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*さいはての西*

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『クラバート : 謎の黒魔術』(2008) 感想そのいち。

O・プロイスラーによる世界的ベストセラー小説をCGを用いて映画化したファンタジー大作。17世紀、30年戦争のさなかに両親を失った14歳の少年クラバートは、長い放浪の末に、ある村の製粉所に受け入れられる。そこでは、同じような境遇の少年たちが生き生きと暮らしていた。しかし、実はそこは恐るべき黒魔術の学校であり、少年たちには「マイスター」への絶対服従が義務づけられていたのだった。自由になるには「マイスター」を倒すしかないことを知ったクラバートは、愛する少女カントルカとともに「マイスター」との魔法対決に挑む……。(ドイツ映画祭2008公式HPより)


@ドイツ映画祭2008 11月3日

以下、全面的にネタバレでまいります↓

かなり正直に語っておりますゆえ、一部の役者さんの熱烈なファンの方々には不愉快な思いをさせてしまうかもしれませんので、最初にあやまっておきます。ごめんなさい。



事前に得られる情報などからは、かなり原作を変えてしまっているか、俳優のネームバリューを重んずるあまり登場人物の比重が極端に偏った作品にしあがっているのではないか、という心配があったのですが、原作をピンポイントで重点を押さえた、良心的な作品にしあがっておりました。
ただそれがやはり裏目に出ているというか、よく言えば原作を大きくは損なわないということなのですが、悪く言えば、原作をまじめになぞっただけの作品と言えるかと思います。
監督なり制作者の、原作に対する過剰なまでの愛情を感じるというところまではいきませんでした。
つまりもっと言えば、この監督でなければ撮れないという作品ではなく、お金と技術が許せばだれでも作れそうなお行儀の良い作品だったということでございます。(ううう、監督にサインまでいただいておいて申し訳ない! 監督さんはとても気さくでサービス精神にあふれたいい方でした!)
原作がある場合、原作にすでにファンがついているわけなので、「スペアのきかない作品」は諸刃の剣ではあるのですが。

とはいうものの、やはり、人気俳優を配したトンダの比重が原作よりかなり大きかったと感じました。
原作でもトンダは重要な役割をするキャラクターですが、、原作のようにクラバートが自身の成長と自由のために乗り越えるべき壁である親方と戦う、というよりは、この映画では、親切にしてくれたトンダへの友情と義理から「トンダの復讐」のために、言い換えれば「仕返し」のために戦う、というような構図がクローズアップされ過ぎているように感じました。
作品としてのバランスを考えると、トンダは、ホラー映画などで必ず最初に殺人鬼などの餌食になる、「下手ふんで犠牲になった場合はこうなる」という「見せしめ」キャラの役割を振るだけでよかったかもしれないのに、出が多い上に原作ではすでに亡くなっているはずの恋人ヴォルシュラが死んで、どんどん憔悴していく様が丁寧に描かれるのを見せつけられるので、ここが作品全体の比重として重すぎる。
映画ではなかなか小説のように複雑で行間を読むような情報を盛り込むのはむずかしいので、どうしてもこのあたりは単純化されるきらいがあるのは仕方がないことなのかもしれませんが、原作のトンダが好きな人間にとってはかなり複雑な心境でした。(そして申し訳ないことに、ダニエル・ブリュールはわたくしのトンダのイメージとはだいぶ違いましたやはり。)

こっ汚い男がむさむさと集団で暮らしている様子が秀逸だったことといい、女との愛情より男との友情が重視されるのはしょーがないよなドイツだから。(←ど う い う 偏 見 だ)

で、トンダはもともとだれがやってもおいしい役に決まっているのでおいといて(コッラー!)、ほかのキャラクターのことなどについて。

まず最初からこれはないだろと思っていたのは実はクラバートです……。(すまん……)
特にポスターが公開されてからは、「なんだか口元がだらしないっつーか間延びしたっつーか、まの抜けたカオだなー…よりにもよってこの役者さん!? ドイツではモテモテなんですか!?」と理解に苦しんでおりまして、しかもどー見てもキミ、それ、14歳、ムリ!! と思っていたのですが、作中だんだん大人っぽくなっていく様子はよかったです。
でもこれも、他においしいキャラが出過ぎたせいか、親方との勝負の仕方がまわりのお兄さんたちに外堀埋められて、なしくずし的に勝負することになりました的展開で、しかも実際に戦ったのは彼女の方、という、ヒーローとしてはいかがなものかという感じだったところへ、ここだけはオレがしめなくちゃねとばかりにわざわざ「愛は勝つ」とか言ってしまった時点でがっくり度三倍増しになってしまいました。
そーゆーことは「語らずに見せて」ほしかった。
「トンダのために復讐する」というメンタリティがすでに受け身というか、動機が他者にあり、しかも憎しみに捕らわれている時点で原作のクラバートの良さがかなり弱められており、クラバートが勝てたのはクラバート自身が自分の人生を自分で切り開くんだ、そのためにはどうしても親方を倒すんだ、この人を自分は乗り越えて行かなければならないのだ、という決意が感じられませんでした。

トンダのことも、ソロを歌う少女のことも、もちろん自分の人生の行き先を決める重要なきっかけであってもいい。他人にまったく影響されない人生なんて無人島に住んでいない限りありえませんし、もし他人にまったく影響されずに生きている人がいるとしたら、それはそれで気の毒な人生です。
でもそれを動機にしてほしくない。
「トンダがむごい殺され方をしたから」「自分を好きだと言ってくれる人がいるから」を理由にするのではなくて、最後には自分で選んで決めたことだから、という強さがほしかった。
(ユーローが叱りとばしてくれたのがまだ救いでした。)
なぜなら、もしこの先、例えば長い人生で少女とうまくいかなくなったときに、動機を他に置くと、それを言い訳に使ってしまいそうだからです。

映画の最後は希望を感じさせる終わり方でしたが、しかしこのあと、きっと、ふつうに生活していくだけでもたいへんだろうなということは、想像に難くありません。

ハリウッド映画などでは安易に「自由=とにかく善」という構図で語られる話が多いですが、自由は本当はとても重いものです。
(サトクリフの『王のしるし』で主人公のフィドルスが奴隷から解放され、明日から毎日毎日自由なんだと思うと胃が冷えるような思いがした、というシーンがあるのですが、それが本質に近いのではないかと思います。)

ドイツ映画なので役者さんたちの演技が過剰にうれしそうではなく、しみじみと「……そか。おれたち、もう、ここ出ていっていいのか。自由か。自由なんだな。」という噛みしめたような茫然とした表情で演じてくれたのでまだ救われましたが。

長くなりましたので、わたくし的大本命「親方」とその周辺についての感想はまた改めます。
by n_umigame | 2008-11-04 23:39 | Krabat/クラバート