*さいはての西*

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『マクベス』(2015)


■『マクベス』公式サイト

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「ハムレット」「オセロー」「リア王」と並ぶ、シェイクスピアの4大悲劇のひとつとして知られる「マクベス」を映画化。中世スコットランドを舞台に、勇敢で有能だが、欲望と野心にとらわれた将軍マクベスが、野心家の妻とともに歩んだ激動の生涯を描き、2015年・第68回コンペティション部門に出品された。「SHAME シェイム」「それでも夜は明ける」のマイケル・ファスベンダーがタイトルロールを演じ、マクベスの妻に「エディット・ピアフ 愛の讃歌」のマリオン・コティヤールが扮する。監督は、初長編作「スノータウン」がカンヌ国際映画祭映画祭批評家週間で特別審査委員賞を受賞するなど、各国の映画祭で注目されたオーストリア出身のジャスティン・ガーゼル。
(映画.com)
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ああー、この『マクベス』、とても好き。

『マクベス』は名台詞の宝庫のような作品ですが、そのひとつひとつのセリフの解釈や、ここでこんなふうにこのセリフを使うんだ! という使い方もいいし、映画だけれど舞台のような形式的な映像の美しさ、登場人物の現代的な解釈、原作でほのめかされている「子ども」のモチーフの拡大解釈、また、それとからめて原作では語られなかった部分の回答的なエンディング、どれも好き。そしてこれらを引き立てる配役も好きです。
バーナムの森のシーンなどは「こう来たか」と。もう、好き。
原作で語り落とされている謎の数々にも真摯に答えてくれていて、目から鱗何枚落ちたことか。
眼光紙背に徹するまで原作を読み込み、行間を読み、想像に想像を重ねて織り上げられた映画だと思います。
二次創作はこうでなくっちゃ(笑)。
それを113分という上映時間にまたよくおさめてありました。シェイクスピアの戯曲の中では短い作品ではあるものの、やたらに長い映画が多い昨今にあって、コンパクトで見やすい尺なのはありがたいです。
すでに日本盤Blu-rayはいつ出るのかなとか思っています。


吉本興業が初配給の洋画ということで、映画が始まる前にロゴが出たときはどうしようかと思いましたが、だいじょうぶでした(笑)。

シェイクスピアの作品の中で、わたくし『マクベス』が大好きです。昔は『リア王』が一番好きだったのですが、いつのころからか『マクベス』がトップに躍り出ました。(僅差ですが) 
シェイクスピアはとにかく喜劇より悲劇が好きで…と言いますか、惹かれるので、折あるごとに原作は読んでいます。
そういう人の感想だと思ってください。長いよ!(それいつも)


以下ネタバレですのでもぐります。
シェイクスピアの作品なので「ネタバレ」と言われてもねえと思われる向きもあろうかと思いますが(笑)、真っ白の状態で映画を観たい方は回れ右でお願いいたします。









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この映画の一番新鮮な解釈は、マクベス夫人でしょう。
(映画パンフレットに河合祥一郎さんが寄稿されていて、そちらでも触れられています)
これまで悪女の代名詞のように言われることが多かったマクベス夫人を、こんなに繊細で、一途に恋する儚い少女のように描くなんて。もちろん怖いところもあるのですけれど、それは原作に忠実なためです。
このマクベス夫人の解釈が、まず好きです。

また、このマクベス夫人の解釈を引き出すためのマクベスの解釈も、ある意味で新鮮でした。どちらも全然違和感がなくて、現代的で、説得力があるのですよ。(ポランスキー監督のかの有名な『マクベス』も舞台も見たことがないため、ほかの作品との比較ができないのが残念なのですが。ほかの『マクベス』もとてもとても観たいです)


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マクベス夫人と言うと、優柔不断な夫をそそのかし、主君を弑逆させ王位を簒奪させる、気丈で怖い女、というイメージが強いと思います。もちろんわたくしもそうでした。(また、古典の文学上の解釈というのは男性によって連綿と受け継がれてきたものが大きいので、≪マクベス夫人=怖い女≫解釈が根強かったのは、同じような男性にとってはさぞかし「怖い女」であったからだろうなということは想像に難くありません。こんな女が妻だったら俺だって人生踏み外すかもしれん、という身近な恐怖なのかなと(笑)。それもマクベス夫人が夫を尻に敷くタイプだからではなく、男を立てて押し倒すタイプというか、とてもチャーミングでコケティッシュだから誘惑に勝てる気がしないという意味での「怖さ」ではなかったのかと。)
なのですが、マクベス夫人は、気が弱いはずの夫マクベスより先に精神的に壊れてしまい、死んでしまうのですね。

これがずっと不思議でした。謎でした。

マクベスより気丈で何ごとにも動じない精神力の持ち主なら、なぜ夫より先に狂い死に同然のように死んでしまうのかと。夢遊病になり、強迫性障害(と思われる)になり、マクベスのセリフどおり、灯火が消えるかのように、ふっと突然死んでしまう。

