*さいはての西*

fwest.exblog.jp
ブログトップ

『満潮に乗って』アガサ・クリスティー・著/恩地三保子・訳(クリスティー文庫) 早川書房

この作品はドラマになる前に原作を読んでいたのですが、読み返してみてこれはしみじみとした佳作であるという思いを新たにしました。

ドラマ化するに当たって、あまりにも複雑なプロットは向かない、物理的に(視覚に直截に訴えてくるような場面など)トリックを明かしてしまうような場合は改変の必要があることは確かです。
ですが、特に必然性を感じないのに、何かよくわからない制作者の思惑やこだわりで、原作の持つ良さが台無しになってしまうというのは、やはり、あまり見ていて快いものではありません。

近頃ドラマや映画/アニメを制作する人たちは、時代の要請か、メディアミックスによる興行的な「当たり」確実を当て込んで怠惰になったのか、単に才能が枯渇した/育たないのか存じませんが、一からおもしろいドラマ/映画を作ろうという気があるのだろうかと思うほど「原作もの」であふれ返っています。
それが悪いとは言いません。
自分の大好きな小説が、これが名工の手によって映像化されたらどんなにすばらしいだろうと夢見ることはもちろんあるからです。(『九尾の猫』とか…!←しつこい。
ですが、少なくとも「原作もの」に手を出すのであれば、原作に対する愛情と敬意を忘れないでいただきたいと思います。
逆に言えば、愛情と敬意さえあれば多少出来上がりが不格好でも、腐ってもプロ/人からお金をもらっても恥ずかしくない程度の作品の範囲内であれば、その意気に感じて見る方は許せるものなのだと思います。

前置きが長くなりましたが、『満潮に乗って』、今回のドラマはワタクシ個人的にはたいへん残念なできでした。
原作にあふれるポワロの名ぜりふも採用されませんでしたし、そもそもなんで「満潮に乗って」なのかが、あれではわからないですね。
また、解説でも書かれているように、最後の一行が恋愛小説としてこの作品を傑作たらしめているのですが、ドラマのローリイではこの原作の最後の一行が活きません…。恋愛小説でもあり、ヒロイン・リンのビルドゥングス・ロマンにもなっていますが、この見せ方が小粋と言いますか、すばらしいのです。
アガサ・クリスティーは『春にして君を離れ』や『カーテン』等を読むと、同性としてつくづく「ああ、女よね。(男性はこうは書かないなー)」と思うような現実的でスパコーン!と切って捨てるような人間の描き方をするのですが、そうは言いつつもこんなロマンティックなメロドラマも臆面もなく書けてしまうところがすごいです。
しかも、地味ながらミステリとして主要なトリックはきちんと抑えてあるというところも脱帽です。
ぜひ。

「人生の悲劇は、人間はぜんぜん変ることができないというところにあります」 --ポアロ
「でも、わたし、あちらにいるときには、家が恋しくてたまりませんでしたわ」リンは弁解するように叫んだ。
「そうでしょうとも。はるかなるものこそ美しくみえるもので。たぶん、あなたはこれからも始終、現在身をおいているところにはあきたらないで、離れてきたものを恋う、といったことになりそうですね。(中略)だが、その絵のとおりには事がはこばない。つまり、あなたが描いたところのリン・マーチモントは、本物のリン・マーチモントではないからです。それは、あなたが、かくありたいと思っているリン・マーチモントでしかない」
 リンはつっかかるように言った。「じゃあ、あなたのおっしゃるのは、わたしはどこでも満足できない女だっていうことですね?」

「ええ、あの、わたし、デイヴィッドはどうしても信用できないんです。信用できない人を愛せましょうか?」
「不幸にも、その答えは”イエス”ですな」

[PR]
by n_umigame | 2007-05-10 14:45 | ミステリ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://fwest.exblog.jp/tb/5371308
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。