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『円空を旅する』井上雅彦著 (BT BOOKS) 美術出版社


マンガ家・井上雄彦が
江戸時代に12万体もの仏像を彫った
「円空さん」に出会う。
北海道、青森、岐阜、愛知、滋賀、三重を
訪ね歩いて見た仏像の数、約1400体。
描き下ろしスケッチ72ページ掲載。
…………………………………………
“お師匠さんがここにいた! "
「ぼくのマンガが円空の仏像のようであってほしい」。
旅を重ねるなかで井上雄彦はそうつぶやいた。
江戸時代の修行僧であり彫刻家、円空。
生涯に12万体を制作した稀代の人物の
足跡をたどる旅がはじまる——
(Amazon.jp)


『バガボンド』『SLAM DUNK』が代表作の漫画家・井上雅彦先生が、全国の円空仏を尋ねて歩かれた旅のスケッチ・記録本です。
自慢じゃありませんが、『バガボンド』どころか『SLAM DUMK』も読んだことがないのです。今となってはもう自慢していいかもしれません。(よくない)(読みなさい)

東本願寺で親鸞の屏風絵を描かれたというニュースを拝見していましたが、この本でもご自分で「何か知らないけどお寺に縁がある」とおっしゃっています。特に意識的に仏教方面のお仕事を引き受けてらっしゃるというわけではないのですね。

円空は美濃国(現在の岐阜県の西側)出身なので、岐阜県が一番多いのですが、全国を行脚して回ったため、各地に円空仏が残されているのですね。
わたくしは特に仏像が好きというわけでは決してないのですが、どういうわけか円空仏は好きで、旅先や出張先で見かけることがあると時間の許す限りまじまじと見つめています。
なので、書店の店頭でこの本を見かけ、コミックスのところに並んでいたのでシュリンクがかかっていて中身を確認できず、お値段に一瞬迷ったものの、いきおいでえいやと買ってしまいました。


円空仏は、なぜかどれも微笑んでいるように見えます。
特に自分がすさんだ気持ちのときや落ち込んでいるときなどに見ると、なんだか落ち着きます。
自分が好きなもので、地元の方に話題のきっかけとして出したことがあったのですが、「円空仏、どこにでもあるから」と、まるで全国チェーンのコンビニの話みたいに吐き捨てられてしまったことがあります。地元の方からするとそんなものなのかもしれませんね。

逆に言うと、この本でも書かれているように、生活に密着している仏さまなのですね、円空仏は。
ザ・一発彫りの作品が多いそうで、例えば奈良の国宝級の仏像たちのように、仏師の念がこもりまくっていてときどき怖くなるということがない気がします。(『火の鳥 鳳凰編』を読んでしまってからは特に怖くてですね。)


写真や図はオールカラー、井上雅彦先生のスケッチも豊富で、読みやすい本だと思います。
美術出版社から出ているので、円空仏を美術品として鑑賞するために必要な情報なども巻末に簡潔にまとめられていて、円空仏に興味のある人にも、井上先生のファンだという人にも、どちらにもオススメではないでしょうか。井上先生の作品を読んだことがないわたくしが言っているのですから、だいじょうぶです。(全然だいじょうぶな感じがしない。)

わたしもこの本を片手に円空仏行脚をしてみたいです。




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by n_umigame | 2015-12-20 18:40 | | Trackback | Comments(0)

『ホテル1222』アンネ・ホルト著/枇谷玲子訳(創元推理文庫)東京創元社

雪嵐の中、オスロ発ベルゲン行きの列車が脱線、トンネルの壁に激突した。運転手は死亡、乗客は近くの古いホテルに避難した。ホテルには備蓄がたっぷりあり、救助を待つだけのはずだった。だがそんな中、牧師が他殺死体で発見された。吹雪は止む気配を見せず、救助が来る見込みはない。乗客のひとり、元警官の車椅子の女性が乞われて調査にあたるが、またも死体が……。ノルウェーミステリの女王がクリスティに捧げた、著者の最高傑作! 解説=若林踏
(出版社HP)


