『欧米探偵小説のナラトロジー : ジャンルの成立と「語り」の構造』 前田彰一著(彩流社)

探偵小説はいかにして文学でありうる可能性を秘めているのか。時代を超えた物語の内的構造の分析を試みる。


ナラトロジー(物語論)の観点から探偵小説を読み解くといった主旨の本です。
とても興味深く読ませていただきました。

探偵小説論というと、マニアや、ご自身が創作も手がける方が書いた、どうしても客観性や公平性という点で十分とは言えない著書が多い中で、こういった著作が読めることはたいへん気持ちがいいです。(視点や発想やその帰結が偏りまくった著書というのも、そこに敬意と愛情さえあれば、読んでいておもしろいので、いいのですが)
何と言いますか、「大人の人が書いた探偵小説論」といった印象でした。文学理論がご専門の研究者の方に向かって「大人の人」と申し上げるのもたいへん失礼な話ではあるのですが、ミステリの周辺書をあさっていると、意外と「大人の人」に出会えない気がするので、ご寛恕賜りますよう。(繰り返しになりますが、いいトシした人のその「子どもっぽさ」が笑えて楽しい、という本もあるので、一概にどちらが良いというものでもないのですが)

とはいえ、ご多分に漏れず(?)、この著書も、時系列に沿った「探偵小説」の発生とその発展の経緯と、いわゆる「本格推理小説」と「ハードボイルド」の対立という視点で書かれているので、そんなに新鮮で度肝を抜くという研究書ではありません。
むしろ感情的に個人の好き嫌いで書かれがちだったこの対立を、冷静に物語論の観点から読み解いていゆくというところに特長があるかと思われます。

「探偵小説はいかにして文学でありうる可能性を秘めているのか」という命題にに対する答えは、いちおう結論として著書に書かれているので、お読みください。
いかにもこじつけくさいといった、ありがちなミステリー論に堕することなく、きちんと落ちていますし、わたくしのような素人にも納得がゆく回答が提出されています。

…なのですが、やはり人間の書いたものに好き嫌いがまったく反映されていないなどということはなく(笑)。

結論から言うと、もし文学に近いという点では「本格推理もの」よりも「ハードボイルド」の方であり、それでも探偵小説としてのハードボイルドは文学にはなり得ない、なぜなら…とおしゃっていて、個人的な好みは「ハードボイルド」の方に軍配が上がるようです。

「本格推理もの」の探偵(「自称天才探偵」と表現されているところからしてすでに)に対する記述がもうえらい言われようで、読んでいて笑っちゃいけないのかもしれないのですが、(全然笑うような性格の本じゃないし)何度も何度も吹き出してしまいました。

例えばですね……
これに対して、エキセントリックな性格で、奇矯な生活態度のために、通常の人間社会から締め出され、実際生活では不能者たらしめられている少数の人間がいるが、彼らは正常な社会生活を送る人の眼には見えないような、不可能な痕跡や兆候を読み解いたり、解釈したりできる能力を与えられている。

とか、
「探偵は、どんな年齢の、どんな職業の、そんな情熱を抱いた人にでも感情移入することができなければならない。探偵の恋愛が、驚くほど乏しく、多くの場合にはまったく存在しないのは、おそらくそのためである。探偵は、独身者として機械のように生き、他者の要求によって動かされることを余儀なくされている。」

とか、いちいち核心をついているだけに、とほほです。

これに対してワトスンに代表されるような「凡庸で想像力のない」とされる、探偵の業績の語り手
たちの方は、言い換えると、情緒が安定しており、堅実な生活態度で、人間社会に社会人として適応しており、実際生活で高い能力を発揮している多数の人間、に該当すると言っているのも同じなわけで、本格推理ものの「自称天才名探偵」たちのとほほ感をいや増す結果となっております。

黄金期の探偵(この著者がおっしゃる"自称天才名探偵")が登場する作品を読んでいて、わたくしが感じていたことは、「名探偵」は単独では存在し得ないのではないか、あるいは存在していてもその魅力や輝きは半減するのではないか、ということでした。
つまり、「名探偵」の存在感が強くアピールされるのは、この著者がおっしゃるところの「他者」がいるからだ、ということです。
「他者」は、犯人であったり、あるいは事件そのものであったり(人間不在の"事件"は基本的に探偵小説ではありえないので)するのでしょうが、第一義的な「他者」はやはり、ワトソンに代表される「探偵の業績の語り手」あるいは「相棒」ではないでしょうか。
この著書では、この手法を編み出したのはE.A.ポーの功績であるとされています。きっとそうなのでしょう。

ワトソンさんはホームズがいなくても生きていけるし、ワトソンさん自身のその物語世界での存在意義や魅力は変わることはないけれども、ホームズはどうか。
高飛車でえばっているのはいつもホームズだけど、もし傷つけることができるとしたら、ワトソンさんがホームズを傷つけるほど深くは、ホームズはワトソンさんを傷つけることはできないのではないか。
この「ワトソンさん」と「ホームズ」の部分は各作品のキャラクターに代替可、ですが、あらゆるコンビものの、特に男性の書いた探偵小説を読んでいると、そう感じていました。

これは単に、自分のマイナー好きが原因で、探偵よりそのフォロアーに魅力を感じることが多いのでそんなふうに偏って見てしまうのだと思っていましたが、この著書を読んで、少し力を得た気がします。(もちろん、探偵が好きな作品もたくさんありますが)

それから、ハメットのリアリティあふれる文体などに触れられていますが、これは、ある程度社会人経験を積んだ人間にとってハメットの方がリアルに感じられるのはある意味当然かと思われます。
登場人物の知性や教養が作家の知性や教養を越えることはないのと同様、学校を出てすぐ作家になってしまった人の文章と、それなりに社会人経験を積んだ人の文章に差が出るのは当たり前です。
知性や教養が一朝一夕に身につかない代わりに、いったん身につければ誰からも奪われないその人の財産になるように、経験も、その経験自体が、誰からも奪われないその人の財産になります。
卓越した想像力と表現力で経験したことがないことを描くのが作家だとも言えますが、しかし、メッキは見る人が見ればカンタンにはげ落ちるものです。

なのですが、後者の生臭さが鼻についてやりきれないときもあります。
日々の生活に疲れているときなどはなおさらです。

黄金期の探偵小説の屈託のなさは、その人間性の不在や、子どもの持つ残酷性に相通ずるものが、読んでいてこわいときがあるのですが、著者のおっしゃるように探偵小説は「逃避の文学」なのであって、これはこれで良いのではないかと思うこともあります。
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by n_umigame | 2008-08-04 16:03 | | Trackback | Comments(0)

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