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*さいはての西*

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『二人のガスコン』(上中下)佐藤賢一著(講談社文庫)講談社

デビュー以来、中世ヨーロッパにこだわり続けてきた作家が「構想10年」とぶちあげた歴史エンターテイメント小説が、上中下3巻で登場した。タイトルの「ガスコン」とは、フランス南西部のピレネー山麓一帯に住まうガスコーニュ人のこと。ガスコーニュ地方は、古くから多くの傑物を輩出している土地柄だ。そんなガスコンの「2人」とは、シャルル・ダルタニャンとシラノ・ド・ベルジュラックのことである。
舞台となるのは17世紀フランス、ルイ14世の御世である。かつては「三銃士」の仲間とともに、大冒険を繰り広げて快男児とうたわれたダルタニャンだったが、銃士隊は解散し、今は摂政マザランの密偵として働いていた。ある日、マザランはダルタニャンへある特命を指示する。しかも相棒付きで。その相棒というのが「哲学者で物理学者、駄法螺詩人で決闘剣客、音楽家」の巨鼻の無頼漢シラノだった。性格も信条も水と油の2人のガスコンは、お互いに反発しあいながらも、その特命を受けるが…。
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三銃士とダルタニャン祭り続行中~。
しばらく冷めないと思いますので、半笑いと生温かい目で見守っていてやってくださいまし。

単行本の上巻で放置していたものに再チャレンジ。今度は読めました。
読めたのですが、モノローグとセリフがつながる独特の文体と、特定の人物描写について同じ様な形容が繰り返し繰り返し出てくるため、有体に言えば(@佐藤賢一)くどい。これに慣れるまでやはりちょっと時間がかかりました。

この作品は、ダルタニャンとシラノが、ルイ14世の出生の秘密に迫るお話です。

アレクサンドル・デュマ(ペール)作『三銃士』から始まる『ダルタニャン物語』と、エドモン・ロスタン作の戯曲『シラノ・ド・ベルジュラッック』を含む全面的なネタバレです。歴史上の俗説についてはネタバレとはみなしませんので合わせてご了承下さい。
ちなみにわたくし戯曲『シラノ~』は未読で舞台も映画も見たことがないですが、主な登場人物と起承転結は知っているという「おとぎ話として抑えている」程度です。










初読時に物語世界になかなか入り込めなかったのは、この独特の少々くどい文体と、主人公二人の人物描写に力が入っているためその部分が長く、物語がなかなか始まらない/動き出さないためだったと思われます。
モノローグはもちろん登場人物の主観ですが、地の文と同じように書かれているため、客観的事実なのか単に登場人物の感想なのかを弁別するのがめんどうくさい。特に外国が舞台の歴史小説の場合、それが歴史的にどういう時代だったのかに加えて、当時の人々の衣食住、文化や価値観、概念、地理や気候風土などを説明する必要が出てきます。そこへ加えて「え、それ感想?ただのあんたの感想なの?」みたいなことが最初からばんばん出てくると、読んでいる方は情報の交通整理をするのがたいへんです。

時代設定はルイ14世が8歳になる、1646年の6月から9月までのひと夏のお話です。
『ダルタニャン物語』では語られない空白の時代だった、第一部『三銃士』と第二部『二十年後』のちょうど真ん中、ダルタニャンは30歳過ぎということになっています。シラノはダルタニャンより数歳下でもうすぐ30歳。
久しぶりに『ダルタニャン物語』をざーっと再読してから読んだため、それが非常に良かったと思いました。細かいところまで『ダルタニャン物語』から浮かび上がるダルタニャンのキャラクターを自分流にパワーアップ再現されていて、このあたりはニヤニヤ笑いながら読んでいました。(意外と几帳面なところとか、仲間思いでけっこう気を遣うタイプで誰に対しても礼儀正しいところとか、反面、自分にとって仲間じゃなかったらものすごく冷淡なところとか)

デュマの原作では、この20年間はダルタニャンはまさしく鳴かず飛ばず、三銃士たちが退役してからすっかり元気がなくなり、未亡人付きの下宿に転がり込んで40歳近くになってもずるずる関係が切れず、「家族もいない、友達もいない。もう故郷に帰ろうかな…」とか、めずらしく弱気になっていた頃です。直属の上司マザラン枢機卿のことも好きになれず、ぶつくさ言いながらも生活があるから仕事も辞められない(@アトス)、「ダルタニャンの貧乏」と言えば格言になっているくらいという、良く言えば清貧、悪く言えば手元不如意のすっかり鬱屈したサラリーマンでした。
『二十年後』では三銃士に再会してまた輝き出すダルタニャンを見ることができるのですが、この空白の20年のど真ん中に出会ったのがシラノという設定です。

またシラノのキャラクターもめちゃくちゃ濃くて(笑)上巻では予想通りというか「船頭多くして舟、山に登る」状態。ダルタニャンとシラノの強すぎる個性がどちらも引かず、双方口が減らないため、犬の喧嘩みたいになってます。シラノは自分の容姿にコンプレックスがあるキャラクターなので、最初はダルタニャンのことを「イケメン爆発しろ」程度にしか思っていないのですが(笑)、マザラン枢機卿から監視を命じられた女性マリー・ド・カヴォワにダルタニャンが一目惚れしてしまい(シラノはもちろんロクサーヌのことがあって)、このあたりからだんだんシラノがダルタニャンに同情的になってきます。
デュマの原作でもダルタニャンは小柄ながら精悍な好男子ということになっていますが、それにしてもやけにダルタニャンの美男子ぶりが繰り返し強調されるなと思って読んでいたら、マリーとのことでダルタニャンは『シラノ~』のクリスチャンの役割を担わされるという、二重構造になっていることがわかります。

