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『その島のひとたちは、ひとの話をきかない : 精神科医、「自殺希少地域」を行く』森川すいめい著(青土社)

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「今、即、助ける」「できることは助ける。できないことは相談する」数々の支援活動で注目をあびる精神科医が、生きやすさのヒントを探す旅に出る。
(Amazon.jpより・画像)



本文中、
「今、即、助ける」
「できることは助ける。できないことは相談する」
「助かるまで、助ける」
が加えられます。

この本から学べることはたくさんありますが、人を助けるという点については上の3つに尽きるかとも思われます。


3万人の大台を切ったとは言え、依然として先進国の中でずば抜けて自殺者が多い国、日本。その日本国内に、なぜか自殺者数が有意に少ない地域があるという。著者がフィールドワークした中からその地域を5カ所取り上げ、紹介した本です。
この本には『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある』(岡檀著 講談社 2013年)というネタ元本があるそうです(こちらは未読)。ですので、フィールドワークと言うよりはそのネタ元本を著者が実際に見聞きしに行った体験記と言った方がよいかもしれません。


自殺するところまではいかなくとも、日本という国独特の閉塞感やムラ社会的な息苦しさを多少なりとも感じている人は多いと思います。人間は環境の生き物なので、取り巻いている環境が人間に与える影響は自覚するしないを問わず、とてつもなく大きいものです。「とてつもなく大きい」と考えた方がいいようだ、と自分の経験からも思うようになりました。

「ひとがとりまく環境とうまく対話ができなくなったときに、ひとは病む」。
至言だと思います。

ただ、この本で紹介されている自殺希少地域が万人に有効かと言うと、そんなことはないということにも言及されています。
紹介されている地域もユートピアではありません。
著者が、絶妙な距離感でゆるやかに人々が結ばれていると感じた地域も、人によってはわずらわしいと感じていることも紹介されています。

あちこちで言われていることですが、自殺が増えたりするとすぐ「昔は人々の絆が強かったので、こんなことはなかった」という、ネットスラング風に言えば「昔はよかった厨」がわらわらとわいて出てきます。
それを見るたび聞くたびに、今の方がいいに決まってるだろと、ハリセンでツッコみたくなります。

人間の絆(わたしはこの言葉自体は嫌いではありませんが、臆面もなく大声でこの言葉が言われるとき・言う人には警戒した方がいいと思っています)というものは双方向に働くもので、負の側面もあります。
その「しがらみ」が嫌だと思っていた人は昔から大勢いたに違いありません。特に同調圧力が強くムラ社会化しやすい場所ではそうではなかったかと思われます。
けれども昔は一人では生きていけませんでした。物理的に食えなくなったり、治安上無防備で、一人でいることは文字通り死活問題だったと思います。
それが、「物質的に豊かになりたい」と願って、戦後の焼け野原から立ち上がって必死で働いてきた高度成長期を生きる人々と、物質的に豊かになり、その利便性を享受できるようになった後続の人々が「煩わしい人間関係、いっしょにいると病みそうな人と食うために我慢して家族でいるよりは、一人で生きたい」という潜在的にあった願望を実現できるようになったことで、今があるのだろうと思います。
その願望が特殊な人の特殊なものだったとしたら、こんなにも広がらなかったでしょう。心のどこかにでもそれを願っていた人が多かったため、まんまと「そうなった」としか思えない側面もあると思います。
もちろん、心の中では一人で生きたいという願望があっても、人間関係を保険と考えてチームを組むという選択をしている人も多いと思います。人間関係は間違いなくセーフティネットとして機能することもありますから、どちらが賢明な選択かというと後者の方が生き延びる蓋然性が高いことは間違いありません。そんな打算的な思惑でなく、いっしょにいたいからチームを組む、セーフティネットは副次的なものという姿がいちばん良いことは言うまでもありません。

いずれにせよ、「こうありたい」「昨日より少しでもいい明日にしたい」という人々の希望が少しずつかなってきた結果が今なのだろうと思います。

紀元前の石板に「今どきの若い者は」という愚痴が掘られていたそうですから、SNSとかあったら昔の人も愚痴っていたにちがいなく、さぞかし今より目を覆うばかりの悲惨なあれこれが、ネット上で発信されたことでしょう。
日本の場合は同調圧力が強いがゆえに、嫌だと思っていても言えなかったという面も強かったのではないかと想像します。
「記録がない」ということは「事実としてなかった」こととイコールではありません。ないことを証明するのはいわゆる「悪魔の証明」で、困難です。
今生きている人の記憶はまちがいなく「思い出補正」されています。つらかったこと、悲しかったことは洗い流されて、うれしかったこと、楽しかったことだけが残るようになっている、脳というのはそういう都合のいい臓器なのだそうです。そうでなければ人間は生きていけないからだろうと思います。

今がもし昔に比べて人間関係が希薄に見えるとしたら、それは過去があまりにも過剰な束縛であったことの反動が来ているのではないでしょうか。振り子は反対方向に振り切れやすいものです。
人間は間違えます。調子に乗ってやりすぎることもあります。その極端さを是正する方法を探っていく、3歩進んで2歩戻る。それは人間が有史以来営々とやってきたことではないでしょうか。

現状を解決するためにできることは、やはりこれまで人々がやってきたことと同じこと、「昨日より少しでもいい明日にしたい」「自分が生まれたときより死ぬときの方がいい世界になっていてほしい」と願いながら一人一人が明日につなぐ、これしかないと思います。
100人、10人は救えなくても、一人を救う。他人は救えなくても、自分だけでも救う。これでも一人救えます。
その確実に救うことができた一人一人が、つなぐしかないと。

そのためのヒントがたくさんつまっている本でした。

自分ができることから始めたいと思います。






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by n_umigame | 2017-01-04 00:44 | | Trackback | Comments(0)

