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『刑事ヴァランダー』シーズン2 #1~3

第1話「殺人者の顔」
Faceless Killers

ある夜、老夫婦が自宅で何者かに襲われる事件が発生。夫は死亡するが、妻は、ヴァランダーが駆け付けた時はまだ生存していて、彼に何かを伝えようとして言葉を発するが、その後息を引き取ってしまう。「外国人」と聞こえたようだが、確信は持てなかった。

第2話「笑う男」
The Man Who Smiled

正当防衛とはいえ、容疑者を殺害したことで苦しむヴァランダーは、休暇を取り、海辺のゲストハウスで過ごしていた。そこに友人の弁護士ステンが訪ねてくる。ステンの父親グスタフは事故死と判断されていたが、腑に落ちない点があり、再調査を依頼される。

第3話「五番目の女」
The Fifth Woman

老衰が進み、日に日に衰えていくヴァランダーの父ポーヴェルは、自宅での死を望み、老人ホームから自宅へと戻ってくる。そんなある日、バードウォッチングが趣味のエリクソンという老人が、竹槍に生きたまま串刺しにされ、死んでいるのが発見される。


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(画像とも AXNミステリー)

ネタバレありますのでご注意ください。

邦訳が出版された順番とドラマのエピソードがランダムになっているので、原作から入ったわたくしはちょっと時系列が混乱ぎみで見ました。
…なので、一気に見た方がいいかなと、立て続けに見たのですが、胃の調子の悪いときにやるこっちゃなかったです(泣)。

ミステリーとして、と言うか物語としては、やはり原作の方が密度が濃くて説得力があります。原作を読んでからドラマを見るとどうしても薄味に感じてしまいますが、原作の核になる部分はきちんと伝わってきますし、役者さんたちがすばらしいです。
ただ、小説の方がテーマを描くのに有利だと思うのは、移民(外国人)に対する偏見や差別問題、発展途上国における臓器売買、ドメスティック・バイオレンスなど、そもそものテーマがたいへん重く、原作者のへニング・マンケルさんがアフリカでの諸問題にも取り組んでらっしゃるということもあって、ある程度の紙数をもって説明しなければ本質も見えてこないという側面があるせいでしょう。

第1話「殺人者の顔」では、娘の恋人が外国人だったことで、ヴァランダーが自分の中の偏見と向き合うお話でもあります。
あらゆる偏見がそうだと思いますが、それが偏見だという自覚がないのが問題。あるいはヴァランダーのように、偏見なんてもの自体が自分にはないと思い込むことが問題だ、ということを考えさせてくれます。
ヴァランダーは常に公平であろうと努力はする人なのですが、それが周囲になかなかうまく伝わりません。何も言わないで周囲にわかってもらおうとするところがあるせいなのですが、ここだけは直らない。
読者(視聴者)はヴァランダーの心の動きや考え方を字で(画面で)ずっと追えるので、周囲の人がヴァランダーに冷たすぎやしないかと思うのですが、きちんと言葉で表現する/伝えるということを重んじる文化の社会ではなおさら、ヴァランダーみたいな人は生きづらいだろうなということがわかります。

邦訳最新作『ファイアーウォール』を読んでからシーズン2を見ると、マーティンソンとホルゲソン署長のヴァランダーの対する態度が納得できますね。
マーティンソンを演じるトム・ヒドルストンは、『マイティ・ソー』や『アベンジャーズ』のロキを見ていても思ったのですが、“立場上、立てないといけない相手(上司、兄)がいるんだけど自分の方がよっぽどマシだと思っていて、でもそうでもないってことがわかってない”という役が似合いますねえ(笑)。
ルパート・グレイヴスはミステリードラマにゲスト出演されることが多いみたいですが、なぜにほぼろくでなしの役ばっかりなので…?(笑)いやそれも似合ってて、あれなんですが。

父親と和解できないまま終わってしまったヴァランダーですが、これは原作を読んでも、なぜあんなにお父さんとソリが合わないのか理解できませんでした。
どうしても理由をつけるとすれば、愛しているのにそれを伝えてこなかったヴァランダーが悪いということになるのですが、そう言い切ってしまうのもかわいそすぎるように思いますし。

2013年1月現在、原作の邦訳未訳作品は"Pyramiden" (1999)と" Den orolige mannen" (2009)の残り2作となっていますが、ケネス・ブラナー主演版で日本未放送は『リガの犬』たちを入れた3作ということになりますか。
原作を読む前にドラマが先に来てしまいそうです…。
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by n_umigame | 2013-01-31 23:37 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)

『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』中野京子著(文藝春秋)


絵で知るキリスト教はこんなにも面白い!

