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*さいはての西*

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NHK BS『アガサ・クリスティー そして誰もいなくなった』(全3回)

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アガサ・クリスティーの名作、日本初放送!!
謎の人物から小さな無人島の邸宅に招かれた10人の男女。次々と人が消えていく衝撃のミステリー! イギリスで放送され大絶賛された新作ドラマ。
原題:And Then There Were None
制作:2015年 イギリス
(NHK BS公式サイトより・画像も)

■公式サイト→



全面的にネタバレしています。

ドラマだけでなく、原作、戯曲版のネタバレもあります。
話を知らないしトリックも聞いたことがないという方は、ここで回れ右絶賛推奨です。

(戯曲版の感想はこちら。→


すべてOKの方は以下からどうぞ。
長いですよ~。















ほんとにいいですか~。

いいですね~。











先にUK盤DVDで見ていたので、ドキドキ感は多少軽減されてはいたものの、やっぱりこわかったですね! ホラーかよ! (職場で見た人も「ミステリーって聞いてたのに、ホラーかよ!」って全員つっこんでました…。)
ヴェラにクローズアップされるシーンでは、ヴェラが殺した子どもがちらちらと画面をかすめる演出になっていましたが、見せ方がホラーの手法なんですよね。『ドクター・フー』のときも思いましたが、特にホラードラマというわけではないのに、子どもを使ったホラーテイストな見せ方が、英国のドラマはうまいなあと思います。

NHK BS『アガサ・クリスティー そして誰もいなくなった』(全3回)_d0075857_15483319.jpg
左:UK盤DVD。メイキングと俳優さんたちのインタビューあり。
右:ドラマコラボジャケットの原書。原書ついに買ってしまいましたよ…。


原作は、最後に二人の警察官が事件の顛末をおさらいし、犯人は誰かと推理するシーン(フーダニット)があること、犯人の手記によってことの真相が明かされる(ハウダニット・ホワイダニット)ことでミステリーとしての形式を保っているため、この作品がミステリーとして扱われることにまったく違和感はないのですが、ドラマの方はフーダニット、ハウダニットのシーンがいちおうあるものの、短めにあっさりと終わってしまったため、知らずに見てしまった人の印象はホラー寄りになってしまったのではないかと思われます。

ですが、ドラマとしてはこれでいいと思いました。
全体的にテンポよく仕上がっていましたし、それでいて原作のテンポも損なっていないのがさすがだなあと思って見ていました。
全3話構成ですが、最初の2人の犠牲者が出るまでに丸1話使っています。これは原作でも最初の2人が犠牲になるまでに本文の半分くらい使っていて、後ろに行けば行くほどピッチが上がって緊張感が増す構成になっているところと呼応しています。日本では毎週日曜日の放送でしたが、英国本国では3日連続放送だったので、この緊張感の高まるテンポのよさを実感できたのではないでしょうか。
冒頭の、十人が兵隊島へ集められてくるシーンもそうでしたが、早打ちのタイプライターで次々と手紙を出していくという場面になっていて、テンポが良くてすばらしい導入部になっていました。
これが原作どおり、一人一人の思惑を丁寧に追いながら登場人物の紹介をしていくような見せ方だったら、ドラマとしてはもたもたしたものに感じたでしょう。
「よく知りもしない人からの怪しい招待をそもそも受けるか?」という疑問は昔からあったそうで、視聴者にそんなことを考える隙を与えないという意味でも、いい演出だったと思います。(その疑問に対してアガサ・クリスティーは「イギリス人というものは、それくらい島でのバカンスに目がないの」と答えたとか答えなかったとか)

ラストの、犯人がヴェラの前に出てきて「わたしが犯人です」「なんでこんな犯行に及んだかと言うとね」と語り出す、というのは、戯曲版からの採用ですね。
この演出は一歩間違えるとギャグになってしまうのですが(ギャグになってしまった例:戯曲版)、ドラマの方はここまで引っ張ってきたホラーの雰囲気を壊さず、上手にまとめられていました。
このあとは原作どおり全滅するので、これでいいと思います。
そもそも小説の方も、犯人が海に捨てたボトルレターが偶然拾われたことで真相が明らかになるという展開なので、「偶然にしてもできすぎだろ」「その前にボトルレターってあんた」「乙女? 乙女なの?」というツッコミが全方位的に飛んでくるのは避けられず、そのままドラマにしたのではギャグになってしまったでしょうし。(原作でも「わたしって、ほら、ロマンティストだから❤ ごめんね❤」って犯人が言い訳してますしね。犯人のやらかしたことを思えばロマンティストの定義を小一時間くらい考えてしまいます。)