『みんなの道徳解体新書』パオロ・マッツァリーノ著(ちくまプリマー新書)筑摩書房

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日本人の道徳心は本当に低下しているの?小中学校での道徳教科必修化の前に、道徳のしくみをくわしく勉強してみよう!学校では教えてくれない、道徳の「なぜ?」がわかります。
(Amazon.jpおり・画像も)


今年の初笑い本はこちらをご紹介しようかと思っていたのですが、最後の3分の1が、とてもおもしろいのですが笑いはできないので、ふつうにおもしろい本ということで記事を書かせていただきます。(いや、それでええやろ)


「道徳」が必須科目になるそうですね。
なんだかいやな感じです。だいたい学校で教わってどうこうという問題ではないと思うことと、戦前戦中の修身の教科書みたいな「美談」を上から押しつけるつもりなんじゃないかという気がして、偽善臭がすでにぷんぷんします。
自分の個人的な経験からも、あのお涙頂戴というか、小ぎれいな話で本質を覆い隠し、感動を強制するような雰囲気が、子ども心に大嫌いでした。教科書と思っていましたがあれは副読本だったのですね、も、暗いし怖いし読んでてぜんぜん楽しくなかった。

本書でも触れられていますが、こういうことを良しとしたがる人は、何かあったときに「自分はやることはやった(鼻ほじ)」と言い訳するための保険が欲しいのだろうと思います。アリバイ工作ですね。見え見えですので、ちょっとはその手のミステリーでも読んで、自分たちこそ勉強し直してほしいと思います。(そこをかい)


…というような自分のもやもやを、いつものマッツァリーノ節で笑い飛ばしてくれる本でした。
もう、マッツァリーノさんのクールで的確なつっこみの数々に、正月から笑い転げましたね。ありがとうございます。
ちくまプリマー新書なので、あっという間に読めますしね。プリマー新書、装丁もかわいいし(クラフト・エヴィング商會さんです)物理的に軽いし(紙質かな?)大好きなのですが、いかんせん大人にはややコスパが悪いかもしれません。同じジュニア向けでだと岩波ジュニア新書の方が腹にたまるものが多いように感じます。


笑えるところ以外には、今回も名言多しですよ。

 よのなかで本当に必要とされるのは、ともだちを作る能力ではありません。ともだちでない人と話せる能力なんです。
(p.42)

 相手に文句をいわないのは、仲がいいのではなく、相手に気をつかっているだけです。
 気軽に文句をいいあえる間柄を、本当の仲良しというのです。
(p.68)

 まじめに見える子も問題を起こす。それは事実です。しかし、ふまじめな子はもっとたくさん問題を起こしてるのですよ。
(p.69)

ここを読んで、作家のマージョリー・キナン・ローリングスが言ったという、
「一生のうち、一度か二度は悪い男に恋したほうがいい。まじめな男のありがたみがわかるから。」
という言葉を思い出しました。(引用は『人生を振り返るとき、もっと大胆に生きていたらどんなに素敵だっただろう、なんて思いたくないでしょ?』(アルファポリス 2013年)より)


最後の方は死刑についてです。ここは笑えませんが、たいへんおもしろいです(おもしろいと言うと語弊がありますが)。
死刑についての考え方は基本的にマッツァリーノさんに賛同いたします。
マッツァリーノさんは薄っぺらなヒューマニズムでこういう立場を貫いていらっしゃるわけではないことがよくわかりますので。

ほかにも、自然現象を擬人化することには反対である、とか、「泣いた赤鬼」は自己犠牲ネタの中でも不愉快な話だとか、共感できるところがたくさんありました。
「泣いた赤鬼」の話はおかしいと言ったかたはほかにもあって、漫画家の坂田靖子さんです。何というか、透徹した目と感性を持った人は同じように分析されているのだなと思いました。


ところで、パオロ・マッツァリーノさんは、とうとう正体をカミングアウトされたのでしょうか。ネット上でちらほらお名前を見るようになってきましたが、まだ正式には公表されていないようでもありますし。
マッツァリーノさんの芸風(芸風言うな)が好きなので、今後もこんな感じで執筆を続けてくださればと思います。





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by n_umigame | 2017-01-03 23:16 | | Trackback | Comments(0)

『流砂』ヘニング・マンケル著/柳沢由実子訳(東京創元社)

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がんの告知を受けた北欧ミステリの帝王マンケルは何を思い、押し寄せる絶望といかに闘ったのか。遥かな昔に人類が生まれてから今日まで、我々は何を受け継ぎ、そして遠い未来の人々に何を残すのか。“刑事ヴァンダラー・シリーズ”の著者の最後の作品。闘病記であり、遺言でもある、魂の一冊。
(Amazon.jpより・画像も)


2015年10月に亡くなったスウェーデンの作家ヘニング・マンケルの最初で最後のエッセイ集。肺がん原発の末期がんを宣告されてから、ご自分の年齢である67篇から成る1冊です。

マンケルさんの作品は邦訳が出ているものはほぼ全作品読んでいます。(児童書もあります)
刑事ヴァランダーシリーズなどを読んでいると、なぜアフリカがスウェーデンの社会問題と絡むのかとか、最初は唐突な印象が拭えなかったのですが、このエッセイ集を読んで、マンケルさんの小説は彼の人生と切り離せないものだったのだなと実感しました。
スウェーデン語は全然わからないのですけれど、そしてもちろん翻訳がいいのでしょうけれど、マンケルさんの文章は読んでいると落ち着きます。

病気について直接触れているところはそんなに多くありませんが、これはまぎれもなくマンケルさんの闘病記です。

絵画ついて語られた項がいくつかあるのですが、その中でジェリコーの「メデューズ号の筏」の見方について、びっくりしました。マンケルさんはこの絵を見て、そこに希望を感じ取っていらっしゃったのです。
わたしはこの絵を見て希望を感じたことはありませんでした。むしろ、水平線の遠くにかすかに見える点のように描かれた船が、かえって絶望感を高めている残酷な絵だと思っていました。いかだに無造作にうち捨てられた死に行く人々や、カニバリズムがあったことを容易に想像させる人体の描き方よりも、ほとんど手の届かないところに見せつけられた船=希望の方が、何倍も残酷に感じていました。いかだの様子から、ほとんど人が絶望しかけたであろうときに見せられた決して手の届かないであろう希望は、本当の希望ではないと。希望に見せかけた欺瞞を、あるいは希望の残酷さを描いた作品だと。
けれども、この絵に希望を見たマンケルさんの文章を読んで、涙が出そうになってしまいました。

