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『世界の辺境とハードボイルド室町時代』高野秀行、清水克行著(集英社インターナショナル)


現代ソマリランドと室町日本は驚くほど似ていた!
世界観がばんばん覆される快感が味わえる、人気ノンフィクション作家と歴史家による"超時空"対談。
世界の辺境を知れば日本史の謎が、日本史を知れば世界の辺境の謎が解けてくる。

【小見出しより】
外国人がイスラム過激派に狙われる本当の理由 / ソマリアの内戦と応仁の乱 / 未来に向かってバックせよ! / 信長とイスラム主義 / 伊達政宗のイタい恋 / 江戸の茶屋の娘も、ミャンマーのスイカ売りの少女も本が好き / 独裁者は平和がお好き / 妖怪はウォッチできない / アフリカで日本の中古車が売れる知られざる理由 / 今生きている社会がすべてではない
(Amazon.jpより・書影も)
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いきなりですが、上の紹介文にあるような
「現代ソマリランドと室町日本は驚くほど似ていた!
世界観がばんばん覆される快感が味わえる」
という本ではないです。

どこかで見たようなタイトル(笑)と、『マッド・マックス』を連想するような山口晃さんの「奨堕不楽圖」に引かれて読んでみました。
対談本ですが、対談されているお二人の波長が合っていて、テンポが良くて楽しく、読みやすかったです。
お一方は、ノンフィクション作家の高野秀行さん。観光旅行などでは人がほとんど行けないような世界各地を訪れて、たくさん著作もある方ですが、実はわたくし、腰痛の本『腰痛探検家』しか読んだことがありません。
清水克行さんはNHKの「タイムスクープハンター」の監修もされていたという、中世史研究家で現役の大学の先生。こちらの方の本も未読です。


この本の誕生のきっかけは、柳下毅一郎さんがTwitter上でお二人の本の共通点を指摘されたからだそうです。帯にも「現代ソマリランドと室町日本、かぶりすぎ!」とありますし、タイトルもタイトルなのですが(私もこのタイトルに釣られましたし)、この本の主眼は「ソマリランドと室町時代、似てるねー!」「ほんとだすごいねー!」と言って盛り上がることではなく(それなら居酒屋でやってくださいという話です)、日本にいても「今」「ここ」以外の場所や時代にも思いを馳せてください、ということだと思います。

同じ時代を生きているけれども、日本以外の世界中の様々な国や人のものの見方、考え方。
同じ国に生まれたけれども、自分が生きている時代とは違う、とある時代の人々のものの見方、考え方。
自分に直接関係のない世界の情勢や、もう過ぎ去ってしまった、この世にいない人達のことも勉強することが大切なのは、自分の視野を広げて柔軟な思考力を養うこと、それに尽きるということが、この本からは伝わってきます。
それぞれに何か理由があったり、大した理由はなかったり(笑)しますが、それすらも、人間って全然考え方が違うこともあってすれ違うことも多いけど、逆に、所が変わっても時代がかわっても変わらないことは変わらないんだなと、にこにこしてしまうところもあります。
それをおもしろおかしく対談で語ってくださっていて、本当に爆笑した箇所も何カ所かありました。

それがたまたま、ソマリランドと室町時代だったということなのですが、ソマリランドにしても室町時代にしても、知識の対象として一般的な日本人の視野に入りにくい、エアポケットのような部分だと思うので、そこに光を当ててくださったことはありがたいと思います。わかりやすいですし。

本書の中で、高野秀行さんは、深刻な事実を重々しく伝えようとすると、その重々しさ、暗さだけで人は顔を背けてしまう。結局その問題や存在自体が丸ごと無視されてしまうので、そこに明るい面を見せて引き込むことも大事だと思うとおっしゃています。そういう意味では、笑いながらこの本を読んだ自分は、まんまとその策にはまったということですね。


本の内容については、雑学的にテーマがぽんぽんと飛んでいくので、興味を持たれる部分は人それぞれかと思います。

私の場合は、いちばん知りたかったのは、応仁の乱はなぜあんなに長い間続いたのかということでした。これは、足軽が戦争に参加するようになったこと、足軽が略奪部隊だったのではないかという説があることなどで、ある程度理解できるようにも思いました。足軽は、農村で食い詰めて兵隊にでもなるかとなった者が多くて、乱暴でなんら泥棒と変わることのない集団だったと。そんな集団がずっと都を荒らして回ると軍規は機能せず、いつまでたっても戦後処理ができませんよね。
これについては、表紙から『マッド・マックス』を連想したのも、あながち間違いではなかったです。

よく言われるあるあるネタに、京都の人が「前の戦争」と言うときは第二次世界大戦のことではなく応仁の乱を指すというものがあります。これは私もネタだと思っていた時期があるのですが、実際に年配の方に言われたことがあり、「ラピュタは本当にあったんだ!」みたいな気持ちになりました。
日本史上で京都が焼け野原になったのは応仁の乱以外にたえてなかったからですが、それだけ京都の人にとってはインパクトの強い戦争だったということでもあるのでしょう。

「外国人がイスラム過激派に狙われる本当の理由」なども、今などむしろ喫緊のテーマなのではないでしょうか。これも、なるほどなと思いました。
刀狩りや、徳川綱吉の功績なども、現在アメリカで銃の乱射事件で毎日のように人が犠牲になるニュースを見ていると、考えさせられることがあります。
刀狩りが失敗していたら、日本でも一般の家庭で銃器を所持しているのが当たり前の世の中だったかもしれません。綱吉も、どちらかというと暗君のイメージがあったのですが、これも新しい見方でした。

などなど、こうやって書くとテーマ自体は重いですが、それが楽しく読んですっとしみてくるように話してくださっています。

一つ、中世と言えばになりますが、「伊達政宗のイタい恋」のところで、清水先生が、大学で
「同性愛の話をすると学生は喜ぶんですよ、特に女の子が。」
っておっしゃってて、すみません先生すみませんってちょうあやまりました。私があやまることではないのですけれどもー!
あと先生、それ、一部の女の子だけだと思いますーーー!!

