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*さいはての西*

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『オリエント急行殺人事件』(2017)

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■公式サイト「オリエント急行殺人事件」

1974年にも映画化されたアガサ・クリスティの名作ミステリーをケネス・ブラナーの製作・監督・主演、ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファーら豪華キャストの共演で新たに映画化。トルコ発フランス行きの寝台列車オリエント急行で、富豪ラチェットが刺殺された。教授、執事、伯爵、伯爵夫人、秘書、家庭教師、宣教師、未亡人、セールスマン、メイド、医者、公爵夫人という目的地以外は共通点のない乗客たちと車掌をあわせた13人が、殺人事件の容疑者となってしまう。そして、この列車に乗り合わせていた世界一の探偵エルキュール・ポアロは、列車内という動く密室で起こった事件の解決に挑む。主人公の名探偵ポアロ役をブラナー、事件の被害者ラチェット役をデップ、未亡人役をファイファーが演じるほか、教授役にウィレム・デフォー、家庭教師役にデイジー・リドリー、公爵夫人役にジュディ・デンチ、宣教師役にペネロペ・クルスが配されている。
(映画.comより、画像も)


 アガサ・クリスティーの『オリエント急行の殺人』(または『オリエント急行殺人事件』)を映画化した作品です。映画化は3度目。ほかにITV版のデヴィッド・スーシェがポワロを演じたドラマの『オリエント急行の殺人』など映像化作品があります。
 映画は1974年のシドニー・ルメット監督作品『オリエント急行殺人事件』が有名ですが、時代を現代にアレンジした『オリエント急行殺人事件 : 死の片道切符』(2001)という作品もあります。アルフレッド・モリーナがポアロ役でした。(興味のある方はレンタルしてみてくださいませ。わたしの感想はこちらになります→



 以下、2017年版の感想です。

 犯人についてのネタバレはありません。

 酷評しています。ケネス・ブラナーのファンの方やこの映画が好きな方も、ここで回れ右で願います。

アガサ・クリスティーの小説が映像化されると必ず、トリック重視ではないから、謎解き重視の大人の遊戯ではなくなっていたから、ダメだ(重すぎる、陰気だ、楽しくない)という感想が一定数出てきます。
しかし、「今」クリスティーの小説をわざわざ映像化するのなら、「今」その作品を映像化される意義を、必ず問われると思います。その結果、昔なら気にしなくてよかったことに配慮して重くなってしまったという解釈は、ぜんぜん「あり」です。
ですので、わたしがこの映画の解釈(すらしていないと思いましたが)と、この映画はnot for meだったと思ったのは、トリック重視でなくなって楽しくなかったからではない、ということだけ、最初に申し上げておきます。


以下、以上のことをご了承いただいた方のみお入りください。
パンフレットを買っていないので、細かい描写の齟齬や勘違いなどがありましたら、ご指摘ください。
















ほんとうにいいですか? ほんとうに酷評しています。

いいですね。

はい、行きます。





とにかく、最初から最後まで、なんという傲慢なポアロなんだろうと思いました。

ケネス・ブラナーの監督主演作品なので(ここは理由を後述します)、ある程度覚悟はして行ったのですが、予想を上回るものでした。

映画は、まず、原作にないシーンから始まります。
冒頭、エルサレムの嘆きの壁の前で、一神教の三大宗教の聖職者、神父(キリスト教)、ラビ(ユダヤ教)、イマーム(イスラム教)が、盗みの容疑者として群衆の前に引き出され、ポアロの推理を聞かされることになります。
ケネス・ブラナーの舞台仕込みの大きな演技もあいまって、ポアロはまるで、この三つの宗教のそれぞれの神をもしのぐ神だと言わんばかりに、審判をくだします。
わたしには信仰がありませんが、それぞれの宗教の聖職者というのは、特にその地域の信者にとって心のよりどころでもある存在だと思います。それをこんなふうに衆人環視のさらし者にする権利は、一介の外国人で旅行者であるポアロにはないはずです。
しかもただの盗難事件です。泥棒はもちろんダメですが、それでも人命がかかっているわけではないのです。なんて無慈悲で、かつ人の心の機微を解さない世間知らずなポアロなんだろうと、まずここであきれました。
ポアロの推理で犯人は別にいたことがわかります。つまりこの三人の聖職者をさらし者にしたのはただのパフォーマンスで、事件解決のために直接の意味はありませんでした。単にポアロが目立ちたかっただけです。そのあと自分で「この能力のせいで生きにくい」とかほざ…言っていますが、生きにくいのはそんな性格してるからじゃないのと思いましたね。
ポアロは元ベルギーの警察官です。身分の上下を問わず<市民>に奉仕し、警察のような特殊で上下関係の厳しい組織で勤め上げた人です。理屈や正論だけでは渡れない世の中を、まがりなりにも渡ってきた、世知にも人生経験にも長けた人物です。ブラナーポアロの無神経さは、世間知らずの小利口なお坊ちゃんがそのまま老人になったようにしか見えませんでした。


しかしここはまだ冒頭です。
ツカミは必要なので、このポアロもキャラクター紹介、大げさで俺様で無神経で、自意識過剰なめんどくさい人なんですと言いたかったのかなということで、百万歩譲ってOKとしましょう。

