アイスクリームを愛する青年ジョニーは殺し屋だ。依頼は相棒のマックが持ってくる。一人では生きられないジョニーをマックが過酷な世界から守り、ジョニーが殺しで金を稼いで、二人は都会の底で生きていた。相棒を殺された刑事が彼らを追いつめはじめるまでは。男たちの絆と破滅を美しく描いた幻の名作、30年ぶりの復活!
(カヴァー裏)
帯に、「居場所がない。狂おしい。ひとりでは寂しすぎる。そう実感するすべての人に。」という桜庭一樹さんのオススメ文が載っていますが、個人的に、本当にそう感じている人こそ、こういう小説にそういう救いを求めない方が良いのではないかというのが、読み終わった正直な感想です。
この書き出しでおわかりいただけたかと思いますが、以下、褒めてません。
ファンが多い作品のようで、肯定的な感想はたくさん見かけたのですが、そうでない感想をアップしている人をあまりお見かけしませんでした。
それがかえって不自然さや居心地の悪さを感じたので、まあそういう意見もあるんだなというご参考までにお読みいただければと思います。(もちろん、否定的な意見を聞きたくないという方はここで回れ右推奨です。)
以下、ラストまでネタバレしていますので、もぐります。
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「褒めてません」と言いましたが、まず公平に申し上げると(非常に不遜な言い方なのですが)、とても巧い小説だと思います。
読みやすいし、次はどうなるんだろうと(破滅の予感は抱かせながらも)はらはらさせますし、読ませます。どんどんページをめくらせる力のある小説だということです。(翻訳の文章が少し古くさく感じるのですが、初版が1982年だったそうなので)
ただ、これは、どうも一般にそう評されているように、ゲイミステリでもいわゆるBLでも、ましてやブロマンスでもない。カヴァー裏にあるように「男の絆」を「美しく」描いたものでもないと思いました。
その一番の理由は、主人公二人、マックとジョニーの関係が「共依存」であるということです。
この「共依存」の関係にサイモンが加わることで三角関係になりますが、これで原題の"Triangle"の意味がわかります。サイモンはマックが殺されるように画策しますが、それが成功してジョニーがマックの亡骸にしがみついて泣き崩れていると「おまえのためにやったんだぞ」と言い放ちます。
ずっとげんなりしながら読んできて、ついにこのセリフが出てげんなりのとどめを刺してくれたのですが、これは子どもに依存しているいわゆる「毒親」のおきまりのセリフです。
共依存は愛ではありません。
最後まで読んで改めてイヤな意味で納得してしまったのは、ジョニーがマックからサイモンに軽々と乗り換えたところです。そうだろうなと思いました。
依存する相手は誰でもいいのです。それは愛ではないのですから。
人間に対する愛情はスペアの利かないものです。
これが愛の物語であるならば、もしジョニーが女性だったら、きっと「尻軽女」だとかなんだとかさんざん言われたのではないでしょうか。
でもどうして男性が男性に同じことをしたら許されるのか、さっぱり理解できません。
肯定的なご感想を読んでいて感じた居心地の悪さの原因は、おそらくこれに尽きます。
繰り返しますが、これが深い友情を含む、愛の物語であるならばです。
この小説には、ひと頃問題になった(今でも問題になっていますが)人間関係にトラブルを抱える人の"症例"とされる例が見本市のように次々と登場します。(症例ということばを使いましたが、わたくしは素人ですので、はたしてそれが疾患…病気なのかという点からして判断できません。)
共依存、PTSD、ギャンブル依存、仕事依存、アダルト・チルドレン、砂糖依存症。
一番クローズアップされるのは主人公二人の共依存関係です。
二人ともベトナム戦争から帰ってきました。アメリカでは、戦争での凄惨な体験からPTSDになり、社会生活に復帰できずに苦しむ人たちがたくさんいたそうです。おそらく今でも苦しんでいらっしゃる方がいるのではないでしょうか。