旧約【アダムとイブ、バベルの塔】から新約【受胎告知、最後の晩餐】まで、絵で読み解く21編の聖書物語。絵はすべてカラー掲載。
(出版社HP)



絵を見るのが好きなのですが、宗教画がわかりません。(と言うかそれ以外もわかっているかどうかと問われると、あの…その…)
聖書についての素養が浅すぎるのが理由だろうから、もうちょっと勉強しないとなあと思い、かといっていきなり小難しい本を読むと知ること自体がいやになるし…と思っていたところへ、中野京子さんの本がv 

『オール読物』に連載されていたものだそうで、とても手軽に読めてくすくす笑えて(中野京子さんのツッコミ最高)、私のような一般的な日本人の感覚でキリスト教を捉えてらっしゃるので、読みやすかったです。
ですので、内容は聖書の中でも比較的有名なエピソードばかりで内容的にはほとんど知っていたので、当初の自分の知らない部分を補強するという意味ではあんまり…でした(笑)。
ですが、収録されている絵画がオールカラーで、それを見ながら改めて解説していただけるというのはありがたかったです。

最後に収録されているシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」は、大塚国際美術館でレプリカ(実物大)を見たことがあるのですが、レプリカですらすごい迫力でした。
中央のマッチョマンがキリストだというのは本書で初めて知りました。
ど こ が だ!
やっぱりイメージってものが。磔刑図のキリストとかですね。
あと、本書中でも触れられていましたが、洋の東西を問わず、なぜ天国より地獄絵図の方が画家の筆は生き生きと走るのでしょうね。
なんか、わかる気するけどね。
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by n_umigame | 2013-01-27 20:58 | | Trackback | Comments(2)

『僕の知っていたサン=テグジュペリ』レオン・ウェルト著/藤本一勇訳(大月書店)


「レオン・ウェルトはサン=テグジュペリの友人である。言葉の真の意味での友人。思想の共鳴ではなく魂の共鳴で結ばれた相手。ウェルトが「けれども、僕らの友情は、思想の凡庸な一致などというものを超えたものだ」と言うのはそういう意味である」。
池澤夏樹(「巻頭エッセイ」より)
(出版社HP)


レオン・ウェルトに

 この本を一人の大人に捧げることを許してほしい、とぼくは子供たちにお願いする。大事な理由があるのだ。まず、その大人はぼくにとって世界一の親友だから。もう一つの理由は、その大人は子供のための本でもちゃんとわかる人だから。三番目の理由は、その大人は寒さと飢えのフランスに住んでいるから。慰めを必要としているから。これだけ理由を捧げても足りないようなら、ぼくはこの本をやがて彼になるはずの子供に捧げることにする。大人は誰でも元は子供だった(そのことを覚えている人は少ないのだけれど)。だから、ぼくはこの献辞をこう書き換えよう----

小さな男の子だった時の
レオン・ウェルトに
(本文より)



ご多分に漏れず(?)、レオン・ウェルトというとサン=テグジュペリによって『星の王子さま』で巻頭の献辞を捧げられた相手、ということしか知りませんでした。

『星の王子さま』は小学校5年生のときに初めて読んだのですが、そのおもしろさがわからず、大学生になって第二外国語(フランス語)のテキストとして読み直す機会があり、そのときになって初めて「こんなお話だったのか…」と感動した覚えがあります。
フランス語の語の意味を一語一語読む機会があったのは、今思えば幸いでした。

宮崎駿監督だったと思うのですが、サン=テグジュペリの作品を読んで共感を覚えると、今度はサン=テグジュペリという人そのものに興味が出てくるようになる、とおっしゃっていて、そのとおりだなと思いました。
そんなにたくさん評伝などを読み込んだわけではないのですが、サン=テグジュペリという人はきっとやんちゃで愛すべき人物だったのだろうなということが想像できます。
その死がドラマティックだったせいか、必要以上に美化されたという面もあったようですが、こんにちでは良い面もそうでない面も公平に評価しようという動きが主のようです。

この本は、レオン・ウェルトによって書かれたサン=テグジュペリとの友情についての記録なのですが、友情とは何かということを考える内容でもありました。
二人の間で交わされた手紙や日記などを読んでいると、相手に対する信頼や尊敬、気遣いが淡々と伝わってきて、何とも言えないあたたかい気持ちになります。
これが第二次大戦の時期に書かれ、レオン・ウェルトがユダヤ系の人であったということもあるいは大きいのかもしれません。

レオン・ウェルトは友情と愛を分けて論じているのですが、あまりにも友情が深いと果たしてこの二つを分ける境目はどこなのかということを考えてしまいます。
なまじなハードボイルド小説を読むよりも、サン=テグジュペリとレオン・ウェルトのロマンティシズムに酔いそうになります。

