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『診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち』ロバート・D・ヘア著/小林宏明訳(ハヤカワ文庫NF)早川書房


酸鼻を極める凶悪犯罪研究の先進国アメリカで、心理学者は異常殺人者に共通するある傾向に注目してきた。つまり極端に自己中心的で著しく情緒に乏しく、人を魅了し操る能力に長けているのだ。彼らはサイコパスと呼ばれるが、このような人間は実はわれわれの身近にも潜んでいる―非行少年、詐欺師、暴力亭主、幼児虐待者、カルト教団の教祖として!多くの実例を通じて「良心の呵責なき者たち」の素顔に迫る戦慄の一冊。
(Amazon.jpより)


少し前に書店で平積みになっていたので、何か改訂や増補があったのかと思ったのですが、奥付を見ると特にそういうわけではありませんでした。
未読だったので、目があったのを機会に読んでみました。(書店で目があった本って、やはり何かご縁があると思うのですよ。買う買わないは別にして)

内容紹介はAmazonからですが、すでにして時代を感じます。日本で単行本が出たのが1995年ですから、すでに20年以上経っています。内容的には、やはり古さが否めない本でした。

わたくしが知りたかったのは、主に、「なぜサイコパスは一定数生まれてくるのか」ということだったのですが、結論から申しますと、この本からは解答を得ることができませんでした。

長くなりましたのでもぐります。















この本の主題は3つあると思います。

一つは、「サイコパスとは何か」ということ。
この本の初版が出たのはアメリカで1993年。1990年代というと、サイコパス(と思われる/を思わせる)が登場するサスペンスやスリラー、ミステリー小説や映画などが大量に出回るようになった時期と重なりますので、正しい定義としてのサイコパスとは何かを理解するためには、当時は、有用、あるいは、新鮮な内容だったのだろうなと思われます。この本が早川書房から刊行されているのも偶然ではないと思います。読者が重なっているのでしょうね。(自分もそうですし)

二つ目は、この本は「サイコパスとは何か」について説いているけれども、読んだからと言って、書かれているチェックリストなどを安易に援用して、人をサイコパスだと決めつけてはいけないこと。
サイコパスは人間的に非常に魅力的な人が多いそうです。しかしサイコパスでなくても魅力的な人はいくらでもいるわけですから、三段論法的にA=B=Cという図式で人間を判断するなということです。
これは当然かと思いますが、ネット上でもときたまこういう、いわゆる「白馬は馬にあらず」式の詭弁を使っている人を見かけますので、まったくの杞憂とも言えないと思います。

三つ目は、現在となってはこちらの方が重要だと思うのですが、「サイコパスと精神疾患の違い」を理解してもらうことだろうと思います。

この三つ目を理解するために、この邦題はあまり好ましくなかったのではないかと思います。
なぜなら、著者のヘア氏は、例えば統合失調症のような「精神疾患」と、「精神病質」であるサイコパスを、厳格に分けて考えているからです。
著者によれば、サイコパスは自分が何をしているかちゃんと理解している。けれども統合失調症の人が誰かを殺せという幻聴を聞いて殺人を犯したとしても、それは精神疾患、つまり病気なので、本人に責任は負えない。
サイコパスは病気ではないので、犯罪を犯した場合はその責任を問えるということなのですね。
邦題の「診断名」という言葉からは、「サイコパスという“病気”であると診断される(人がいる)=サイコパスとは病気である」というふうに取られかねません。(ちなみに、原題は“Without Conscience: The Disturbing World of the Psychopaths Among Us”。「良心を持たずして:わたしたちの中にいるサイコパスのお騒がせな世界」という感じでしょうか)
サイコパスはどちらかと言うと、境界性人格障害などの方により近いものなのかもしれません。病的ではあるけれど医学的には病気とは言えない、という。(素人考えなので、もちろんまったく別物かもしれませんし、何せ今から20年も前のデータなので、現在では解釈が変わっているかもしれませんが)