本書の裏話的な「アンネ・ホルト/枇谷玲子訳『ホテル1222』ここだけのあとがき」はこちらで読めます。
作品の舞台となったフィンセや、(縁起でもないけど)事故に遭った列車の雰囲気、作中に登場する『ネミ』というコミックスなど、画像で見ることができて、わかりやすいです。
舞台となったホテル<フィンセ1222>の紹介もあり。


ハンネ・ヴィルヘルムセンシリーズ8作目とのこと。過去7作も邦訳があったようですが、7作目の『凍える街』以外は現在入手困難な状態のようです。


単純に「吹雪の山荘」ものの新刊だ、うわーい!というただそれだけの気持ちで刊行前からけっこう楽しみにしていた1冊でしたが(だってそう思いますよ、この帯の惹句だと)、ううむ。

何がしたかったのか。

読後の感想はコレにつきます。
いろいろな色のついた風呂敷を思わせぶりに開いたのだけれど、たたまれていないと申しますか。
最後まで読むのが困難なほど退屈だというわけではないですし、今流行の「北欧ミステリ」にありがちな、凄惨なシーンてんこもりだったり、人間関係が陰惨すぎて仕事終わりに読むのはうんざりするようなことはなかったのですが。
個人的に一カ所だけ沁みた箇所もありました。


以下、ネタバレにつきもぐります。







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by n_umigame | 2015-10-20 21:34 | ミステリ | Trackback | Comments(0)

読書メーターに登録しました

本の感想がメインのブログとしてスタートしたのですが、最近読んだ本の感想を書くのが追いつきませず。

読んでおもしろかった本からはもらったものが多いゆえに、書きたいことも、ときには思い入れも多く、したがって記事をまとめるのにそれなりに時間がかかります。
でも読んだ本を忘れてしまわないためにも、備忘録としてブログは続けたい。

どうしたもんかと思っていたところ、さんざん悩んで、読書メーターに登録することにしました。

わたくしのページはこちらです。
「にせみさんの読書メーター」

できればきちんと感想をアップしたい本も多いので、おっつけこちらへも記事をアップしていきたいと考えていますが、とりま、今何読んでる? ということがお知りになりたい方(がいらっしゃるともあまり思えませぬが)は、こちらもご参考までに。



以下、いつものごとく長いのでもぐりますね~。







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by n_umigame | 2015-10-14 00:07 | | Trackback | Comments(2)

『残穢』小野不由美著(新潮文庫)新潮社


この家は、どこか可怪(おか)しい。転居したばかりの部屋で、何かが畳を擦る音が聞こえ、背後には気配が……。だから、人が居着かないのか。何の変哲もないマンションで起きる怪異現象を調べるうち、ある因縁が浮かび上がる。かつて、ここでむかえた最期とは。怨みを伴う死は「穢(けが)れ」となり、感染は拡大するというのだが──山本周五郎賞受賞、戦慄の傑作ドキュメンタリー・ホラー長編!
(Amazon.jpより)



だって、夏だもの★怪談祭り(自分内)第三弾。


文庫になったので読んでみました。

ここここ怖い…。
日が暮れてから読むのがいやで、日没と戦うように読みました。

冒頭から真ん中あたりまでが特に怖かったです。謎が解き明かされるのは後半なのですが、『山怪』の感想のところでも述べましたように、前半はわけがわからない、整合性がない(ように見える)ところが怖いのですね。どんな怪奇現象も、名前がついてしまえば一応は腹に収まるものですから。


以下、ネタバレにつきもぐります。







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by n_umigame | 2015-08-07 00:47 | | Trackback | Comments(0)

『いるのいないの』京極夏彦著/町田尚子絵(怪談えほん3)岩崎書店

おばあさんの住む古い家でしばらく暮らすことになった。家の暗がりが気になって気になってしかたない。―京極夏彦と町田尚子が腹の底から「こわい」をひきずりだす。
(Amazon.jpより)