 まず第一に、彼は地上における僕の最高の友のひとりだったからだが、そればかりでなく、また僕は彼に精神的に負うところがあったからである。というのも、彼と知り合いになる前から、僕は彼のものを読んでいたのだ。----そして、僕がどれほど彼に多くを負っているかを、彼は知らない。
                        心からの愛情をこめて
                             アントワーヌ
(p.19)


 1940年10月15日
 サン=テグジュペリは僕と二日間過ごした。友情とは「魂の訓練であり、それ以外の成果をもたない」。友情が文学に霊感を吹き込むことはほとんどなかった。このモンテーニュの言葉のなかには、何世紀も積み重ねられた書物よりも、多くの友情がある。愛はなぜ尋常ならざる特権をもつのだろう。たぶん、愛がほとんど普遍的と言っていいから、愛について何かを体験したことのない人間など、ほとんどいないからだ。
 友情もまた愛と同じくらい謎めいているが、その謎はもしかすると愛以上かもしれない。
(中略)


 友をあるがまま受け入れるのでなければ、友情はない。その人そのものを受け入れるのでなければ、友情はない。友人たちの一方が肥大化したり、矮小化されたりすれば、また二人が一個の人物になってしまったら、もはや友情ではない。
(p.24)


1944年8月9日
 愚かな考えがいくつも浮かぶ。彼が死んだと思うこと、それは彼を疑うことであり、彼を裏切ることだ。僕は希望を持つ。
(p.38)


親愛なるレオン・ウェルトとシュザンヌ。僕らを同じ惑星に住まわせてくれた幸せな偶然にとても感謝している。また、さらに幸せな偶然から、同じ時代に暮らすことになったことに! 星の数と時代の数を考えてみれば、これはほとんどありえないことだった……。
(p.55)



「その大人は子供のための本でもちゃんとわかる人だから。」
…自分は「子どものための本でもちゃんとわかる大人」になれたかどうか。我が身を振り返ります。


……というのが真面目な感想なのですが。

が!!

もう、通勤途中電車の中で「まったく男の友情ってやつはやつはやつはー!!」と、萌え死ぬかと思いました…。
上に引用しなかった部分もいろいろしみるところが満載です。
ごめんなさいレオン・ウェルト。ごめんなさいサン=テグジュペリ。お二人ともそれぞれ愛する女性がいるのにコレというところがもうツボでツボで…。
(不愉快に思われた方にも申し訳ありません。)

『星の王子さま』を未読の方、子どものときに読んだっきりという方には、ぜひこちらもお読みになることもおすすめいたします。
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by n_umigame | 2013-01-23 21:44 | | Trackback | Comments(0)

『アベンジャーズ』(2012)

シールドの基地に突然アスガルドを追放されたロキが現れ、無限のパワーを持つという四次元キューブを奪い去る。世界滅亡の危機が迫る中、長官ニック・フューリーはヒーローたちを集め、“アベンジャーズ”を結成、ロキと戦う決断をする。永い眠りから覚めた“キャプテン・アメリカ”ことスティーブ・ロジャース、“アイアンマン”ことトニー・スターク、怒るとハルクに変身するバナー博士、雷神ソーたちが集まった。
(goo映画)



あははははは!
たいへん楽しい映画でした。やっぱり劇場に見に行けばよかったな~。人がいるところでわいわい見たかった。

ネタバレがありますのでご注意ください。もぐりません。



えーと、ソーさん、中二の弟さんを何とかしてください。
けっこう笑いが止まりませんでした。
ハルクに床にビッタンビッタンにされるカートゥーンみたいなシーンとか、矢を素手でつかんでドヤ顔をキメたと思ったら爆発とか、あげくにディーバ呼ばわりされるとか…本作のヒロインは彼ですか。

ですが「派手な絵面のわりにはよく考えるとみみっちい戦い」というのも王道でよろしいのではないでしょうか。
アダルトチルドレンのロキが暴れるんだけど、これというのもお父さんがお兄ちゃんばっかりかわいがるからで、スーパーヒーロー7人集まっても戦争の舞台はマンハッタン限定、というところが何もかも非常にドメスティックでアメコミらしくていいかもと思いました。(アメコミをほとんど読んだことないし映画も大して見ていないのでイメージでものを言ってますが)
あのキューブとか正直、お話にあんまり関係ないですよね(笑)。ヒッチコック映画によく出てくる、言うところの“マクガフィン”という位置づけでよろしいのでしょうか。
宇宙の彼方(?)にいる宇宙人も結局正体がよくわからなかったのですが、それだけの技術力がありながら地球をターゲットにする意味がわからないのは常道として(せめて恒星間航行ができてる文明星に行ってください)、負けっぷりが潔くて笑いました。「地球人…あいつら、ガッツマンだぜ!(ニヤリ★)」てそれどこの少年マンガ? さわやかすぎんだろ。

