トム・ヒドルストン主演で、「太陽の帝国」「クラッシュ」で知られるSF作家J・G・バラードによる長編小説を映画化。フロアごとに階級が分けられ、上層階へ行くにしたがい、富裕層となるという新築タワーマンション。このコンセプトを考案した建築家アンソニーの誘いで、マンションに住み始めた医師のロバートは、住民のワイルダーと知り合い、マンションの中で起こっている異常事態を知ることとなる。「マイティ・ソー」シリーズのロキ役で知られるヒドルストンがロバート役を演じるほか、「ドラキュラZERO」のルーク・エバンス、「運命の逆転」のジェレミー・アイアンズ、「アメリカン・スナイパー」のシエナ・ミラーらが出演。監督は「ABC・オブ・デス」「サイトシアーズ 殺人者のための英国観光ガイド」のベン・ウィートリー。
(映画.comより)
こちらは映画の感想です。
大筋は原作どおりで、やはりネタバレがどうこうという種類の映画ではないと思いますが、真っ白の状態で作品を楽しみたい方は、ここで回れ右でお願いします。
原作との違いについても触れています。
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物語についての感想は原作の感想の記事をごらんください。
わたくし、グロ耐性がほんとうに低いので、原作を読んでから映画を見に行くかどうか前売り券が買えるギリッギリの日まで悩みました。そんなわたくしが思いますに、それでも、小説を映像化した作品としては、そんなに悪くない部類に入る作品だと思います。
ただ、Yahoo!映画のレビューがおおむね低いですね。IMDbも低いです。
で、そのお気持ちも、とてもとてもよくわかります。
何と言いますか、こう、これを面白いと言ってしまうと、自分の中の人としてだいじな部分が終わるんじゃないかという不安があります(笑)。
映像化した作品として悪くないと言いましたが、中途半端に絵だけで原作をなぞりすぎたなという印象も受けました。
また、原作以上にグロテスクなシーンがあります。ラングが人間の頭蓋骨を割って皮を剥くシーンは原作にはありません。冒頭と最後に出てくるTVかぶって白目むいて血みどろで死んでる人も原作には出てきませ。これが監督の趣味としか思えないような、確信犯的でしかも愉快犯的な見せ方で、思わず目をそらしました。予想していなかったので見ちゃったけど、おかげで翌日も、脳みその皮に何かうっすらついてる感じがしていやでした。
こういうシーンがあることで、監督がいちびりで不愉快だというレビューにつながるのではないかとも思いました。実際、監督のいちびりだと思います。
逆に少しほっとしたのは、犬の描写です。
原作でもラングがベランダで犬の足をローストして食べているシーンから始まるのですが、原作では、イギリス人でこんなに犬に対して残酷な人もいるんだなと思ったくらい、“ただの食い物”としての描写でした。(これが中国だったり戦時中の日本なら驚かないんですけどね…)
マンションに不穏な空気が漂い始めるきっかけになる、プールに犬の死体が浮いているシーンも、原作では淡々と事実だけが語られますが、映画では飼い主の女性が嘆き悲しむ様子や、ラングが死んだ犬を憐れんでやさしく撫でてあげるシーンが描かれていました。こういうシーンがちょっと入るだけで全然違いますね。監督はいちびりだけど犬は好き、ということはわかりました。
ほかにも、投身自殺する宝石商がラングの生意気な教え子になっていたり、ラングの姉がすでに亡くなっていて離婚していることについては触れられなかったり、原作には出てこないトビー少年(ロイヤルの息子)が出てきたりと、細かいところに改変がありました。
この改変部分に監督の「らしさ」が出ているのだろうなと思います。
例えば、一番違うなと思ったのは、ラングの描写です。
原作を読んでいる限りでは、ラングは傍観者にして狂言回しです。でもその役割は映画ではトビー少年が担っていて、ラングはだんだんどころか、最初からおかしい、不安定さを感じさせる状態で登場します。一番まともそうで、実はこのマンションにすでに取り憑かれてしまっていることがわかります。
映画ではラングは「このマンションで一番の備品(アメニティ)だ」と言われていますが、原作では「おまえのような人間がいちばん怖い」と言われています。
全員が狂っている中で一人だけまともな人間がいたら、まともな人が狂っているように見えるに違いないですから、そういう意味で「おまえが怖い」なのかなと思ったのですが、映画で見ると、こんな状態で狂いもせずマイペースで暮らしている人の方が相当おかしいということがよくわかり、ここは映画で見てよかったなと思いました。
余計な改変だったのでは…と感じところが二つあり、一つは宝石商をラングの教え子にしたところです。
原作では宝石商は妻に殺されたのじゃないか?というグレーな描写以上にはありません。高層から落ちて死ぬのは同じなのですが、映画では明らかな自殺で、動機も(おそらく)脳腫瘍であることがわかって自暴自棄になったから、というような描写になっていました。
映画のように因果関係をはっきり描いてしまうと、わかりやすすぎて陳腐になってしまうということもありますが、この教え子が横柄でスノッブな若造で、大勢人がいる前でラングに恥をかかせるようなふるまいをするシーンがあることで、ラングが教え子に意趣返しをしたみたいになっていました。(教え子に腫瘍が見つかったことを告知するのはラングなのです)
二つ目は、トビー少年です。
ラングがトビーの手を繋いで自宅まで送ってあげるシーンがやけに長いことからも、原作の傍観者の役割を、トビーがラングに近接な形で分け合っているのだろうということはわかるのですが、はたして必要だったかどうか最後まで疑問でした。
子どもがいるというだけである種の希望にはなりますが、このマンションに希望なんてありませんし、いらないような気もします。(トビー少年の目がアップになるところがありますが、ちょっとジェレミー・アイアンズに似ていてびっくりしました。)
ほかにもマンションがどんどん不穏になっていく様子をスーパーマーケットの果物の腐敗していく様子で見せたり、中途半端にわかりやすい描写を入れてしまうことで見ている人の反感をかっている部分も、この映画にはあるんじゃないかなと思いました。
所々でそういう描き方をするのであれば、監督はこの原作をこう読んだ、ということが伝わるように、全体的に換骨奪胎した作品に仕上げることもできたわけなので。
俳優さんたちは文句なしに良かったです。
この映画にこんな美しい俳優さんたちをどかどか投入するなんて、ある意味それがいちばん悪趣味かも。
わたしが見に行ったときはお客さんがほとんど高齢者の方で驚きました。60代でも若い方かな、という感じでした。なぜ。男女の比率は男性の方がやや多いくらい。途中で退席した人が少なくとも3人いました。