*さいはての西*

fwest.exblog.jp
ブログトップ

『WALL・E/ウォーリー』(2008)

うーん、ピクサー作品だと思って期待しすぎたかな。

ネタバレあります!











どうもイヴが登場したあたりからボタンの掛け違えが、自分の中にはあったようです。細かいことがひっかかって、素直に堪能できませんでした。

「ただあなたがそばにいる幸せ」を描くのに手っ取り早いのは「恋」だということはよくわかります。
「ただ手が触れただけで体いっぱいに満ちるような幸せ」を描くのに手っ取り早いのは「恋」だということも、よーくわかります。

しかし、それは、男女の恋でなければ描けないものではないのではないかと。
もっと普遍的で大きい意味での「愛」だったらいかんのかと。
(『ニモ』(未見)で親子愛を使っちゃったから?)

特に主人公がロボットだからそう思ったのかもしれません。

おそらく、この作品にロボット以外登場しなかったら、また違ったかも知れません。
人間が登場するまでは本当におもしろかったのですが、人間が出てきてしまうと、どうしてもロボットは「性能はいいけど、自我があるように見えるけど、機械」ということが前景化してしまう。

ロボットたちが擬人化された存在であるということももちろんわかります。
しかし、あの故障したロボットたちが集められた部屋のシーンで「これは”デザインを人間で表現するとまずいキャラクター”だけをロボットにしたのでは?」と思ってしまいました。
あの部屋は精神科病棟ですね。
ロボットたちの行動が、「自分の頭をガンガン缶のフタ?で殴る(ほかのバージョンとして壁にぶつけるというのも)」「突然凶暴化する(そのあと拘束帯をつけられていましたね)」などなど戯画化された精神科病棟として映画などでよく描かれるシーンそのものでした。

ゴミを自分たちで処理しきれなくなり、人間にまるごと打ち捨てられた地球、というディストピアから始まる作品ですから、ブラックジョーク上等なのですが、ピクサーだしね?ディズニーだしね?と思って見ている者にとっては違和感だけが残ります。

肥大化した大量消費(=大量廃棄)社会、歩かないから自分の脚で立つこともむずかしいくらい肥え太った人々が、過剰に自動車に依存するアメリカの揶揄であることは誰にでもわかります。

バーチャル世界の相手と1日中くだらないことをしゃべり続け、「青が流行る」と言われたら一斉に青に着替える人々(色の変化もバーチャルであることがわかります)、というのは、おそらく目の前に生身の人がいるのにそれを見ようともせず、携帯電話やEメールやインターネット世界だけでつながろうとし、それで安心している人々の揶揄であり、コマーシャルやメディアの言うことを安易に鵜呑みにする人々の主体性のなさに対する揶揄でしょう。
また、バーチャル世界への依存というのは、実体の伴わない巨額の「カネ」に狂奔していた、ウォール街の人々への面当てなのかもしれません。

けれども、それ、子どもに見せなくてもいいじゃないですか?

ラストも、立てないほど足腰の弱った、おそらく無菌室のようなところで生まれ育った人間が、荒廃した(ゴミの山の、ゴッキーしか生き物らしい生き物が生存できなかった)地球で生き延びることができるのか、実際問題たいへん疑問ですが、そこは子ども向けということで了解しましょう。

でも、ことほどさように、この作品のターゲットがわからないのですよ。

大人は大人、子どもには子どもの楽しみ方があるというのが、傑作ではあるのだろうとは思いますが。

『モンスターズ・インク』のNG集といい、ピクサーはメタフィクショナルな手を最後に持ってくるのが好きなのかもしれませんが、この作品でも最後に「BNL」社のロゴで終わりますね。
これは、「今ご覧いただいた映画も我が社の製品です。お金を払ってくれてどうも」ということなのでしょうか。
これもちょっと最後に考え込んでしまいました。

映像はたいへん美しく、イヴが飛ぶシーン、宇宙でのウォーリーとのダンス(消化器のところ)などは、すばらしいと思いました。


ほかの方の感想を読んでみようと、ブログなどをぐるぐる巡っていたら、この作品は『旧約聖書』の「バビロン捕囚」を下敷きにした物語である、という解釈をしている方がいらっしゃいました。

エレミヤ書29章10節
「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

なるほど。
バビロンを地球、70年を700年に置き換えるとぴったりです。

あと、エンディングが、エジプトの壁画風から始まり、スーラ(風)、ゴッホ(風)、最後はファミコン風で終わるのですが、あの植物の若苗の入っていた靴もゴッホの「古靴」ではないかという解釈がありました。
ゴッホの「古靴」は解釈が割れているようですが、この解釈をされている方は「靴は労働の象徴である」と書いてらっしゃいました。

地に足をつけて汗水たらして働くのが本当の労働である、ということなのでしょうか。やっぱりアメリカのバブル経済への揶揄を感じますね。

でもお金がないとアニメも映画も作れないのよ…というところが痛し痒しですね。
(アナログ描きのわたしなんてペンと紙があれば電灯料金以外電気代もいらない低予算です。てゆうかわたしと比較すんなって話です。)
「その何十億ドルってカネ、俺たちにくれ!」という叫びが聞こえるようです(笑)。
ルネサンスの芸術家たちにはパトロンがついていました。
やはり芸術には、芸術家たちにのびのびと才能を発揮してもらうには、パトロンが必要だと思います。
[PR]
by n_umigame | 2009-06-01 19:29 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://fwest.exblog.jp/tb/9804248
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。