「同性愛には文化的な側面があって、男らしさや女らしさというものは歴史的に変化していくものなんだって学生にわかってもらうために、僕はこの話をする」と清水先生はおっしゃっています。


おすすめします。


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by n_umigame | 2016-07-20 00:07 | | Trackback | Comments(0)

『人間・始皇帝』鶴間和幸著(岩波新書)岩波書店



苛烈な暴君か、有能な君主か。中国最初の皇帝の生涯は謎に満ちている。出生の秘密、即位の背景、暗殺の経緯、帝国統一の実像、焚書坑儒の実態、遺言の真相──。70年代以降に発見された驚くべき新史料群に拠り、『史記』が描く従来の像を離れ、可能な限り同時代の視点から人間・始皇帝の足跡をたどる画期的な一書。
(Amazon.jpより・書影も)
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「始皇帝と大兵馬俑」展を見に行くのが楽しみだったので、復習も兼ねて読みました。
「人間~」というタイトルになっていますが、始皇帝の個人的なキャラクターに迫った本ではありません。そこも知りたいですね。
ですが、これまで司馬遷の『史記』に頼るしかなかった部分も、新たに出土した竹簡などの史料を反映した内容になっていて、読んでよかったです。おかげで「大兵馬俑」展も新鮮な目で見ることができました。


「そうだったのか」と驚いたことがいくつかあります。

まず「宦官」という言葉は、通例、皇帝の寝所、つまり後宮にも出入りすることが許された去勢された男性の官吏を指すと思っていたのですが、「宦」には去勢された男子という意味はないそうです。
ですので、かつて、司馬遷が「中国史上、最もムカつく奴。許せない」と言ったという、趙高が、いわゆる宦官ではなかった可能性があるということ。
宦官と言われると、ホルモンのバランスが崩れて髭がはえなくなったり声が高くなったりお肌つやつやになったりという身体的な女性化に加え、中身も女性的な陰湿さを備えた人になってしまうというイメージがあり、過去読んできた歴史関連本や歴史小説でも、そんな感じでした。
趙高がいわゆる宦官ではなかったと言われると、脳内のイメージ図を描きかえなければならず、そこにまた違うイメージがわき上がってきて、自分内、いろいろ祭りでした。

もう一つは「五十歩百歩」の故事の元になった話。これもほんとうは、五十歩逃げた兵士と百歩逃げた兵士では、軍規に照らしたときの罰の重さが全然違ったという説。「倍違うじゃないか」と。言われてみればその通りですね。でももう「五十歩百歩」が「大差がないことを言う故事」ということは、しばらくひっくり返らないでしょうけれども。

ほかに、始皇帝の本名は「政」か「正」かなど、竹簡の発見がなくてはわからなかった事実がいろいろと判明してきていることがわかります。

そして一番わくわくしたのは、始皇帝の遺体が発見される可能性が残っているということです。
今後、さらに発掘や研究が進んで、いつか始皇帝の遺体が発見されたらと思うと、どきどきしますね。
中国は、文化大革命のときに、過去の文物や歴史的遺物をたくさん破壊してしまいました。
あれだけ豊かですばらしく面白い歴史を持っている国が、そんなことをしてしまったのはほんとうに惜しいことと思います。これから先は二度と同じ過ちを繰り返さないように、新しい発見があることを祈ります。

***

始皇帝その人と、その時代のイメージは、ご多分に漏れず(?)司馬遷の『史記』と、『史記』を典拠とした司馬遼太郎さんや陳舜臣さん、安濃務さんの著作から得られる知識からくるものでした。
ですが、高島俊男さんがおっしゃるように、「中国人にとって歴史とは大河ドラマのようなもので、大筋は事実だが、ディティールはフィクション」であり、「「正史」とは「正しい歴史(書)」という意味ではなく、その時代の為政者とその王朝が正しいとする/したい歴史を記したもの」のこと。
なので、正史とされる『史記』も、これは大河ドラマみたいなもので、事実ではないこと、著者の想像も含めて書かれていると考えなければならないわけです。当然と言えば当然だし、ちょっと考えたら、「この現場、全員死んでるはずなのに、誰が見たんだ」みたいなところは『史記』に限らず頻出しますよね。「講釈師、見て来たような嘘をつき」であります。でも面白いので、嘘でもいいやって思ってしまうのですが(笑)。

フィクションの中でいちばん印象に残っているのは、台湾の漫画家・鄭問(チェン・ウェン)さんの『東周英雄伝』に出てくる始皇帝です。(鄭問さんは始皇帝にやはり興味があったのか、後に始皇帝を主人公にした長編も描かれたようですね。こちらは未読です)
この鄭問さんの始皇帝、可哀相なんですよ。
『史記』をざっくり漫画化しただけと言えばそうなのですが、始皇帝は実の母親に殺されそうになるんですね。
王族だし古代のことだし、現代人の感覚で考えてはいけないのかもしれませんが、実の母親に殺されそうになって嬉しい子どもはいませんよね。それが、始皇帝がどれだけつらかったかということが、一コマ(一ページ)で伝わってくる切ないシーンがあって、忘れられないのでした。

