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『狙った獣』マーガレット・ミラー著/雨沢泰訳(創元推理文庫)東京創元社

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(書影はAmazon.jpより)



莫大な遺産を継いだヘレンに、友人を名乗る謎めいた女から突然電話がかかってきた。最初は穏やかだった口調は徐々に狂気を帯び、ついには無惨な遺体となったヘレンの姿を予見したと告げる。母とも弟とも断絶した孤独なヘレンは、亡父の相談役だったコンサルタントに助けを求めるが……米国随一の心理ミステリの書き手による、古典的名作の呼び名も高いMWA最優秀長編賞受賞作。解説=宮脇孝雄/訳者あとがき=雨沢泰
(出版社HP)


『まるで天使のような』もタイトルから想像していたものとまったく違うおもしろさの作品でしたが、こちらもおもしろかったです。
「おもしろい」と言いましたが、読んでいる間、厭で厭で仕方がなく、こう、真綿で首を絞められるような何とも言えない不愉快さ、通勤途中の電車の中で走り出したくなりました。

原著は1955年に刊行されたということを頭においておく方がいい作品だと思います。
人によっては、こういう描かれ方はかなり不愉快に感じる方もいると思いますし、解説も含めて「今どきそれかい」というツッコミを入れざるを得ない部分があります。

マーガレット・ミラーの代表作などについての紹介は、こちらの記事がわかりやすいと思います。






長年邦訳が手軽に手に入らなかったと言うこともあり、マーガレット・ミラーを読むのはこれが2冊目です。


以下、ミステリーとしてのトリックも割っていますので、未読の方は回れ右推奨。










一読後、真っ先の思い出したのは、山岸凉子さんの『天人唐草』です。
物語の構成も似ています。


上記の柿沼瑛子さんの紹介記事にもありますように、この『狙った獣』は今風の言葉で紹介すると「イヤミス(厭なミステリー)」ということになると思います。
ですが、そんな軽薄なカテゴライズを笑い飛ばすような、腹に何かが溜まる重さがあります。クラシックとして生き残る作品には、たとえ表現はエンタテインメントでも、小説として普遍的な部分がありますね。

トリックの部分はもう今どきのミステリーではめずらしくないものです。
二段オチになってはいますが、アイデアとしてはワンアイデアです。(これは映像化すればすぐわかってしまうので、小説ならでは楽しめる手法ですね)
種明かししたあとは驚くほどスピーディーに物語は展開し、あっけないほどあっさりと幕が降りてしまいます。
1955年当時はめずらしいトリックだったのでしょうから、このアイデアで読者をあっと言わせたらミステリ小説としてはミッション完了とも思うのですが、現代の読者である自分からすると、あまりにもあっけないこのラストシーンから、作者が本当に描きたかったのは、このトリックの部分ではないのではないかと思いました。

かえって現代だからこそ問題が顕在化している部分があり、それがこの作品を今読んでも古くさく感じさせないのだと思います。


この小説は、まず、いわゆる「毒親(子どもに様々なハラスメントを働き、健全な成長を妨げたり、深い心の傷を負わせたりする親)」による機能不全家族と家庭崩壊の物語なのです。
次に、社会的ひきこもりの物語であり、そこにジェンダーとしての女性の問題をからめて描かれています。
エンタテインメントなので単純化して描かれていますが、アメリカの家庭小説としても秀逸な作品だと思います。(このあたり旦那さんのロス・マクドナルドの『さむけ』を思い出さずにはいられませんでした。お母さんが怖すぎる。名コンビですね……)


ヘレンはいわゆる多重人格ですが、解離性同一性障害が生じる原因は、強い心因性のストレスだと言われています。なので、ヘレンを多重人格にするために不幸な家庭環境は必須の設定だったとは思います。
ただ、ストレスと言ってもいろいろあるわけで、その中で特に「家庭環境」を選んだのは、ミラーの慧眼だったと思いますし、そこに作者のメッセージがあると感じました。