主人公の一人、マックことアレグザンダー・マッカーシーは、ギャンブル依存症で、彼の母親が精神病院で亡くなったことが説明されます。
殺人の実行犯を請け負うジョニーは、いわゆるアダルト・チルドレンで、厳格すぎる父親から愛されずに育ったことが描かれます。ジョニーの父親はジョニーの愛犬を殺してしまうような度が過ぎた人で、父親も精神的・情緒的に問題があった人であることがわかります。ジョニーは30歳を過ぎても自分の人生を自分で選択して生きていくということができません。子ども時代に親との愛着に障害があると、決定を他者に依存してしまうということがあるようです。親が愛情をかけるということを知らない人だと、それが子どもに連鎖します。負の連鎖です。
ジョニーが何かを食べるシーンがよく出てきますが、アイスクリームに始まって、コーラやオレンジジュースなど甘い物ばかりです。積極的にそんなものばかり欲しがって食べています。甘い物好きの範疇を超えて、これも依存症なのではないでしょうか。
三人目の主人公、サイモンはある意味わかりやすい「問題のある人」です。サイモンの父親も厳格な人で、関係が上手くいっていないことが何度か描かれます。(ちなみにジョニーの父親はキリスト教の、サイモンの父親はユダヤ教の、それぞれ神職で、一神教の過剰な厳しさをまずい方向に具現化したみたいな例になっています。これもわざとでしょう。)
サイモンは元々ワーカホリックだったところを、おそらく相棒のマイクがずっとフォローしてきてくれたのでしょう。サイモンはマイクに依存していましたが、おそらくマイクはそれが「依存」であって友情ではないことに薄々気づいていて、サイモンを心配していたことを、サイモンはマイクの妻から聞きます。
サイモンはマイクとの関係を対等の友情だと思っていたようですが、これはサイモンの片思いでした。マイクは人好きがして、人間関係に非常に如才ない人であったことが何度も描かれますので、サイモンへの同情と仕事上の必要から、サイモンとも上手にやっていたのではないかと思われます。
それを知ったサイモンは、マイクまで俺のことを病気だと思っていやがったのかと怒りますが、サイモンは一事が万事この調子で、少しでも批判がましいことを言われたり自分に不都合なことが起きると、何でも人のせいにしています。絶対に反省しません。
軍を除隊するとき、マックがジョニーを病院に入れろと言われ反対しますが、これは正しかったと思います。ジョニーは病気なのではなくて、本当に心からジョニーを愛してくれる人がいて、安心していられる場所を作ってあげることができる人がいれば、ジョニーに医者なんか必要ありません。
ただ不幸なことに、マックだった。
マック自身が、本当は他人の面倒を見て守ってやれるような人間ではなく、庇護(シェルター)になるような人や場所が必要な人間だったことがわかります。
二人がやっていることは傷の舐めあいです。何も解決しないどころか、状況が悪化していくばかりで、これが愛ではなく「共依存」なのだということが、本当によくわかります。
そしてもちろんサイモンもですが、サイモンは実は恵まれた環境にありました。
打ち込める仕事があり、心配してくれる家族や兄弟、同僚も上司もいたのに、全部悪くとって、さしのべてくれる手を自分でふりほどいてしまいます。
意地っ張りでも共感できる人物もいますが、サイモンの場合はやはりそれがどこかしら病的な印象を与えて、ミステリによく出てくる熱血刑事とは似て非なるものに見えます。
作者の狙いは、男同士の悲しい愛情や絆を描くことではなく、愛や友情のように見えるものにしがみつき、騙される悲劇を描きたかったのではないかと思ったくらいです。
愛情を知るには、ほんものの愛情にあふれる作品に触れることです。
「愛とは何か」とはとても難しい問いですし、もちろん正解はないと思います。
ですが、帯にあるように、あなたが今、「居場所がない、狂おしい、ひとりでは寂しすぎる」と感じているのなら、わたくしは、この物語はおすすめしません。
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