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『源氏の男はみんなサイテー : 親子小説としての源氏物語』 大塚ひかり著 (ちくま文庫)筑摩書房

なぜ『源氏』の男たちはかくまでサイテーか?『源氏』の男たちは、「親子関係」の中でとらえて初めて、その男女関係も理解できるのだ。『源氏』は愛の物語、親子関係と恋愛関係、愛という同じ穴のむじなに生きる人たちの物語である。それは読み手の恋や親子関係に重なって、私たちの心をほぐし開いていく。幸せって何?という問いかけをはらみながら。


先日、『男が女を盗む話』の感想のところで言いかけたら刺客(?)に襲われて(?)最後まで言えなかったセリフまんまのタイトルの本があったよーな…と記憶をたぐっていったところ、ありました。

著者の方の、源氏キャラに対する評があまりにも自分の言いたかったこととバッチリ★マッチ、唯一わたくしが「もしこの中で一人選べ」と言われたらこのキャラしかいないわね。と思っていた伊予介に対する評までマッチで、こわくなるくらいでした。
(は? 伊予介ってだれって? 空蝉のダンナの受領ですよ。 ん? 「またオヤジじゃん!」とか言わないの。 著者の言葉を引用すると”どっしりとした貫禄のある、大人の男”で、冗談の一つも言いたくなった光源氏が”わけもなく、まぶしい気持ちになる”ような希有な男ですよ。光源氏と伊予介では身分が全然違うわけで、その光源氏が気後れするくらい、” とにかく「伊予介は、人がバカにしていいような水準の男ではない」ことが読者に示される。”と。いちいちそのサイテーっぷりを描かれる『源氏物語』の中ではめずらしく紫式部の愛(?)が注がれたことが伺えるキャラなんですよ。でもここまで書いておいて「女に都合が良すぎてつまんない」と最後には一刀両断なんですけれども(笑)。)

著者のキャラクター分析は非常に微に入り細を穿つと申しますか、例えば、夕霧。
”一見、とても男っぽいのは、根が女々しいので、男らしくあろうと気を張っているせいなのだろう。”というような調子で、非常に説得力があります。
目のいい人は同じようなところを突いてくるなあと思ったことに、ル=グウィンさんがやはり、こういうようなエセ・マッチョの脆さが大嫌いで、『ゲド戦記』の4巻を読んでいるときひしひしとそれを感じました。(例えば、”ゲドがふきん一枚で自分の男らしさが失墜すると思わなければいいんだけれども”と、テナーに思いやられるシーンがあるのですが、それまでわたくしは男らしさについてこういうふうに考えたことがなかったので、蒙を開かれたような思いをしたものでした。ここで言う「ふきん」はもちろんメタファですが、確かに、ほんものの男らしさはそんなことではゆらぎはしない、という自信に裏付けられているものだと思います。)

しかしこの著書のすごいところは、ただ源氏キャラのサイテーっぷりを、会社の女子更衣室で交わされるグチレベルでだらだらと垂れ流しただけの本では、決して、ないことです。

キャラクター分析の深さは上述したとおりですが、サブタイトルの「親子小説としての源氏物語」、この焦点もまた秀逸だったと思います。

源氏物語の登場人物たちの問題点が親子関係に帰す部分が多いと思われること、また実際に物語中で描かれる親子関係について、そして最後には個としての自分自身の存在についてまで突き詰めて語られていきます。

そもそも「高貴な男との結婚も出産も女を幸せにはしない。たとえ限りなく愛されたとしても」と、オープニングで宣言された物語が、なぜ、宇治十帖という、どんどん閉塞していくような章が必要だったのか。
世間的には贅沢だと一喝されるような、光源氏の妻たちが抱える「わかりにくい不幸」が、むしろ現代人にこそ理解できる不幸ではないのか。
そして、「私はなぜ不幸なのか。」という問いに集約される。
紫式部の悪の化身とも言える源氏のサイテー男たち。彼らは女を決して幸せにはしない。
宇治十帖に至るまでは、夫や父といった男たちが女を不幸にするのだという視点で描かれてきた。それが、宇治十帖に至って、問い直される。
「不幸は人のせいなのか?」と。

著者の導き出した結論は、(解説の米原万里さんも書いておられますが)思わず涙ぐんでしまうほどでした。

光源氏サイコー! という視点からは決して生まれてこない、すばらしい源氏物語の読み方がここにあります。
長年遠ざかっていた『源氏物語』を、改めてもう一度読み直したくなりました。