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だって、夏だもの★怪談祭り(自分内)第二弾。

こちらはご紹介です。

今から3年ほど前に刊行された、怪談と言えばこの方、東雅夫さん編集による「怪談えほん」シリーズ。そのうちの1冊ですが、シリーズ中、ぶっちぎりの怖さ。

実は持っていません。閉店間際の書店で立ち読みしていて(すみません)、あまりのことに「ひゅっ」とか声にならない声が出て、反射的に本を閉じて書棚に返し、そのまま逃げるようにおうちに帰ってしまったからです。正解だったと思います。家に置いておきたくないです、この本。書店さんには悪かったですが、いつも買ってるから笑ってこらえて?

わたくしの父方の祖父の家は、祖父の父、つまり曾祖父の代までは農家だったらしく、この絵本に出てくるような、天上の高い、平屋の日本家屋でした。台所は土間でかまどがあり、庭には小さな井戸がありました。もちろんお手洗いは家の外。わたくしが小学生の頃くらいまでまだ使っていたらしく、毎年お正月にはそのかまどでもち米を炊いて、杵と臼で親戚一同で餅つきをしていました。子どもだったせいか、その家がとても広く感じたことと、夏場でも屋内はひんやりとしていたこと、天井が見通せないほど暗くて高く感じたことを覚えています。その家に泊まるのが怖くていやでした。

そのときの記憶が甦るなんの。怖いよう…。

この絵本に登場するおばあさんは、一度も顔が描かれないのですよね。しかもだいたい見切れている。このおばあさんも何だか怖いのです。
「見えるのなら、いるだろう」というのは、ある意味本質なのかもしれません。
今市子さんの『百鬼夜行抄』で、妖魔が見える主人公が、妖魔がすぐそばにいることに気づきながら、見えていないふりをするシーンがあります。「見る」という行為が「在る」ことを証明してしまう、そういうことなのだろうかと思うのです。

絵本ならではの、ページをめくったときの仕掛けが効いている本です。決してネタバレを先に見たりせず、実物を手にゆっくりとめくりながら最後までお楽しみ下さい。
読み終わったあと目を閉じても最後のページが頭から離れなくなりますが、余韻まで味わうのが遠足です。
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by n_umigame | 2015-08-06 19:58 | | Trackback | Comments(0)

『山怪 : 山人が語る不思議な話』田中康弘著(山と渓谷社)


著者の田中康弘氏が、交流のある秋田・阿仁のマタギたちや、各地の猟師、
山で働き暮らす人びとから、実話として聞いた山の奇妙で怖ろしい体験談を多数収録。
話者が自分で経験したこととして語る物語は、リアリティがあり、
かつとらえどころのない山の裏側の世界を垣間見させてくれる。
山の怪談。現代版遠野物語。
(Amazon.jpより)



だって、夏だもの★怪談祭り(自分内)第一弾。


マタギカメラマンの著者が、山で出会った方々から集めた、山の不思議なお話。
もちろん、すべて実話で、ご遺族の方がご存命といった配慮が必要なお話以外は、話者も全て実名のようです。

事実ならではの温度の低さが、何とも言えずじわじわと怖い本でした。そこには過剰な演出も、物語としての整合性も、オチもありません。だからこそ、怖い。

内容は、「狐に化かされた」といったような、田舎に住んでいたら子どもの頃おじいさんおばあさんに聞かされたという人も少なくない、言ってみればたわいもないお話もあります。
ですが、著者のコメントにあるように、その「狐に化かされた」とご本人は言っている話自体に、合理的に説明できないものもたくさん含まれています。
「火の玉を見たんだけれど、あれは燐が燃えているだけ」「狐火が飛んでいるのを見たけど、あれは車のライトが尾根に反射していたんだよね」と、ご本人はおっしゃっている。けれども、もう土葬が廃止されて久しいため燐が残っているとは考えられない地域だったり、山が深く、どの角度からもとてもじゃないけれど車道からの光が届くはずがない、などという感じで、合理的に説明がついていません。
著者の言うように、そういう"わかったような理屈"をつけている時点で、おそらくご本人も納得していないのではないでしょうか。