ただ、これまでとは変わってきたなと感じたところが2カ所あります。
一カ所目は、キャプテンが「星条旗のデザインのユニフォームなんて古くないか?」と言うシーン。今時「アメリカが世界の平和を守る」みたいなのって陳腐じゃない?ってことですよね。結局最後はキャプテンが仕切ってましたが、自分で言えるようになったらもう大人ですよ(笑)。NYPDのおまわりさんにも「なんでおまえが命令するんだ?」って言われてましたしね。
二カ所目は、お約束通り核兵器でものごとを解決しようとするクライマックス。これまでのハリウッド映画だと、核兵器使って一件落着みたいなオチの作品が多かったと思うのですが、この映画ではそれを阻止しようとする人がヒーローでした。

これだけヒーローが登場しましたが、いちばんかっこいいと思ったのは、ドイツのシーンで、皆が跪く中、「いつの時代もおまえのようなやつはいた」と言って一人立ち上がるおじいさん。
おじいちゃん、かっけー!!!
いつの時代も、こういう人が真のヒーローだったんだろうと思います。
この作品だけ素直に見ていると、物語の展開上場所がドイツである必然性があまりないように思ったのですが、アメコミの原作者にユダヤ系の人が多かったということを鑑みると、ドイツのシーンでのこのおじいさんの一言には重みがあると思いました。
(でもそのあとの「トナカイ野郎」に噴きました。もうロキがそうとしか見えないじゃないのさ。)

あとクライマックスで、ロバート・ダウニー・Jr.の子犬のようなきらきらお目々はやっぱり反則だと思いました。役柄でスーツを着ているのでどうしても顔芸になってしまうのですが、それを置いても「目」で演技のできる俳優さんなんだなあと再確認。
アイアンマンのチャラ男具合がいいですね~。女たらしの男たらしって感じがよく出てました。
キャプテン・アメリカの生真面目さとの対照も妙でしたが、ハルクにもちょっかいかけるシーンが好きです。自分を制御できないと言うハルク(バナー)に、自分も心臓の近くに爆弾があってさというところもいいです。ここのからみがあるので、落下するアイアンマンをハルクが助けるシーンが生きますね。
この映画の元ネタ作品中、実はハルクだけ未見だったのですが、この映画を見てハルクも見てみたくなりました。
ロキにも「トナカイ野郎」とか「ディーバ」とか名悪口雑言のオンパレードでした。「トニー・スタークへらず口語録」とかあったら買いますよ。

雷に乗って飛来したソーが飛行機にダーン!と乗るシーンは映画『トワイライト・ゾーン』に出てくるグレムリンを思い出しました。怖いよ。
あと弓の名手って萌えますね!なんでだろう…。(除レゴラス)(おい)(※個人の感想です。)

空飛ぶ空母がしょぼすぎるとか、「委員会」の命令が現場を見てなさすぎてへぼすぎるとか、細かいツッコミどころはいろいろありましたが、そこはまあ、もう、ね。

エンディング・クレジット後に出る、全員へとへとに疲れているのにスタークのつきあいでファーストフード食べてます、なシーンに爆笑しました。
かったるそうに片方ほっぺでむぐむぐしてるソーがかわいいです。
シャワルマって何だろうと思って調べたのですが、ケバブのことなんですね。おいしそうなんだけど、疲れすぎてると食べ物の味しないですよね(笑)。後ろでお店の掃除してるおばさんもいい味です。

これだけ個性の強いキャラクターを全員バランス良く魅せるというのは、難しかったんじゃないかと思います。一歩間違えれば「船頭多くして船山に上る」状態になるところを、脇役に至るまで一人一人見た人の中に印象を残すところはすばらしいですね。
…ってこれは『マダガスカル3』の感想そのまんまなんですが、アニメと違って俳優さんたちのことも考えないといけないし、きっとたいへんだったんじゃないかと思いました。
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by n_umigame | 2013-01-23 21:35 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)

『メリダとおそろしの森』(2012)

スコットランドのある王国で弓と乗馬が得意な王女メリダは、王国の深い森をこよなく愛し、森とともに育ってきた。しかし、メリダは古代より精霊たちに守られてきたこの神秘の森が持つ本当の力、そしてその森の奥深くで待つ自分自身の運命を知るよしもなかった。
(ぴあ@映画生活)



時代設定、テーマ、ケルティック・アレンジの音楽と、自分の好きなもの、興味を引くものばかりの映画だったのですが、退屈でした…。特に前半。
ピクサーとしたことが、なぜこんなに薄い物語になってしまったのでしょうか。