*追記*
解説で米原万里さんが「もう一度源氏を読むとしたら、今度はぜひ大塚ひかり訳で」と書いてらっしゃるのですが、なんとなんと、大塚ひかり訳『源氏物語』が出るんですね!
もうすぐです。
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by n_umigame | 2008-10-31 01:42 | | Trackback | Comments(0)

『できそこないの男たち』 福岡伸一著 (光文社新書) 光文社

<生命の基本仕様>----それは女である。
本来、すべての生物はまずメスとして発生する。
メスは太くて強い縦糸であり、オスは、メスの系譜を時々橋渡しし、
細い横糸の役割を果たす「使い走り」に過ぎない----。
分子生物学が明らかにした、男を男たらしめる「秘密の鍵」。
SRY遺伝子の発見をめぐる、研究者たちの白熱したレースと
駆け引きの息吹を伝えながら
≪女と男≫の≪本当の関係≫に迫る、あざやかな考察。


うーん。

かなり微妙な読後感でした。

「ミジンコは環境が悪くなるとオスが生まれる」という説(?)をかつてどこかで読みました。
それで、生物の基本形はメスで、オスはメスのミューテイションである、という説の裏付けというか最新の仮説を展開してくれる本かと思い手に取ったのですが、そういう意味ではちょっと期待はずれでした。

また、「子孫を残す」ことが究極の目的であるならば、合理的に考えると、こんなにオスは必要ないのに、なぜ、ほとんどの生物はオスとメスの比率がほぼ1:1なのか、ということも説明がなされていないところも食いたりませんでした。

科学エッセイなのですから、この(申し訳ないけれども)お世辞にも上手とは思えない小説めいた章は省かれて、ズバッと客観的に書かれた方がよかったのではないかと思いました。
このノンフィクションチックな部分と客観的な文章の部分がちぐはぐで、、読み終わったあと何を読んだのだかいまひとつ印象に残らないと言うことになってしまったのではないかと思われます。残念です。

著者は『生物と無生物のあいだ』でブレイクされたようですが、それ以前に『プリオン説はほんとうか?』という著書を出しておられて、こちらの方がおもしろかったです。(ちょうど『眠れない一族』(感想はこちら)を読んでプリオン病に興味がわいたころだったこともあり)

ちなみに、先ほどアップした映画の感想にカマキリのイメージを挙げましたが、この本にまさしくそういう比喩が出てきて、「オスって悲しいよな…」という描写がこれでもかと出てきまして、男性化を決定づけるSRY遺伝子を「貧乏くじ」と言って、これをひいちゃったら運悪くオスに生まれるんだという描き方はユーモラスで楽しかったです。

語弊を招くことを承知で申し上げると、この本を読んでいると、ヒトのオスがなぜあんなにも、どこかしら心身ともに不安定そうなのかということの一因をかいま見たような気になります。
(ものすごーーーく悪い例えですが、そして素人考えであることを強調しておきますが、一例で言うと、犯罪者の男女比です。)

そして、合理的に考えると、本当に、こんなにたくさん、オス、要らないです(笑)。

確かにそのとおりだと思うのですが、でも、オスのアンバランスさ、言い換えると、一事にのめり込んでしまう脇目を振り向かなささが、良くも悪くもこの世界を楽しくしていることも間違いないかと思うのです。
ミジンコの例に戻ると、メスだけの世界は平和で安定しているのかもしれません。
でもきっと、それはそれでつまらない世界なのかもしれないです。
(とでも思わないと、昨今の世界はやってらんねえよ、という説もあるかもですが。)
こんなこと言うとフェミニストの方々から石投げられるかもしれませんが(笑)。
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by n_umigame | 2008-10-30 20:13 | | Trackback | Comments(3)

見た映画メモ(2008.10.)