人間は不可解なこと、あるいは本当は理解したくないことがあると、なんとか腹に落とそうとして現象に名前をつけたり、理屈をつけてわかったような気になったりします。安心したい一心からそうするのでしょう。
例えば、暗い山道を一人で歩いていたら、後ろから何かがついてくる気配がする。「あれは妖怪べとべとさんだ」と、現象に名前をつければ、おまじないをしているべき場所へお帰りいただくことができる。名前をつければ概念として理解できますから、怖くない。少なくとも、「何が何だかわからない」という不安な気持ちからは解放されますよね。

妖怪に名前を与えるという人間の営為そのものが、この世ならざるモノをコントロールしたい、なんとか形をつけて理解してしまいたいという気持ちの表れだったのだろうと思います。

夢枕獏さんの安倍晴明も「この世で一番短い呪とは、名だ」「呪とはな、ようするに、ものを縛ることよ」と言っていますね。西洋にも名前を知られると魔力を失う悪魔の話があるそうですし、ファンタジーでも、本当の名を知られることは命を預けることを意味するという設定が登場します(『ゲド戦記』など)。諱の風習も、"名は体"であるから敬してこれを忌む、というところから来ています。(この辺りは『名前の禁忌(タブー)習俗』豊田国夫著(講談社学術文庫)あたりが詳しくて面白いです)
民俗学的に「名」は非常に重要ですが、卑近な例でも、例えば世代に名前をつけたり(「ゆとり」とか「バブル」とか)して、自分に不可解な行動をその人がとったりすると、「あいつはゆとり世代だから」でわかったような気になったり。

けれども、動物…犬を犬、猫を猫と呼ぶのは人間の勝手であって、"彼ら"はおそらく犬とか猫といった概念自体がないでしょう。一人一人の命として"生きている"ものを、世代に名前をつけて、十把一絡げにわかったような気になることの乱暴さも、ご理解いただけると思います。マジョリティの傾向としてはあったとしても、"日本人だから○○だ"、"女だから○○だ"もそうですね。
同じように、この世ならざるモノはこの世ならざるモノなのであって、人間が"彼ら"に名前をつけようがつけまいが、そこにいるのでしょう。

中には、「来たのは誰だ」「もう一人いる」など、怪談の定石どおりとは言え、背筋がぞーっとするような話も収められています。著者が体験したテントの話なども、本当に怖い。
"怪し"に惹かれる著者のような方は、あるいはそういった不思議を引き寄せやすいのかもしれませんね。自分も怖がりのくせに怖い物好きのところがあるので、戒めたいと思います。

「妖怪だ」「狐だ」と名前をつけてわかったような気になり、それで安心しまうのではなく、得体の知れないものに対して謙虚であること、それも大事なのだろう。
そんなことを思う一冊でした。
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by n_umigame | 2015-08-06 19:50 | | Trackback | Comments(0)

「越前敏弥さんトークイベント エラリー・クイーン翻訳秘話」レポ

7月25日(土)に紀伊國屋書店グランフロント大阪店の主催で行われたイベントに伺ってまいりました。
越前敏弥氏のトークイベントに参加するのはこれが2回目。前回の感想はこんな感じでした。


今回もまた前回みたいな感じなのかなあと一抹の不安を覚えたものの、もういいや、だってお題がエラリイ・クイーンなんだもん。それ以上の理由はいらないよ? と飛び込んでまいりました、以下、レポ&感想です。

首都圏でも秋以降に同様のイベントが開催予定とのことで、今から参加予定の方にはいわゆる「ネタバレ」になるかもしれません。念のためもぐっておきますね。

越前先生のブログでもご案内があります。
『中途の家』刊行/「国名シリーズ プラスワン」完結

https://twitter.com/t_echizen/status/624956642153463810
当日は有栖川有栖先生もいらっしゃった模様です。ぜんっぜん気づきませんでした…。