とは言え、母親に殺されそうになったからって何やってもいいってわけでもないですけども。焚書はやはり、個人的にあかんリストのトップに来てしまいます。あと刑罰がとても残酷。(このあたりは彼我の感覚の差なのでしょうが、戦争で食料がなくなったときに将軍が自分の妻子を兵卒に食わせたという話が美談として残るという一点で、なにをかいわんやでございます。中国史関連の本が好きでも、こういうところだけは何回読んでも慣れることができません。日本にも『ひかりごけ』とかありますから、あったことは間違いないのですが)


治世が短かったことや、その後すぐ漢が立って、漢は前漢・後漢と長続きしたこともあり、始皇帝は必要以上に悪く書かれている可能性が高いと、司馬遼太郎さんや陳舜臣さんもおっしゃっていました。
それでも、たった39歳であの広大な中国を統一し、通貨、度量衡、道路の幅、馬車の車輪の幅を統一したのですから、すごいです。
そのあと「死にたくない。不老不死になりたい」って変な宗教にハマっちゃわなければ、もう少し長生きできたかもしれないのに…と、そこが残念です(薬と称して水銀とか飲まされていたようですし。それは健康な人でも寿命を縮めます)。人間、目標を達成してしまって守りの体制に入ったときが危ない、ということも教えてもらいました(笑)。
でもきっと、本当にやりたいことがもっともっとあったのでしょうね。そのために元気で長生きしたいと思う気持ち自体を笑うつもりはありません。不老不死になってまでも、ずっとやり続けたいことがあるというのは、幸せなことです。

始皇帝墓の発掘、ぜひがんばって遺体を発見していただきたいと思います。



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by n_umigame | 2016-07-19 00:27 | | Trackback | Comments(0)

『オズの魔法使い』フランク・ボーム作/幾島幸子訳(岩波少年文庫)岩波書店


大竜巻に家ごと空高く吹き上げられた少女ドロシーは、愛犬トトとともに不思議なオズの国へ着陸しました。かかし、ブリキの木こり、おくびょうなライオンが仲間に加わって、一行はエメラルドの都をめざします。アメリカの人気作品。小学4・5年以上。
(Amazon.jpより)


樹なつきさんの『OZ』を読んだので、元ネタと言いますか本歌取りの本歌の方を読み直してみることにしました。と言っても、読んだことがあったのは、子どもの頃家にあった幼い子ども向けの絵本で、内容はリライトされていたと思います。

いやー………。
読み直すんじゃなかったとまで思いましたね。

なぜなら、記憶にあるよりもっともっとディティールがひどい話だったからです。
些細なところはどうだっていいじゃないかというご意見もあるかと思われますが、「神は細部に宿る」のです。

このお話、ファンがたくさんいらっしゃると思いますし、ちらっと感想を検索してみてきた限りでも、皆さん絶賛されている方がほとんどでした。疑義を呈されているの方の感想も訳の違いによる部分などで、作品に対する評価ではなかったりします。
かえってそれが怖かったので、自分の感想を上げておきます。

ファンの方で、うっかりこのブログにたどり着いてしまった方は、回れ右でお願いいたします。

全編のネタバレになるので、もぐっておきますね。









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by n_umigame | 2016-07-10 02:43 | | Trackback | Comments(0)

『診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち』ロバート・D・ヘア著/小林宏明訳(ハヤカワ文庫NF)早川書房


酸鼻を極める凶悪犯罪研究の先進国アメリカで、心理学者は異常殺人者に共通するある傾向に注目してきた。つまり極端に自己中心的で著しく情緒に乏しく、人を魅了し操る能力に長けているのだ。彼らはサイコパスと呼ばれるが、このような人間は実はわれわれの身近にも潜んでいる―非行少年、詐欺師、暴力亭主、幼児虐待者、カルト教団の教祖として!多くの実例を通じて「良心の呵責なき者たち」の素顔に迫る戦慄の一冊。
(Amazon.jpより)


少し前に書店で平積みになっていたので、何か改訂や増補があったのかと思ったのですが、奥付を見ると特にそういうわけではありませんでした。
未読だったので、目があったのを機会に読んでみました。(書店で目があった本って、やはり何かご縁があると思うのですよ。買う買わないは別にして)

内容紹介はAmazonからですが、すでにして時代を感じます。日本で単行本が出たのが1995年ですから、すでに20年以上経っています。内容的には、やはり古さが否めない本でした。

わたくしが知りたかったのは、主に、「なぜサイコパスは一定数生まれてくるのか」ということだったのですが、結論から申しますと、この本からは解答を得ることができませんでした。

長くなりましたのでもぐります。










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by n_umigame | 2016-07-09 23:57 | | Trackback | Comments(0)

角川つばさ文庫より、エラリイ・クイーンのジュヴナイル刊行(開始?)!