もっともっとマンケルさんの文章を読んでいたかったです。

全編すばらしいのですが、以下、刺さった部分の抜き書きです。


 がんと付き合うことは、同時にたくさんの前線で戦うことでもある。大切なのは、自分の頭の中の妄想と戦うことにあまり無駄な力を使わないことだ。体を侵略してくる敵と戦うために、全力を注がなければならないからだ。
 巨大な風車の影と戦っている暇はないのだ。
(28「影」p.142)

 三週間が経ち、やっと私が流砂から這い上がって、治療下での死に物狂いの闘いに挑み始めたとき、闘う私にとってもっとも大きな支えになったのは、当然のことだが、本だった。
(中略)だが、いままで経験したことがない不思議なことが起きた。新しい本、未読の本が読めないのだ。私がいつも大いなる関心をもって読むお気に入りの作家たちの本でも同じだ。新しい本、知らない本の中になぜか入り込めない。(中略)
 一瞬、私は怖くなった。本は私を裏切ろうとしているのか? 生涯で一番必要としているときに?
(31「抜け道、明るみへ」p153-154)

 私は常々、どんな夢でも、たとえそれが他の人に関する夢であろうと、本当は自分自身に関する夢なのだと思っていた。
(35「サラマンカへの道」p.178)

 物語を書く人間には二つのタイプがいて、いつも争っている。一方は土をかぶせて隠そうとする。そしてもう一方は掘り起こして暴こうとするのだ。
(35「サラマンカへの道」p.182)

 現代でも、馬から下りて木陰に座り、決定的な決心をする人間が必要だ。
 彼らはどこかに必ずいる。世の中がどんなにひどくなっても。
(36「馬から下りた男」p.187)
 ※英国で奴隷廃止法を制定させることに成功したトーマス・クラークソンについて。

 がんにかかってから、信仰によって慰められている人々のことをたびたび考える。私はその人たちに敬意を表しはするが、羨望は感じない。
 しかし、宗教的信念と同じくらいの確信をもって、私は将来長い氷河期のあと何千年も経ってから地球に存続する人々に関して、絶対にそうなるだろうと信じていることがある。その人間たちはきっと生きる喜びに満ちているだろうということである。
 生きる喜びなしには、人は生き延びることはできない。
(37「子どもが遊んでいるうちに」p.188)

 私はよく死んだ人々のことを考える。彼女のことも同じだ。いつも思うのだが、人はなぜ死んだ人のことを考えるのをやめてしまうのだろうか? 死んだというだけで付き合いをやめてしまうのはなぜだろう? 私がその人たちを思い出すかぎり、その人たちは私の中で生きている。
(44「土の床」p.222)

 昔読んだアフォリズムが頭に浮かんだ。いわく「人生をそんなに真面目に考えるな。どうせ生きてはそこから出られないんだから」。
(57「ドイツの高速道路での惨事」p.292)



人間であることを恥じるな。誇りを持て!
きみの中で次々に扉が開かれる。
きみは決して完成しない。それでいいのだ。
トーマス・トランストルンメルの詩集『ローマ人の弓』からの引用だそうです。このエッセイ集の冒頭で、献辞の次に掲げられているのですが、これを最後に。



ヘニング・マンケルファンもそうでない方にも、ぜひ、おすすめいたします。
もし今何か悩み事があっても、なんだかちょっと目の前が開けたような気持ちになります。

マンケルさん、ありがとうございました。
改めてご冥福をお祈りいたします。ゆっくりお休みください。







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by n_umigame | 2016-12-31 23:36 | | Trackback | Comments(0)

『批評理論入門 :『フランケンシュタイン』解剖講義』廣野由美子著(中公新書)中央公論新社

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批評理論についての書物は数多くあるが、読み方の実例をとおして、小説とは何かという問題に迫ったものは少ない。本書ではまず、「小説技法篇」で、小説はいかなるテクニックを使って書かれるのかを明示する。続いて「批評理論篇」では、有力な作品分析の方法論を平易に解説した。技法と理論の双方に通じることによって、作品理解はさらに深まるだろう。多様な問題を含んだ小説『フランケンシュタイン』に議論を絞った。
(Amazon.jpより・画像も)



メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』を例に取って、『フランケンシュタイン』とはどういった構造でどういったテクニックで書かれた小説かを分析した「小説技法篇」と、小説はどういう切り口で読むことが可能かという方法論で洗い出す「批評理論篇」の、二部構成になっています。

こうやって紹介すると無味乾燥なお勉強本のように聞こえるかも知れませんが、これがめっぽうおもしろい本で、読んでいる間わくわくどきどきしました。文学を専攻する大学生であれば、遅くとも2年生まで、できれば高校生くらいまでに読んでおきたかったと思う本でした。
でももちろん、大人になってから読んでもエキサイティングです。
(あんまりおもしろかったので、同じ著者の『嵐が丘』バージョンも買ってしまいました。『嵐が丘』はロマンス小説を読まない自分にとってのオールタイムベストのロマンス小説なのです。)

メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』は、当時流行したらしい手記(手紙)形式で書かれた小説だということもあって、最初はとっつきにくいですし、主人公のヴィクター・フランケンシュタインがひかえめに言ってもクズなので読んでてイライラしますが、少し読み進めるとぐいぐい読めておもしろいです。
ミステリー好きの方には、この手記という手法に、「信頼できない語り手」問題がすぐ頭をかすめると思いますが、この本でもその旨指摘されています。
未読の方はできれば『フランケンシュタイン』を先に読んでおくと、本書でフランケンシュタインのクズっぷりをクールにズバズバ斬っていく様に首がもげるかとおもうほど頷け、一粒で二度おいしい仕様となっています。