さっぱり役に立たない、母子関係から疎外されている父親といい、「たぶんこれがやりたかったのかなあ」ということはうっすら見えるのですが。

ここのところDWA作品を何度も何度も見ていて、「情熱を傾けて作り込んだシーンばかりだけど、血の涙を流しながらカットしました」というのが伝わってくる作品が多く、「語られなかった物語の厚み」を感じる90分になっているのとつい比べてしまいました。(オタクはその“語られなかった物語”の部分をつい想像し始めて止まらなくなるので、映画を見終わったあともずーっと楽しめます。ありがとうDWA。)

テーマの主軸は「母と娘」ですが、ディズニーの『塔の上のラプンツェル』の方がこのテーマとして考えさせられる部分の多い佳作に仕上がっていたと思います。

『~ラプンツェル』は義理の母と娘でしたが、『メリダ~』は実の母親と娘です。
『~ラプンツェル』を見たときはディズニーの映画でこんなに深い物語の作品が登場したことに驚いた覚えがあります。
ご存じのように、ディズニー版は原作の(と言って良いのか…)ラプンツェルとはかなり違うお話になっています。『人魚姫』のラストシーン変えちゃった、とかいう程度ではなく、主題そのものが変わっています。

『メリダ~』は、この母と子の対決/対峙を「実の」母親と娘で見せるお話なのかと思っていたのですが、違いましたね。


最近、母親が重い、大人になって自分が母親になってからもその呪いが解けない、ひどい人はそれで病気になって、あんなにいやだった母親と同じことを自分の娘にしてしまう、という本がたくさん出版されています。
わたくしも自分が娘の立場として共感できる部分があるので読むのですが、そういう本を読んでいて感じることは、まず母親に問題があることが多いのですね。当然ですが、これは単純に物理的な順番です。
『ラプンツェル』はそれが端的に表れていました。
ものごとの順番として、問題はあの義理の母親にありました。ディズニーの作品なので実の母親は特に個性のない、「きれいで優しい」女性以上の描写にはなっていませんでしたが、あれは義理の母親と実の母親が一人のキャラクターの裏表だと考えるとたいへん深いなと思いました。

それで「お母さんが悪い」と言っているだけでは問題は何も解決しないわけですが、『メリダ』はこの「お母さんが悪い」と言っているだけのところから始まる物語でした。
なのですが、メリダがそれで何か深刻な問題を抱えているようには見えず、「友達親子」のスタイルから一歩も出ないスタンスでしか語られないので、見ている方はメリダが単なるわがまま娘にしか見えない。

メリダは自分は悪くないと思っているので、相手(母親)が変わることを要求しているのですが、他人を変えることは無理です。

親子は(…というより人間関係はすべからく)お互いに他人(独立した個)であるという了解が欠けていると、双方しんどいことになるのですが、特に問題のある親が子どもの期待するように「変わる」なんてことはあり得ない。
変えることができるとしたら、自分だけです。
それは「母親に変わって欲しい」という“呪い”をかけたメリダが、そのしっぺ返しとしてえらい目に遭う、というところと、けれども「自分は変わることができる」というメッセージは感じることはできました。(「あなたも変わったのね、メリダ」というような(うろ覚え)エリノアのセリフがあります。)

ただ、「だから?」という部分が欠落しているのですね。
物語が始まった時点と終わった時点で、この母子は何にも変わっていません。

この「物語ることの失敗」の原因は、語り手、制作者側に、メリダなり母親(エリノア)なりの心情に寄り添える人がいなかったんじゃないかなと思いました。
娘として、あるいは母親として、母子の葛藤を経験したことがないか、忘れてしまったか、あるいは症状が深刻すぎて自覚がされていないか、そのいずれかなのではないかと。

そうでなければ、制作者はおそらく聡明な人なのではないでしょうか。
エンタテインメントの皮をかぶっても、あらゆる創造物は作り手のあれやこれがだだ漏れになります。自分が意識していなかったものすら、表出してしまうものなのだと思います。
作家性が薄いアメリカのアニメを見ていても、やはり特徴があるということがDWA作品を見るようになって改めてわかりました。
それが漏れ出さないように理性で鍵をかけてしまったようにも見えます。

ただ、観客はそんなお行儀の良いものが見たいわけではないのです。
明らかに何かが壊れていて、ヤバいものがあれこれ漏れていてもかまいません。
観客に対して、つまり世界に対して気持ちが開いていることが大事。
おそらくそれがあらゆる創造物の存在意義であり、だからこそ人は「作り物」に過ぎない創造物に一片の真実を見、愛してやまないのではないかと思います。
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by n_umigame | 2013-01-20 18:14 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)

『フランス白粉の秘密』エラリー・クイーン著/越前敏弥、下村純子訳(角川文庫)角川書店

※共訳者の下村純子氏のお名前が記事タイトルから落ちておりました。
お詫びして訂正いたします。たいへん失礼をいたしました。


精彩を放つ名推理<国名シリーズ>新訳第2弾!
切れ者警視と推理小説家の名親子コンビ!