『青いドレスの女』(1995)
 →W・モズレイの『ブルー・ドレスの女』の映画化。1940年代のロスが見たくて見たので、そこの雰囲気は良かったのですが、ストーリーのテンポが悪いので間延びしたような印象でした。
この作品のキモである「謎」は、エラリイ・クイーンのあの作品と同じです。
 小説だと、この主人公が私立探偵になる経緯にそんなに違和感を覚えなかったのかもしれないですが、こうやって映画で見るといまひとつ説得力ナッシンですねー。

『ウィッカーマン』(2006)
 →1973年のオリジナルがレンタルになかったので、とりあえずこのリメイクを見てみました。
(ちなみにオリジナルは『ホット・ファズ』の数々ある元ネタのひとつなんだそうで。)
 謎かけの導入部などは悪くないのですが、これもいかんせんテンポが悪いです。あと30分くらい縮めても良かったのかも。
 こういう「救いのないブラックなオチ」は、イギリスの人が描くとブラックながらも笑いへとスライドする部分があってまだいいのですが、アメリカの人が描くと、皮肉やユーモアが文化資産として根付いていないせいかまじめすぎて、虚脱感だけが残ってしまいます。
 主人公は、何だか、頭からばりばりメスに食われているのにまだ交尾しているカマキリのオスというか(ちょっとちょっと)、逆ナンでひっかかって一夜を過ごしたあと、まんまとそのまま子どもたちのエサになっちゃったクモのオスというか(ちょっとちょっと)(クモ母「はい、今日のごはんはお父さんよー」クモ子どもたち「わーい」)を連想させる痛さがありました……。(わかりにくい比喩ですみません…)
 アメリカは空前のミソジニー(女性嫌悪)の国だと指摘されたのは内田樹さんですが、こういう映画を見ていると確かにそうとしか思えません(笑)。…というか女性恐怖なのかなあ?(ル=グウィンさんもそんなようなことをどこかで…)
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by n_umigame | 2008-10-30 19:17 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)

『王と鳥』(1980)

砂漠の真ん中に聳え立つ孤城に、ひとりの王が住んでいた。その名も、国王シャルル5+3+8=16世。わがままで疑心暗鬼の王は、手元のスイッチ一つで、気に障る臣下を次々に「処分」していった。望みさえすれば何ものでも手に入れることの出来るはずの王シャルルは、しかし、ひとりの羊飼い娘に片思いをしている。城の最上階に隠された、秘密の部屋の壁に掛かった一枚の絵の中に、その美しい娘はおり、隣合わせた額縁の中の、煙突掃除の少年と深く愛し合っていた。嫉妬に狂う王を後に、ふたりは絵の中から抜け出し、一羽の鳥の助けを借りて城からの脱出を試みる。(Wikipediaより)


ジブリが自ら「原点」と呼ぶというフランスのアニメーション。
1953年の作品『やぶにらみの暴君』のリメイクだそうです。

科学なんだか魔法なんだかよくわからないファンタジックな世界、レトロな、けれども、見ようによってはグロテスクなメカなど、確かにジブリの作品で見たよこれ、というシーンやデザインがてんこもりの作品でした。
ジブリ--ひいては宮崎駿のメカが偏執狂的なまでの書き込みによってそのグロテスクさをかもしだしているとしたら、この作品のメカは、そのあまりにもシンプルなデザインがかもしだすグロテスクさが怖いと言えるかもしれません。
王の警察が乗っている水上バイク(?)のデザインなんか、それ、鯉なの? キモカワなんだかなんなんだかわからないデザインです。けっこう好きです。(告白)
最終兵器(?)として登場する巨大ロボも、どー見ても、顔は踊る埴輪。絶対このデザインを考えたフランスの人は日本の埴輪をどっかで見てますね。ヨーロッパでジャポニズムがさかんになった頃あたりに埴輪も展示されたことがあったのでしょうか。 巨大ロボの機関室が楽器というのもスゴイ。

ただ、ジブリの作品が全体的に明るく突き抜けた、エンタテインメントに富んだ世界で完結していることが多い(最近の作品は一概にそうとは言い切れませんが…)のに比して、画面から受ける印象がどことなく陰惨な印象を受けてしまいます。
色合いがシックで、流れる音楽がもの悲しいということもありますが、やはりこの世界から発せられるメッセージが重いということもあるかと思われます。

最初に『やぶにらみの暴君』が作品が発表された1953年というと、まだヨーロッパの各地にも第二次大戦の爪痕が生々しく残っていたと思います。
母国の国土が空爆やその他の侵略の対象になったかならなかったかの差、というのは、おそらくものすごく大きいのだということを、アメリカの姿を見ていると、思うことがあります。(そして、20世紀になるまで異民族との戦争も国土の侵略も経験したことのなかった戦前の日本を思っても。)
その国にある建物や木々や個人の家々、町並みが破壊されるということは、単に物理的にものが壊れたということだけではないのだということを、非常に考えさせられます。

