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*さいはての西*

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『かぎのない箱 : フィンランドのたのしいお話』J.C.ボウマン, M.ビアンコ文/

瀬田貞二訳/寺島竜一絵(岩波書店)
偉大な民族叙事詩カレワラを生んだフィンランドは,昔話のふるさとです.アメリカの2人の作家の協力で作られたこの本は,すぐれた昔話集として評価されています.「ユルマと海の神」など7編(出版社HP)

今も売ってる!! さすが岩波さん息ながーい。
→http://www.iwanami.co.jp/hensyu/jidou/

『まんが日本昔ばなし』をYouTubeであれこれと見ていたら、子どもの頃読んだこわいお話も次々とフラッシュバックしてきました。
いただいたコメントで「そういえばあれもあった」「あれはなんだっけ」というのを、辛抱たまらずネットでさわさわと検索してみましたら、やっぱり、同世代の人たちと思われる「トラウマ怖・嫌ばなし」はあまり皆さん変わらないみたいです。

というわけで、日本の次は世界ですよ。

この本に収められているのは以下の7編です。

・りくでも海でもはしる船
・アンチの運命
・ユルマと海の神 
・どこでもないなんでもない 
・かぎのない箱 
・三つめのかくればしょ 
・かじやセッポのよめもらい

瀬田貞二訳、寺島竜一絵というゴールデン・コンビなのですが、寺沢竜一さんの絵は、重厚で陰鬱な北欧の物語にぴったりです。
この中で怖い話としてわたくしにインプットされたのは、もちろん「ユルマと海の神」です。

ユルマという漁師が、浜辺で海の神に海へ引きずり込まれそうになるのですが、自分の代わりに娘を差し出すという条件でその場を逃げ出します。(なんてえ親父だよ)
約束どおり、娘を箱詰めにして、海の神はえっちらおっちら自分の御殿まで海の中を背負って持って帰ります。
嫁をもらえていやっほーい!な海の神で、娘もまあこれも何かの縁だろうとあきらめたのか、それなりにおだやかに二人は暮らして、しばらく時が過ぎます。
ある日、海の神は、あの奥の部屋にだけは入ってはならんと娘に言いつけて外出しますが、もちろん、娘は入ります。そこでタールが一杯に入っている大きな樽がいくつもあるのを見つけます。(このとき「タール」という言葉を覚えましたが、タールって何なのかわかりませんでした。あとで「道路舗装してるやろ、黒いやつ。あれやで」と教えてもらいました。)
その真っ黒なタールの中に、美しい金の指輪が浮いているのを見つけた娘は手に取ろうとするのですが、指をタールでやけどしてしまいます。
やがて海の神が帰ってきました。
娘は約束を破った心やましさもあってか、いつもより優しく海の神に接します。海の神に「疲れているので膝枕をしておくれ。おまえのやさしい指で髪を梳いておくれ」と言われ、娘はそのとおりにするのですが、やけどした指が海の神に触れ、「熱い! おまえその指はどうしたのだ?」というわけで、あっさりバレ、娘はタールのいっぱい入った樽に投げ込まれて、樽詰めにされてしまいます。

またある日、海の神に同じように引きずり込まれそうになったユルマは、今度は2番目の娘を自分の代わりに差し出します。
でも2番目の娘も同じように、樽詰めにされてしまいました。

3度目の正直、3度目の魔法、今度は3番目の末娘が海の神に差し出されるのですが……。
さて、どうなったかは、お読み下さい。


青ヒゲ譚なのですが、この「海の神」というのがどこが神だと思うようなヤローでしてですね。
全身ウロコに覆われていて、爪はいつから切ってないんだというようなシャキーンな爪、髪も伸ばしっぱなしというパンクな外見で、せめて心は高潔だというならまだしも、人間のうら若き女性をとっかえひっかえ持ってこいというような、あきれはてたスケベジジイなわけですよ。
父親のユルマがそもそもどうなんだというご意見もあろうかと思われますが、これはおそらく、貧しい時代に人身売買が公然と行われていたということも、きっと背景にあるんだろうな、ということが、大人になってから思うとわかります。
そう考えると悲しいお話なのですが。
いわゆる『青髭男爵』のお話のように、兄さんたちが助けにくるわけではなく、このお話では末娘が知恵と勇気でピンチを打開します。(末娘は、姉2人がタールの樽に詰められて、真っ黒なタールから顔だけ浮いて出ているのを見てしまうのですよ。それでもこのあと、海の神と頭脳合戦です。腹の据わり方がすごいんです。)
それがよりいっそう、自分の印象に残っているのかもしれません。
by n_umigame | 2010-02-22 13:51 |