しかし、読んでいて、何だかうんざりする本でした。

内容が内容なので、凄惨な殺人の再現話などが出てきますし、サイコパスの人たちの自分勝手でねじ曲がった理屈は「何を言うとるんじゃ、こいつは」となりますから、それはうんざりするのは当たり前です。
そこは読む前からわかっていたことなので(悪趣味ですねえ。すみませんね)、覚悟の上だったのですが、うんざりしたのは著者の視線と申しますか、精神分析家としての姿勢です。

著者は精神分析家(医)として、実際に大勢のサイコパスに何度も遭遇してらっしゃるのだろうと思います。サイコパスに会って彼/彼女たちの話を聞くのは著者の仕事でもあるし、学術的にも実務的にも冷静さや客観性が求められることは言うまでもありません。
けれども、著者がいかにサイコパスにうんざりしているかということが、ほんとうにこれでもかと伝わってきて、読んでいるとそこにうんざりするのでした。

精神疾患(病気)ではないのだから、医師としての共感や同情はサイコパスに対しては必要ないし、うっかりこちらが同情などしようものなら骨までしゃぶられてズタボロになるからだということを主張したい、ということは理解できます。ですが、サイコパスの人たちを、完全に突き放しています。逃げているようにすら見えます。
「やつらは化け物だから、一生会わないことを祈る。以上。」では、何の解決にもなりません。例え、それが現実問題として、いちばん妥当性のあるアドバイスだったとしてもです。
素人が専門家に期待したいのは、やはり何らかの善後策なのです。

この本を読んでいる限りでは、サイコパスの人たちに、特に素人が、してあげられることなど何もありません。
なぜサイコパスになる人が生まれてくるのか、生まれたときからそうだったのか、環境の影響の方が大きいのか、それもわからないので、対処方法もない。
その虚しさにうんざりする本でもありました。


一つ、役に立つと言いますか、参考になることと言えば、サイコパスは必ずしも犯罪者ではないということです。法に触れるようなことをする人たちばかりではないということですね。
「当たり前じゃないか」と言われそうですが、これはある意味、だからこそ怖いと言えると思います。
誰が見ても問題があるようなこと、殺人とか詐欺とかをしでかす人は、もちろん被害者にはお気の毒ですが、その明快さにおいて、少なくともまだ何らかの対処のしようがありますよね。法で裁けるのですから。
警戒すべきはむしろ、そういう明快さのないサイコパス、例えば、特定の個人だけをいびり倒すけれど、第三者のいるところでは決してしっぽを出さないという陰湿なタイプだとか、法には触れないけれども倫理的にはアウトだろうと思われるような悪辣な商売をしている企業経営者だとか、そういう人たちです。
サイコパスは非常に魅力的で、しかも良心を持たないそうなので、病的なハラスメントをしているのに、悪いのは加害者であるサイコパスではなく被害者である人の方だと思わせたり、社員を使い捨てにして法に触れないで濡れ手で粟のような商売をしていたりしていても、一切社会的な罰を受けることはありません。むしろ、確信犯的に、自分のそういう「頭の良さ」…第三者にはわからないように特定の個人だけ病的にいびるとか、法に触れずに大もうけしているのでカリスマ的な経営者だと思われているとか、そういう方向へ持って行くのは、サイコパスにとってはお手の物だということです。
いびられるだけでもつらいのに、周囲の誰もそれに気づいてくれないどころか自分の方が加害者だと思われているとか、使い捨てにされる社員とか、自分がその立場になったらと想像するだけで辛いですね。
そして、そんなサイコパスにだまされている人が実際にいる(らしい)ということです。
おそろしいですね。
正直、自分がそういうサイコパスに出会っていたとしても、見抜けるかどうか疑問です。何だかうさん臭いな、ていどには感じるかもしれませんが。

一日も早く、なぜサイコパスに生まれてきたりなったりする人がいるのかということが、解明されることを祈っております。





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by n_umigame | 2016-07-09 23:57 | | Trackback | Comments(0)

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