Twitterで知った情報ですが、エラリイ・クイーンのジュヴナイルシリーズ、「ジュナの冒険」が、角川つばさ文庫から刊行されるようです!
びっくり&狂喜乱舞。

タイトルは『見習い探偵ジュナの冒険 幽霊屋敷と消えたオウム』、翻訳は『ガフールの勇者たち』シリーズなどの中村佐千江さん。
刊行予定日は、2016年8月16日となっています。

とりあえずAmazonでは予約が始まっていましたので、音速でポチってまいりました。
Amazonのページへ
名探偵エラリー・クイーンの助手ジュナは、幽霊屋敷の調査を始めるが、屋敷は1日おきに空き家になったり、オウムが消えたりと不可解な現象が続く。同じころ町で起こったにせ札事件も気になっていたが──!?(Amazon.jp)



この「ジュナの冒険」シリーズは、日本で刊行された文庫本は全8巻でした。単行本になっていない『紫の鳥の秘密』が「ミステリ・マガジン」で邦訳掲載されたことで、いちおう全9作品が邦訳が出たことになっています。

私物。
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(今気がついたんですけれど、「ミステリ・マガジン」で連載されたとき上・中・下編の3部構成だったようで、下編どこいった?)

の、はずだったのですが、これは新しい作品が発見されたということなのでしょうか。
それとも、原題をまったく無視して中身からつけたタイトルなのでしょうか。
このシリーズ、全巻揃えたくせにいまだに未読のものがありまして、内容が全部わからないのです。申し訳ない。(『緑色の亀の秘密』辺りの新訳くさいですが)


このシリーズは翻訳者がとても豪華でしたが、作品(原著)そのものは、エラリイ・クイーンが、作家としての不調期に、ゴーストライターに「エラリイ・クイーンJr.」名義で書いてもらったものだったそうです。
クイーンの国名シリーズの頃に登場した「ジューナ」という名前の少年(と言っても19歳)のスピンオフなどではなく、かと言ってジューナの過去のお話というわけでもなく、まったく別のお話です。探偵エラリイも登場しません。
「アニー・エラリイおばさん」と暮らしているのですが、クイーン家と関係があるわけでもないです。いちおう世界は共有しているのかなと思わせる部分がないでもないですが、別の物語世界のお話とわりきった方が、それを期待して読む人にはいいかもしれません。

なので、上のAmazonの内容紹介は、だいじょうぶかいなと(笑)。
もしかしたら、この紹介の仕方では、小林少年のような活躍をジューナがするお話を期待される方もあるのではないかと思いますが、違いますよと。
JAROに訴えられないようにしてください(古)。

「ジュナの冒険」シリーズについては、こちらのサイト様で必要最低限の情報を概観できます。とても見やすいページになっていますので、このシリーズに興味のある方はどうぞ。





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by n_umigame | 2016-07-04 00:04 | *ellery queen* | Trackback | Comments(0)

『幼年期の終わり』(CHILDHOOD'S END)原作とドラマ


■「CHILDHOOD'S END-幼年期の終わり-」(AXN公式サイト)
戦争や疫病が消え、平和がもたらされた地球。しかし、その代償とは?
アーサー・C・クラーク原作のSF史に輝く不朽の名作の初の映像化!
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(AXN・画像も)


やっとドラマを見終わりました。
原作も懐かしくなってうん十年ぶりに再読したのですが、この傑作についての詳しい感想や考察はほかにすばらしい記事がたくさんありますので、そちらをごらんください。
こちらでは簡単に、原作とドラマの違いについて感じたことを記しておきたいと思います。


以下ネタバレしています。


***


初めて原作を読んだときの自分の年齢が確か14歳か15歳だったので、なおさらそう感じたのかも知れませんが、すばらしいハッピーエンドの小説だと思ったことを覚えています。

ところが、ドラマ版を見てみたら、何ですかこの鬱々とした展開は(笑)。あの14だか15だかのときに自分が感じた多幸感はニセモノだったのか。
そうではなかったのです。
そして、なぜこんな鬱展開になったのか、わかるようになった自分がおりました。

それは、どちらの立場でこの物語を見るか、という点にかかっているということだったのですね。
つまり、取り残され、次に進むことは叶わず、地球とともに滅亡していくしかない旧人類、子どもたちの世界へは決して共に行くことができない旧人類なのか。
あるいは、宇宙に存在する何か超越的な存在に見いだされ、進化し、生命にとっては限りなく無限に近い宇宙へ飛び出して行くことが許された新人類なのか。

初読時のわたくしは純粋に新人類に共感し、現在の自分は旧人類の気持ちもわかるようになったということです。

しかも、これは、原作だからハッピーエンドで、ドラマだから鬱展開だというような単純な話ではないのが面白いところです。
原作を読んでも「鬱々とする」という感想を寄せておられる方もいらっしゃるので、原作も旧人類に共感して読むと、そうなってしまうのですね。
原作は1953年(英での刊行)の作品で、原作者のアーサー・C・クラークが36歳のとき。30代前半はもう子どもとは言えないものの、やはり比較的若いときに書かれた作品ではありますが、あくまでも、原作をどう解釈するかということろにかかっているのです。

***

初読時、すばらしい多幸感とともに読み終わったのも当然だったのだなあと、今回再読して改めて思いました。
「(旧)人類があれほど憧れ、謎を解明したいと望みながらもついに見ることのかなわない世界を見ることができる新しい人類が誕生する」物語なのですから。
このまま行けば、間違いなく地球と共に滅亡する(地球にも寿命がありますから)人類にも、新しい世界が開かれている。それはわたしたちが物理的に宇宙船に乗ってどこかへ行くのではなく(それでは結局今の人類が宇宙へ行っても同じようなことを繰り返すだけなのが目に見えています)、まったく新しい人類として宇宙へ飛び出して行く。そこではもう、今の人類が果てしなく繰り返しているような愚かなことはされないだろう。進化しているのだから。これがハッピーエンドでなくなんだというのでしょうか。