わかりますが、いや、ちょっと、佐藤先生!それダルタニャンがかわいそうじゃないですか?(笑)(だったら笑うな)同じ振られるにしたってほかにやりようがあった気が。『シラノ~』との二重構造になっているということはダルタニャンが派手に振られてから気づきました。闇夜のバルコニーのシーンでもう気づいた方も多かったのではないかと思いますが。

このあたりの昭和の高校生的ラブコメはげらげら笑いながら読んでいました。むさい男所帯にいきなりマリーが訊ねて来るシーンのダルタニャンのあわてっぷりとか、洗濯物をベッドの下につっこんでごまかすけどはみだしてるとか、恋愛成就したと思ったらマリーが好きなのは実はシラノだったとわかって幽霊みたいになって帰って来て、シラノに「今すぐ告白してこいさあしてこいしてこいっつってんだろシラノー!!」とか夜中の二時に大暴れして大家さんに叱られるダルタニャンとか、ベッタベタなのですが(笑)。

結論として、体育会系のダルタニャンは確かにかっこいいけど、本当にモテるのは作家であり文化系でもあるシラノというところに、なんというか、作家としてシラノに思い入れが傾いてしまうのかなと思いました。シラノもいいやつだと思いますが。(偽名がポルトスなところにも納得です)
恋愛関係の部分で言うと、マリーといいロクサーヌといい、それからアンヌ王妃といい、女性の描かれ方があまりフェアとは言えないと思います。「女性は物であってはいけない」というセリフがちょっと空々しいと感じたほどです。特にダルタニャンもシラノもそれぞれ振られているわけであり(シラノはリングに上がる前に負けているというか棄権というか)、そのあとにいかにろくでもない女かと言い募るのはカッコ悪いぞ★

ダルタニャンがアンヌ王妃に対してコンスタンスのことを責めるシーンが出てきますが、アンヌ王妃の子どもっぽい言い訳は作家のバイアスとしても、ダルタニャンが大人げないと思いました。

なかなか動き出さなかった物語も、上巻の最後、ダルタニャンが元上司のトレヴィル元銃士隊隊長に会いに行くところから回り始めます。
トレヴィルは「うわさ話の類に過ぎない」と釘を刺しながらも、ルイ14世の出生にまつわる話をダルタニャンに話して聞かせます。ここでダルタニャンはトレヴィルから「銃士隊を再興してくれ。おまえが隊長になれ」そのためになら誰に仕えたってかまわん、と夢を託されます。
この当時マザランの緊縮財政のおかげもあり、精鋭部隊である銃士隊は解散されていたのでした。

「マザランの犬」とシラノに言われて自分でもそのとおりだと鬱屈していたダルタニャンは、ここで夢をもらいます。
そして自分の友情と上司に恵まれてきた幸せな人生に、恩返しするときがきたのだと思い定めます。
何をしでかしても見放さず、いつも身を挺して守ってくれたトレヴィルを父親のように慕っていたダルタニャンは、彼に泣いて頼まれて一念発起するのですが、いっそこの夢を実現するためにダルタニャンがどうしたかを重点的に描いてくれても楽しかったかも、と思う部分もありました。
ただ、夢が叶うシーンは、これはこれでよかったです。夢が叶うときって、こんなもんなような気がします(笑)。いつも一生懸命働いていると、思いもしなかったところからチャンスがごろんと転がり込んでくるという。

トレヴィルが話してくれたのは”ルイ14世双子説”でしたがこれは結局ガセネタだったことがわかり、ダルタニャン組とシラノ組に分かれて調査してきたことなどをまとめていった結果、バスティーユに幽閉されている”鉄仮面”は実はマリーの弟ユースタスだったことが判明。ではなぜユースタスは顔を隠されて幽閉されているのかというと…というところで真相が明らかになります。
最後は往年のヤクザ映画みたいな(笑)ダルタニャンとシラノのオルレアン公邸への殴り込みで、2人vs.300人の死闘が繰り広げられますが、マリーの死は取ってつけたみたいで、ダルタニャンをまた泣かせるためだけにこういう展開になった感があり、ダルタニャンがかわいそうでした。
それと、言うてすまんが(原作のイメージがあり)ダルタニャンの恋愛ってちょっと信用できない(笑)。男の友情と女の愛情を天秤にかけたら、絶対前者を取ると思うので。
それがダルタニャンをダルタニャンたらしめている彼の生き方なので、それでいいのですが、だったらいっそデュマの原作みたいにあんまり女についてああだこうだ言わない方が、かっこいいよ?

最後はダルタニャンは「国王陛下の銃士」として、シラノはシラノの自由でロクサーヌを愛する人生をそれぞれ歩んでいきます。
ラストシーン、ダルタニャンとシラノの別れの場面は、「adieu」と「au revoir」を使い分けています。これも『ダルタニャン物語』のダルタニャンの最期のセリフへのオマージュかなと思いました。
by n_umigame | 2012-01-03 19:22 |