ご了解済みの方は「more」からどうぞ。










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by n_umigame | 2015-07-29 21:22 | *ellery queen* | Trackback | Comments(0)

『そして誰もいなくなった』[新訳版]アガサ・クリスティー著/青木久惠訳(ハヤカワ文庫


; クリスティー文庫)早川書房


その孤島に招き寄せられたのは、たがいに面識もない、職業や年齢もさまざまな十人の男女だった。だが、招待主の姿は島にはなく、やがて夕食の席上、彼らの過去の犯罪を暴き立てる謎の声が……そして無気味な童謡の歌詞通りに、彼らが一人ずつ殺されてゆく! 強烈なサスペンスに彩られた最高傑作! 新訳決定版!
(Amazon.jpより)




 ネタバレしていますので、未読の方はご注意ください。


 Kindle版にて。旧訳(清水俊二氏訳)は何度読んだか忘れるくらい読んでいます。
 BBC OneがTV映画化すると知って、また原作を読み直したくなったのですが、本が見つからず;;これを機会に新訳版も読んでみることにしました。

 旧訳が時代の雰囲気に沿うような暗さや重さを感じるものであるのに比して、新訳はさらっと読みやすい印象です。翻訳物を読み慣れていない人、ふだん読書しないけど初めてこの作品を読むという人には、新訳の方がおすすめだと思います。(個人的な好みは旧訳ですが)
 ただ、クリスティーのお孫さんによる前書きがある意味ネタバレ全開ですので、新鮮な驚きをもって読みたいという方には、このお孫さんの前書きは音速ですっ飛ばして、さっさと本文に入ることを強くおすすめいたします。

 「新訳」となっていますが、おそらく、ほとんどはこちらの「クリスティー・ジュニア・ミステリ」で刊行された文章のままではないかと思われます。ジュニア・ミステリの方の感想はこんな感じだったのですが、今手元に本がないのでぼんやりした記憶だけでものを言っています。すみません。
 ジュニア・ミステリの時に気になった、親切のつもりなんだろうけど不要と思われる注釈や、ジュニア向けの語りとしては成功しているとは言いがたい文章などは、こちらの一般向けの新訳版ではなくなっていました。

 ですが、Amazonのレビューを見ていると、ジュニア向けみたいだという感想も見受けられます。そこはやはり残ってしまったのですね。確かに、最初の方はやたら読点で区切る文章が多かったり、おそらく原文が仮定法になっている文章を「○○だったらいいのになあ」と、キャラクターを問わず一様に訳してしまっているため、可愛いのですよね(笑)。人が一人殺されるたびに消えていく人形のことも「兵隊さん」と表現されていたりして、全体的にやさしい感じになっています。それがこの緊張感あふれるサスペンスに、合わないと言えば合わないのかもしれません。

 わたくし個人的には、例えば旧訳の「インディアン島」という訳が「兵隊島」になっているとか、方言が混じっているとか、その当たりは気になりませんでした。


 久しぶりに読み直して思いましたが、それにしても、この犯人アタマおかしいですね(笑)。
 お孫さんの前書きにもあるように、そもそも、こんなうさん臭い招待に応じるなよと思うのですが、それを言ってしまうとお話が始まる前に終わってしまうわけで。

 クリスティーの小説には、いわゆるリアリズムはないのかもしれませんが、おとぎ話や昔話、説話などにある、人間の一面の「真実」があります。おとぎ話も昔話も世界中に似たような類話があるのは、そこに人間として根源的な何か(どす黒いものも輝かしいものも)があるからでしょう。クリスティーの小説はそういう意味で「おとぎ話」なのだろうと思います。

 駒のようで薄っぺらだと言われるキャラクターも、世界中どこにでもいそうな「誰か」、自分の知っている「誰か」に似ている。その「誰か」に投影されたものを引き連れて、すっと読者の懐に入り込んでくる。理性的に考えたらおかしいと思うようなことでも、それこそ「魔が差す」ように、気づくとクリスティーの掌中に入っている。だからこそ読み継がれているのだと思います。

