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『ハイ・ライズ』J・G・バラード著/村上博基訳(創元SF文庫)東京創元社



ロンドン中心部に聳え立つ、知的専門職の人々が暮らす新築の40階建の巨大住宅。1000戸2000人を擁し、マーケット、プール、ジム、レストランから、銀行、小学校まで備えたこの一個の世界は、10階までの下層部、35階までの中層部、その上の上層部に階層化していた。全室が入居済みとなったある夜起こった停電をきっかけに、建物全体を不穏な空気が支配しはじめた。中期の傑作。解説=渡邊利道
(出版社HP)


こちらは原作の感想です。
映画の感想はこちらへ→


J・G・バラードとの接点は、高校生の時に読んだ短篇集『永遠へのパスポート』と、スピルバーグ監督作品で映画化された『太陽の帝国』の2点くらいでした。
代表作と言われる『結晶世界』も未読で、バラードがどういう作家だったのかはほとんど知りません。
ただ、多感な年頃に読んだはずの『永遠へのパスポート』をしてからほとんど記憶に残っていないところからすると、自分にはあまり刺さらなかったと見え、今回『ハイ・ライズ』を読んでみて、その理由が何となくわかったように思いました。

以下、感想です。
ネタバレがどうこうという種類の小説ではないと思いますが、真っ白の状態で作品を楽しみたい方は、ここで回れ右でお願いします。












『永遠へのパスポート』には「九十九階の男」という作品が収録されていて、これが高層ビルの最上階を目指す男の話なんですね。ほとんど覚えてないけど。(だめじゃん)

作中、登頂といったニュアンスで訳されている「ハイ・ライズ」とは高層ビルのこと。40階程度なら現在ではもうおどろくような高層ではないですが、この作品が書かれた1975年当時では、やはり高かったのでしょうね。
それも、「100階建て」とかきっちりしていていかにも想像上のビルと言うより、現実感のある高さです。

正直に申しますと、読むのに時間がかかりました。大して長編ではないのですが、不衛生でグロテスクな描写が多いですし、読んでいて気持ちが良い小説では決してありません。
いきなり犬を食べているところから始まるし、ほかにも犬がひどい目に遭います。それも単に食料として淡々と描写されていて、イギリス人でこんなに犬に冷酷な作家もいるんだなと、ある意味新鮮でした。(この辺りは映画の方がまだ優しさを感じる部分がありました)
また、エンタテインメントのコードに従って書かれておらず、どちらかと言うと純文学に近いように感じました。エンタメではあるのですが、起承転結のわかりやすいタイプの小説ではない上、非常にシンボリックな作品だからです。


主な登場人物は3人。
この高層ビルを建築・設計したアンソニー・ロイヤル。
最下層に住んでいるテレビディレクターのリチャード・ワイルダー。
そして中層階に住んでいる医学部の講師のロバート・ラングです。
物語はラングの視点から始まりますが、この3人の視点で交互に語られます。

この3人の名前からして象徴的で、ロイヤルはこの高層住宅を作った創造主(=神)であり、かつ最上階のペントハウスで王者としてふるまっている人物。
ワイルダーは粗野で上昇志向が強く、階層の壁をメディア(テレビカメラ=庶民の目と好奇心)と暴力で突き破ろうとしている人物。
ラングは傍観者にして狂言回しです。ネットで「肺(lung)」の意味で真ん中辺りという解釈をお見かけしたのですが、こちらのラングは綴りはLaingでlungとは発音も違うようなので不明です。ただ、アッパーミドルを代表する人物の象徴であるとは思います。

あらすじは出版社紹介にあるとおりで、ある程度の社会的地位や財産を持っている人ばかりが住む新進の高層住宅で、ある日、停電をさかいに住人達がどんどん理性を失って、ビル全体も荒廃していくというお話です。

ここに何を見るかはすべて読者に任されていますが、わたくしはこれはやはり英国のカリカチュアー(ブラックだけど)だろうと思います。
中心人物は上の3人ですが、主人公はおそらくこの高層住宅自体です。
読み終わって思い出したのは、スティーヴン・キングの「霧」(映画化名『ミスト』)と、やはり映画で『未来世紀ブラジル』です。
「霧」の舞台になるスーパーマーケットはアメリカの(地方都市の)メタファでした。ただキングの作品があくまでもエンタテインメントのコードに則って書かれていて、読んでいておもしろく、なので映画になってもやっぱり純粋にどんでん返しが効いておもしろいのに比して、バラードの『ハイ・ライズ』はわかりにくいです。

作家なのだからきっと、何か切羽詰まった思いや、伝えたいことがあって吐きだした、書かずにはいられなかったはずだと思って読むのですが、例えば、何を読んでもパラノイアなP・K・ディックのような苦しそうな印象も受けないし、グロが趣味で書いてて楽しくて楽しくて仕方が無いという作風でもない。

なのだけれど、この不衛生で暴力と無秩序にあふれた高層住宅から誰も出て行こうとしない。出て行こうとするのだけれど、それはポーズだけで誰も実行しない。
自殺があったのに警察も来ず、ロンドンに近いはずなのに外界の様子がまったくわからない。ラングは通勤することもやめてしまい、食料すら尽きた高層住宅に引きこもって、なんともお気楽に適応して暮らしている。
猥雑で無秩序で、厳然たる階層と格差が存在する高層住宅では、食べ物は犬のエサどころか犬。見せかけは洗練されたコンクリートの島で、内実を知らない外部の人間は素敵な人ばかりが素敵に暮らしていると思っているだろう。でも出て行きたくない。ここでずっと安穏と暮らしていたい。
安易なエンタメであれば、ここで階級闘争が起きるとか、ワイルダー辺りがヒーローになって上層階の美女といい仲になりつつ権力を倒すとか、陳腐なシナリオになりかねませんが、バラードの世界ではそうはならない。
この高層住宅は英国で、そんな自分の国をバラードはどうしようもない思いで愛していたのだろうなあと思います。
業が深い。
でも自分の生まれた国を愛するというのは、そういうことなのかもしれないと思ったりもしました。

おそらく以上に尽きるのだろうと思うのですが、余計な解釈をつけるとすれば、どんなにひどい環境でも人間というのはやがて慣れてしまって、そこから出て行くタイミングを逃すともう一生逃げられなくなってしまうものであるとか、そういったところでしょうか。




by n_umigame | 2016-08-14 23:07 |