NHK BS『アガサ・クリスティー そして誰もいなくなった』(全3回)_d0075857_15483768.jpg
左:自宅から発掘された旧訳版。原書のタイトルも最初のままでした。
右:Kindle版の新訳版。
個人的には旧訳版をオススメしますが、ドラマを見たあとなら新訳版の方がすっと入ってくるかもしれません。
新訳版はちょっと日本語がやわらかすぎる印象です。好き好きかと。



ほかの原作からの改編は、全体的に登場人物10人について、それぞれ、より踏み込んだ解釈になっていました。
その解釈が、最近のBBCのドラマらしく、意地悪なんですよね(笑)。

10人はそれぞれに人を殺しているのですが、それでも原作では、明確な殺意(確定的故意)ではなく、「未必の故意」に相当するのではないかと思われるようなキャラクターがかなりいます。(どちらも法的に有罪には変わりはないようですが)

以下、順番に見ていきます。

最初の方で殺される使用人のロジャーズ夫妻。
原作では、老齢の雇い主が心臓の病気を患っていて、ロジャーズ夫妻がわざと薬を手元に置かなかったせいで亡くなったとされています。ただこれは本当にロジャーズ夫妻がやったかどうかはわからず、犯人は人づてに話を聞いただけで、やったに違いないと断定しています。
ところがドラマでは、はっきりとした殺意を持って殺していました。薬を遠ざけるなどという迂遠で不確実な方法を取らず、ロジャーズが枕で窒息させていました。雇い主からもらえる予定の遺産が早く欲しいという身勝手な理由と、病気で動けない老齢の人をこんな方法で殺す様子は、残忍で冷酷でした。ロジャーズ夫人はそれを見ていて、止めなかっただけと言えば止めなかっただけです。
ですが犯人(=クリスティー)の正邪の判断では、非道が行われているときにそれを黙って見ていただけの者も、殺人者と同罪です。ロジャーズ夫人はそれをずっと気に病んで終始びくびくしていて、ロジャーズに殴られたりしています。表向きはおだやかで礼儀正しく有能な召使いの鑑のようなロジャーズが、人目のないところだったら平気で妻を殴るような人間だったという、このロジャーズの人物造形も、原作では語られなかった部分です。

また、ドラマ化の際の改変に、最近のBBCは頻繁に同性愛を盛り込んできますが、今回のドラマも例外ではありませんで、しかも2件も入っていました。(そう言えば『ブラウン神父』でもやってましたね…。)

ひとつめは、エミリー・ブレントです。
原作でもミス・ブレントが使用人の娘ビアトリス・テイラーに冷酷な仕打ちをして、そのせいでビアトリスが自殺したというところは同じですが、ドラマでは(明言はされていないものの)ミス・ブレントはビアトリスに同性愛的な感情を抱いていたのでは? という演出になっていました。今回のキャストを初めて見たときに、なんだか可愛らしい感じのミス・ブレントだなと思ったのを覚えています。こういうわけだったんだと、ドラマを見て納得しました。また、原作のミス・ブレントが狂信的で、自分は間違ったことは絶対にしていないと頑迷に思い込んでいるのに比して、ドラマの方はビアトリスの亡霊に怯えるシーンがありました。
ドラマの方がいろんな意味で人間的ですね。そのわりに殺され方が原作より残酷でしたけれども…。これは視覚により強く訴えたいドラマという表現媒体上、仕方がないのかもしれませんが。
なので、ドラマの方のミス・ブレントには同情の余地があると言いますか、ちょっとかわいそうな人でもあります。同性愛がまだ犯罪だった頃のイギリスで同性を好きになってしまって、それをずっと秘めてないといけなかったところへ、好きな相手が妊娠しましたって来たら反射的にキレちゃったって話ですよね。もちろん行く当てのない身重の少女(原作によるとビアトリスは17歳)を雨の中おっぽりだしていいということにはなりませんけれど。
もうひとつ気になったのは、ドラマではビアトリスは戦災孤児ということになっていましたが、原作ではビアトリスには両親がいて、両親も娘が未婚で妊娠したから追い出したということになっていて、アガサ・クリスティーのさりげに毒親登場率の高さに、改めていろいろ考えてしまいました。
もっと言うなら、ビアトリスを妊娠させた男はどうして責任取らないんだって話なんですけど。