 この『そして誰もいなくなった』は「孤島もの/吹雪の山荘もの」の典型を作り上げたと言われる作品ですが、ミステリーと言うよりホラーのような怖さが強いと、改めて思いました。エンタテインメントとしては謎解きよりサスペンス要素が強い。
 『カーテン』『無実はさいなむ』でも使われた「法的には有罪にはできないけれど、人として裁かれるべき殺人」がテーマでもあります。そしてクリスティーは非常に信賞必罰のはっきりした怖い作家です。人を殺した人は罰せられる。クリスティーという人は、本当にそこはぶれない作家なんですね。犯人を自殺に追いやっておいて、痛くもかゆくも感じず探偵を続けている、黄金期の脳天気な「名探偵」たちを思うと、なおさらそう思います。(この脳天気な名探偵の生みの親が全員男性作家であることを思うと、男性は優しいんだなあと思うことでもありました(笑)。)

 クリスティーの「怖さ」は、ここにあるのかもしれません。殺人ではなくても人として「あんなことすべきではなかった」「人を傷つけてしまった」というようなことは、人生で何度もあります。その、良心を持っている人間であれば必ずさいなまれる呵責につけこんでくるから怖い。

 犯人は、「人を殺したと言ったって、自分だけは無罪なんだから、犯人はわたしだってわかるだろう(ドヤ!」と言っているところからもわかるように、良心というものが欠落していることが伺えます。サイコパスの特徴とされるところですね。

 犯人が誰かなんてどうでもいいのです。ぜひこの怪談をお楽しみください。



↓『そして誰もいなくなった』に関して、良いまとめ記事をアップされている方がありましたので、貼っておきます。
「HUREC AFTERHOURS 人事コンサルタントの読書備忘録」
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by n_umigame | 2015-07-14 21:10 | | Trackback | Comments(0)

『ゲルマニア』ハラルト・ギルバース著/酒寄進一訳(集英社文庫)集英社

 1944年ベルリン。ユダヤ人の元敏腕刑事オッペンハイマーは突然ナチス親衛隊に連行され、女性の猟奇殺人事件の捜査を命じられる。断れば即ち死、だがもし事件を解決したとしても命の保証はない。これは賭けだ。彼は決意を胸に、捜査へ乗り出した…。連日の空襲、ナチの恐怖政治。すべてが異常なこの街で、オッペンハイマーは生き延びる道を見つけられるのか?ドイツ推理作家協会賞新人賞受賞作。
(Amazon.jpより)



 Twitterに流れて来て気になったので、読んでみました。
 「買った」というツイートは見かけるのに、感想をツイートしている人をあまりお見かけしないな…と思っていたら、納得の読後感(笑)。

 読みやすいのですが、読後、良い意味でも悪い意味でもあまり何も残らない。そんなあっさり味でした。

 以下、ネタバレです。犯人も割っています。







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by n_umigame | 2015-07-11 18:18 | ミステリ | Trackback | Comments(0)

『九尾の猫』新訳版、刊行日決定



九尾の猫〔新訳版〕

巨匠の異色作が新訳で復活! 
次から次へと殺人を犯し、ニューヨークを震撼させた連続絞殺魔〈猫〉事件。すでに五人の犠牲者が出ているにもかかわらず、その正体は依然としてつかめずにいた。指紋も動機もなく、目撃者も容疑者もまったくいない。〈猫〉が風のように町を通りすぎた後に残るものはただ二つ――死体とその首に巻きついたタッサーシルクの紐だけだった。過去の呪縛に苦しみながらも、エラリイと〈猫〉の頭脳戦が展開される! 待望の新訳版 【解説/飯城勇三】
Hayakawa Onlineより)


 "Cat of Many Tails"の新訳の刊行日が決まっておりました。
 2015年8月21日とのこと。
 (Twitter上で6月という情報も見かけたのですが、8月21日で決定ということで)

