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『白鯨との闘い』ナサニエル・フィルブリック著/相原真理子訳(集英社文庫)集英社


名著『白鯨』の真実は、小説より過酷だった──19世紀、一艘の捕鯨船がマッコウクジラに襲われ沈没した悲劇と、その後の船員達の恐怖と絶望を綴る衝撃の実話。映画化公開。
1820年11月、捕鯨船エセックス号は巨大なマッコウクジラに襲われ大破した。猛威をふるう自然に翻弄され、心身ともに疲弊した男たちは、脆弱なボートで太平洋の真ん中をさまよう。飢えと渇き、恐怖、絶望…。最悪の状況下、彼らがとった究極の選択とは?メルヴィルにインスピレーションを与え、『白鯨』が生まれる基となった海難事故を詳細に描いた、全米図書賞ノンフィクション部門受賞の衝撃作。
(Amazon.jp)



映画化の便乗本かと思っていましたら、そうではなく、『復讐する海:捕鯨船エセックス号の悲劇』(2003年刊)の文庫化だそうです。(カバーは映画とのタイアップで、主演のクリス・ヘムズワースさんがどばーんと真ん中にいるあれです)
翻訳は『FBI心理分析官』やパトリシア・コーンウェルの作品の訳者でもある相原真理子さん。(2010年にお亡くなりになっていたのですね…存じませんでした。)翻訳が日本語としてとてもこなれていて読みやすいということもあるかもしれませんが、すばらしいノンフィクションです。全米図書賞ノンフィクション部門受賞とのことで、納得です。


映画の方は、最初てっきりハーマン・メルヴィルの『白鯨』("Moby-Dick; or, The Whale")の映画化かと思っていましたらそうではなく、こちらの『白鯨との闘い』("In the Heart of the Sea: The Epic True Story that Inspired ‘Moby Dick’")が原作でした。
映画は日本では2016年1月16日公開です。
なので、内容がどの程度原作に忠実なのかわかりませんが、以下の感想は、本の内容だけでなく、映画のネタバレにもなってしまうかもしれません。

何も知らない状態で映画を楽しみたいという方は、入らないでくださいませ。
(この本を読んで映画も見にいきたくなったため、映画の方とからめた話もしますので)












1819年(日本で言えば文政2年、将軍は11代徳川家斉の時代)8月12日、北米マサチューセッツ州ケープ・コッド沖合にあるナンタケット島から、当時28歳だったジョージ・ポラード・ジュニア船長を筆頭に合計20名の乗組員を乗せて、捕鯨船エセックス号が出港した。
しかし翌1820年11月20日、太平洋上で鯨に衝突、わずか10分ほどで船は転覆して沈没。3艘のホエールボート(全長8メートルほど)に分乗して約5,000㎞離れた南米を目指したものの、最後に助かったのは無人島に残った3名を除いて、わずか5人だった。

という、エセックス号の遭難事故を描いたノンフィクションです。

事実関係をもう少し詳しめに概観したい方は、こちらの記事をご参照ください。



これまでいわゆる海難もの、漂流記は、フィクション・ノンフィクションを問わずいくつか読んだことがありますが、中でもこの本は突出しています。
なまじな小説(フィクション)など足下にも及ばないような圧巻のドラマや壮絶なシーンの数々が展開されるのですが、この本がノンフィクションとしてすばらしいのはそれだけではないところです。

捕鯨で栄えたナンタケット島の歴史や風俗、捕鯨について、カニバリズムの歴史、飢餓や脱水症状が人間に及ぼす影響などについて学術的な裏付けをきちんと取り、要所要所で端的に解説されています。
それで無味無臭な読み物になることなく、そういった科学的な裏付けや事実関係から人間の心理が細やかに紐とかれます。言及される人たちを見る目はあくまでもフェアで、それでいてあたたかさを感じます。
悲惨な内容にも関わらず安心して読んでいられたのは、著者の人間を見るフェアであたたかい目があったことも大きいと思いました。
(このあたりのことは訳者あとがきに非常にきれいにまとめられているので、書店で訳者あとがきを確認してから読まれてもいいと思います。)

生き生きとした人物たちの描写、人間を見るフェアであたたかいまなざし、客観的で学術的な考察といったところがすばらしいノンフィクションですが、もうひとつ良いと思ったのは、遭難したエセックス号の乗組員たちのその後も最後まで描かれているところです。