それにしても、メアリ・シェリーには何をどうすればこんなカスの主人公を創造できるのか、聞いてみたかったですね。狙ってできあがるキャラクターじゃないと思うんですよ。
メアリ・シェリー自身の人生も当時としては波瀾万丈のもので、16歳のときに妻子ある男性と恋に落ちてかけおちして、次々と妊娠しては子どもを亡くすという体験をしているそうで、この悲しくも暗い経験が『フランケンシュタイン』という作品にも深い影を落としていることは間違いないでしょう。
『フランケンシュタイン』は次々と悲惨な死に方で人が死んでいく物語で、希望も何も残らない、すがすがしいほどの悲劇的なお話です。
ヘミングウェイの『日はまた昇る』と、”読み終わったときに呆然とするほどすがすがしい悲劇度”で自分の中ではツートップです。


ベネディクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラーが、ダブルキャストでヴィクター・フランケンシュタインと怪物を演じた、ナショナル・シアター・ライヴの『フランケンシュタイン』を、どちらも見たのですが、この舞台を見る前にこの本を読んでおければよかったです。
NTLの舞台の方は人気売れっ子俳優さんのダブルキャストということもあってか、ヴィクター・フランケンシュタインのクズっぷりがあまり目立たない演出になっていました。
どちらかというとフランケンシュタインと怪物の、同じ手の裏と表のような関係性にフォーカスされた舞台だったと思います。




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by n_umigame | 2016-12-31 23:33 | | Trackback | Comments(0)

2016年 本のマイベスト

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(画像はAmazon.jpより)


今までやったことがなかったのですけれど、一年間で読んだ本の中から自分内ベストを選ぶというイベントに、今年は乗っかってみることにしました。

…のですが、あまりにも選別がむずかしかったため、順不同でだーっと並べてみました。

読書家の方に比べたら自分は全然数を読まないタイプなので(代わりに気に入ったら何度でも同じ本を読む)、そのあたりもご了承ください。
読書傾向は、
・雑食(気が向いたら)
・ランダム(系統立てて読まない)
です。

番号を振ってありますが、数確認のための便宜上のもので順位ではありません。
今年読んだ本であって、今年刊行された本ではないため、再読した本なども含まれています。



■ノンフィクション部門
1.『流砂』ヘニング・マンケル著/柳沢由実子訳(東京創元社)
2.『批評理論入門 :『フランケンシュタイン』解剖講義』廣野由美子著(中公新書)中央公論新社
3.『その島のひとたちは、ひとの話をきかない : 精神科医、「自殺希少地域」を行く』森川すいめい著(青土社)
4.『脳が壊れた』鈴木大介著(新潮新書)新潮社
5.『人工知能は人間を超えるか』松尾豊著(角川EPUB選書)KADOKAWA
6.『謎解き『ハムレット』: 名作のあかし』河合祥一郎著(ちくま学芸文庫)筑摩書房
7.『迷惑な進化 : 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モレアム著/矢野真千子訳(NHK出版)
8.『災害と妖怪 : 柳田国男と歩く日本の天変地異』畑中章宏著(亜紀書房)
9.『世界の辺境とハードボイルド室町時代』高野秀行, 清水克行著(集英社インターナショナル)
10.『白鯨との闘い』ナサニエル・フィルブリック著/相原真理子訳(集英社文庫)集英社

***

とりあえず10冊選んでみました。

***


■フィクション部門
1.『ささやく真実』ヘレン・マクロイ著/駒月雅子訳(創元推理文庫)東京創元社
2.『ミルク殺人と憂鬱な夏 : 中年警部クルフティンガー』フォルカー・クルプフル, ミハイル・コブル著/ 岡本朋子訳(ハヤカワミステリ文庫)早川書房
3.『貴婦人として死す』カーター・ディクスン著/高沢治訳(創元推理文庫)東京創元社
4.『幼年期の終わり』アーサー・C・クラーク著/福島正実訳(ハヤカワ文庫SF)早川書房
5.『中継ステーション[新訳版] 』クリフォード・シマック著/山田順子訳(ハヤカワ文庫SF)早川書房
6.『ムーミンパパ海へいく』[新装版]トーベ・ヤンソン著/小野寺百合子訳(講談社文庫)講談社
7.『狙った獣』マーガレット・ミラー著/雨沢泰訳(創元推理文庫)東京創元社
8.『マクベス』ウィリアム・シェイクスピア著/小田島雄志訳(白水Uブックス)白水社

***

体力がなくなると虚構の世界に出入りできなくなるということが、改めてよくわかった一年でした。
ヘニング・マンケルさんが、『流砂』の中で、本は自分の人生をあれほど支えてくれものなのに、病気になってから初めて読む本が読めなくなったと書いてらして、心から共感しました。
自分の精神状態が荒んでくると、書店に行っても本に呼ばれない/本と目が合わないということもあります。または、自分には必要のない本に手を出して後悔するというパターン。
ネット書店では「自分が欲しいと思っている本」しか買えないので、リアル書店に行けないと自分でもいろいろまずいなと思います。
予期せぬ出会いがないものは世界を狭めます。


ですがマンガは、体力が落ちても別腹で読めるんですよね。どういうことだ。


***

■コミックス部門
1.『薔薇王の葬列』1~(続刊中) 菅野文著(プリンセスコミックス)秋田書店
2.『坂田靖子: ふしぎの国のマンガ描き』坂田靖子著(河出書房新社)
3.『はたらく細胞』1~(続刊中)清水茜著(少年シリウスコミックス)講談社
4.『元気になるシカ : アラフォーひとり暮らし、告知されました』藤川るり著(KADOKAWA)
5.『恋するシロクマ』1~(続刊中)ころも著(コミックジーン)KADOKAWA/メディアファクトリー
6.『決してマネしないでください。』(全3巻)蛇蔵著(モーニングKC)講談社
7.『マリー・アントワネット』惣領冬実著(モーニングKCデラックス)講談社
8.『レディ&オールドマン』1~(続刊中)オノ・ナツメ著(ヤングジャンプコミックスウルトラ)集英社