原作でも、エネルギーがすべて吸い取られ崩壊していく地球に一人残る青年ジャン(ドラマではマイロ)がいますが、ジャンは、こう言っています。

ある感動が大波のようにぼくを襲うのを感じました。それは喜びでも悲しみでもない、何かが満たされた感じ、何かが全うされたという感じです。
(ハヤカワ文庫2015年6月38刷・福島正実訳 p.394)

この最後の人類となったジャンの、崇高な、それでいて背負うことのない素直な誇り。個としての自分、人類という種は滅んでいくけれど、個としての人間としても自分は生ききったという達成感、しかも、人類の最期をその自分が見届けることができたという達成感は、やはり悲しさより喜びの方が大きいと感じます。(そうあってほしいという自分の気持ちの投影なのかもしれませんが)
このジャンの達成感は、自分の血を分けた子が生き延びるために選ばれたとか、そんな小さな個人の話ではありません。本当に、人類という種を、自分の人生が終わるそのときに、我が身に引き受けているのです。
「自分(=旧人類)の死」を「全う」できたという誇らしさ。個人に置き換えるなら、すばらしい人生を生ききったという喜び。悔いがないからこそ静かに迎えることのできる眠り。それは滅びの美学などという陳腐で安っぽいものではありません。ジャンの気持ちはそこにはないからこそ、この清々しい最期なのだと思います。


ところが、ドラマ版は、これを「人類の新世界への飛躍というすばらしい未来を描いた物語」とは解釈していませんでした。明らかに旧人類に肩入れして描かれています。
視聴者もそう感じるように、印象操作されていると思いました。
原作では国連の代表で、人類との窓口役でしかなかったストルムグレンのドラマがやたらくどくてセンチメンタル(笑)なのも、その一環かと思います。「旧人類」が共感できる「隣のお兄さん」が必要だったからでしょう。
子どもを奪われる親はただただ泣き叫び、最後の人類となったマイロは死ぬ直前まで恋人は死んでしまったのかと未練がましく(もう会えないのは地球を出発した時点でわかっていたはずです)、ずっと泣き出しそうな顔をしています。(マイロの誠実さを出したかったのかもしれませんが、その愁嘆場はもうさんざん出発するときに見たからー!)
ドラマ版は、旧人類には確かにアピールしたでしょう。滅び行く人類にはてしなく"寄り添った"ドラマとして。ただ、そうすることで、どうしても凡百の終末ものSFと大差がないものになってしまっています。

原作の『幼年期の終わり』がこれほど長い間読み継がれているのは、人類の進化や好戦的でない宇宙人がやってきたお話だから、というだけではないと思います。
そこに、「今の人類では(もしかしたら永遠に)行くことのできない宇宙」への希望が、「新しいいのち」に託された作品だからではないでしょうか。
クラシックSFらしいオプティミズムにあふれた作品だとは思います。今回再読してみて、こんなに単純なお話だったのかと正直驚きましたので。
ですが、最後には希望しかないのだということも、認識を新たにさせていただきました。
こんな作品に、多感な年頃に出会っておいて、本当によかったと思っています。






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by n_umigame | 2016-06-19 23:32 | | Trackback | Comments(0)

ゴーリーさんの本・つぶやき感想文



せっかくゴーリー展に行ってきたので、自分がどれくらいゴーリーの作品を読んでいるのか、自分めも。ネタバレ含む。
タイトル一覧はWikipediaのゴーリーのページより転載しました。


『ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで』 The Gashlycrumb Tinies: or After the Outing (2000年) 
⇒ゴーリーの本は、とにかく子どもが死ぬのですが、なんにも悪いことしていないのにあっさりと(しかも悲惨な状況で)死んでいくので、お説教くさくなく、どことなくユーモアにつながっていくのだろうかと思いますが、答えはまだ出ません。


『うろんな客』 The Doubtful Guest (2000年)
⇒「うろんな客」とは誰/何なのか、いつまででも考えられる本です。初めて読んだときはなんでコンバースのバッシュみたいなの履いてんだろうヴィクトリア朝なのに、などと思っていたのですが、ゴーリーさんがお好きだったのですね。(※前述したようにヴィクトリア朝はわたくしの思い込み)


『題のない本』 The Untitled Book (2000年)
⇒好き。わけわかんないけど好き。このカバのぬいぐるみみたいなもの、グッズを出してほしいと思うくらい好き。


『優雅に叱責する自転車』 The Epiplectic Bicycle (2000年)
⇒未読。本屋さんで立ち読みしたことはある。(ダメじゃん)


『不幸な子供』 The Hapless Child (2001年)
⇒『小公女』のちょうバッドエンド版というか。ゴーリーの本は子どもがひどい目に遭うことで有名ですが、本人は何も悪くないのにひどい目に遭う理不尽さがもう、パクチー初めて食べたときみたいな感じ。(わかって)なので、好きになってしまうとパクチーおかわりするくらいにまでなりますよね。


『蒼い時』 L'Heure Bleue (2001年)
⇒未読。表紙の犬(?)がかわいい。なぜこれだけ原タイトルがフランス語なのか、読んだらわかるのかしら。


『華々しき鼻血』 The Glorious Nosebleed (2001年)
⇒これも未読。有名な一冊ですよね。タイトルだけでもごはんおかわりできそうです。本屋さんで立ち読みしたことはある。(ダメじゃん)


