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『狂気という隣人 : 精神科医の現場報告』 岩波明・著(新潮文庫) 新潮社 

小学生の読書感想文のような…という形容が適切かどうかはわかりませんが、非常に平易で、淡々とした文章で書かれています。
ですが、それが不気味さを増していると申しますか…。

世界のどの地域においても人口の1%が統合失調症であるという事実、そしてこれは器質的な問題で文化やストレスなどの環境に左右されないこと、つまり例えばうつ病が高じて統合失調症のような重篤な精神病にはならないということ、ただ、この1%の人の中に、殺人事件の加害者が占める確率が高いということも事実であること、などなどが述べられます。

そして、精神障害かどうかを診断するのは医師の仕事のはずが、現実問題として、精神科のERというべき部署に搬送される際は警察が患者の選別をしていることなど、日本での精神科ERの制度上の遅れなどが、静かな怒りを含んだような文面で書かれています。

「……なぜこうなのか、ああなのかとあれこれ推測しても、はっきり断定することは永久にできない。たとえば犯行の動機だ。母親に虐待されたのかとかいたずらされたのかとか、いろいろ考えられる。もしかしたら、世間を軽蔑していることを示して、社会に復讐しているのかもしれない。だがこの仕事を長くしていると、一番聞きたくないと思っていることを信じるようになる。つまり、殺人犯の多くは殺すことが楽しいから殺人を犯すってことだ」
              『検屍官』 P.コーンウェル・著/相原真理子・訳


また著者は、日本の自殺率は先進国中最高である事実を指摘して、日本の社会問題としてこれにとどまらず、いじめ、不登校、社会的ひきこもりなども他の先進国と比べて突出しており、行政や社会がほとんど有効な手だてを見いだせない点も際だっているとし、これは原因として、はみ出し者を嫌い、些細な問題を見つけてバッシングする「悪人情」とも言うべき日本社会の冷酷さに起因するのではないか、と指摘されています。

先進国(ほとんどがキリスト教文化圏の国々)には、いくら薄れたと言ってもキリスト教の精神というセーフティ・ネットが曲がりなりにもまだ機能しているというところが、おそらく彼我の差のひとつにもなっているのではないかと思うことがあります。

なぜそう思ったのかと申しますと、為替取引所のシステムがクラッシュしたときに、NY証券取引所ではこういったことは起きないのか? という日本人記者の質問に、「われわれは人間は間違えるという前提でものを作り、管理する。あなたがたの様子を見ていると、間違えたときどうするかというオプションがない」と答えていたのが印象的でした。

神ならぬ人間は間違える。

この謙虚さが、何千年の文化の中で培われたか否かの違いは大きいかもしれません。(彼らがだから必ず謙虚かと言えばご存じのとおりそんなことはありませんが)
そして、誰だって間違えるから、お互いに赦すという精神も育つのだと思います。
少しの差異も認めない、というのは、このあたりにも原因があるのかもしれません。

わたしは、日本には日本の良いところがたくさんあると思っています。例えこんな世の中でもです。
ですが、西欧の文化から、スタイルだけまねて精神を学ばなかったことがたくさんあると思います。近代医学もその中のひとつだったのかもしれません。
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by n_umigame | 2007-03-04 20:33 | | Trackback | Comments(0)

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