*さいはての西*

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『エクス・マキナ』(2015)


映画『エクス・マキナ』公式サイト


検索エンジン世界最大手のブルーブック社に勤めるプログラマーのケイレブ(ドーナル・グリーソン)は、ほとんど人前に姿を見せない社長のネイサン(オスカー・アイザック)が所有する山荘に招かれる。人里離れた山間の別荘を訪ねると、女性型ロボットのエヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)が姿を現す。そこでケイレブは、エヴァに搭載された世界初の実用レベルとなる人工知能の実験に手を貸すことになるが……。
(シネマトゥデイより)





映像は美しいけれど、物語はSF好きの人なら特別目新しいものでないし、密室スリラーにしたのは面白いけれど、ミステリーとしても何か度肝を抜くような仕掛けがある映画ではないなと思いながら見ていて、見終わってからも、選択肢の中にあった予定調和的な終わり方だなあと思いつつ映画館を出ました。
ですが、しばらくしてじわじわと、これは何かとても怖いものを見せられたのではないかと、体温が1℃くらい下がるのを感じるような、そんな作品でした。


以下、ネタバレしています。











ざっくり言ってしまうと、AIが人間に反乱を起こすお話です。
そして、お話はそこで終わっています。

これはキリスト教(あるいはユダヤ教)文化圏であることと切り離せないのだろうと思われますが、欧米ではメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』から始まって、あるいはもしかしたらそれ以前から、「自分が創造したものに殺される」という"フランケンシュタイン・コンプレックス"がテーマになる物語が非常に多いと感じます。
ハリウッド映画だけでも、「ターミネーター」シリーズのほかに「マトリックス」のシリーズもそうですし、特に機械の反乱がテーマの主軸でない作品でも、『2001年宇宙の旅』や『アイ・ロボット』など枚挙にいとまがありません。

"フランケンシュタイン・コンプレックス"という言葉の生みの親であるアイザック・アシモフは、AI(人工知能≓ロボット)をもっと楽観的に、その善き面を描きました。
アシモフの小説の中でも、ロボット嫌いの人間が、「なぜロボットを人間そっくりの姿に作る必要があるのか」と、腹立たしげに問うシーンがあります。人間が愛着を覚えるような姿でなくても良いではないかと。答えは、「あらゆる道具が人間が使うことを前提で作られているので、人間の仕事を補うロボットもヒューマノイドであることが合理的だから」。アシモフ先生は明快ですね。
けれども、アシモフの小説に登場するロボットは男性型でした。(やがてこのロボット嫌いの主人公と親友になります)


映画の中で、ケイレブはネイサンに、「なぜAI(エヴァ)を女性型にしたのか」と問いますが、その答えはネイサンがケイレブを性的に惑わすためのもので、正確には観客の知りたい答えになっていませんでした。
字幕ではやや意味がぼけるような内容になっていたようなのですが、エヴァがケイレブの好みのタイプの女性に作られているのは、実はケイレブの個人的な…おそらくポルノサイトとかそういったところの検索・閲覧履歴のデータを集めて、そこから総合的に作り出したもののようなのですね。

この映画が怖いなと思った、個人的なクライマックスは、実はここでした。
AIの反乱といった部分は、もうSFのアイデアとしては手垢の付いた領域であります。
そこよりも、AIの血も涙もない反乱とか、AIに惚れちゃって、あげく捨てられたということより、誰か個人の検索履歴を再構築すると、好みの人間を作り出すことも可能であるということの方が、よほどホラーでした。


映画に出てくるブルー・ブックは世界最大の検索エンジンの会社ということになっていて、Googleがモデルなのだろうと思われます。
Googleがあんなに便利なのになぜ無料で使い放題なのかと言うと、わたしたちの個人情報を全部集めているからです。
個人情報というのは、名前だとかそういったもの(だけ)ではなく、「何に興味があるのか」「どういう人間か」といったことが透けて見える情報です。
最近は頻繁に電話番号を聞いてきたりしてやり口が露骨ですが、電話番号や住所、名前や性別、年齢といった「いわゆる」個人情報よりも怖いのは、自分が"どういう"人間かということがわかる情報ではないでしょうか。