ふたつめは、元刑事のブロアです。
ブロアは原作では例外的に10人中確実にクロだったことがはっきりしてるキャラクターで、最後に謎解きをする副総監が「あいつは悪党だった」と明言しています。
ただ仮にそうだったとしても、ブロアが金銭目当てに偽証したせいで無実の人間が投獄され、結果的に獄中で亡くなったという話なので、ブロアに明確な殺意があって殺したわけでも、殺すつもりでもありませんでした。ところがドラマでは、「母親も見分けがつかないほど」殴る蹴るの暴行を加えていて、その理由がゲイだったからというものでした。当時のイギリスではまだ同性愛は犯罪だったにしても、警官にホモフォビアが多かったにしても、極端に過ぎるなと思っていたら、ブロアもゲイだったんじゃないかという感想を見かけて、ちょっとなるほどと思いました。「ちょっと」なのは、ミス・ブレントのように相手を好きだったようでもないし、だからどうした? ってなったからなんですけれど。
あと、家庭菜園を持っていて「ふつうの生活が幸せだった」と言うシーンがじわっと来ました、特にバーン・ゴーマンさんに言われると(笑)。

マッカーサー将軍も、原作では未必の故意だったのが、ドラマでははっきりとした殺意をもって殺してました。ドラマだと後ろから撃ったみたいでしたが、殺害後どうやって周囲に部下の死をごまかしたのか気になりました。(殺されたとき目を閉じてたのに運び込まれたときは目んたまカッッッ!!とかっぴらいていたのも気になりました…)
どうでもいいですが、サム・ニールさんって左回りに振り向くときにちょっと動作をためるような独特の演技をされるくせがあり、今もそうされているのを見てうれしくなりました。これこれー❤ ネットで感想を見ていたら「サム・ニール老けたなー!」って言ってる方がいて、えっ、そうかなと思ったら『ジュラシック・パーク』(1993)以来見ていないそうで、そ ら な!!! ってなりましたこともどうでもいいですが言いそえておきます。わたくしはTwitterでアカウントをフォローさせていただいているので、365日現役サムさんです。けっこうなツイ廃であることもどうでもいいですが言いそえておきます。ファンはうはうはです。

医師のアームストロングは、原作でも飲酒して手元があやうかったのに手術をして患者を殺してしまっています。ドラマでははっきりとアルコール依存症であることがわかるように描かれていました。また、原作と違うのは、(本人はそうとは知らず)犯人の共犯になったのかどうか明言されていなかったところです。ドラマだと単独犯だったということでいいのでしょうか。
この辺りも原作はうまくて、だんだん人数が少なくなってきて全員が警戒を強める中で、老齢で病気の犯人が犯行を成し遂げることができたのか? という疑問に、だって途中から共犯がいたからという形で答えています。(犯人の病気は原作では明記されていませんでしたが、これもドラマではがんだとはっきり言っていました。ただ全身に転移して痛みが強いはずなのにぴんぴんして歩き回ってるのはどうかと思いましたが…)

ロンバートも、原作では現地の人を置き去りにして逃げたというだけでしたが、ドラマではダイヤモンド目当てだったと言っています。犯人に「いちばんまともそうに見えたがねえ」と言われていますが、確かにそうだねと笑ってしまいました。

最後に残ったヴェラの解釈が、いちばん意地悪だなと思いました。
自分が好きな男性(ヒューゴー)と結婚したいがために子どもを罠にかけて殺したというのは原作と同じですが、ヒューゴーにそれがばれていたことを、ヒューゴーの口からヴェラにはっきりと言わせている点がまず原作と違います。微妙な差異のようですが、これがまずヴェラに対する罰になっていますよね。
次に最期に犯人の種明かしを首宙ぶらりんの状態で聞かされるはめになるところ。絞首刑は(とてもそうは思えないのですが)ほぼ即死するのであまり残酷でない処刑方法だということで採用されていたそうです。(日本では現役ですが)ですが即死できないとこんなに苦しいうえにみじめだということが、いやでもわかる絵になっていました。


原作では10人目の犠牲者がちゃんと書かれていて、アイザック・モリスです。島に全員が集まるように手配した人物ですね。
犯人は自分は無実だと思っているので、10人目の処刑は自分ではないのです。
ですがクリスチャンで自殺するということ、カインの印をつけて死ぬということは、自分も有罪で地獄に落ちると思っているということだろうと思うのですけれど。
ドラマでは犯人の回想シーンにいわゆる「うそつきフラッシュバック」が使われていて、このドラマを犯人当てで推理しながら見ている人がいたとしたら、これはちょっと反則かも。と思いました。