『敬虔な幼子』 The Pious Infant (2002年)
⇒未読。もうタイトルだけで怖いし苦笑いしてしまう。これがゴーリーの本でなければ説教臭ぷんぷんしそうですが(笑)。


『ウエスト・ウイング』 The West Wing (2002年)
⇒いっさい文字がない絵本。『題のない本』だって擬音しかないじゃない、ゴーリーの本、文字あってもなくてもいっしょじゃない?(暴言)という向きもあるかと思われますが、ぜんぜん違いますね…。『題のない本』は、一応ちゃんと「オチて」いますが、この本は夢…それも悪夢みたいです。唐突に始まって断片的で、あらゆる解釈ができそうでもあり、それらの解釈をすべて拒みそうでもあるような、そんな本です。落ち込んでるときは開かない方がいいと思います。


『弦のないハープ またはイアブラス氏小説を書く。』 The Unstrung Harp: or Mr. Earbrass Writes a Novel (2003年)
『雑多なアルファベット』 The Eclectic Abecedarium (2003年)
『キャッテゴーリー』 Categor Y (2003年)
『まったき動物園』 The Utter Zoo (2004年)
⇒この辺りまったく読んでいない。この中からだと、どれがおすすめですか。


『おぞましい二人』 The Loathsome Couple(2004年)
⇒イギリスで実際に起きた「ムーアズ殺人事件」を描いた作品。シンボリックなゴーリーの他の作品とは違い、具体的で、それでいてやっぱりゴーリーとしか言いようがないような一冊です。読後、いろいろ考えてしまって、気が滅入る本です。人が愛されないで大人になってしまったことの悲しさ、弱さ。愚かであることの悲しさ、弱さ。そしてそれがどちらも揃ってしまったときに時として生まれる悲劇の恐ろしさが、これでもかと伝わってきます。


『ジャンブリーズ』 The Jumblies (2007年)
イギリスのナンセンス詩人で画家でもあるエドワード・リアのリメリック(5行脚韻詩)に、ゴーリーが絵をつけた絵本。読んだことがあるゴーリーの本の中で、実はこれが一番好きなのです。文章部分はゴーリーじゃないけど、ごめんなさい。
ドラマ『ルイス警部』で、夫が昏睡状態の妻に枕辺でこの詩を読んであげるシーンがあり、それで知った作品でした。悲しいシーンなのですが、なんだかこの詩がぴったりで。
詩自体はとても愉快で、マザーグースに出てくる「ゴータム村の3賢人」に似ています。ゴーリーの絵本なのに全然怖くなくて、可愛い、けれども何とも言えず苦笑いしてしまうような本です。ちなみにこの「ゴータム(Gotham)」というのは阿呆ばかりが住んでいたという村で、ニューヨーク市のニックネームの元ネタです。綴りから「ゴッサム/ゴサム」と読んで、某コウモリ男が住んでいる架空の街の名前にもなっていますね。


『輝ける鼻のどんぐ』 The Dong with a Luminous Nose (2007年)
『悪いことをして罰が当たった子どもたちの本』 Cautionary Tales for Children (2010年)
『むしのほん』 The Bug Book (2014年)
『蟲の神』 The Insect God (2014年)
⇒この辺りも未読。因果応報で罰が当たる子どものお話も、ちゃんとあるんだ(笑)。『輝ける~』なんて代表作だろ、読まないとダメですね。

いい機会なので、未読のゴーリーさんの本を、また読んでいきたいと思います。

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by n_umigame | 2016-05-25 00:33 | | Trackback | Comments(0)

「エドワード・ゴーリーの優雅な秘密展」@伊丹市立美術館と図録(河出書房新社)


■伊丹市立美術館のウェブサイト(こちらでの会期は終了しています)

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2000年に亡くなったエドワード・ゴーリー。没後、アメリカで巡回開催された回顧展「Elegant Enigmas」が、日本でも展覧会巡回開始、しかも関西から! とのことで、見に行ってまいりました。
初日に行ったのですが、ご縁があって2度行きました。2度目は自分が好きだった作品や、気になった作品を重点的にじっくり見られました。同じ展覧会に何度も行けると、こういう楽しみ方もできていいですね。(2度目は会期終了間際ということもあってか混雑していました~)

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館内のあちこちにいる『うろんな客』のあのひと。

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中庭を見るあのひと。
旧石橋家住宅など、県の文化財に指定されている旧商家などが敷地内にあって、お庭も美しいです。
外観も雰囲気があります。
(阪神・淡路大震災のときに伊丹の駅周辺はたいへん大きな被害を受けたため、
こちらの住宅などは復元されたもののようです)

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元の絵。
展示されていたぬいぐるみに「あ、うろん」「うろんちゃんや~❤かわいい~❤」「これあれやろ。うろん」
と言っている人たちに、めっちゃツッコみたかった…「うろん」は名前とちゃう、と。
(いっしょに来てる人、誰かつっこめ)

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立ち入り禁止エリアの入り口を守るあのひと。

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会場の入り口を守るあのひと。ここから展覧会が始まります。


ゴーリーを初めて知ったのはもうずいぶん前ですが、最初はてっきり19世紀末のイギリスの人だと思い込んでいました。ヴィクトリア朝の人なんだろうと。
そう思った人はわたくしだけではなかったようで、ディケンズの『信号手』なども含まれる『エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談』(河出文庫)という作品も出ています。ヴィクトリア朝の怪談にゴーリーの世界観が似合うと思ってお仕事を依頼した人がいたのか、ゴーリー自身がもちかけたのか存じませんが、マッチしますよね。

ですので、同時代を生きているアメリカの人だと知ったときは、本当にびっくりしました(笑)。もう亡くなって16年も経つのですね。

今回の展覧会では、著作の展示から始まって、ファンが作った「うろんな客」のぬいぐるみ(すごいクオリティでした。グッズにしたら1万円くらまでなら買う人いますよ、あれ!)や、緻密な原画はもちろんのこと、Tシャツの展示、そして狭いながらも充実のグッズコーナーもあって、とても楽しい展覧会でした。2回見に行く価値は十分ありました。
ゴーリーは熱心なファンがたくさんいらっしゃるでしょうから、きっと2回3回当たり前、5回くらい行っちゃったという人もいるのでは?