そそのかされたはずのマクベスの方は意外にしぶとくて、気が弱いどころか(あるいは気が弱いからとも言えますが)、毒を食らわば皿までと言わんばかりに、王の近侍、バンクォー、マクダフの妻子と、次々に無辜の人々を殺していきます。
マクベス役のマイケル・ファスベンダーさんが、マクベスはPTSD(心的外傷後ストレス障害)だったと解釈して演じられたそうですが、今作では戦闘シーンがリアルで、そうであろうということがよく伝わってきます。舞台劇ではどうしても演技が大げさにならざるを得ませんが、映画ならではの特性を活かして、ほとんどのセリフは淡々と、それこそ魂が抜けたように語られます。
演技に熱がないということではなく、絶え間ない激烈なストレスのためにあらゆる感情が死にかけている状態で、素人目にもマクベスはどこかしら精神的に危ういのだということが伝わってきます。
ですので、この一連の、自分の任務・仕事としての殺人(戦争)とは関係のない、自らの営利のための殺人が、狂ったように次々と続く様にも説得力がありました。

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マクベス夫人は、そんなふうに人としての感情を失い死んだ魚のようなうつろな目をして生きていた夫が、「荒れ地で魔女に出会ったんだよ、おまえ王さまになれるって言われたんだけどどうしよう!」と珍しく興奮気味に手紙を送ってきて、おそらく嬉しかったのではないでしょうか。
マクベスは元々野心がなかったのではなく、本当はずっと王になりたくて、折に触れてその気持ちを妻には打ち明けていたかもしれません。二人で晩酌しててほろ酔いのときとか、ベッドの中で半分寝言みたいにポロッと言っていたとか。
久しぶりにとても嬉しそうにはしゃいでいる夫が、「でもそうは言われても、やっぱり不安…というかダメだよね人として…」とまた沈み込むのを見て、ここで一発、自分が励ましてあげなければ! 前から王になりたいって、この人言ってたものね! となったのではないかと。夫を愛していればなおのことです。
このマクベス夫人は自分が王妃になりたかったから夫を乗せた、自分の野心のために夫をたきつけた、という風には見えませんでした。(この「自分が王妃になりたかったから」説は、「夫より先にあっさり死ぬ」マクベス夫人とキャラクター的に矛盾こそすれ、あまり説得力がないのですよね。だから今まで自分もずっと謎だったのですが)
今作では、冒頭、マクベス夫婦の幼子の葬儀のシーンから始まります。これは原作にはありません。(原作には、マクベス夫人が「自分は赤ん坊に乳を与えたことがある、その愛おしさを知っている」というセリフがありますので、夫妻に子どもがあったのかもしれないという想像はありえます)深い悲しみを夫婦で共有する場面から始まるこの作品では、マクベス夫妻はほとんど共依存のように見えました。
マクベス夫人には名前がありません。シェイクスピアの戯曲で、主役級の女性の登場人物で名前がないのは、マクベス夫人だけだそうです。「マクベス」あっての「マクベス夫人」である悲しさが、ここからも伝わってきます。人間として「個」であることを、マクベス夫人は認められていないのです。

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最初に王ダンカンを殺すようにそそのかしたマクベス夫人ですが、バンクォー以下を殺すとき、マクベスはその意図を妻のマクベス夫人から隠します。おまえにはもう関係がないと言って。
自分は夫のためにと思って王殺しの共犯になった。夫の喜ぶ顔が見たかったはずなのに、フタを開ければ、自分が作り出したのは秘密を守るために戦々恐々とし、眠れなくなってつらいつらいと言っている夫でした(「マクベスは眠りを殺した」)。
夫が保身のために始めたバンクォー以下の殺戮の計画からは完全に蚊帳の外。もう夫は自分に相談すらしてくれません。「二人で」始めたと思っていた企みから、マクベス夫人はあっという間に取り残されて、夫から置いてけぼりにされてしまいました。
それだけでも悲しかったのに、何の罪もないマクダフの妻子を残酷な方法で殺されるのを目の当たりにさせられたマクベス夫人は、もう狂気しか逃げ込めるところがなかった。(このシーンも原作では、マクベスは人をやって殺させるだけで、こんなに直裁にマクベスが殺りましたという場面ではありません)
原作に含まれている「子ども」のモチーフが拡大解釈されているのも、マクベス夫妻の悲しさをパワーアップしていました。
冒頭のマクベス夫妻の幼子の葬儀のシーンもそうですが、魔女が連れている少女や赤ん坊も原作には出てきません。(松岡和子さん訳の『マクベス』の脚注にもありましたが、「子ども」が全編に通底するモチーフとして見え隠れする戯曲ではあるのですが)
今作ではあの有名な、マクベス夫人の、手から血が落ちないというシーンがなく、短剣を水でごしごし洗うシーンになっていました。この改変はよくわからなかったのですが、代わりに(?)誰もいない教会で、(おそらく)死んだ自分の子どもの幻影/幽霊に向かって、「ファイフの領主(マクダフ)には妻があった。今はどこにいるの」と泣きながらつぶやくシーンで、マクベス夫人の精神の均衡が完全にくずれてしまったことがわかります。(ここも原作にはありません)このシーンでは、「ファイフの領主には妻があった」と言っていますが、「コーダーの領主(マクベス)には妻(自分)があった。今はどこにいるの」というマクベス夫人の叫びにも聞こえました。
セリフはシェイクスピアの原作どおりなのですが、それをこんな風に解釈して見せられたことで、本当に目から鱗100枚くらい落ちました。

