*さいはての西*

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『シャイニング』(1980)

初めてちゃんと見ました。
あの、ジャック・ニコルソンの方、キューブリックの方です。

こわがりのくせに怖いもの好きなのですが、ホラー映画は即物的すぎて、ふだんは見ません。
なので、これも傑作の名が高かったにもかかわらず見たことがなかったのですが、CSでやっていたので、見てみることにしました。

思っていたほど怖くなかったです。
と申しますか、主人公のジャックがだんだんおかしくなっていく課程が秀逸で、この部分が一番怖い。
ジャックができあがってしまってからは、けっこう笑ってしまいました。

ラストのジャック・ニコルソンの顔は日本人で志村けんを知っている人間には禁じ手ですよね。
あと、シェリー・デュバルがギャーギャー言いながら逃げまくっている途中で出てくる、わけのわからん着ぐるみの幽霊とかですね。絶対笑うところじゃないというシーンで思わず「ぷーっ!!」と笑ってしまうのがおそろしいですよ。
ジャック・ニコルソンとシェリー・デュバルの顔をどうかけたらあの可愛い男の子になるんだとかですね。

ホラーとギャグは紙一重ということを図らずも証明してしまった傑作ではないでしょうか。

キューブリックの作品は『2001年宇宙の旅』しかまともに見たことがなかったのですが、こちらの、HALが殺人を犯すシーンの方がいろいろな意味で怖かったです。効果音が全然なく、「えっ!?」という感じ。本当に人が死ぬときって、こんな感じなんだろうなあ…と。

ただ、どちらも「なぜ」なしに人は死に、「なぜ」なしに人は狂うのだ、という人間の業のようなものを描いて見せた、その見せ方が、ああ、キューブリックってこういう監督さんなんだ…となんだかストンと腑に落ちました。
キューブリックの作品はよくわからん、理解不可能だ、これを理解できたという人の方がうさんくさい、と言われるのもむべなるかなと、思いました。(たった2作で思うなという感じですが)
「死」も「狂気」も人の手のうちにはない概念です。
いや、概念はあるのですが、どんなに科学がそれに説明をつけようとしても、いつも説明をつけようとするのは、それを経験したことのない側の人間です。
体験的に語ることができないことは、どこまでいっても「想像」でしかありません。「想像」ということばが適切でなければ、「仮説」と言い換えてもいいでしょう。
たとえそれがどれほど客観的な証拠に裏付けられようともです。
だからそれをわかったように語る人間は、うさんくさいのがある意味当然なのですね。
ただ、そんなことを言っていては、前へ進めません。
科学は大量の、おそらくそのほとんどがゴミであったであろう「仮説」を踏み台にして、ここまで来たのだろうし、これからも行くのでしょう。
それは「死」や「狂気」に対しても。

…とまあ、笑いながらもそんなことを思わず考えてしまう映画でした。
それにしても、あのコックさんは母子の「足」を提供しに来て犬死にしただけかい。かわいそうじゃないか。ここだけはホラー映画のセオリーどおりでしたね。「生け贄専門要員」がいるという(笑)。(いや笑えません…)
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by n_umigame | 2007-01-02 19:10 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)
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