舞台はNYの百貨店。都会の謎を華麗に解き明かす

NYの五番街にあるフレンチ百貨店。そのショーウィンドウに展示された格納ベッドから女の死体が転がり出た! 殺されたのは百貨店の社長夫人。そのハンドバッグからは不審な白い粉が入った娘の口紅が見つかり、娘は夫人の死と相前後して失踪していた。状況から娘が犯人かと思われたが……。皮肉屋で愛書家の推理作家、エラリーが膨大な手掛かりから唯一の真実に迫る。華麗さを増す名推理! <国名シリーズ>第2弾。
(出版社HP)


ミステリーとしての本作の感想はほかにすばらしい書評を書かれている方がおおぜいいらっしゃいますのでそちらにお譲りしまして、今回も訳の変更点などで自分が気がついた/ひっかかった部分だけに焦点を当てるざっと読みで失礼いたします。
記事をお読みいただく際は、事前にそんな感想なんだということをご了承いただけると幸いです。

角川文庫版新訳で大きな変更点などについては、前回の 『ローマ帽子の秘密』の感想で触れさせていただきましたので、今回は割愛させていただきます。

『フランス白粉』、この作品はたいへん重要な作品なのです。特に二次創作をする身としては。(キリッ
なぜなら、この作品にしかエラリイの外見に関する具体的な描写がないからです。
(『エジプト十字架』で身長がわかるシーンがありますが)
探偵エラリイ・クイーンが登場する作品は、発表年月が1929年から1970年代初頭という長きに渡り、その作品数も短編を入れればかなりの数になるにも関わらず、なのです。

『エラリー・クイーンの災難』の感想のところでも述べましたが、長年活躍した架空のキャラクターなので年齢が矛盾してくる(作品発表年と合わなくなってくる)のは大目に見るとしても、外見の特徴がわかりにくいだけでなく趣味嗜好やパーソナリティ(性格)にも一貫性がなく、キャラクターとして破綻していると申し上げても問題ないレベルかと思われます。
これはキャラクターを個性としてイメージしにくいということで、強い基盤に隙/“あそび”/のりしろがあってこそ、そこにつけこむ(笑)二次創作というものは世界が広がるわけなので、たいへん困るのです。(知ったことかというご意見もあろうかと思われますが、ホームズものの息の長さを思えば「何度も新しい意味づけをされて現代によみがえる」ことの重要性はある程度はご理解いただけるかと思います。)
原典の発表年月の長さと作品数の多さが、決して二次創作の世界を豊かにするわけではないのですね。

そんなわけで、クイーンの作品は探偵役の魅力で紡がれてきた作品群というよりは、エンタテインメントとしての作品自体の魅力が大きい、という見方もできるのですが、ではキャラクター全員にまったく魅力がなくてお話を回すための捨て駒みたいだというわけでもないのです。
クイーン警視はとても魅力的です。

とは言え、元ネタを“絵”で描くためにはデータや資料が必要で、となれば血眼になって必要なデータを探さねばならず、クイーンはとても苦労した覚えがあり、最終的に投げて今の形になりました。クイーンさん、超すみません。
いえ、ほんとうに申し訳ありません……。


以下、ネタバレあります。
今回は角川文庫版新訳で、一カ所、そういう点で非常に気になる訳に変わっている部分があり、その部分の旧訳との比較について、いつもの独り言でございます。
そんなものでもよろしければ、お入りください。

解説についてもネタバレで触れています。(ミステリーとしてのネタバレはありません)





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by n_umigame | 2013-01-08 21:48 | *ellery queen* | Trackback | Comments(2)

『キャッスル~ミステリー作家のNY事件簿~』リック・キャッスルの小説、邦訳刊行


主人公がミステリー作家という設定であることから、“キャッスルが書いた小説”という設定で実際に本が刊行され、ベストセラーとなっているということは小耳に挟んでいたのですが、なんと、邦訳が出ることになったそうです!(Twitter上でお教えくださった尾之上浩司氏に感謝いたします。)

