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*さいはての西*

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『ソーセージ・パーティー』(2016)と『クルードさんちのはじめての冒険』続編中止etc.(前編)


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今回の記事は、前半は『ソーセージ・パーティー』の感想、後半は最近のドリームワークス・アニメーション事情について思うことなどです。
長くなりましたので、記事を前後編に分けました。

後半のために、『ソーセージ・パーティー』のオチについても触れています。
映画未見で今から観る予定の方は、ここで回れ右推奨です。

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まずは映画『ソーセージ・パーティ』の感想から。


スーパーマーケット「ショップウェル」で、ソーセージのフランクは恋人であるパンのブレンダと結ばれホットドッグになることを夢見るなど、食材たちは人間に買われることを望んでいた。ある日、ついに一緒にカートに入れられ喜ぶフランクとブレンダだったが、アクシデントが発生し店に取り残されてしまう。一方、夢がかない購入された食材たちは……。
(シネマトゥデイより)



監督は『劇場版きかんしゃトーマス』シリーズのグレッグ・ティアナンと『マダガスカル3』などのコンラッド・ヴァーノン。音楽はアラン・メンケン。主演と製作はセス・ローゲン。




以下ネタバレですよ~。











『モンスターVSエイリアン』『マダガスカル3』等の監督、コンラッド・ヴァーノンさんが監督された初のR指定アニメーション映画という理由で観に行きました。
ディズニー・ピクサー以外の海外アニメの冷遇ぶりや、内容から考えても、日本公開は十中八九ないだろうと思っておりましたが、まさかの日本公開。
そのことについてだけでも、本当にありがとうございます。
思えばここ1年くらい、『ミニオンズ』の成功もあってか、海外アニメもこまめに日本で公開されていますよね。(※ドリームワークス・アニメーション作品除く。)


『ソーセージ・パーティー』は、もうソーセージとホットドッグ用のバンズのデザインからしておわかりかと思いますが、レイティングR-15ということで、性や薬物に関するネタがてんこもり、使われている言葉も下品で汚いので、「大人向け」ということになっています。
大人向けと言っても、艶笑譚のようにウィットやセンスで大人にしかわからない性的なネタでもって笑わせるような種類の映画では、もちろん、ないです(笑)。ひたすら即物的に「○○○!」「▲▲▲!」「×××!」とわめいては、ぎゃははは!! と自分たちだけで笑っている小学生男子をながめているような気分でした。
予告編からしてあれですが、本編はあれよりもっとひどいです。

下ネタの部分を置いても、これは子どもの目線の映画だなと思いました。後述します。

過積載の下ネタシーンは終始半笑いくらいしか笑えませんでした。
それよりも、ガムのホーキング博士がターミネーター2だったり(何を言ってるかわからないと思いますが、このシーンはぜひ見てください)、ザウワークラウト(ドイツの発酵キャベツ。ソーセージに添えて食べるアレ)がジュース(ジューズ=ユダヤ人とのダジャレ)を殺せと言いつつ行進していたり、ウッディ・アレン似のベーグル(ユダヤ)とラバッシュ(アラブ)がずっといがみあってるのに最後アレとか、エスニック・ジョークがブラック(かつ下品)すぎて、内心「ぎゃー!」と叫びながら映画館で爆笑してしまいました。
ホーキング博士は、これご本人に許可取ったのでしょうかねえ。きっと許してくださると思いますが(笑)。ホーキング博士もときどきご自身でけっこうえぐい冗談動画に登場されては世界を笑いの渦に巻き込んでらっしゃいますので。(ホーキング博士の笑いのセンスからはゆるぎないブリティッシュネスを感じます(笑)。)

エロネタ以外にもけっこうふつうにグロいシーンもあって、人間の生首が何の前触れもなく出てくるシーンもあります。人間を殺すなら別に首を切る以外にも方法があるわけなので、これも性的なネタですね。首は男性器の、斬首は去勢のメタファです。もう徹底しています。

わたしのように不勉強な身でも、これだけエスニック・ジョークで笑えるので、特にアメリカの人達は自国の(自虐的な)縮図のような郊外型の巨大スーパーマーケットで繰り広げられる笑劇に、大受けしたのではないでしょうか。郊外型の巨大スーパーマーケットという舞台がもういかにもアメリカ的です。スティーヴン・キング原作の映画『ミスト』でも、スーパーマーケットがアメリカ社会の縮図として端的に演出されていました。

このどうしようもない世界(スーパーマーケット)で、ソーセージのフランクは、ここは作られた神話に全員がだまされている世界だということを知り、それをみんなに伝えようとします。
ここで、「例え重要な真実でも、伝え方がよくないと人には伝わらないし、それどころか反感をかってしまう」という、とても大事なメッセージが込められているシーンが展開するのですが、見せられているものが見せられているものなので、「いいこと言ってるけど、きっとこれ、オマケだな」って思ってしまいます(笑)。
このメッセージ自体が、自分たちが作った映画への自虐になっているという、すごい構図です。良いこと言ってるけど、見せられてるものがこれじゃあなあ…(笑)。


そんな食べ物達による狂乱の宴が繰り広げられるわけですが、問題はむしろオチだと思います。物語世界が入れ子構造になっていて、実は自分たちはアニメ(カートゥーン)にすぎず、俳優が演じていて、本当の現実は外にあるというメタ構造になっています。

フィクションすべてに言えることですが、「おれたちはただのアニメ(マンガ、映画、小説etc.)にすぎない」というのは「それを言っちゃあおしまい」という禁じ手です。
『LEGOムービー』を思い出したという感想もいくつか見かけたのですが、「LEGO~」はメタ構造になっている種明かしが感動を生んでいましたが、こちらは「あー、王様は裸だって言っちゃったよ」という身も蓋もなさを感じました。「目くじら立てるなよ、たかがアニメのやってることなんだからさ」という、自虐も多重構造になってるんですね。
王様は裸だと言って許されるのは、ほんとうは子どもだけなんです。
最後の最後まで「子どもの目線」だったなあと思った映画でした。(『LEGOムービー』も思えば子どもの目線からずっと見ていた映画でした)

件の生首になっちゃう人間と食品たちがしゃべる唯一のシーンが、薬物でトリップしてる人間というのも、「(擬人化された)アニメのキャラと話ができるのはヤクでラリってるやつだけ」という、痛烈な皮肉を感じました。
まともな精神状態のやつがアニメキャラとコミュニケーション取れるわけないだろと。

これはさぞかし、特にアニメを製作している方面におかれましてはご不快の向きもあったのではないかと、心配しています(笑)。
だって「結局アニメなんてものはお子様のものなんだから、政治的に正しいだの何だのこだわるようなものじゃないだろ」って言ってるようなものですから。しかも、この映画を笑い飛ばせないと、「だーかーらー、たかがアニメだって言ってるだろ? どこ見てたの、この映画の? あーやだやだ、だから大人なまじめさんはいやなんだよー」と、さらに相手の術中にはまってしまいますからね。

わたしはあまりそうは思わなかったのですが、『トイ・ストーリー』を意識しているシーンがあるそうです。もしそうだとしたら、あの名作の名高い作品に当て込んでくるのも、「しゃべるおもちゃに感動してんじゃねえ」という強烈なあてこすりかもしれません。どこまでけんか腰なんでしょう。

なんちゅー映画を作ったんだか(笑)。


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この映画の以上の感想を踏まえて、後半はコンラッド・ヴァーノン監督と、最近のドリームワークス・アニメーション(以下DWA)についてあれこれです。

後編に続きます。→



by n_umigame | 2016-12-04 23:58 | 映画・海外ドラマ