この作品の「王」、こっけいなまでに独裁的で孤独な王が、きっとヒトラーや絶対王政のメタファなのだろうということは安易に想像できます。
ですが、では、独裁者からの抑圧から立ち上がったはずの、自由の象徴の「鳥」が、独裁者から奪った「最終兵器」を扱いかねて、国土そのものまで灰燼に帰してしまい、「鳥」が助けたかったはずの「下層に住む生き物(人もライオンも)」からも見捨てられてしまう、というのは、何が伝えたかったのでしょうか。
フランス革命のあとの恐怖政治などからも、フランスの人々は、独裁も良くないけれども、そこから極端に反対に振り子が振れるおそろしさも十分に知っているはずで、それを表現したかったのでしょうか。
ラストシーンで、廃墟の中にそびえたつ「最終兵器」ロボの影の下から、悲しげにロボを見上げながら荒涼とした砂漠へと逃れるライオンや人々の表情、ロダンの「考える人」のポーズで動かなくなるロボ。
いろいろと象徴的です。
(ロダンの「考える人」は、元々ダンテの『神曲』に登場する「地獄の門」の一部として作られた作品なのだそうです。そしてダンテの「地獄の門」と言えば、「汝等、この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」でございます。深すぎて怖いですよこのアニメ…!)

そんなふうにいろいろと考えさせられてしまうアニメなのですが、単純にアニメとして見てもそれなりに動きがきれいで楽しい作品でした。
スッキリとはしませんが。
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by n_umigame | 2008-10-30 18:30 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)

ハローキティ×カモノハシのイコちゃんぬいぐるみ

先日、朝○新聞の3面記事のコラム欄で見たときは、朝から開いた口がふさがらんというか二の句が次げん状態でございましたが、まじまじと写真を見るとさらに……。

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画像はトレインボックスより。

これさー。

ファンなら買うさ。

特にコレクターなら何でも買うさ。

でも、お互い、何か大切なものを犠牲にしてしまったのではなくって?

トレインボックスの紹介文もやけっぱちですよ?
世界中の女の子を夢中にさせる、愛されキャラのキティちゃんと、鉄道ファンを夢中にさせるちょい悪キャラのイコちゃんとの衝撃コラボ商品!
この強烈キャラのキティ×イコちゃんを是非、あなたのご家族の一員にしてあげてください。

まさしく衝撃です。
「あなたのご家族の一員にしてあげてください」と言われてもこれだけはごかんべん…!!(涙)

11月1日発売です。
お買い求めになった方は、ぜひ、ご感想をお聞かせくださ……え? 買ってきたらそのまま押入にゴー? いやいやそう言わんと。
こんなこと言ってて蓋を開けたらうちにいたらすみません…。

ところで、イコちゃんファンのみなさま、駅名ストラップの攻略は順調にすすんでいらっしゃいますか? わたくし、まだ3こです(泣)。20この道は遠いですねえ…。
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by n_umigame | 2008-10-29 12:28 | ICOCA/イコちゃん | Trackback | Comments(0)

劇団P・T企画「見えない証拠」

チラシが届きましたのでご紹介~♪

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最寄り駅は「西中島南方」のようですが、場所はJR新大阪駅からでも歩ける距離みたいです。
今から楽しみです~vv
来週はいよいよクラバートの映画だし、ここのところ楽しみが続くなあっvv 遊んでばっかだ?いやいや、仕事もしてますともええ。

今回の「見えない証拠」は『アフリカ旅商人の冒険』が原作だと思われますが、この短篇は、エラリイの年齢設定に関する矛盾が明記されている1作としても忘れがたい作品となっております(笑)。(1905年生まれだったとしても合わない)
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by n_umigame | 2008-10-27 23:25 | *ellery queen* | Trackback | Comments(0)

『怖い絵』 中野京子著(朝日出版社) 

読み終わった後、もう一度絵を観てください。ドガ描くプリマ・バレリーナが、ホガース描く幸せな家族の肖像画が、ブロンツィーノ描く『愛の寓意』が、一変します――名画にひそむ、心胆寒からしめる恐怖の物語。本書を読めば、絵画の見方が変わります。


出遅れ感がありますが。
1の方です。

おもしろかったです。
でもって、本当に怖かったです。

この中で、やはりどれが怖いって、やはりストレートにゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」です。じっと見ていると、見ている方の心の深淵まで見透かされそうで、この狂気が伝染しそうで、ものすごく、こわいです。