書誌データは以下のとおり。

『長い国書』
リチャード・キャッスル〔著〕、入間真〔訳〕
人気ドラマから生まれた本格ミステリー

記録的な熱波に襲われたニューヨークで、高級アパートメントの六階からひとりの男が墜落死する。男の名はマシュー・スター。総額数千万ドルの絵画コレクションを所有する不動産業界の大物だ。検死の結果、遺体から特徴的な六角形の指輪の殴打痕が発見され、殺人の疑いが強まる。NY市警殺人課の女性刑事ニッキー・ヒートは同行取材中の記者ルークとともに捜査を開始。やがて、被害者と齢の離れた若妻それぞれに怪しい過去や愛人の存在が判明し、次々と容疑者が浮かび上がる。二転三転する捜査、果たして犯人は誰なのか……!? ジェイムズ・パタースン絶賛! 人気ドラマ発の本格ミステリー第1弾。

定価:798円(本体価格760円+税)
発行:2012/01/19
ヴィレッジブックスHP


↑刊行予定が「2012」となっていますが、「2013」の間違いだと思われます^^;
「第1弾」ってことはこの後も続くんですね。

映画やドラマのノベライズは映像をそのまま文章にしただけ、みたいな内容が薄っぺらいイメージがあって、めったに手を出したことがなく、数えられるくらいしか持っていないのですが、映画やドラマでは語られなかった部分もノベライズにはあったり、ノベライズオリジナルのエピソードがあったりして意外と楽しいんだなと見直しまして、最近はちょこちょこチェックを入れるようになりました。

こちらは媒体をまたいだ入れ子構造のメタ小説というかエア作者による小説というか、まあお遊びなので、ノベライズとはまた違うと思いますが。
ヴィレッジブックスから出ているこういう小説なので、自分にヒットするかどうかはちょっと不安なのですが(笑)、できればシーズン2がNHKで放送されるまでには読んでみたいなと思います。
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by n_umigame | 2013-01-07 20:37 | | Trackback | Comments(2)

『ジョージ・ジェントリー』シーズン6に続く

シーズン5があんな終わり方をしてしまい、「うおおおお、これで終わりなんてことはないよね!?」と思いまして探しましたら、ありました、第6シーズンに続く模様です!

いやったー!!ヽ(´▽`)ノ

以下は、IMDbで"Inspector George Gently"のCreatorとしてクレジットされている Peter Flannery氏のインタビュー記事です。

Writersroom talks to award-winning TV writer, Peter Flannery, about his BBC One crime series, Inspector George Gently.

記事によりますと、19話までは制作されるようです。
それでもあと3話ですか…。

海外のファンの方も同じ思いをしてらっしゃる方がいるらしく、「第6シーズンあるって!いやったー!」という喜びの声もぽちぽちと拾えました。^^
『SHERLOCK』などもそうですが、本国と日本の放送タイムラグが狭くなればなるほど、世界中で同じ思いを抱えるファンの反応を見るのも楽しいですよね。

原作は47本もあるんですね。原作も読んでみたいなあ。日本でも短編?が一度『ミステリ・マガジン』に翻訳が掲載されたことがあったようなのですが、今のところ日本でまとまった本が出る様子はありません。
残念ですね。
さぞや行間を読ませるような渋い作品だろうと思うのに。

そう言えば、シーズン5最終話でバッカスがジェントリーのことを(ジェントリーのいないところで)「GG」って呼んでいたのに萌えました(笑)。
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by n_umigame | 2013-01-04 21:47 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(2)

『孤高の警部ジョージ・ジェントリー』#15「ジェントリー汚職疑惑」; Gently in the Cathedral

※話数が合わないなーと思っておりましたら、このエピソードが#15でした。お詫びして訂正いたします。[2015.11.17.追記]



新婚のヘンダーソン警官は、立ち往生していた車輌に近寄るが、車内に死体を見つけてしまい銃殺される。しかし、警官の死は殉職ではなく汚職による自殺ではないかと噂される。一方、ジェントリーに恨みを持つラティガンが仮釈放される。
(AXNミステリー)


……え、ここで終わり!?Σ(;゚д゚)
こんなところで終わったら打ち切られた少年マンガみたいですよ絵的にも!

ネタバレありますが、もぐりませんのでご注意ください。



今回は見る前から気になっていたルイス警部の中の人こと、ケヴィン・ウェイトリーさんが出演。
登場の仕方がこそ泥風(笑)だったこともありますが、ひげもさで一瞬誰だか…って、こんなんばっかりだな、おい。
ルイス警部で主演される前は、『モース警部』や『ミス・マープル』でも警部のお供の部下役ばかり、しかもみんな誠実で実直そうな役しか見たことがなかったので、今回はどんな役柄かしらとどきどきしていましたが、登場の仕方がこそ泥風だったこともあって(大事なことなので2回言いました)うさんくささ大爆発。これまでの役柄から役者さん自体がミステリーとしてレッド・ヘリングになるということはあまりなかったです。
…なんですが、あんまり演技の変わらない人だなあと…。え、ハム役者だなんて言ってないですよ。ケヴィン・ウェイトリーさんはこれでいいのです。(キリッ

