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*さいはての西*

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『名探偵ポワロ』シーズン12 #4「オリエント急行の殺人」

パレスチナで事件を解決したポワロはイギリスに戻るためオリエント急行に乗車。終点のカレーまで3日の長旅だ。列車には国籍も階級もさまざまな人々が乗っていた。アメリカの富豪ラチェットにその秘書と執事、ギリシャ人医師、ロシアの公爵夫人とメイド、ハンガリーの外交官夫妻、女性宣教師…。2日目の夕方、ポワロはラチェットから殺されるかもしれないと保護を頼まれるが断る。だが翌朝、そのラチェットが刺殺死体で見つかる。
(NHK海外ドラマHP)


今シーズン4話放送されましたが、最後に見た『オリエント急行の殺人』があまりにも深く、考え込んでしまったため、順逆になりますがこちらの感想を先にアップさせていただきます。

たいへん重い「オリエント急行~」でした。そして時間を追うごとに、心身ともに冷えわたるドラマでした。今シリーズの最初に見た3回の記憶がふっとんでしまうような、深く深く考えさせられる内容でした。
この『名探偵ポワロ』に限らず、キリスト教文化圏のドラマを見ていると、キリスト教における「罪と許し」ということについて、深く考えさせられることがあります。
今回の『オリエント急行の殺人』ではそれが非常に端的に、わかりやすく示された好例のような作品だったと思います。


以下、ネタバレになりますのでもぐります。
原作との比較も交えながらになりますので、併せてご注意ください。








今シーズンは日本放送までかなり時間があいたので、主にネット上で前評判をちょこちょこと目にしていたのですが、どちらかというとあまりいい評判を目にしませんでした。「やっぱりテレビドラマの90分枠では難しかったのかなあ…」という程度に思っていたのですが、何が不評かわかった気がしました。
不評の原因はトリック(謎解き)重視ではないところでしょう。
「容疑者全員が犯人」という部分をどうエンタテインメントにしあげるかという作品ではありませんでした。
けれども、わたくしがとてもこの解釈が良いと思ったのも、トリック(謎解き)重視ではないところでした。

冒頭、原作では「名のある高官が自殺をし、もうひとりが突然辞職した。」という程度で軽く触れる程度だったエピソードを、かなりクローズアップして味付けした形でドラマは始まります。
詳しいことはドラマを見た限りではわかりませんが、いつものように舌鋒鋭く華麗な推理をくりひろげ、真相を明かし、真犯人を追い詰めるポワロは、結果的に犯人をピストル自殺に追いやってしまいます。
このシーンで、自殺した軍人の返り血がポワロの”眉間に”飛び、くっきりと血のあとを残します。

ポワロは見送られる船の中で、下士官(?)から、上官の感謝の言葉とともに、下士官自身の批難の言葉も受けます。(原作では「フランス軍隊の名誉が救われた、血が流されずにすんだ」と言われていますが、人が一人死んでいるのです)中尉をあそこまで追い詰めることはなかったのではないかと。

暗い表情のままのポワロは、イスタンブールの町中で、女性が暴徒に追われているところと、それを止めようとしているイギリス人男女(メアリー・デベナムとアーバスノット大佐)を見かけます。
聖書の「姦淫した女」のエピソードそのままの形で、女性は暴徒に石を投げられて、おそらく死んでしまったのではないでしょうか。(生きていても大けがをしている上に、元のコミュニティには戻れないでしょう)
列車内でミス・デベナムと言葉をかわしたポワロは、罰せられるとわかっていて禁を犯したのだから、女性が悪いのだという趣旨のことを言いますが、ミス・ベデナムは賛成しません。
「汝らのうち罪なき者、まず石もて打て」…ここではポワロは自らを「罪なき者」と考えているので、自分には石をもて打つ権利があると思っている。
この直前にラチェット(カセッティ)からセクハラされ(ただけではありませんが)て動揺しているミス・デベナムに優しく声をかけたポワロでしたが、ここは譲りません。(ドラマのポワロさんは本当に優しい人なんですけれどもね…)

