『われわれはどこへ行くのか? 』 松井孝典著 (ちくまプリマー新書)筑摩書房

松井孝典さんと故カール・セーガン博士。
このお二人はどー考えても子供心にも右脳型だった幼いわたくしに、野望というのもおこがましい「天文学者になりたい」などという美しい夢を一瞬にせよ見せてくれた心憎い野郎ども(失礼な)(あやまりなさい)(ごめんなさい)でした。数学で満点取ったの中学の証明だけだった分際で今思えば寝言としか思えません。寝言にしたって正気かよという感じです。

そのむかし、「COSMOS」と「パノラマ太陽系」という宇宙をテーマにしたTV番組がありました。
番組の内容を理解していたとは思えず、その証拠にさっぱり中身を思い出せません。
今がんばって思い出しても、カール・セーガン博士が確か番組進行役の女性アナウンサーと話しているシーンでテーブルにバラの花が活けてあり、セーガン博士がそのアナウンサーに「ここにバラの花がありますね。このバラの花とあなたは同じものでできています。」と言ったところで「なんて口の巧い男なんださすがアメリカ人見習わねば。」(何を。)と思ったことしか覚えていないという、こんな子どもにあんな番組見せるだけ電力の無駄だー!!(自己嫌悪)

まあ気を取り直しまして、このたったひとつの一見しょーもない想い出ですら、セーガン博士はとても大切なことを言っているのだということを、今、この本を読んでしみじみと思い返したことでした。
セーガン博士はお上手を言ったように見えて、事実を述べておられたのですから。

項タイトルにもなっているのですが、「地球も自分の体も、地球のものであるということ」です。
突然何を言い出すのかと思われると思いますが、右脳型のわたしの説明を聞くよりもぜひこの本をお読み下さい。

著作は、人間は「地球システム」という有機的に密接に結びつき関連し合うシステムの中で生きており、その中でしか生きられないということ、このままエネルギーを使い続けるとあと50年で、どんなにがんばっても100年でこの「人間圏」のシステムは崩壊すること、(例えば今地球上の5人に一人を占めている中国の人がアメリカや日本のようなエネルギーの使い方をしたらどうなるか、少し考えればわかると思います)、われわれの体も国家とよんでいるものも地球にとっては意味がなく、地球ひいては宇宙から借りている物質で構成されており、「物」そのものには意味はなく「機能」を使って生きているということ、したがって「物」には意味がなく「機能」こそが大切なのだということ、そしていつかわたしたちは、この地球も太陽も、消えてゆく存在なのだということを、説教がましくなく、ただただ事実として述べています。(著者ご自身も「地球にやさしく」などという情緒的で空疎な言葉は地球のことを何も知らないからだ、と書いておられます)

ご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、セーガン博士原作の映画「コンタクト」にこんなシーンがあります。
父ひとり子ひとりだった主人公がやがて父親も亡くし、大人になって科学者になります。亡きあとも父親が大きな存在として主人公の心に残っていることを作品は描くのですが、やがて主人公の恋人(?)に「わたしは科学者だから、証拠がないことは信じないの」と言うと、恋人は少し黙ったあと主人公に「お父さんを愛してた?」と聞きます。「もちろん」と笑顔で答える主人公に恋人は聞きます。「証拠は?」

「科学者だから客観的に証明できないことは信じない」、これも真実だと思います。
でもそれだけでは人間は割り切れない、という、心の余裕や頭の柔らかさ、セーガン博士といい松井孝典さんといい、こういう部分が子どものわたしに「天文学者になりたい」などと思わせたのかもしれません。

日常の小さなことに振り回されて疲れているとき、「いつか今ある世界も全部消えてしまうのだ」とか「宇宙から見たら芥子粒より小さな小さな惑星にほんの一瞬だけ許されて住んでいるのだ」と思うことがあります。
それで目の前の問題が消えてなくなりはしませんが、視点を高くすることで楽になることもあります。お試しくださいませ。
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by n_umigame | 2007-09-19 18:14 | | Trackback | Comments(0)

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