あと、ドラマでは、アームストロングとブロアがなぜこんなにヴェラに対して悪意を剥き出しにするのか、そこもよく理解できませんでした。ヴェラ個人にと言うより、「生意気な女だ」というニュアンスで言っているので、「そういう女」に対するバッシングなのだと感じるような演出でした。1939年という時代設定があるからにしても、原作にはないのにわざわざ入れてるのですよね。小説と違って秒単位で時間制限があるドラマでわざわざ入れるというところに、制作者の何か恣意的なものを感じます。
原作では、ヴェラが、犯人にはっきりと嫌われている! と感じる場面があります。ただ犯人は(たぶん自分も含めて)この島に来た人を全員嫌いで、ただその中でもヴェラに「女性だが、彼女なら最後まで生き残ってくれると思った」という妙な信頼を置いていることがわかります。(ドラマでは「わたしのお気に入りだよ」と言っているだけでしたが)著者が女性だからかと思ってあまり気にしていなかったのですが、このあたりは時代背景と女性のおかれた立場などについて、今思えば、さりげなくクリスティーの主張があったのかもしれません。


原作の犯人は手記(ボトルレター)の中で、殺される順番があとになる者ほど罪が重いと考えていると言っています。
最初に殺されるのは危険運転で子ども二人をひき殺したマーストンですが、確かによくある事故で殺意はなかったとは言え、10人の中でいちばん罪が軽いと言えるかどうかは疑問です。しかもマーストンは全然反省しておらず、「半年(原作では一年)も免停くらって大迷惑だよ」「暗くなってから子どもを表で遊ばせる親が無責任だ」とかほざいてます。(吹き替えでは一人だけアニメみたいな吹き替えで、マーストンのうざさが際だってよかったと思います。)
おそらくここを解消するために、ほかの登場人物には明確な殺意があったというふうに改変したのだろうと思われますが、不確実性が高いロジャーズ夫妻や未必の故意と言えるマッカーサー将軍までそうしてしまったために、はたして犯人の考える人でなし度の優劣をどうやって計るのかという点では、非常に曖昧になってしまっていました。
原作でもそこらへんは、じゃあ、果たしてヴェラ・クレイソーンの罪が一番重いと言えるのかと問われると、難しいですね。
これは犯人の、つまり原作者であるアガサ・クリスティーの考える正義なので当然と言えば当然なのですが。
もし違いがあるとすれば、ロジャーズ夫妻は魔が差した、マッカーサーやミス・ブレントは激情によってしたことで、ヴェラのように非常に計算高く(原作では失敗したときのこともシミュレーションしています)、自分の利益のために動いたわけではないという点でしょうか。そのヴェラも動機は愛情ではあるわけです。

アガサ・クリスティーの作品においては、人を殺した人間は必ず罰されます。その罰というのはほぼ例外なく死刑です。作品中で殺されたというそのこと自体が、人を殺したという証明になっているのですね。
クリスティーが小説でやっていることは、この作品の犯人と同じなのです。
誰かが人を殺したと、自分が思えば、証拠不十分でも状況証拠だけでも、その「誰か」は有罪なのです。
クリスティー自身もそこは自覚していて、だからポアロの最後の作品が『カーテン』なのだろうと思います。たとえ探偵であろうと、そこに例外はないという、非常に厳しい態度です。
この苛烈なまでに主観的な正義(正義はなんだっていつだって主観でしかないですが)に疑義を呈したのが、ITV版のドラマ『オリエント急行の殺人』でした。『アガサ・クリスティー完全攻略』で、『そして誰もいなくなった』と「オリエント~」は裏表だと書かれていたのは象徴的だと思います。


***




英盤DVDの裏を見ると、R-15相当だったようです。(日本はこの辺り甘いですよね)
確かに、違法な薬物(コカインらしいです)でハイになってパーティするシーンは出てくるわ、人が殺されるシーンは直裁で残酷だわ、控えめとは言え2回もラブシーンあるわ、言葉は汚いわ、この辺りの殺人シーン以外の原作からの改変については、やはり「あかんやろデイム・アガサの作品に対して」という意見もイギリスでもあったようです。(デイリー・メール・オンラインの記事→)




あと、この記事に、ドラマに出て来なかった登場人物の写真があって、二人組でどうも刑事っぽいので、謎解きをするシーンも最初はあったのかもしれませんね。
最初に述べた理由で、このドラマに関してはなくても正解だったと思いますが。


屋内はWrotham Hallでロケをしたそうですが(DVDのメイキングによる)、外観は島にあの白い建物を建てたようですね。IMDbによれば小さい建物をCGで広く見せているそうです。

***

BBCではアガサ・クリスティーのノンシリーズもののドラマ化として、次は『検察側の証人』を取り上げたようです。
『検察側の証人』も傑作ですので、こちらもぜひ日本での放送を期待します。




by n_umigame | 2016-12-25 23:36 | 映画・海外ドラマ