「ほっ」と。キャンペーン

『国のない男』 カート・ヴォネガット著/金原瑞人訳(NHK出版)

カート・ヴォネガット遺作、ついに刊行!
2007年4月に永眠したヴォネガットが2005年に本国アメリカで刊行し、NY Times
紙のベストセラーになるなど、往年の読者を超え広く話題となったエッセイ集。
2007年1月のインタビューで、本書が最後の1冊となることを明言したことで、
日本においても刊行が待ち望まれていました。
著者自身のイラストで彩られた本書は、ヴォネガットの憤りを含んだ言葉と、彼
の愛すべきアメリカや人類すべてへ向けた優しい文章が詰まっています。時には
ジョークで、また時には絶望的に、そして常に鋭く......。


著者自身、この著作の中で「気がついたらSF作家と呼ばれていた」と書いていますが、SFというジャンル小説作家としてカテゴリーに閉じこめてしまうにはあまりに事実を損なう、アメリカを代表する作家であったと思います。
…と言っても、やっぱり、奇天烈としか思えない物語の展開だったりするので、昔はこういう作風を「SF」としか呼べなかった…概念がなかったか、語彙が乏しかったか、はたまたその両方の理由でSFと呼ばれたのだと思います。

が、しかし。

アーサー・C・クラークはSFである。Yes.
ロバート・A・ハインラインはSFである。Yes.
アイザック・アシモフはSFである。うーん、主な土俵という意味で、Yes.

しかし、レイ・ブラッドベリは? シオドア・スタージョンは? 
個人的に、SFかと問われると困ってしまううえに、彼らはone and onlyで他に類似の作家を見ない。そういう意味で、わたくしの中ではヴォネガットはこちらのグループに入ります。

小説は海外の作品を(翻訳で)読むことが多いのですが、なぜ海外の作品にばかり手が伸びるのかと自分で振り返ったときに、何とも言えないユーモアが心地よいということがあるのではないかと思いました。
第二次大戦後、「日本人の精神年齢12才説」というのがあったそうで、マッカーサーが”like a boy of twelve”と評したことが発端だったようなのですが、これに対して故・河合隼雄さんが「ユーモアが分からないからそんなふうに言われたんだろう」と解釈しておられた文章を読んだことがあります。(「きりきりまじめにやる」ことと「リラックスしつつ真剣にやる」ことは違うということも。)
まあ今だったら「それアメリカ人に言われるんですか。」とほとんどの日本人が思うと思いますが、日本の小説を読んでいてユーモアが感じられないものが多いという点においては同感いたします。

そしてもし自分の目で見える物だけが真実だと思いこんでおり、他の目線もあるかもしれないという可能性をかえりみない人を「子ども」と呼ぶならば、「子ども」にはユーモアはわからないでしょう。
「笑い」は客観からしか生まれないからです。
また、「笑いは共感の文化だ」と言った人がいるそうなのですが(ごめんなさいソースがわかりません)、笑いが共感の文化であるためには、そこに「笑いの対象への愛」があるかどうかということが大きく関わってくると思われます。

この本を読みつつ、大笑いしながら、背筋が伸びるような思いがしました。
ヴォネガットはこう書いています。

唯一わたしがやりたかったのは、
人々に笑いという救いを与えることだ。
ユーモアには人の心を
楽にする力がある。
アスピリンのようなものだ。
百年後、人類がまだ笑っていたら、
わたしはきっとうれしいと思う。


この本が早川書房あたりから出ず、しかも翻訳が金原瑞人さんだということも、いったいこの本を誰に読んでほしいのか、という思いがこめられていると思いました。
ですけれども、大人も読んでください。
[PR]
トラックバックURL : http://fwest.exblog.jp/tb/6210015
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by na-und at 2007-10-01 18:52
丁寧な書評ですね。
Commented by n_umigame at 2007-10-02 22:51
ありがとうございます(^_^)m(_ _)m

「書評」とおっしゃっていただけて、恐縮です。当ブログの感想は「激甘」か「ブラック無糖」で、「混ぜろ」という感じで申し訳ないです…。
by n_umigame | 2007-09-23 14:46 | | Trackback | Comments(2)

Welcome. 本と好きなものがたり。


by n_umigame
プロフィールを見る
画像一覧