 翻訳者は、角川の国名シリーズ新訳でもおなじみの、越前敏弥氏です。

 この『九尾の猫』は、わたくしがエラリイ・クイーンのファンになった、とてもとても思い入れのある作品です。旧訳は大庭忠男訳と村崎敏郎訳が出ていましたが、特に大庭忠男訳でいろいろもっていかれました。この大庭忠男訳の『九尾の猫』がなければ、わたくしはきっとクイーンのファンにはならなかったと思います。

 越前敏弥さんの訳は、国名シリーズでエラリイと父親のクイーン警視との関係をくつがえすような新しい解釈を入れて、胸がすくような思いをしておりました。複数いらっしゃった旧訳の翻訳者の中でも、ここだけはなぜか全員同じような訳をしていらっしゃったからです。「新訳」と言うからにはこうでなくっちゃと思ったものです。

 実は、上に引かせていただいた早川書房のあらすじからして、すでに新しい部分があります。
 被害者が絞殺されるときの凶器が、「タッサーシルク」の紐、と、一歩踏み込んだ表現に変わっています。

 新訳の、父子関係の雰囲気ががらりと変わってしまうような解釈は、もちろん「どうしてもなじめない」という古参のファンの方もお見かけしました。ですので、クイーン作品の中でいちばん思い入れのあるこの作品を新訳で読んだら、自分はどう感じるだろうというところも、楽しみにしているところです。

 少しだけ不安に感じていることもあります。
 自分も末席に加えていただいているエラリー・クイーン・ファンクラブ(EQFC)会長の飯城勇三氏が解説に入っておられるので、翻訳に際しても、今回も助言があったことだろうと思います。
 個人的に、クイーンをごりごりの推理小説として楽しんだことはほとんどない不良会員の自分としては、トリックだとかそういったミステリーのお約束ごとは、正直なところ些末な部分です。逆に、いくら驚天動地のすばらしい発想のトリックであっても、そこに描かれるキャラクターが人間として共感できなさすぎたり、単純に小説としてつまらないと、評価は下がります。ですので、率直に申し上げると、そこにこだわってエンタテインメント小説としての妙味が失われてしまうなら、マニアのツッコミは無用に願いたいという心配もなくはありません。
 なぜなら、この作品はやはり、謎解きが主眼の作品ではないと思うからです。(飯城勇三さんの解説は解説だけのために新訳を買ってもいいと思うほど充実したものなのですが、それは国名シリーズのときだったからということもあり。)

 モンスターペアレントならぬモンスターファンにならないように、心しておきたいと思います(笑)。

 「異色作」と紹介されていますが、わたくしはそうは思いません。
 エラリイ・クイーン=国名シリーズ、ということで、その物語の文法からはずれるから異色だというのであればわかります。
 ですが、クイーンは『クイーン警視自身の事件』でも、『九尾の猫』のモチーフを繰り返しています。クイーン自身が思い入れがなければ、あるいは『九尾の猫』で語り尽くしたと考えたら、モチーフを繰り返すことはしなかったのではないでしょうか。クイーンは1929年のデビューから1970年代までの長期に渡り、何とかして新しいエンタテインメントを生み出せないかと、試行錯誤と挑戦をし続けた作家でした。無駄に「焼き直し」で弾を撃つ作家ではないと思います。
 この、物語世界全体を覆う暗さ、母性の欠如、"父"との対決、和解、許し、再生、どれを取っても、クイーンの本質はここにあるのではないかと思っています。

 もし、これを機会に、今から『九尾の猫』を新訳版で初めて読もうと思っている方がありましたら、その前に『十日間の不思議』をお読みいただくことをおすすめいたします。個人的に『十日間の不思議』は、クイーン作品の中で再読するのが嫌な作品の五指に入っているのですが(笑)、これを読んでおくと『九尾の猫』がより深く味わえるのではないかと思われます。かく言う自分は先に『九尾の猫』を読んでもっていかれたので、関係ないと言えばないのですが(笑)。
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by n_umigame | 2015-07-10 23:48 | *ellery queen* | Trackback | Comments(0)