見たとき、アメリカでもこんな映画が作られて受け入れられ、つまりこういう物語がアメリカでも必要とされていて、しかも世界的にもヒットするようになってきたんだ、と驚いた覚えがあります。
『マダガスカル』1作目が発表されたのは2005年で、まだ同時多発テロ9.11の記憶も生々しかった頃です。ハリウッド映画でも、映画の中で仮想敵を殺して溜飲を下げるということをあからさまにやって、アメリカ(ブッシュ政権)がかつてないほどジョークのネタに…もっと言うと笑いものにされていたのを覚えています。アメリカが国粋主義的になり、アメリカの仮想敵ならいくら殺してもいいという風潮を強く映画から感じた頃だったのです。
2009年の『マダガスカル2』でさえ、ニューヨークのツインタワーを描くかどうかでDWA内で議論になったそうですから、9.11がアメリカの人たちにどれだけ深い傷を残したのか、想像に難くありません。(「歴史を改竄するのはよくない」という判断でツインタワーは描く、ということになったそうです。)
『マダガスカル3』ではブッシュ元大統領を笑い飛ばすネタも仕込まれていて、「マダガスカル」チームが…あるいは監督さんたちが、あの頃の自分のお国の雰囲気を良しとしていなかったことがわかります。(ここは日本語吹き替えと日本語字幕では全然違う意味に変えられてしまっています。お知りになりたい方はぜひ英語でごらんください。字幕担当の方によると、「変えてくれないと日本で公開できない」と言われたそうです。確かに、日本もたいへんなときだったので仕方ないと思います)

そんな中で、「敵を殺さない、許す」という映画は、本当に一服の清涼剤のような風通しの良さと、表現人、クリエイターとしての矜恃を感じたのでした。わたしが見ている本数が絶対的に少ないので、ほかにもたくさんあったのかもしれませんが、とにかく自分が出会ったのは『マダガスカル』だったのです。

≪父殺し≫については、レトリックな意味でも物語上で行われることがありますが、「マダガスカル」ではそれすらありません。

これもやはりマクグラス監督が、「自分が自分らしくいられる場所なんて、世界中探してもどこにもない。それは自分の心の中にしかない。ペンギンズですらそうだ」とおっしゃっていて、安易な”自分探し”を戒めるということもテーマになっていることがわかります。
≪父≫も他者であり、自分の成熟と充足の責任を他者に負わせるのではなく、自分の責任として自身が引き受ける、という、とても成熟したテーマを持つシリーズなのです。(そんな難しいことはよくよく見ないとわからないのであって、あのクレイジーでマッドネスな躁的雰囲気を見ているだけでもじゅうぶん楽しい、エンタテインメントとしても一級の作品ですが)

映画ペンギンズも、この2点だけは徹底されていて、映画を観て改めて、わたしはこのシリーズが大好きだと確認しました。

と言うのは、同じ年に公開された『ヒックとドラゴン2』で、≪父殺し≫をとても即物的なやり方でやってしまったからです。
これについては正直、「あー、DWAなのに、やっちまったか」と思いました。
『ヒックとドラゴン』はドリームワークス・アニメーションの大傑作だと思っていて、この作品を見なければ、どんなに「マダガスカル」シリーズが好きでも、ドリームワークス・アニメーションというスタジオ自体に興味を持つことはなかったでしょう。DWAにできる限り一生ついて行こうと思ったのはHTTYDを見てからです。
そういう意味では「マダガスカル」とはまた違った思い入れのある作品なのですが、これだけの傑作であるにも関わらず、なぜ好きなのは「マダガスカル」なのかを、「HTTYD2」を見てから改めて思い知ったのでした。
「2」はディーン・デュボア監督の単独作品ですが、やはりディズニーから来られた監督だからかもしれないと思った部分でした。原作にもありませんしね。(と言いつつ、好きなのは「2」の方なのですがこの話はまた改めまして。)

***

しかしながら、映画ペンギンズに関して、物語の軸としていいなと思ったのは、ほぼ、ここだけでした。
あとは、前に見た話の繰り返しであり、目新しさのないギャグやジョークの連続であり、ペンギンズという魅力的なキャラクターをスポイルして盛大に無駄遣いした、非常に残念な作品になってしまっていました。
ノリと雰囲気だけで駆け抜けた、しかも2回以上見ると中だるみするし、という印象です。
(日本語吹き替え版が声優さんの演技のすばらしさと日本語シナリオの良さでカバーしてくれていたのが、本当に救いです。)