ゴーリーさんにメッセージを贈れるのですが、さすが観に来ていた方も絵心のある方が多かったようで、クオリティがすごい。
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伊丹市立美術館(2016年4月2日~5月15日)からスタートした本展覧会ですが、2年間をかけて全国を巡回する予定とのこと。
2016年7月16日(土)~8月28日(日)福島県立美術館
2016年9月8日(木)~10月23日(日)下関市立美術館
以上2カ所が、現在決まっているようです。
お近くに巡回がある場合、ぜひいらしてくださいませ。

全国巡回する予定だそうなので、きっとチャンスがあるかと思いますが、どうしても行けなかった、うっかり見はぐった! という方には、図録だけでもオススメです。ゴーリーの本をたくさん出している河出書房新社さんが、図録も手がけています。
今回の回顧展で展示された作品も網羅されていますし、装丁もすっきりとしていておしゃれです。読むところもなかなか充実しています。

■『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密: 展覧会公式図録』(河出書房新社) (Amazonのページへ飛びます)

↑ 図録、飛ぶように売れてましたよ(笑)。

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左が図録。右はお土産に買ったポストカード。


ゴーリーの本は基本的に絵本ですので、だいたい読んだと思っていたのですが、とんでもなかったです。まだ邦訳されていない作品もたくさんあるのだと、今回の展覧会で初めて知りました。
中でも、ぱっと絵を見て気になったのが、『音叉』(The Tuning Fork)という作品です。同じ作品からは一枚きりしか展示されていなかったのですが、女の子とおばけみたいな生き物の絵なのですが、これがまた悲しくもハードな内容で…。ぜひ邦訳が出てほしいと思います。(原語版は"Amphigorey Also"に収録されているようです。ほしいなあ…ポチっちゃおうかなあ…)

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ミュージアムショップでお土産を買ったらついてきたしおり(左上)。可愛い❤


ところで、猫が大好きだったゴーリーさんのお誕生日が「2月22日」でにゃんにゃんにゃんの「日本の猫の日」ってのは、できすぎじゃないかと思うのですが(笑)、いかがでしょうか。
日本にも来てみたかったと、生前おっしゃっていたそうですね。実現しなかったようで残念ですが、猫好きでゴーリーさん好きの人は、ぜったいにゴーリーさんのお誕生日を忘れませんよ。




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by n_umigame | 2016-05-24 23:31 | 日々。 | Trackback | Comments(0)

『山岸凉子『日出処の天子』古代飛鳥への旅』(別冊太陽 太陽の地図帖 38)(平凡社)


少女漫画史に燦然と輝く不朽の名作『日出処の天子』。30年余の時を越えて読み継がれるこの作品の魅力を徹底紹介する。舞台となった飛鳥や河内へのルポ、登場人物ゆかりの史跡・寺社のガイドのほか、著者・山岸凉子本人へのインタビューでは、創作秘話や後日談、主人公・廐戸王子への思いなどが語られるほか、貴重な仕事場の写真も公開。巻頭にはファン垂涎のカラー原画を計22枚大判で掲載、うち1枚はなんと本書が初登場の未公開作品!!すべての『日出処の天子』ファン、少女漫画ファンに捧ぐ永久保存版
(出版社HP・書影も)

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目次なども出版社HPで見ることができます。
 


冒頭の荒俣宏さん×山岸涼子さんの対談を始め、『日出処の天子』の製作の原点となった著作は梅原猛氏の『隠された十字架』とほか2冊しかなかった、という驚きの事実や、キャラクター紹介、史実と伝説、歴史紀行(調子丸古墳などかなりマニア向けなのも嬉しい(笑))、山岸涼子先生の美麗カラー原稿やお仕事部屋の様子などが、すべて美しいフルカラーで紹介されています。
(中公文庫の『日本の歴史』2巻には、わたくしも本当にお世話になりました。今、新装版が出ているようですが、私が持っているのは山岸先生と同じ、この仏像のカバーのものです。)

全国の大工さんは太子信仰で、それは寺院のゼネコンの創業者が聖徳太子だと言われているから。その四天王寺のゼネコン・(株)金剛組は世界で最古の会社だろうと思う、その金剛組がなぜ1,400年前から続いてきて、法隆寺にもあったゼネコンがなぜ続かなかったかと言うと…といったおもしろいお話も伺えます。

あと、山岸先生のお写真をあまり拝見する機会が無かったのですが、お美しい方だったのですね。あの自画像は詐欺ですよ(笑)、かわいいけれど。(このロング丈のチェスターコートを見ていると、この頃青春時代だった人が今の流行をまた作ってるんだーと、そこも感慨深かったです(笑)。山岸先生のお召しになっているコートは、肩はバブル期のかほりがしますが(笑)、肩さえお直ししたら今でも十分着られそうです)

