*さいはての西*

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『A.I.』(2001)

「グリーン・マイル」とどっちが感じ悪かったでショーというくらい、わたくしにとっては後味の悪い映画でございました…。

この作品はきっと、かわいそうな子どもロボット・デイヴィッドのひたすら「母」を求める姿に涙し、勝手に作っておいて”ロボットのキモチ”なんて考えずに捨てる人間のエゴに怒りを覚え、中世の処刑場のようにロボットを見せ物として壊すシーンに戦慄する、そんな映画だったのでしょう。

けれども、「ぼくはユニークな存在なんだ! だから愛されて当然なんだ! 僕を愛してよ! 愛してよ!」 と言わんばかりに(実際に言ってるところがありましたが)叫び、「母」をストーキングするデイヴィッドは、正直怖かったし、こんな子どもいるよな、いや子どもどころか体は大人なんだけどいるよなこんな人、という感じで、どうしてもデイヴィッドに感情移入できませんでした。
見ていて何か思い出すな、と思ったら『未来世紀ブラジル』でした。スピルバーグの作品は全体的に画面が文字通り明るいので、いっそのこと、あんなかんじだったら、同じ悪夢のような世界でももう少しそう言う作品として楽しめたのかもしれません。

そして冷めたことを言ってしまうと、デイヴィッドの「愛」はインプットされた愛だったから、というのもあるかもしれません。

「愛するように”設定”された愛」はほんとうの愛なのでしょうか。
「そうすることが決まっている愛」は義務の愛と同じではないでしょうか。
「わたしはあなたを義務だから愛する」と言われてうれしい人がいるのでしょうか。
「僕が愛すのだから」「愛しかえしてほしい」という愛はほんとうの愛なのでしょうか。
愛する人に愛されたいというのは、自然な感情だとは思いますが、なんだか違う気がします。

わたくしはアシモフの大ファンなので、ロボット三原則が守られていない時点で、うわーこんなロボ愛せねー!とか思ってしまうのですが、アシモフの短篇に、「いくらロボットを愛しても相手は機械なんだからしょせん自己満足だ」という人に、「それでもかまわない。自分が相手を愛しているということが大切なんだ。」と答えるシーンがあります。
アシモフの作品に出てくるロボットが何とはなしにあたたかいのは、人間とロボットの交流が読者に気持ちの良いものを残すのは、きっとこういうところなのだと改めて思いました。
逆に言うと、この映画に欠けているのは、きっとこういうとろこなのだと思います。

そして急に思い出したのですが、「ムーミン」シリーズにモッラという女の妖怪が出てきます。すべてを凍らせるという極寒の地・北欧らしい妖怪ですが、ムーミンママがモッラのことを、「誰も愛さないからあんなに冷たいのよ」というシーンがあります。「誰にも愛されないから」冷たいのではなく「誰も愛さないから」冷たいのだ。
たいへん鋭い指摘であります。
そしてこれが愛の本質なのではなかろーかと思われます。
そしてデイヴィッドの何かが欠落している「怖さ」はここにもあるのでは…?と。

何の見返りを求めるでもなく、どんなときもただそばにいて見守っていてくれたテディ、ああいうのが愛というのではないかと思いました。(声がおっさんくさくて動きのキュートさとミスマッチで良かったです。)
そしてセクサイドのジョーを演じたジュード・ロウの演技が笑えたので、まだテディとジョーだけが救いです。ジュード・ロウはジゴロが非常に似合っておりましたが、自分のすごいきれいな顔と色男っぷりをもう笑いのタネにしているところに芸人の鑑を見ました(笑)。

元々キューブリックがアイデアをあたためていたというこの作品、だったらきっとデイヴィッドはHALみたいだったのでしょうか。個人的にデイヴィッドよりHALのが数倍好きだよ。(「デイジ、デイジー……」のシーンで涙します。)

…しかしハーレイ・ジョエル・オスメントくんの「子犬のようなかわいそそうな顔」は反則だろう、これ。
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by n_umigame | 2007-06-03 23:40 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)
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