有川浩さんの『図書館戦争』もヒットしたので、本がお好きな方は「図書館の自由に関する宣言」をご存じかと思います。
これは図書館を利用することで残る利用履歴、ある人がどういう本を読んだかということは、名前などといった個人情報より、ある意味もっと深いもの、例えば、その人の思想、信条、信仰、生活の状態、性格傾向、病歴などをさらけ出してしまうから、利用者の利用履歴は守られているのですね。
「山田太郎である」ということを知られるより「過激なカルトの信仰者で家計は貧困すれすれ、精神病の既往歴があって現在もまだ治療中らしく、『逃げおおせる完全犯罪』みたいな本をしょっちゅう借りてる」ということを知られる方が、数倍まずいですよね。しかも、実はそれは単なる特殊な趣味で(わたしも悪趣味な本を読むことがあるので他人事とは思えません…)、とても善良でおだやかで生活も豊かな趣味人なんだけれど、自分で買いたくない本は図書館で借りてるから、利用履歴だけ見たら完全に不審人物、みたいなことはありえるところもとても怖いです。

けれども、この、図書館であれば厳重に保護されているはずのプライバシーに深く関わるようなことを、人は、Googleでは気軽に検索してしまうわけです。

パソコンはパスワードがかかった個人のもので、念のため検索履歴も全部クリアしている、という人も、Googleの向こうには人がいて、そこの記録は自分では消すことができないというところは、ある意味盲点になっているのではないでしょうか。

あるいはもし、Googleが密かに特定の政権の手に渡り、思想を弾圧しようと思ったら、そういったキーワードで検索している人を特定して、秘密警察にこっそり逮捕させて闇に葬るということも、やろうと思えばできるわけです。思想の検閲ですね。中国では現在進行形です。
戦前の日本では、本を、特定の思想に関する語句を伏せ字にしたり真っ黒に塗りつぶしたりして、これを行っていました。(実物を見ることがあったのですが、内容がわからないくらい真っ黒のものもありました)「図書館の自由に関する宣言」はその反省から生まれたものです。



それにしても「どこかで見たような」ものがたくさん出てくる映画でした。
もちろん意図的になされているのでしょうが。


まず、シャルル・ペローの『青髭』(とその類話)。
ネイサンが髭男子で、女性に対して横暴で好色であるということが強調されていたこと、そしてもちろんクロゼットを開けたら”変わり果てた姿の女性”(全部女性型のAIの試作品)がずらーっと並んでいました、という場面などはもうまんまですね。
「開けてはならん」と言われたら、ああ開けるんだなってわかりますよね。人間だもの。(みつお)
ただし、開けてしまうのが青髭の新妻ではなく、男性(ケイレブ)だというところにねじれがあるわけですが。(それか、もしかしてケイレブがネイサンの新妻だったの? それどういう映画? というかそういう映画だったの? わたしの読みが浅かったの?)
キョウコさんも、いくら日本人が英語苦手と言ったって、一言も解さない、「Go out(出て行け)」もわからないということはないだろうと思っていたら、やっぱりかでしたね。いきなり始まるダンスシーンの意義はよくわかりませんでした。

ほかにも、『オズの魔法使い』のブリキの木こりや『ピノキオ』も思い出しましたし、AVAという名前はアダムとイヴの混合名でしょうし、ネイサンの別荘はエデンの園で、楽園から出て行くということなんだろうなあとか、いろいろと「どこかで見たぞ、これ」というデジャヴのある映画でした。
やはり、ある意味、セオリーどおりのていねいな映画なんだなあと。

私は映画もドラマも基本的に「お話」を聞くのが好きだから見ているところがあって、どうしてもそこが自分の好き嫌いの基準になってしまうので、そこはすみません。

俳優さんたちは『スター・ウォーズ』のときと真逆のキャラクターだったのですね。ほんとうに少人数の劇なので、俳優さんたちの静かな緊張感が張り詰めた、濃い演技が楽しめる映画だったところもいいです。

クリムトの、「ルートヴィヒの姉マルガレーテの肖像」は、エヴァが部屋に入っていくときはまだモノクロだったのが、ドレスアップして出て行くときはカラーになっていたのが象徴的でした。(確か、ですが…うろ覚えで申し訳ないです)
『青色本』(ブルー・ブック)など、ヴィトケンシュタインについても様々な「仕込み」がなされていたようなのですが、このあたりは不勉強で素養がなく、楽しむことができませんでした。




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by n_umigame | 2016-07-03 23:15 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)
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