ホガースは、ホガースのイメージが「ジン横町」とかああいったブリティッシュテイストあふれる絵だったので、最初に作品だけ見たときは「ええーこんなきれいな絵も描くんだ。」と思いましたが、著者の方の解説を読むにつれ、「そうだよなあー…あのホガースが”きれいな”絵を描くわけないもんなあ…」としみじみとしみてきたことでございます。

マリー・アントワネットの絵も、怖いというよりは悲しい絵だと思っていましたが、なるほど、描き手の心根の卑しさまでにじみ出てしまうという意味では、そら、こわいです。
芸術の「げ」の字の点の一個を名乗るのもおこがましいものの、くさっても絵と呼ばれるものの切れ端を描く身としては、自分の描くものには、自覚すらないものが隠れようもなく露出してしまうことがあるのだということを、改めて心したことでございます。

ひとつひとつの解説に感想を書くのも無粋な気がいたしますので、ぜひお読みください。
わたくしはあまり絵を「これは何の象徴だからこうだ」という見方で見ることが少なかったので、たいへん勉強になりました。

しかし、芸術作品というものは普遍性を持つもので、それが芸術の芸術たるゆえんではないかとも思います。
あらゆる時代、あらゆる国、あらゆる人々の、あるときは心の奥底に浸み、ある時は自分を映す鏡にもなるものですので、様々な解釈や見方があってしかるべきだとも思います。
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by n_umigame | 2008-10-19 21:17 | | Trackback | Comments(0)

『あるいは裏切りという名の犬』(2004)

パリ警視庁BRI(探索出動班)主任警視のヴリンクスは、BRB(強盗鎮圧班)主任警視のクランとともに次期パリ警視庁長官と目されていたが、その性格はまったく異なっていた。 BRIチームは仲間の送別会の色紙代わりにパリ警視庁の看板を剥がしてくるような荒くれ者の集まりだが、ヴリンクスのもと厚い信頼で結ばれていた。一方のBRBはクランの強い統制下にあり、両者は水面下で激しく対立していた。 おりしも重火器を用いて現金輸送車を襲撃する連続強盗事件が発生。被害総額200万ユーロ、死者9名にのぼる凶悪事件に、マンシーニ長官はBRI、BRB両者に檄を飛ばす。マンシーニはヴリンクスを別室に呼び、近々自分が昇進する予定であること、犯人グループを検挙した者を後任として推すつもりであること、できればヴリンクスを後任としたいと考えていることを告げる。あせったクランは長官に自分の指揮で犯人グループを検挙したいと訴えるが、ヴリンクスの援護に回されてしまう。 犯人グループの次期目標をしったBRIチームは現行犯で捕らえようとするが、功をあせったクランが暴走。犯人グループと銃撃戦になる…(Wikipediaより)


ひとことで総括すると「情けは人のためならず」ということでしょうか。
最後のどんでんがえしが利いています。

この映画は『こまねこ』を見に行ったときに映画館にチラシが置いてあり、おもしろそうだなーと思っているうちに見はぐったといういつものパターンでした…。

フランス語の口の中に籠もったような発音と、ほぼ全面モノトーンや中間色で通される画面、(おや、と思ったのは警察葬のときのフランスの国旗くらいでした)ハリウッド映画のように”言葉”で語らず、視線や、ちょっとしたしぐさでやりとりされるコミュニケーションなど、ぐっとおさえた中にも張りつめた緊張感が最後まで続く佳作でした。

久しぶりにジェラール・ドパルデューの憎まれ役(ドニ・クラン警視)を見たような気がしますが、対するダニエル・オートゥイユ演ずるレオ・ヴリンクス警視の方も、警察という組織の中で有能なのに野心を持たない危険さを自覚しないという意味で、同じくらい危ない人間であります。
ヴリンクスは、大義のためには小事は不問に付すという清濁併せのむ度量の大きさや、おかしいことはおかしいという正義感の強さ、弱い者への慈悲、清廉さ、友人への誠実さなどが一部の部下にはモテモテですが、こういう人間が組織の中ではある意味とても危ない存在であるということも容易に想像できます。