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ある方の感想に、子どものいない夫婦というのは、どちらか片方が死ぬまでずっと時間が動かないという趣旨のことが書かれてありました。子どもがいれば、子どもの成長に合わせて自分の人生の時間にも節目があり、時間が流れていることを実感できるが、夫婦だけだと本当にお互いしかいないと。
なるほどと思いました。
お互いしかいないと、重さが分散されず、見つめ合うだけでは視野が狭くなるということがあるのかもしれません。
いっそ関係が冷え切っている夫婦だったら、適当に距離を置けてよかったのかもしれませんが、残念なことにマクベス夫妻は愛し合っていました。結婚して何年目かわかりませんが、ラブラブ(死語)です。やたらと顔を近づけて話すシーンが多いのは、人間関係の濃密さ、翻って視野の狭さをも表しているのかもしれません。

幼子を失ったことでマクベス夫人がすでに精神的に不安定だったとしたら。(そして本当はマクベスもそうだったのかもしれません)
夫を愛していて、夫だけが心の支えで生きがいでもあったのに、その夫は己の野心をつかんだとたんに妻を蚊帳の外におっぽり出し、親友の幼子や同僚の妻子を惨殺するような人間になってしまった。それも、自分が夫の野心をたきつけたことが発端で。
原作だけ読んでいると突然おかしくなってしまうかのように見えたマクベス夫人とマクベスが、これらのシーンがあることで深い説得力が生まれます。


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妻子を殺されたことをマルコムから聞いたマクダフが「あいつには子どもがいない(He has no children.)」と言うシーンがあります。この映画でも採用されていました。松岡和子さんの訳注によれば、この「He」をマクベスとする説と、マルコムとする説があるそうです。後者なら「子どもがいないのに簡単に"元気を出せ"などと言うな」という非難や恨みに取れると。松岡訳ではマクベス説にしてあり、映画でもそうでした。
映画ではショーン・ハリスさんがマクダフを演じていて、全員がテンション低めの演技の中、激昂したマクダフが「あいつには子どもがいない!!!」と叫ぶので、いたらどうするつもりだったのか考えただけで恐ろしい見せ場になっています。マクベスに子どもがいなかったことで、復讐の連鎖が断ち切られるのは皮肉です。

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それを補うように、と言うとうがち過ぎかもしれませんが、この映画は、フリーアンスが死したマクベスの剣を取り、真っ赤な朝焼けの霧の中へ走って消えていくシーンで終わっています。
原作で語り落とされたところで、「バンクォーの子孫が王になる」という魔女の預言はどうなったのかと思うのではないでしょうか。史実のスコットランド史をベースにしているので、原作が書かれたときはそこは言わずもがなという意図だったのかもしれませんが、その前に王位を継いだマルコムのシーンが挟み込まれるので、また王位をめぐって血で血を洗う歴史が繰り返されていくことを暗示しています。
あるいは、子どもたちに未来を託すという希望を描こうとされたのかもしれません。
『マクベス』は、これだけ人が死んでいくのに、何となく清々しいような気持ちになる理由が、映画を観て少しわかったように思いました。
今作での魔女は、原作には出てくるヘカティも出て来ないので、魔女と言うより運命の女神のようでもありました。(初めて登場したシーンでは、なぜかわかりませんが『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に出てくる「鉄馬の女」たちを連想しました)


というわけで、久しぶりに語りたくなる映画を観た! と思って、語ってしまいました。
人が死ぬシーンがえぐいのですが、そらPTSDにもなるわという説得力をもたせるために必要なえぐさだったと思います。(苦手なんで目そらしてましたけど)
映像も美しいし、人の顔のアップが多すぎて疲れるとか、しゃべるとき皆なんでそんなに顔近いのとか、みんなひげもさどろどろで見分けがつかんとか、いろいろあると思いますが、それは舞台でできないからだと思います。(知らんけど。)
二次創作なので、基本的に原作を知っていて、そこにどういう解釈が乗ったかを楽しむ映画かと思いますが、映画館で見る価値はあると思います。ぜひ。


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by n_umigame | 2016-05-23 00:03 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)
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