***

総評編にも書いたように、この映画は、TVシリーズ最終回の"The Penguin Who Loved Me"と、同じプロットです。(このエピソードはNHK Eテレで「私を愛したペンギン」という邦題で2016年1月9日に放送予定)
新人が誘拐されて、あとの三人が助けに行くというのは、「ペンギン大作戦」(The Madagascar Penguins in a Christmas Caper)と同じ。

TVシリーズ最終回については、ペンギンズを逆恨みしているヴィランが復讐にやってくるというメインプロットも同じなら、コワルスキーに恋愛フラグが立つだけでなく、コワルスキーが活躍するところを見てヒロインが唐突に心変わりしてキスして終わるところまで同じ。
TVシリーズには物語世界としてのそれまでの蓄積があり、キャラクターも、それまで謎だったドリスが登場し、死んだはずのフレディとジェイソンが生きていたとわかる(が、すれ違うというところが心憎い)というところがお楽しみだったのですが、映画はそういう、物語世界全体を支える厚みや、謎が解けるカタルシスがありません。
「コワルスキーが恋をする」のは、マダガスカルのクールで有能なコワルスキーが恋に落ちるならおもしろかったでしょうが、映画はキャラクターをTVシリーズとどっちつかずにしてしまったせいで、台無しになってしまっています。なくてもよかったレベルです。
コワルスキーだけでなく、いっそ子ども向けで徹底するならTVシリーズを映画化すれば良かったのに、ベースは映画(マダガスカルシリーズ)のペンギンズなので、全部が全部、どっちつかずの世界観で終わってしまっています。
『マダガスカル3』でできた仲間たちのサーカス団を抜け出して、ちょっとした冒険に出かけて帰ってくるというパターンも、TVシリーズではお馴染みのもので、日常生活の場所がセントラルパーク動物園からサーカス団に変わっただけです。

ヴィランもそっくりです。もう同工異曲と言っていいレベルでしょう。
これはペンギンズ自体が007や「特攻野郎Aチーム」など既成の映画・TVドラマ作品のパロディなので仕方がないとは言え、海に住んでいる生き物で、海上基地があって小さい手下がいて、基地(映画ではデイヴの潜水艇)が爆発して終わるというパターンを、これまたていねいになぞっています。
TVシリーズの方のDr.シオフキー(イルカ)もデイヴ(タコ)も、つるっとした頭部から007シリーズのスペクターのボスをイメージしていることがわかり、TVシリーズは最終回のタイトル自体が「007/私を愛したスパイ」のパロディなので、もう確信犯でしょうが、多額の予算をかけて映画にしてまで、またTVと同じことをやる意味がわかりません。
(原案ではヒョウアザラシがラスボスで、タコはいわゆる”レッド・ヘリング”(=ミステリで言う、読者をひっかけるためのおとりのトリック)だったそうですが。)

『マダガスカル3』のデュボア警部も、TVシリーズの局員Xと、ある意味立ち位置としては似ているのですが、デュボア警部は個性が際立ったキャラクターになっていましたし、そんなことを感じさせないくらい魅力的でした。
「全部つなげたら8時間くらいになる」と言われていたくらい、『マダガスカル3』には採用されなかったシーンやカットがあり、それくらいバックグラウンドの作り込みがあったということでしょう。そういう「見えない部分」が物語世界に厚みを持たせ、「語られなかった部分」を想像させるから、物語は楽しくなるのだと思います。
映画ペンギンズにはそれが決定的に足りません。
あったのかもしれませんが、見ていてあまり感じることができませんでした。
見ているときはテンションの高さと勢いで楽しめるのですが、見終わった後何も残らない。
上述したようにTVシリーズの焼き直しで、「映画で」何が表現したかったのかわからないのです。

TVシリーズの脚本家を入れたのも、結果として仇になったのかもしれません。
最近でこそ、ドラマも映画と同じか、もしかしたらそれ以上のクオリティのものも英米では増えてきていますが、やはり基本的に作法や文法が違うものだろうと、素人目にも思います。
TVシリーズと同じことをするなら、TVでいいのです。
ネット配信でTVシリーズのペンギンズならほぼ全部無料で見られる環境にあるアメリカ本国で映画がヒットしなかったのは、これも一因としてあるでしょう。

***

思うに、作っている人にペンギンズに対する愛情も思い入れもなかったのじゃないかと思います。
ずばり言うと、サイモン・J・スミス監督にです。
(ダーネル監督はペンギンズの生みの親で、大事に育ててきた方ですから、愛情がないわけはないと思います)

DWAも古参の監督さんたちはだんだんえらくなって、幹部やプロデューサーに昇格されています。新しい人材、監督をどんどん育てないといけないのはわかりますし、誰がやってもコケようがないほど魅力的なコンテンツだったからこの人でもできると思われたのかもしれませんが、ファンとしては「ペンギンズをなめんなよ」と言いたい。
言葉が乱暴でしかもウザくてすみません。でも本当にそう思いました。