100p足らずの薄い本(ムック)なので、書店で手に取るとお値段の割りには物足りないと感じるかもしれませんが、目で見て美しいということ以上に、読み応えのある対談や、山岸先生のインタビュー、古代史研究者による歴史的な背景の考察など、文字の部分も非常に読み応えがあって、1,200円+税でもじゅうぶんおつりが来ると思います。
『日出処の天子』のファンならもちろんお手元にあるといいですし、まだ『日出処の天子』を読んだことがないのだけれど、どういう世界なのだろうと好奇心を持たれている方が作品世界を概観するのにもおすすめの1冊です。(原作を読んでから読まれる方が楽しめることはもちろんですが)

山岸涼子先生のインタビューでは、とても心打たれるところがあったのですが、『日出処の天子』を読み直しましたので、その感想のところで触れたいと思います。

山岸先生は今年(2016年)には69歳を迎えられるとのことで、どうぞお体をおいといくださって、まだまだご活躍していただけることをお祈りしています。『レベレーションー啓示ー』も買いましたので!






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by n_umigame | 2016-05-10 00:38 | コミックス | Trackback | Comments(0)

『貴婦人として死す』カーター・ディクスン著/高沢治訳(創元推理文庫)東京創元社



数学の教授だったアレックは六十、年の離れた妻リタと村はずれで平穏に暮らしていたが、バリーという若造の出現で状況は一変する。ある晩リタとバリーは突如姿を消し、海へ真っ逆さまの断崖まで足跡がついていた。二日後遺体は発見されたが、腑に落ちない点が多すぎる。二人の死は心中か殺人か、村に住む老医師が綴った手記から浮かび上がる真相とは? 張りめぐらした伏線を見事回収、目配りの利いたヘンリ・メリヴェール卿活躍譚。
(Amazon.jpより)


なんですかこれ。
めちゃくちゃ面白いんですけれども。

「カーはおもしろいに決まっとる今頃何を言っておるのかね、きみは?(キッ!)」
とおっしゃる向きに、ここでいっぱつ聞いてください。


~ポエムと小芝居~「カーとわたし」


初めての出会いは『火刑法廷』だった。
当時はもちろん旧訳…けれども壮絶に挫折したわ。
この訳と相性が悪いのかしら…ううん、わたしのリテラシーがなってないのね。そう思ったから新訳でもトライしてみたの。
だめだった…だめだったの…!!(ここで唐突に感極まって泣き出す)
(気を取り直す)
それで、バナナの皮ですべって転んだ名探偵がいるって聞いて。
最初は「本格ミステリ界の都市伝説ね…ふふふっ、おじさま方ったら。お・茶・目・さん★」って笑って流してたら、ほんとだったから、びっくりよ?
それがH・M卿だったの。
しかも、作品は、アレよ。
どうなの。
どうなのもこうなのも、トリック忘れるくらい笑ったわ。
そんな理由でミステリ読むってどうなのって? きっかけはなんだっていいじゃない?
それで、そのあとも読んだのだけど、H・M卿が出てこなかったせいかしら、あまりぐっとこなかったのよ…!わあああっ!(再び唐突に感極まって走り出す) 


などと思っていましたごめんなさい。

あんまり面白かったので、直後に、某書評サイトでオススメされた『墓場貸します』も読みました。一気読み。

H・M卿は、騒々しくてものぐさでいじわるそうだなんて描かれ方をしていますけれど、そんなことは全然なくて(騒々しいのは否定しませんが)、これほど社会人としての常識を備えた黄金期の「名探偵」は見たことがありません。
だって、自分は警察の捜査に口出しできる立場じゃないけど…と、ちゃんと警官に言うんですよ。一体何の権限があって捜査に首つっこんでんだこの人はしかも態度でかい、というのがもうお約束の黄金期の本格ミステリ世界にあって、何という謙虚さ&常識人さ。そしてそれがかえって呼び起こす清々しい新鮮さ。
しかも、とても心優しい人ですよね。
自分の好奇心を満たすためだけに、推理のための推理をしない。他人が触れて欲しくないところにちゃんと配慮してあげている。正義を振りかざさない。

こんないい人、黄金期の名探偵で初めて見たよ…!! と、何よりもそこに感動しました。
もちろん、本格ミステリ(パズルミステリ)としても面白くて、女性キャラクターも頭からっぽのお人形さんみたいではないし、なによりもユーモアが満載で、久しぶりにミステリ小説を読んで「あー楽しかった!」と思いながら本を閉じました。

とは言え、まだH・M卿ものは2冊+短編数編、カー全体で数えても10作も読んでいないので、これからいろいろ読もうと思います。

まずH・M卿が出ている作品がいいなと思い、『ユダの窓』と『黒死荘の殺人』を買ってきたのですけれど、「貴婦人」「墓場」が面白かったのなら、次はこれだろ? というおすすめがあればぜひご教示くださいませ。『白い僧院の殺人』も持っています。(※未読)
(某書評サイトで「墓場」をおすすめくださった方は、まったく見ず知らずの方なのですが、「貴婦人」がおもしろかったのならコレという実に的確なおすすめをしてくださったことがわかりました。なかなかこうはいかないものですよね、本のオススメって難しくて…。こちらでも改めて、ありがとうございました!)

BBCは次、H・M卿シリーズをドラマ化しませんかね? かね?


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by n_umigame | 2016-04-27 00:07 | | Trackback | Comments(0)