ブレアトン女子学院に勤めてまだ五週間にしかならない女性教師フォスティーナは、突然理由も告げられずに解雇される。彼女への仕打ちに憤慨した同僚ギゼラと、その恋人の精神科医ウィリング博士が関係者を問いただして明らかになったその“原因”は、想像を絶するものだった。博士は困惑しながらも謎の解明に挑むが、その矢先に学院で死者が出てしまう……。幻のように美しく不可解な謎をはらむ、著者の最高傑作。解説=千街晶之
(出版社HP)
寝不足の日が続いていたので睡魔に負けましたが、そうでなければ最初の日に完徹してでも読み切ってしまったであろう作品でした。
このツカミの握力の強さがすごいですよ、ヘレン・マクロイ。
はあ…(うっとり)。
ヘレン・マクロイは何がいいって、やはり文章なんだなあと、しみじみと思います。(翻訳を通してもこれだけ美しいとなれば原文の表現はどうなってるんだろうと、原書を探しましたがとてもじゃないけど庶民は手が出ません(泣)。)
そして、スーパーナチュラルなと言いますか、オカルト趣味的なところもふんだんにあるのですが、かといってミステリーとしてつまらないかと言えばまったくそんなことはなく、謎をていねいに論理的に解いていくという、端正なパズラーにもなっています。
ただ、1+1=2でないとイヤ!という人には向いていないかもしれません。
以下、
ネタバレです。
解説にもありましたが、とにかく読んでいて「怖い」作品でした。
読み始めたときごろ寝して読んでいたのですが、途中で怖くておふとんの上に座り込んでしまいました(笑)。
この作品の元となった短篇「鏡もて見るごとく」(『歌うダイヤモンド』所収)を読んでいたのですが、いわゆる本格ミステリの鬼タイプの方には短篇の方がオススメかもしれません。
事件の解決の仕方、ミステリとしてのオチが、長編の方は「藪の中」だからです。
けれどもそのことがかえってこの作品全体を「怖い」ものにしているのだと思われます。
短篇の方がそうだったように、犯人が最後に明らかになって法の裁きを受ける(のであろう)という最後であれば、こんなに怖くなかったでしょう。「本格ミステリ」や「パズラー」と呼ばれる推理小説でありがちな、探偵の推理がいかに論理的に破綻がなくとも物的証拠がない場合に都合良く(笑)犯人が自白してくれる、というふうにできなくもなかったと思います。
そういう手段に訴えなかったところが、自分がヘレン・マクロイの作品に魅力を感じている理由の一つでもあると思います。
文章の美しさやエンタテインメントとして優れているということももちろんあります。が、マクロイはきっと謎解きミステリが大好きなんだろうなあ、けれども、であるがゆえに、その一種閉鎖的な牽強付会さと言うか、内輪受け的な大団円に疑問や座りの悪さを感じていたのではないかと。
だからあえてこんな消化不良な終わり方を採ったのではないかと。
それは己の心理の投影なんじゃないのかと言われればそれまでですが(笑)。
さて、わたくし、以前から「ギゼラさんもっと出してー!!」と思っていたので、今回は出ずっぱりのギゼラさんにニコニコでした。
ベイジル・ウィリングのシリーズは時系列に沿って読んでこれなかったので(というか本が手に入らなかったし)これまでの作品ではすでにギゼラさんはベイジルと結婚していたりお亡くなりになっていたりで…。
ですので本作最後の方で、ベイジルがどさくさプロポーズするシーンで「あれ、既に婚約していたんじゃなかったの!?」とそこにびっくりしました。
また、相変わらずベイジルのキャラが立ってなさと言ったら、もうなんと申し上げれば(笑)。
だいたい年齢すらはっきりしないではないですか。
これだけシリーズで出ているのですから、著者であるマクロイにもそれなりに愛されていたのだろうと思いますが、だったらなんでこんなに顔の見えない、像を結ばないキャラにしちゃったんでしょうね。好きに想像していいってことですねそうですね(笑)。
でも今回はギゼラに対して騎士道大爆発だったベイジルだけに、もうちょっとキャラクターとしての見せ場も作ってあげてもよかったんじゃないかなと思いました。
何はともあれ、ヘレン・マクロイのおかわりを早めにお願いしたいと思います!
あと、創元推理文庫のマクロイの装丁が大好きなので、このカバーの写真集とか出してほしいです!