***

マンガは年末に『はたらく細胞』の最新刊4巻を読んで1巻から読み直したら、どハマりしなおして、最初Kindleで買っていたのを全部紙の本で買い直しました。しかも特典つきを。しかも赤血球ちゃんと白血球さんおそろで欲しかったので3巻も4巻も。キーホルダーかわいい……///// こんなん初めて買いました。使わないけどこれお守りにしよう…。そのいきおいで月刊誌で最新話も読んだ話もあとで聞いてやってください。アナログで描いてらっしゃる方の作品はやっぱり紙の本の方が格段に読みやすいし、魅力も伝わってきやすいと思います。

***


思うところあって、今年、ダンボールで9箱分の本を処分したのですが、もう本当に断腸の思いでしたのに、結局どんどん買ったらいっしょやんけと、この記事書きながら自分につっこみました。来年もやると思いますので、よろしくお願いいたします。
もう手元に置いておくことよりも、「読みたかったら読みたいときに読む」ということに重点を置こうと。本自体はあの世に持っていけないけど、読んだ知識やもらった感動は自分の血肉になるから持って行ける。と信じたい。(てか持っていかんでもええやろ、もう。)


来年もおもしろい本にたくさん出会えますように。
いや、おもしろい本は毎年確実にてんこ盛り出ているのですが、それを読むのが追いついていていないので、来年ももっとおもしろい本を読む時間と体力と精神状態でいられますように。



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by n_umigame | 2016-12-30 23:08 | | Trackback | Comments(0)

戯曲版『そして誰もいなくなった』アガサ・クリスティ著/福田逸訳(新水社)

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不思議な手紙で孤島の別荘に招かれた十人が、マザーグースの童謡にのせて、一人また一人殺されていく……そして……。クリスティの傑作推理小説の戯曲版。小説とはひと味違う粋な結末とは? 84年刊の再刊。〈ソフトカバー〉
映画化もされたが、映画作品ともひと味ちがう戯曲ならではの粋な結末をお楽しみください。
(Amazon.jpより・画像も)


いつもお世話になっているYuseumさんがブログでご紹介してらして、そういえばそういうものもあったっけ、と、これを機会に読んでみました。
(Yuseumさんの紹介された記事はこちらからどうぞ↓

これもYuseumさんの記事を読むまで忘れていたのですが、戯曲版は『アガサ・クリスティー完全攻略』でも取り上げられています。(こちら、今Amazonを見たらすでに紙の本は品切れになっていますね。Kindle版で読めます。また、元々ウェブでの連載をまとめたものなので、興味のある方はウェブでもごらんください。)
↓こちらから遡ってください。





以下、完全にネタバレになりますので、原作未読の方、戯曲版のネタバレも知りたくない方(いるのか)(←おい)、BBC(2015年版)制作のドラマについても触れていますので、トータルでご判断の上、お読みください。

繰り返しになりますが、この小説のオチも知らないし犯人も知らない、ドラマも原作も読んだことがないという幸運な方は、ここでぜったい回れ右推奨です。







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by n_umigame | 2016-12-11 15:14 | | Trackback | Comments(0)

『ヒックとドラゴン』12(上・下):「最後の決闘」クレシッダ・コーウェル作/ 相良倫子・陶浪亜希共訳(小峰書店)

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ついに人類の命運が決まる〈運命の冬至〉の日となった。このままでは、〈失われし十の宝〉を手に入れたアルビンが新王になってしまう……。ヒックは、それを阻止して、みんなを救うことができるのか?
(Amazon.jpより・画像も)


完結。
11巻までの感想はこちらです。→







以下、ネタバレです。映画についても触れています。
特に今回の最終巻は、内容を知らずに読んだ方が単純に楽しめると思いますので、未読で今から読む予定のかたはここで回れ右推奨。








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by n_umigame | 2016-11-27 23:10 | | Trackback | Comments(0)

ブラナー・シアター・ライブ「冬物語」

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(画像はAmazon.jpより、白水社(白水Uブックス)『冬物語』ウィリアム・シェイクスピア著/小田島雄志訳)


ブラナー・シアター・ライブ「冬物語」
Staff
作:ウィリアム・シェイクスピア 演出:ケネス・ブラナー 演出・振付:ロブ・アシュフォード
舞台・衣装デザイン:クリストファー・オラム  
照明:ニール・オースティン サウンドデザイン:クリストファー・シャット 
​作曲:パトリック・ドイル 
Cast
ポーリーナ:ジュディ・デンチ 
マミリアス:ピエール・アトリ
マミリアス:ルディ・グッドマン
カミロー:ジョン・シュラップネル
アンティゴナス:マイケル・ペニントン
クリオミニーズ:アンス・カビア
ダイオン:スチュアート・ニール  
ポリクシニーズ:ハドリー・フレイザー
リオンディーズ:ケネス・ブラナー
フロリゼル:トム・ベイトマン
アーキデーマス:JAYGANN AYEH
老羊飼い:ジミー・ユール
道化:ジャック・コルヴレイヴ・ハースト
ハーマイオニー:ミランダ・レイソン
パーディタ:ジェシー・バックリィ
エミリア:ゾエ・レイニー