クランはヴリンクスとはかつて親友で、同じ女性を愛したもののみごとにふられたらしく、2人の共通の上司はヴリンクスに目をかけ、仕事でも昇進で負けそうになります。しかも、ヴリンクスに与えられようとしている、自分がのどから手が出るほど欲しい地位も権力も、当のヴリンクスはぜんぜん興味ありません。
そして、汚い手を使ってヴリンクスを追い落としにかかるのですが、おかげで自分の妻にすらケーベツされてしまいました。(とはいえ「自分の妻に尊敬された英雄は世界にほとんどいない」という名言がございますが…)

このあと、表向きの華やかさとは裏腹に淡々とみじめさが漂うクランなのですが、その過去の2人の因縁についてはほとんど何も語られないため、クランがなぜここまでヴリンクスとこじれ、愛情の歪んだ裏返しとしか思えないような執着が始まるのかが、いまひとつわかりませんでした。
おそらく、ある種の男性にとって、異性関係がらみの嫉妬は何とか乗り越えられても、仕事で負けるという嫉妬だけは耐え難いのではないかと想像いたしますので、もう少しこの過去の因縁を描いてくれたら、クランの「あいつには女でも負けたし仕事でも負けるのか俺は、キー!!」という黄色いんだかどす黒いんだかわからないジェラシーが伝わってきて良かったのではないかと思いました。

おそらくクランとヴリンクスは非常に似ていて、同じ手の表と裏なのかもしれません。
どちらがどちらの人生を歩んでいても不思議でなかった。
それでも最後の最後でヴリンクスを救ったのは、やはり愛し愛される人がいた、この差だったように思われます。(クランの奥さん、どー見てももう冷めてますし。)

ハリウッドでのリメイクも決まっているそうですが、一気に話が単純になりそうで心配です。

原題は”36 Quai des Orfèvres”「オルフェーヴル河岸36番地」。
メグレ警視ものでも頻出のパリ警視庁の所在地ですが、メグレ警視ものを読んでいると、「オルフェーブル河岸」と言うだけでパリ警視庁を指すこともあるようです。
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by n_umigame | 2008-10-19 20:15 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)

78年製のコルベットを手作りでバットモービルに改造

>私信。 鳩三礼さま

おもしろい記事を「らばQ」さんで見つけました。
もうご存じかもしれませんが。

78年製のコルベットを手作りでバットモービルに改造
すごいっすね、これ(笑)。

鳩三礼さん、この車で知らないお兄さんにナンパされてもついてっちゃいけませんよ?

しかし、下の、デロリアンに改造しちゃったのもすごいですが…!
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by n_umigame | 2008-10-15 23:35 | 日々。 | Trackback | Comments(0)

見た映画メモ

最近出張から解放されたので、またちょこちょこDVDを借りたり、BSで録っておいた映画が見られるようになりました。

が、感想を書くのが追いつきませんので、いちおう見たということだけでも忘れないようにメモをば。

『ビッグ・トラブル』(2006)
 ★サイモン・ペグつながりで。舞台はアメリカということになっているのですが、どこがアメリカなんじゃと思うくらいブリティッシュテイストあふれたブラック微糖映画でした。(通貨が「ドル」だったので、「えっ、ドル!?」とテレビに向かって確認しました。) ケッ作です。

『十二人の怒れる男』(1957)
 ★鳩三礼さんのブログを読んでいたらむしょーに見たくなりました。わたくしが言うのも不遜ですが、すごいぞこれ。

『歩け! 走るな』(1966)
 ★ケーリー・グラントの引退作。ドラマ『エラリー・クイーン』のエラリーことジム・ハットンも出演。当時東京ではタクシーの初乗り100円だったのか。ステキなコメディでした。街行く日本人エキストラの人々とケーリー・グラントの身長差にビックリだ。ジョージ・タケイも出ています。

『フロント・ページ』(1974)
 ★ジャック・レモンの方。こちらは同じくドラマ『エラリー・クイーン』のクイーン・パパ警視ことデヴィッド・ウェインも出演。DVDになっていないのでNHKのカミサマに祈っていたら願いが叶いました。ツカミはオッケーだったんだけれども。

『七人の侍』(1954)
 ★初めて通しで見ました。噂に違わずセリフが聞き取りにくかったです。(そこか)そして噂に違わず名ぜりふが徳盛りでした。

どれもこれも傑作名作でテレビにかじりつくように見てしまいました。
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by n_umigame | 2008-10-15 23:28 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(4)

Welcome. 本と好きなものがたり。


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