エセックス号の遭難当時、船長のポラードも一等航海士のチェイスも、まだ30歳前後という若さだったので、生き残った後の人生もそれぞれいろいろとあったことが書かれています。
ポラードは故郷のナンタケット島に帰ったあとも、島民や捕鯨船の仲間からの信頼を失いませんでした。そして再び捕鯨船の船長を任されるのですが、再度不運が襲います。それからは船を下り、島で暮らすことになるのですが、おだやかでそれなりに満ち足りた余生を送ったようです。
漂流航海中に、硬軟あわせ持った優秀なリーダーに成長するチェイスは、晩年は精神障害と診断されたとか。長年ひどい頭痛に悩まされたそうで、残された肖像画からも目には狂気が宿り、苦悶の様子がうかがえます。(このチェイス一等航海士を映画ではクリス・ヘムズワースが演じます。)

***

鯨は大きいけれど温和な生き物だと思っていたので、人間を襲うことが本当にあったということに、まず驚きました。
ですが、描写されるオス同士の戦いのシーンなどはやはり野生の生き物で、だったら人間を襲うこともあるのだろうという荒々しさです。
けれども、この欧米人の捕鯨の仕方を見ていると、いくら温和で賢い生き物でもそりゃ怒るよと思わざるをえません。
日本での捕鯨は鯨を余すところなく利用するものだったのが、欧米では頭部から鯨油を取ると、残った体などは全部捨てていたそうです。そしてその欧米人の乱獲の末、この本に出てくるような巨大なオスは見られなくなってしまったのだとか。
鯨はそれでなくても賢い生き物だそうですから、理不尽に殺されただけでなく仲間の命が雑に扱われているのを見て、仲間のために怒って人間を襲うものがいても不思議ではないように思います。

捕鯨のプロだったはずのナンタケット出身のエセックス号の乗組員たちも、鯨が人を襲うなど聞いたことがなかったそうです。おとなしいからやられっぱなしで獲り放題だと思っていたということですね。
だから自分たちが襲われて船が転覆してしまったとき、誰しもが目の前で起こったことが信じられなかったのだとか。
まさかと思っていたことが起きたため、ちょっとした一瞬の判断ミスがあり、それが結果的に悲惨な結果を生むことになってしまったのでした。
野生の生き物を人間に都合のいいようにあしらってきたことで、しっぺ返しをくらったという形です。

とは言え、当時のナンタケットの人々にとっては、捕鯨は生活のための重要な営みであり、エセックス号の乗組員が悲惨な目に合ったのも、別に彼らが特別悪事を働いたからというわけでは、決してないのですね。
だから悲劇なわけですが。

内容が内容だけに、お食事中には決してオススメできませんし、読後も非常に重いものが石のように腹に残る一冊ですが、海難ノンフィクションとしてすばらしい作品ですので、興味のある方はぜひ。


***

映画化されて大勢の人に知られることで、欧米人の乱獲が原因で鯨が一時期減ったこととか、鯨の扱いひどすぎんだろとか、そういうことももっと知られるといいなと思います。ですが、まだ200年くらいしか経っていないので子孫の方も生きているでしょうから、生き残るために仲間を食べざるをえなくなったことなど、映画ではどの辺まで描けるのかなと思うところもあります。実在した人物を映画にするときは、大なり小なり発生する問題ではありますが。

それと、タイトルは最初に書いたとおりなのですが、邦題が映画・原作とも『白鯨との闘い』になっているのも気になります。
だって戦ってませんから。
ドコーン!バシーン!て鯨に2発ほどボコられて人間はなすすべもなく試合終了で、と言うか、リングに上がる前に負けてますから。鼻息で軽く飛ばされたって感じです。

原作も、鯨に衝突されるところはあっけない描写で、むしろそこから生き残りをかけて死と戦った姿の描写に比重が置かれています。
メルヴィルの白鯨は「リヴァイアサン」と呼ばれていて、悪魔や、あるいは死の象徴として描かれていますので、「白鯨=死のメタファ」と考えれば、あながち間違いではないのですが、とにかく鯨(物理)とは戦いません。

なので、巨大で凶暴な白い鯨と男たちとの血湧き肉躍る命をかけた戦い!というものを期待して映画を観に行くと、がっかり案件になる可能性も大です。
アカデミー賞候補作という噂も流れているようですので、だったらやっぱりなおさら、怪獣映画のようなノリではないのではないかと予想されます。

原作を読んで映画も見にいきたくなったわたしのような人もいるので何とも言えませんが、邦題が内容と合わないというレビューは出るかもしれませんね。
原題の"In the Heart of the Sea"だったらぴったんこかと問われると、それもよくわからないですとしかお答えしようがないのですが。

とりあえず、映画も楽しみです。






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by n_umigame | 2016-01-03 00:10 | | Trackback | Comments(0)

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