11月に一週間限定で映画館で公開されていた「ケネス・ブラナー・シアター・ライブ」の『冬物語』を観てきました。
ナショナル・シアター・ライブの、ブラナー・シアター版です。舞台を撮影して臨場感あふれる舞台の様子を、映画館の大画面で楽しめるように、という企画です。
舞台の尺そのままなのでインターバル(休憩時間)もそのまま、トータルでだいたい3時間以上あるので、映画館でずっと座ってるのはなかなか大変なものがありますが(しかも何を思ったのか月曜日に観に行ってしまい…その後一週間長かった…)、3時間という長尺を感じさせない舞台でした。観に行ってよかったです。


『冬物語』はW.シェイクスピアの戯曲で、ブラナー・シアターでは18世紀から19世紀頃の衣装なのかな? 比較的近代的なデザインでした。ケネス・ブラナーはシェイクスピアの戯曲を現代的な解釈で語り直す作品を一時期映画でも何本も製作していて、今回の『冬物語』はコスチュームのイメージからブラナー版の映画『ハムレット』に近いように感じました。

ポーリーナ(ポーライナ、と聞こえましたが)役のデイム・ジュディ・デンチは81歳というご高齢ですが、変わらぬハスキーで低い声は艶と張りがあり、立っているだけでも堂々の荘厳さと貫禄がすばらしかったです。確かお目を少し悪くされていて、台本を読むのがたいへんだとか。そんな中でも滔々とセリフを述べられていて、演技を観ているだけで勇気づけられます。
『冬物語』には時間を擬人化した人物が登場して、物語のコーラス(案内役・狂言回し)の役目を務めるのですが、この時間の役もデンチさまがされていました。舞台の冒頭からデンチさまが「さあ冬のお話をしましょう」と言って登場するので、この舞台はあたくしが牛耳ったわ感すごい(笑)。そんなに出ずっぱりの役ではありませんが、要所要所で重要な役割を演じます。

このど迫力のポーリーナ(ポーライナ)にビッシビシしかり飛ばされるのが、ケネス・ブラナー演じるリオンティーズ。ケネス・ブラナーは、自分の演技が映える役というものを本当に良く理解しているなと、観るたびに思います。(けっこうナサケナイ役が似合うと思います(笑)、ヴァランダーのときも思いましたが。)
演技も言うまでもなくうまいですしね。ただ、わたくし、昔からこのナルシシスティックなブラナーさんの演出がちょっと苦手でして。演技ではなくて、演出です。
俳優なんて大なり小なり自己陶酔的でないとできない仕事だと思うので、演技がナルシシスティックなのはいいのですよ。でも彼の場合は演出や監督も兼任されていることが多いですよね。そうすると、ご自分の演じるキャラクターも「そう見えるように」演出されているわけで、それがね、ちょっとあざといなあと感じてしまったのです。映画の『ハムレット』や『オセロ』のときに。今回の『冬物語』でもそれを感じました。

存じ上げない俳優さんの中では、リオンティーズの妻のハーマイオニ役の俳優さんがよかったです。
リオンティーズから、リオンティーズの幼なじみで親友のポリクシニーズと不義密通を働いたという根も葉もない嫌疑をかけられるのですが、夫からそう告げられたシーンの、「藪から棒に何を言い出したんだ、このオッサンは」みたいな表情が秀逸でした。本当にこんな「( ゚Д゚)」顔。笑うシーンではないのに吹き出しそうになってしまいました。わかるよ。

俳優さんで言えば、羊飼い役のジミー・ユールさんを久しぶりに拝見できてうれしかったです。ひところイギリスの刑事ドラマにはよく出てらっしゃいました。

以下、お話ネタバレですので、知りたくない方はここで回れ右してください。

***


『冬物語』は原作未読で、「喜劇だったかな」というようなあいまいな記憶だけで観に行ったので、展開を知らず、純粋にお芝居としても楽しめました。
見終わって「なんちゅーひどい話だ」と思ったので、すぐ原作も白水社版で読んだのですが、原作もこんな話で、どう理解したらいいのか感想が迷子になりました。
シェイクスピア、これ、前半は鬱状態、後半は躁状態のときに書いたんかなと思いましたね。


前半冒頭で、リオンティーズは、自国に親友のポリクシニーズが遊びに来て、大歓迎しています。
ポリクシニーズがもうそろそろ帰るわと言い出したので引き止め、妻のハーマイオニにも「おまえも引き止めなさい」と水を向けるのですが、そのくせ、唐突に(と見えるのですが)リオンティーズは、自分の妻がポリクシニーズと浮気をしていると思い込むのですね。
原作を読むと、お芝居が始まった時点でそもそも疑っていたのかなと感じるのですが(だったらそんな友だちを自分ちに呼ぶなよとも思ったのですが)、証拠をつかんで首根っこ抑えるつもりだったのなら、まあ理解できます。
でもお芝居の方は本当に、何か元々リオンティーズには精神的な疾患があって、妄想と現実の見分けが付かなくなってしまったのかなと言う風に見えました。ポーリーナ(ポーライナ)にもはっきりそう言われています。あなた頭おかしいですと(身も蓋もない)。

不幸にもリオンティーズは王様だったので、自分の国のことではやりたい放題でした。ですが忠実な良い臣下たちに恵まれていて、ポーリーナのように耳の痛い直言をずばずば言ってくれる人もいます。ですがもうすっかり自分の妄想の虜になってしまっているリオンティーズは聞く耳を持たず、妻のハーマイオニを投獄するわ、それを見た幼い息子はショックで亡くなるわ、生まれたばかりの娘を捨ててこいと命じられた臣下(ポーリーナの夫)も、娘はボヘミア王の子だと信じたせいか唐突に熊に食われて死ぬわ、シェイクスピア劇らしい人死にが続きます。

後半は、その16年後。
リオンティーズの狂気が支配する冷ややかで陰鬱だった前半から打って変わって、明朗快活な、ちょっと明るすぎて怖くなるくらい陽気な舞台となります。リオンティーズに捨てられた娘パーディタは父王の親友が治めるボヘミアで羊飼いの娘として美しく育ち、ボヘミア王ポリクシニーズの息子と恋仲になりました。間にいろいろあって、結婚を言い交わした二人は父王の反対を策略でリオンティーズの国シチリアに逃げ、リオンティーズは親子の再会をとげ、死んだと思われていたハーマイオニもポーリーナの機転で生きていたことがわかり、大団円で幕となります。