ロンドン警視庁から来た刑事がチンピラすぎて笑いました。
柄は悪いわ態度は悪いわうさんくさいわで、役者さんたち楽しそう(笑)。
アメリカや日本の刑事ドラマではチンピラくさい警官はよく出てくるように思いますが、イギリスの警官は基本丸腰だということもあって、無能という意味でダメ警官でも、カネに汚いとか平気で人を撃つとかそういう意味でダメ警官というのはめずらしい気がしました。自分が見ているドラマの絶対数がかなり少ないので、「や、イギリスの刑事ドラマでもこの手のダメ警官、けっこう出てますよ」というご意見もあろうかと思いますが。

物語冒頭から、ジェントリーは周到に練られた罠によって汚職疑惑をかけられるのですが、実際の所、いったい誰が黒幕だったのかよくわかりませんでした。
最初に殺された制服警官の部分もそうですが、わざと言い落としているというよりは説明不足で、全体的に脚本が荒いように思います。
1960年代後半で銃で殺されて自殺か他殺か判別つかない、というのは鑑識の精度としてどうなんでしょう。ここも裏工作があったということなのでしょうか。これがアメリカのドラマだったら、警官が殺されると仲間意識が強いので、草の根分けても犯人突き止める!みたいな展開になることが多いのですが、ドライでした。

おまけに関係者と思われる人物が全員死んじゃって、それもジェントリーとバッカスの銃から発射された弾が死体にぼこぼこ残っているわけですよね。
この後がとても心配です。
ジェントリーとバッカスも仲良く撃たれたものの、急所は外れたということでよろしいんですよね? あのあと死んじゃったとか言わないでー!!

しかし、大けがしてほとんど寝てないあのどさくさに、女性をナンパすることを怠らないジェントリーさんは立派だと思いました。(真顔)

こんなところで終わったらこれまでの渋い路線になんとなくギャグ臭を漂わせて終わってしまうことになるので、せめてもう1シーズン、続いてほしいです。(そんな理由かよ)
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by n_umigame | 2013-01-03 17:35 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(2)

『孤高の警部ジョージ・ジェントリー』#14「消えた子供」; The Lost Child


グローブス夫妻の養女フェイスが誘拐される。妻のフランシスは買い物、夫のスティーブンは庭仕事をしていた。フランシスは不審者を見たことはなかったとバッカスに話すが、スティーブンはジェントリーに外にブルーの車が駐車していたと話す。
(AXNミステリー)


ネタバレありますが、もぐりませんのでご注意ください。

スティーブンがマーク・ゲイティスさんでした!
ヒゲもさ+メガネさんで、一瞬わかりませんでしたが、出てらっしゃるのを知らなかったのでうれしい驚きでした。『シャーロック』と『ドクター・フー』で超売れっ子でお忙しいのに、渋いところにきちんと役者としてもお仕事されていますよね。すごいなあ。

毎回1960年代のイギリスで社会問題になっていた重いテーマで、たいていバッカスがそれについて無神経な差別的発言をする、というイントロダクションになるのですが、今回は「女ってやつはまったく」みたいなことをぶつくさ言ってまして、マッチョぶろうとしているのですが、そんなバッカスを時々横目でたしなめつつ何も言わないジェントリーの方がどうしたってよほど男前でかっこよく見えるという。
出だしは安定の残念バッカスでした。

ただ、今シリーズはジェントリーの中の人がお年を召されてきたということもあってか、あまり前に出ないんですよね。
タイトルロールなのにそれでいいのかどうかはさておき、バッカスが根はいいやつなんだなと思ったというか、成長したかなと思うシーンがいくつかありました。上司がいいお手本を見せてくれているからかもしれませんが。
バッカスがこんな子になったのは、あのお父さんにも原因がありそうだという回でした。
お父さんなりに息子を愛してるんでしょうが、親にあんな言い方をされて傷つかない子どもなんていませんよね。

お話の方は、どんでん返しの結末が途中で見えちゃいました。
今回は「未婚の母親」がテーマでしたので、これしかないと思ったのですが、めずらしくジェントリーが予断をもって、推理を外しましたね。あっさり「妻の方も不倫してる」と得意そうに決めつけるので、「え、違うんじゃない?」と逆に怪しく思ってしまいました。

あとバッカスの娘のリー・アン役の子がすきっ歯でちょうかわいい…。(最近ドラマ見てこんなことばっかり言ってる気が…)
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by n_umigame | 2013-01-03 17:26 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)

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