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『クラバート : 謎の黒魔術』(2008) 感想そのに。ダークサイド編

*引き続きネタバレです*

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さて、そんなこんなでいろいろと言いたいことがあった中での映画『クラバート : 謎の黒魔術』ですが、わたくしの大本命は名無しの親方、マイスターでございました。

映画の親方は、冒頭からいきなり両目で登場してまずそこにびっくりしました。
結局全編通じて両目の時の方が多かった上、なぜ眼帯をはずすのかという説明がなされなかったため、「隠すところは隠してくれないと萌え…いや燃えないよ!」と、聞きようによってはすごい感想を抱いてしまいました。

そしてこの役者さん、静止画でしか見ていなかった頃は目元が暗くて良いよ良いよ!と思っていたのですが、いざ大画面で動いているところを見ると、すごくやさしそうなんですよ。
うっかり(?)笑って(?)いる顔がアップになるシーンがあるのですが、元々丸顔というのもあるかもしれませんが、口元とかですね、いい笑顔なんですよ。
それはそれで、「根はやさしい男」バージョンで見せるというのも、映画作品としてありかとは思うのですが、そうまで思い切った策にも出ておらず。

原作の親方は酔っぱらうと「若いときのオレ」自慢を始めるという、まあ、どこにでもいる憎めない(けどいっしょに飲んでいるとはなはだうっとおしい)オヤジです。
洋の東西、古今を問わず出没する、オヤジは国境と時代を越えるという良い例と申せましょう。

そしてこれもよくある話なのですが、必ず「定番」(聞いている方が「また始まったよ…」と思う)エピソードがあり、親方の場合は定番第1話が「若い頃はモテた」、第2話が「イルコーという親友がいた」、この二つが持ちネタです。
問題は第2話です。

この話を語るときの親方は、イルコーと過ごした日々が親方にとってどれだけ充実して楽しかったかということが伝わってくるような、聞いている方が忘れられないような、そんな魅力にあふれています。そして、自分で殺しておいていまだに親方にとってイルコーは「親友」なんですね。

親方とイルコーのあいだに何があったのか詳しいことは結局わからないままなのですが、おそらくかわいさが余って例のものに変質してしまったのでしょう、このエピソードがあるからこそ、親方は単なる悪党ではないのです。

原作の親方は、おそらく読んだ年齢によってかなり印象が変わってくるであろうキャラクターだと思われます。
なので、大人になって映画にしようと考えた制作者の方たちが、なんとなくやさしい表情で撮れちゃったのをそのまま本番テイクにしてしまったのは、人間として同情をさそうような哀れさを感じさせる親方を、単なる悪党にできないよな、という気持ちが透けてしまったのではないかという気がいたします。

ただ、映画は時間が限られています。

『風の谷のナウシカ』のクシャナが原作では悲しい経歴の持ち主で、一部の部下にはモテモテで信頼も厚いのに、映画では単純な「悪役」「憎まれ役」を振られてしまっているように、映画ではもっと、親方のエゴイストでサディストで陰険な部分だけを照射して見せた方が、すっきりまとまったのではないかと思われます。

映画独自の設定で良いと思ったのは、年末になるにつれ見るからに老ける親方です。
こういうのは「絵」で見せることが出来る映画に向いている表現だと思います。
ただ、やっぱり「見せすぎ」だと思うのは、「大親分」(映画では「死」)の顔まで見せちゃったところでしょうか。だれも「死」を見ることは出来ないし、見たときはそれは今生の最期なのですから、「そこは伏せとけ」思いました。デザイン的にも既成のフィクションに似ているし……。

それから、原作では歯が落ちているだけのシーンで、はっきり人骨をざらざらと石臼に投入してしまったところですか。
「あれ、なんか落ちてる? ん? なにこれ?」…と、よくよく見たら人間の歯! というほうがよっぽど怖いと思うんですけれども、いかがでしょうか。(…と『サリー・ロックハートの冒険(1)』を見ていて改めて思いました。おそるおそる土を掘ったら人の歯だけが見えるシーンがあるのですが、これだけで十分「ギャー!!」となるので、イギリス人、さすが怪談スキー。巧いです。これが頭蓋骨だったらそんなに怖くなかったと思うなー。)