が、これ、大団円で片付けていいのでしょうかねえ…。と考え込んでしまいました。

舞台が始まる前に、リオンティーズの、人間の過ちと許しについて考えるというようなナレーションが入るのですが、リオンティーズ、だめでしょう、これは。
ケネス・ブラナーさんの泣きの演技があまりにも達者で見ている者の胸をえぐるので、情に流されて「もういいよ」と言いそうになります。
ですが、幼い息子が父親の妄想のおかげで死んでますし、「16年経過しました」とあっさり言われても、無実の罪をきせられて、幼い息子も娘も失い、ただ一人残った家族であるはずの夫はある日突然別人のようになりはててしまったハーマイオニが、その16年間どんな気持ちで生きてきたかを考えると、これは他人があっさり「もう許してあげて」って言ったらあかんやつやと、すぐ考え直してしまいます。
DVの人は、暴力をふるった直後は本当に泣いたり土下座せんばかりに反省しているかのように謝るけれど、また何度も同じように暴力をふるうそうです。治らないんですね。そのうち暴力をふるうのは、こんなひどいことをさせるおまえが悪いと言い出したりして、もうつける薬がありません。
そう思うと、『冬物語』は非常に普遍性のある物語です。
このあとリオンティーズがまた妄想が再発しないとは限らないのです。
実際、ハーマイオニが夫と娘に再会する場面で、リオンティーズは感極まってハーマイオニに、あふれるように俺が悪かったと言うのですが、そこでハーマイオニは表情一つ変えず、夫には一言も言葉をかけずにくりると背を向け、すぐ娘のパーディタの方へ向き直るのです。
百万遍泣いて謝ってもらったところで、幼い息子も、ハーマイオニのつらかった16年という歳月も、共有できたはずの娘との時間も帰ってきません。
ハーマイオニ役の俳優さん、すばらしいなと思いました。
この解釈がなければ、こんな芝居見るんじゃなかったと思ったかもしれません。


リオンティーズの言っていることやっていることは、客観的に見たら百歩譲ってもDV夫のそれで、バカにしか思えないのですが、家庭の問題って当人どうしにとっては大問題でも、はたから見たらそんなもんなのかもしれませんね。
逆に、やはり家族の問題はその家族にしかわからないし、家族以外の人間が「反省しているようだし、もう許してあげたら」と気軽に言うべきではないということかなと、そんな感想にまとまりました。
シェイクスピア、こわい。

そんなお芝居ですが、ところどころ笑えるシーンもありました。後半は全体的に明るいのでもちろんですが、前半の「不幸にも親そっくり」とか「妻の口をふさいでおけない男が死刑なら、お国の臣下は全滅です」とか。
字幕は映画用にかなりかりこんでありましたが、おかげでお芝居を観るのにすっと物語が頭にはいってきやすい、読みやすい訳でした。
シェイクスピアのセリフはとにかく回りくどいので、これくらい刈り込んである方が純粋にお話として楽しめました。しかも絶妙な刈り込みの訳だったと思います。


『冬物語』は『テンペスト』と並ぶシェイクスピア晩年の傑作と言われているそうです。
許しと再生の物語と解釈すれば傑作なのかもしれないですが、まだ簡単に「もう何もかも許す」と言えないわたくしが未熟者なのでしょう。





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by n_umigame | 2016-11-22 00:03 | 映画・海外ドラマ | Trackback | Comments(0)

惣領冬実さんの「マリー・アントワネット」本・2冊

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『マリー・アントワネット』惣領冬実著(モーニングKCDX)講談社
史上初、ヴェルサイユ宮殿が衣装、建築、そして王宮儀礼のすべてを監修。壮麗なロココを紙上に再現した惣領冬実の最高傑作!はじまりはヴェルサイユ宮殿の離宮プチ・トリアノン。絢爛豪華な宮殿の喧噪を離れたその場所は、王妃が求めた家族の理想郷だった。21世紀に発表された衝撃の事実をもとに描かれる、全く新しいフランス王妃マリー・アントワネットと国王ルイ16世の物語。この漫画は、歴史に革命を起こす。
(Amazon.jpより・画像も)

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『マリー・アントワネットの嘘』惣領冬実,塚田有那著(講談社)
夫はチビでデブの気弱な国王、不能の夫に欲求不満でフェルセンと密通、「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」発言、離宮は王妃の淫らな社交場だった…etc.その歴史、ぜんぶ嘘でした。ヴェルサイユ宮殿、そしてマリー・アントワネット協会が監修した史上初の漫画企画『マリー・アントワネット』。その作者である惣領冬実が「真実のマリー・アントワネット」に出会うまでの製作秘話のすべてがこの一冊に。
(Amazon.jpより・画像も)





『マリー・アントワネット』はヴェルサイユ宮殿からの依頼を受けて描かれたマンガ、『~の嘘』(もうちょっと何とかならなかったのかな、このタイトル)は、マンガの方が描かれるに至った経緯と、惣領冬実さんがいかにこのマンガを制作されたかという苦労話・裏話がメインの本です。前の方に少しだけ(第一章のページにして50ページ弱分)歴史秘話的なテーマで描かれている部分があります。

どちらの本もおもしろかったです。
「ベルばら」の影響が根深い日本においては特に、この惣領冬実さんの『マリー・アントワネット』は、文字どおり画期的な作品だと思います。
残念なのは1巻で完結してしまっていることですが、なぜコミックス1巻分しか描かれなかったのかについては『~の嘘』を読むとわかるようになっています。
(なっていますが、やっぱりとても残念。いつかぜひ続きが読みたいです。『チェーザレ』の続刊見ないなと思っていたら、そういうことだったのか……。)