ヘレンの父親も問題ですが、母親もかなり問題です。
こういう家庭って、はたから見ているぶんには、何の問題もない、“子ども思い”の両親に育てられた“幸せな”子どもと思われていたのだろうと思います。
よくこんな、戯画化スレスレだけどリアルに不愉快な親を描けたものだと、すっぱいもの食べた口になりながら読んでいました。
母親に顕著ですが、この親たちは子どものことなどまったく愛していません。大事なのは自分だけです。そして毒親の常として、本人はまったくそう思っておらず、本当に“子どものためと思って”子どもの交際関係などに干渉しますが、それは子どもの自立を助けたり、つらいときになぐさめたり励ましたりするような種類の干渉ではありません。
そういうことが続いた結果、ヘレンは精神疾患に、ヘレンの弟のダグラスは同性愛者であることを母親から責め立てられて自殺してしまいました。
ヘレンも最後には自殺してしまうので、結局、二人とも親に殺されたようなものです。

ヘレンは今どきの言葉で言えば「愛着障害」の典型です。
大人になってからもふつうに社会とつながることができません。
ヘレンはお金は持っていますが、ロサンゼルスの二流ホテルのスイートの一室を買い取って、そこで暮らしています。身だしなみにもかまわず、友だちもおらず、ホテルの従業員とは必要最低限の話はしますが、立派なひきこもりです。

いくらお金を持っていても、結婚もせず仕事も持っていないと社会とはつながれず、社会的なリソースの配分に預かれない女性の末路とはこういうものであるよ、というミラーの視線がとても怖かったです。
いえ、女性が「女の幸せだ」と言われていた結婚をしていても、ヘレンの母親のように、こうやって我が子を不幸のどん底に突き落として、自分は被害者面している人ってたくさんいるでしょ? というたたみかけになっていて、それもとてもとても怖かったです。

これ若い頃に読まなくてよかったです。ぜったいトラウマか呪いになっていました。


“アップルパイ神話”が象徴するようなアメリカの「幸せな家庭」が、強迫観念的に強い光を放つ一方で、光が強ければ強いほど生まれてきた濃い影があったはずで、その影から生まれたものがもぞもぞと育って、ことあと1980年代から続くアメリカのサイコ・スリラーとなってわいて出たのかと思うと、とても説得力があります。1950年代からちょうど一世代くらいの時間経過ですから。


最近、女性の貧困問題についての本を何冊か読んだのですが、そこで問題になっていたのも、そもそもの家庭環境の問題と、そのせいで社会的に必要な知識や、知識を元にした行動へとつなげる方法がわからず、孤立していく人の姿でした。
親から受け継ぐのもののなかで大事なのは「物」ではなく、社会の中で人としていかに人とつながって生きて行くことができるか、そのための基盤としての「愛着」であり、「文化的資産」であるということがよくわかります。
親との愛着の良好さの有無が、その後のストレス耐性も左右するそうなので、何かあったときに簡単にへこたれない、心身ともに病気にならないといった実際的な問題にも大きな影響があることがわかってきています。
人間が社会的な動物であるといわれるのは、群れないと暮らせない弱い生き物だからだということが、貧困問題の隙間からも垣間見えます。
孤独であることと孤立することは、似て非なるものだということです。

幸いには、人は、ダメだった親の代わりを見つけることもできます。
愛着に何の問題もない親に育てられた人に比べると、スタート地点がマイナスからの出発なので、ハンデであることに変わりはありませんが、親以外の人間や、それが難しい場合は本などからも、ほんものの愛情とは何なのかということを、人は学ぶことができます。

ヘレンも、さしのべてくれたポールの手をふりはらうことがなかったら、別の人生が待っていたに違いありません。
あるいは、この親の「呪い」を解くために自分で自分の人生を切り拓く行動力があれば、もちろん結果は違っていたでしょう。
けれども、人間を信じるという基本が育まれないまま大人になると、誰かに心を開くこと、そのたった一歩を踏み出すことが非常に困難であるということも、作者のミラーは知っていたということなんですね。
身も蓋もない言い方をしてしまうと、ヘレンのように両親が大ハズレだと、いくらお金を持っていても、人生が非常に困難になるばかりか、場合によっては破滅してしまう可能性が高くなるということを、1955年の時点で、マーガレット・ミラーは見抜いていたということです。女性が自活していけるだけの職業に就くことが困難だった時代には、それに輪をかけたことでしょう。

ある意味ホラーよりも怖い小説でした。






by n_umigame | 2016-11-19 23:13 |