また、原作にない設定としては、「親方の代わりに弟子が誰か一人死ぬ」のが「親方と大親分(死)との契約である」というもの。
原作でもそう読めなくもないのですが、ここまではっきりとは描かれていません。(だいたい大親分が「イコール死」とは明記されていません)
クラバートに、もうこんな陰気くさいとこうんざり、わしは宮殿に行って一旗揚げる(?)から、おまえにここまかすわ、というようなことを言っていたりして(もちろん罠ではあったわけですが)、 のれん分けできるのかどうかはさておくとしても、むしろ、親方は水車小屋を出ていこうと思ったらいつでも出ていけると思わせるような、そんな気楽さを感じるくらいです。
なのですが、親方の最後の表情、茫然としていましたがなんとなくすっきりしたような、これでやっと自由になれるんだとでも言うような、そんなふうに見えました。
個人的に原作の親方は、きっと「クラバート」を待っていたのだと信じているので、あの最後の表情は良かったなあと思います。(役者さんがいいんだなあ、やっぱり。)
カレル・ゼマンのアニメの親方は最後「バコッ」と割れる(文字通り割れる…)ので、はっきり「この人は悪いことをした報いを受けて終わった(ろくな死に方しなかった)」とわかる見せ方になっています。やはり子ども向けだったんだなあと思います。

まだまだ感想を書きもらしている気がするのですが、また反芻してから(笑)にしたいと思います。

ドイツ映画祭のときに親方の役者さんが来日されていたらぜったいツーショットをお願いしていたところなのですが。(大迷惑)

いろいろと書きましたが、『ゲド戦記』のハリウッドドラマよりはずっと制作者の愛情を感じましたし、こぢんまりとはしていましたが、良心的な作品ではあったと思います。

ところで、花岡十太さんからの情報で、日本での公開は予定されていないとのことです。
確かに地味ですが、全国数カ所ミニシアターで1~2週間程度、1日1回限定で公開したらどうかなあ。
少なくともDVDは出るでしょう。(あのハリウッドゲドですら出たのですから…)
ハリウッドゲドの役者さんとクラバート役の役者さん、なんだかスペックが似ている気がするのですが、昨今の流行の「ファンタジーの主役」はこの系統の俳優さんなんでしょうか?
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by n_umigame | 2008-11-10 23:06 | Krabat/クラバート | Trackback | Comments(2)
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Commented by atsuko at 2008-11-13 22:36 x
お待ちしていました、親方編(笑)
私たちが大好きな親方は「過去」があるからこそ(?)なのですね。
酔っぱらったらイルコーについて語り出し、勝手に記憶を切り売りし勝手に泣き出しふて寝するような…
そういう過去を明らかに出来ない以上、あのような描写になってしまうのはしょうがないような気もしますが、私もあの職人たちと仲良く酒を飲んでいた(ように)見える親方に違和感が。あのときになんだか親方いい人に見えちゃう…と何となく焦ったような気がします。
そこら辺は映画だから妥協するしかないのだろうとも思いますが。
やはりニセミさまのご指摘は厳しくも的確です。

pdf、開けてよかったです。迷いながらこちらにコメントさせていただきました。
Commented by n_umigame at 2008-11-23 22:31
平さん、ものすごーーくお返事遅れてすみません!!
ええーなんで親方がいいひとだったら「焦る」んですかー(笑)。
お隣で焦られていたとはついぞ存じ上げず申し訳有りませんでした・・・。

うん、今思い出しても映画の親方のラストシーンは良かったかもしれないなあと思っています。
もし子どもだったら「悪いやつは死んじゃえばいいんだ!」と何の疑問も感じずに残酷な感想を抱けたと思うのですが、大人になっちゃうと、理由もなくあんな人間になる人はほとんどいない、ということがわかってしまうわけで。