ルイ16世については、こちらの本(→)の感想でも当ブログで記事にしましたが、最近ではルイ16世とマリー・アントワネットの実像については再考証が進んでいて、かつての二人の姿は見直されてきているとのことです。
ですので、「ベルばら」で描かれたような、小太りでさえない愚鈍な王というルイ16世のイメージは、フランス革命当時、革命派が悪意をもって広めたゴシップなどから派生した歪んだ姿で、世が世なれば賢君として歴史に名を残したであろうということがわかってきています。
歴史はいつでも勝てば官軍ですから、勝者の声の方が大きく、自分たちにとって都合の悪いことは書き変えてしまいます。後世の人間はいつもそこに嘘がないかどうかを見極め、よくよく熟慮する必要があります。
タチが悪いのは、書き変えられた歴史が全部が全部嘘ではなく、そこに一部事実が混じっていることで、嘘がよりいっそう真実みを帯びて見えるということですね。


「ベルばら」はツヴァイクの伝記の影響が大きく、もちろんそこへ池田理代子さんの創作が加わっています。
好きでもないのに嫁がされた夫が愚かで男性的な魅力に乏しく、それでほかの男性と恋に落ちたが、その恋は悲恋に終わった、という展開は、少女漫画としては燃えるシチュエーションだと思いますが、史実から見ると、それはあまりにルイ16世に対して公正な見方でなかったばかりか、マリー・アントワネットに対しても失礼だったのではないですか、というのが、最近の見方になってきているようです。
これは以前からわかっていたことですが、フェルゼンは確かに一生独身を通しましたが、マリー・アントワネット以外にもヨーロッパ各地に何人も恋人がいて、股がいくつあるんだと思うような男性だったようです。フェルゼンはそんな感じで恋愛巧者ですから、マリー・アントワネットとの関係がそんなに純粋で単純なものだったかと考えると、かなり疑問です。二人ともいい大人ですし、正式な結婚以外に愛人をもつのが当たり前だった当時の宮廷や貴族の文化を考えても、そうだろうと思います。

そのために、必要以上に滑稽に描かれた「ベルばら」のルイ16世は、やはり気の毒だったと思います。人間は視覚から得る情報が大きいですから、「絵」で見せられてしまうとそれが強いイメージとしてすり込まれてしまうのですよね。
惣領冬実さんの描かれるルイ16世は、その分の揺り返しが来たみたいなデザインになっていて、『~の嘘』でもフランス側の担当の方に「ここまでルイ16世がハンサムだったかどうかはわかりませんけれどね(笑)」と言われていますが(笑)。

ただ、マンガ作品(フィクション)としてどちらが単純に「おもしろい」かと問われると、依然「ベルばら」に軍配を挙げざるをえないと思います、というのが正直な感想です。
惣領さんの作品は「ベルばら」に比べると時代考証などが非常に緻密で、何倍も正確であるであろうということはわかります。キャラクターどうしの繊細な心の交流なども、惣領さんの作品はすばらしいです。
ただやはりとても短いということもあって、優れた歴史同人誌を読んでいるような印象が、どうしてもぬぐえませんでした。
惣領さんは聡明で理知的で、まじめな方なのでしょうね。絵にもそれが強く表れていますが、逆に言うと隙がなくて崩れないのです。いいかげんなところがない。勉強したことが画面の隅々まで行き渡っていて、ちょっとお行儀が良すぎるという印象も受けてしまいます。
「嘘」が混ざっていても、フィクションはそもそも「作り話」なんだから、華麗に風呂敷を広げて楽しんだもの勝ちよ!と、ある意味、バカになって舞台の上で踊った「ベルばら」が、大勢の人を惹きつけるのは、よくわかります。「ベルばら」の方はオスカルという男装のキャラクターが、あの時代に女性にとって生きるとはどういうことかというテーマも内包していることが大きかったと思いますが。

だから、両作品は競合しません(笑)。
エンタメに徹した「ベルばら」の方は、確かに史実という点では正確さに欠けるところが多かったかもしれませんが、純粋にあの時代に描かれたマンガとしておもしろいです。
惣領さんの『マリー・アントワネット』は、「ベルばら」しか知らなかったと言ってもいい(本当は『イノサン』とかいろいろ出てるんですけれどもね、最近も)イメージを「そろそろ見直した方がいいんじゃないですか?」という問いかけになっている作品として、すばらしいです。
もちろん、正確で緻密な時代考証で描かれた作品世界は、言うまでもなくすばらしいです。

「ベルばら」原理主義者みたいな熱心なファンの方にも、食わず嫌いや脊髄反射的に否定してしまうのはあまりにももったいない作品です。
この画期的で意義深い作品も新鮮な目で楽しめるのではないかと思います。おすすめします。


…ところで『チェーザレ』って、結局どうなったのでしょうね…?
もう再開されないのかしら。コミックス派で飛び飛びに読んでて、長い間があいてしまったので、すっかりお話忘れてしまいました。(それでなくてもあの辺りの歴史に素養がない身の上ですのに…)




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by n_umigame | 2016-11-21 00:03 | コミックス | Trackback | Comments(0)

『ラスト・ウェイ・アウト』フェデリコ・アシャット著/村岡直子訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)早川書房

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テッド・マッケイは自分の頭に向けて拳銃をかまえた。妻と娘が旅行中の今日、とうとう自殺を決行するのだ。引き金に指をかけたそのとき、玄関の扉が激しく叩かれた。リンチと名乗った突然の来訪者は、ある「組織」からテッドへ依頼を伝えに来たと語りはじめる。その内容はあまりにも常軌を逸したものだった…。迷宮のごとき物語の果てには何があるのか。異様なるイメージと予測不能の展開が連続する、南米発の“奇書”
(Amazon.jp・画像も)


何を話してもネタバレになってしまう種類の本ですので、未読の方は回れ右でお願いします。








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by n_umigame | 2016-11-20 00:15 | | Trackback | Comments(0)

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