この冒頭のエピソードは、聖書の中でもよく引かれる部分ですので有名かと思いますが、人が人を裁くことの難しさを考えなさいと諭すエピソードだと理解しておりました。

やがて真打ちの殺人が起こり、ここでもう一度、ポワロは問われることになります。
「石もて打つ」権利がおまえに本当にあるのかと。

ファナティックなプロテスタントのグレタ・オルソンは、列車に乗り込むとき「聖クリストファーにキスを」しますが、ここも原作にはなかったエピソードだと思います。
聖クリストファーはその名のとおりキリストを運んだという聖人だそうですが、このとき少年の姿をしていたキリストは、世界中の罪と苦しみを背負っていたため誰よりも重かったというエピソードです。これも示唆的です。

カセッティは、体の自由を奪われたまま意識がある状態で12回刺されるという、原作より残酷な殺され方になっていますが、この改変も、視聴者により積極的に考えてほしいという制作者の意図ではないかと思いました。

「悪人」とは誰か。あるいは何をもって悪人と言うのか。
「罪がない人」とは誰か。あるいは何をもって罪がないと言うのか。
「殺されてはいけない命」と「死んで当然の命」があるのか。ではそれはどこで分けるのか。あるいは誰が分けるのか。
そしてこれらを決めることができる人間…神ならぬ身の人間は、本当に存在するのだろうか。

『オリエント急行の殺人』は、「これらを決めることができる人間がいる、そしてそれは自分たちだ」と思い込んだ12人の共犯による殺人ではないのか。
カセッティのやったことは許されることでは、もちろんない。では、復讐のためにカセッティを殺した12人は「許されるべき」なのか?
そういう解釈のドラマでした。

結果的に殺人を容認したことで、ポワロは事後従犯となりました。
でも法的にどうかということより、ポワロの魂は取り返しのつかない代償を支払ったことになります。
見返して気づいたのですが、『三幕の殺人』では最後にポワロは「わたしは探偵です。審判は下しません」と言っています。ドラマのポワロはまさしくそうでした。真相を明らかにすることに情熱は傾けますが、おのれが神と思い上がって審判を下すのではなく、裁きは神の手にゆだねるという形をとってきました。
ポワロがカトリックであるということが、これほどドラマで強調されたことはないでしょうが、『オリエント急行~』でも「裁きは神にゆだねなさい」と言っています。「いったい何様のつもりか」と。「人々が勝手に隣人を裁いていた暗黒の中世と同じだ」と。

地元の警察がやってきて、ほぼ全員喪服のような黒い衣服に身を包んだ12人の間を通り抜けるポワロ。そして12人に見送られながら、苦渋に涙ぐむポワロを見ていると、こちらまで胸が張り裂けそうな気持ちになりました。

うがち過ぎかもしれませんが、冒頭の、眉間の血のしるし…人殺しのカインのしるしは、おそらく(かなり高い確率で)ポワロ最後の事件『カーテン』への布石でしょう。
そして、もし原作通り『カーテン』がドラマ化されるとすれば、『カーテン』は、”人を殺しておきながらのうのうと生きながらえている人間”が死ぬお話として、今回の『オリエント急行の殺人』のモチーフがくりかえされることになるはずです。

このドラマのポワロは、とても心優しい、愛すべき人物として描かれてきました。
犯人を自殺に追いやったこともありませんでした。(目を離したすきに、とか予想外に、ということはありましたが、「死ね」と言ったことはありません。ましてや某探偵たちのように、自ら犯人を殺したこともありません。)
それでなくても、この心優しいポワロが『カーテン』で幕切れを迎えるなんて、想像しただけで泣きそうになっていたのに、20年の積み重ねがあって、ここへ来てのこの展開に、すでに泣きそうです。

途中「はあ?」みたいなできになり、大いにファンを失望させることもあったこのドラマでしたが、作っている人が真剣に作品に向き合うと作品自体が深化して、有機的に成長するんだなあと、感動しました。
クリスティが生きていてこのドラマを見たらどう思ったか、感想が聞きたかったですね。

残るファイナル・シーズン、もうつらい展開になることはわかっていますが、信じて見続けてよかったと思えそうです。
by n_umigame | 2012-02-19 19:38 | 映画・海外ドラマ