マダガスカルシリーズの方のペンギンズは謎だらけで、特に、そもそもチーム結成はどうやってなされたのか、という部分はファンにとってもとても興味のあるところでした。
ペンギンズの生みの親の一人であるエリック・ダーネル監督が、3年前「どうやって今のペンギンズになったかを描く映画になる」とおっしゃっていたので、期待したファンも多かったでしょう。わたしもその一人です。

ですが、ふたをあけたら、ペンギンズはできあがっていました。
(予告の段階でそれがわかるってあんたと思いましたです。)
違うだろと。むしろ、まず、なんでこの3人がつるんでるのかまでが見たかったのであって、そこが美味しいんだろと。
今からでも遅くないから、そこ見せてくれと。

でもそれは時間の関係で仕方がなかったのかもしれないし、きっと「家族とは何か」というところを語るエモーショナルな話になるんだろう、この予告から想像するに。さりげに重いわーさすがDWAだわーとわくわくしなおしたのに、なにこのしうち。(ムーコ風。)

***

また、実質80分程度の尺しかないのに、伏線が回収できていないところがあり、にも関わらず要らないセリフやシーンが、特に中盤、多すぎると感じました。
例えば、上海のマンホールから上がってきたペンギンズたちのシーンで、リコが砂を吐くところ。これは何なのか、映画だけ見ていてもわかりません。
コンセプトアート集を見ていると、飛行機から脱出したペンギンズが不時着したのはゴビ砂漠で、廃棄された観光バス(ロンドンバス?)に乗って上海まで行くシーンがあったようです。採用されなかったシーンですが、何らかの理由で砂漠の砂をリコが吐くシーンだけ残ってしまい、本番でもこのままになってしまったのでしょう。
要らないと思ったのは、「絵を見てたらわかる」というようなシーンです。
例えば、リコにいちいち「花火だ!」と指示する隊長。これまでのペンギンズを見ていると隊長とリコは以心伝心で、リコは隊長に要所要所で名前を呼ばれただけで、自分が何をすべきか瞬時に理解し、行動していました。「花火だ」というセリフがなくても、花火が打ち上がったら、絵で見てわかるはずです。
また、これもTVシリーズからの影響でしょうが、コワルスキーがいらんことを言い過ぎです。
例えば、「ケツハンドだ!」までは良いのですが、「さっきまで生えてなかったのに!」は子どもにも画面を見ていればわかります。一番もたついてイライラしたのは、ノースウィンドが新人救出に失敗したあとの、やはりリコが花火を出すシーン。間が悪くてコワルスキーのセリフが長く、テンポがもたもたしていて、見ていて退屈です。
(マダガスカルシリーズのコワルスキーはもっとクールで、隊長に言うべきことを言うのは「ここぞ」というときだけでした。見ている方が「よくぞ言ってあげてくれたよ、コワルスキー」というところでビシっとしめていました。だからこそコワルスキーの一言には重みがあったし、隊長も副官に意見されても素直に聞き入れるんだろうなと、見ていて違和感がありませんでした。TVシリーズのコワルスキーは子どもっぽくて、大局が見えていないのに文句だけ言っていることが多く、だから隊長に軽くあしらわれるんだなと、こちらもこちらで説得力があります。だから混ぜるな危険なのに…。)

***

『マダガスカル4』と、一瞬だけIMDbに企画が上がった映画ペンギンズの続編が、現在のところ、企画自体が白紙に戻った、またはペンディングの状態に戻したというのは、ファンとしては残念ですが、ある意味賢明な判断なのかもしれません。
だって、このノリで「マダガスカル4」やペンギンズの続編を作ったところで、またコケるのは目に見えているからです。特に『マダガスカル3』が傑作で、三部作としてきれいにまとまっているだけに、「4」は難しいと思います。

興行的に失敗だったのは、やはり「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」だったのだと思わざるをえません(号泣)。
ファンとして本当に悲しいし残念だし悔しいですが。


そんなわけで、リベンジ、いつでも待ってます。
ただし、もう、サイモン・J・スミス監督はかんべんしてください(切実)。
『ビー・ムービー』で感じたことは個人的に間違っていませんでした。DWA好きでは人後に落ちないつもりの自分ですら、DWA作品の中でこれだけはかんべんしてと思っていましたが、次こそほんとうにかんべんしてください。
三度目の正直とかなしで。なしの方向で。





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by n_umigame | 2015-12-26 22:49 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)
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