けれども結局、このポアロは最後まで神様気取りでした。
ポアロはカトリックなのですが(少なくとも原作ではそのはずです)、この映画の演出を見ていると、「神の視点」を意識した上からのアングルが不自然に多いこと、またポアロ自身も「神とポアロだけは」だませない、というようなことを言っていて、やはり自分を神と対等に考えていることが窺えます。
最後の謎解きのシーンも、多くの方が指摘されていたとおり、あれは「最後の晩餐」を模した絵面ですよね。最後の最後までポアロは神様ポジションです。
わたくしはキリスト者ではありませんし、信仰をお持ちの方の心情やお気持ちなどはわからないので想像でしかないのですが、クリスチャンにとっての神とは、もっと身近でありつつも遙かなもの、不可侵で自己とはアイデンティティが異なるものなのではないでしょうか。少なくとも、自分は神だと思っているキリスト者の方はいないと思われます。

せめて、神と見まがうほどの名推理を次々と見せてくれたら、少しは印象が違ったかもしれません。
でも探偵としてもまったく有能には見えませんでした。
新しい展開にいちいち振り回されて、場当たり的におまえが犯人だと決めつける。推理せず、思いつきで「あなたはこうだ」と言い出したようにしか見えないのです。
これはどちらかというと、名探偵の脇で、"読者と同レベルの知性"の役を担わされるキャラクター(ぼんくら刑事だったり、おっとり助手だったり)がやりがちなことです。
その洞察と分析の甘さを正し、真実の姿へと導くのが、探偵の役目です。それを主人公の"名探偵"がやってどうするんですか。このポアロ、事件を解決できるのかと、見ててハラハラしたわ。(そういう意味ではサスペンスフルでした。もしかしてサスペンスってそういう意味だったの?)

探偵とは、事件の依頼があってそれを解決するのが仕事です。人を裁くのは探偵の仕事ではありません。

思うに、ケネス・ブラナーは謎解きミステリーもポアロというキャラクターも、別に好きではないですよね。
あと列車も好きじゃないですよね、きっと。オリエント急行が出発するときのわくわくする感じがない。いちおう周りでモブさんたちが手を振っていますが、なんだか演出がクサいのです。(言い切りよった)
謎解きも列車も、作っている人がこれが好きでたまらないから映画にしました、というのが、見ていて伝わってきませんでした。


ケネス・ブラナーの映画は『ヘンリー五世』『ハムレット』辺りからぼちぼち見ています。かれこれ20年近くたちますが、ケネス・ブラナーの映画の見せ方は変わらないなと思いました。どちらかと言うと舞台の演出で、映画としての外連味を出そうとして舞台のそれになってしまい、結果、どうしても映画としては大げさでクサい演出になりがちだと思っていました。今回も残念ながら、そう感じました。

ケネス・ブラナーは、俳優としてはすばらしい演技を見せてくれる人だと思います。
なのですが、演出や監督を兼ねると、彼のナルシスティックなところが前面に押し出されてしまい、この映画だと、せっかくの他の豪華な俳優陣や、アクロバティックな推理や原作のトリック、オリエント急行という非現実的で華麗な舞台などが、ケネス・ブラナーを盛り上げるための小道具に矮小化されてしまっています。
ポワロというキャラクターさえ、ケネス・ブラナーの「かっこいい俺」を乗せるための乗り物になってしまっています。(解釈すらしていないというのは、そういう意味です)
ケネス・ブラナーを"上げる"ために、ほか(共演の俳優さんの役の設定など)を"下げる"ようなやり方を、毎度毎度されていて、見るたび「なんて意地悪なやり口なんだろう」と感じてしまいます。
これが、監督が別の方なら監督の指示かとも思いますが、監督もご自分でやって、俳優としてのご自分を盛り上げているわけですよね。こんなにすばらしい演技ができる人なんだから、そんなに俺が俺がと出しゃばらなくても光るでしょ、俳優としてもっと自信持ってと言いたい。
最近は映画『ダンケルク』で初めてケネス・ブラナーを知ったという若い世代のファンも増えていることですので、演出や監督はほかの人に任せて、俳優として演技に徹して欲しいと思います。


あとは細かい、具体的なところなのですが。

原作から改変された部分で、引っかかるところが何カ所もありました。
原作から改変するのは、全然かまいません。
それが一本の映画としておもしろいものに仕上がっていて、かつ意義があると思うことができるならば。
ですがこの映画の改変は、どれも意義が見いだせず、改変したことで映画を作品として盛り上げているということもないと感じました。
ケネス・ブラナーのキャラクターの解釈の仕方は底意地が悪いなと思うことが多いのですが、今回もやってくれたなという感じです。

たくさんありますが一例を挙げると、今作ではアーバスノットです。
アーバスノットは原作では軍人で、大佐でした。今作では医師に改変されています。配役は黒人の俳優さん(レスリー・オドム Jr)でした。
ここ数年のイギリスのドラマや、ナショナルシアターライブの舞台を見ていても、これまでは白人の俳優が演じた役を黒人の俳優が演じることは、もうめずらしくありません。俳優さんのエスニシティは問題ではなく、役にその俳優がマッチしているかどうかという、個々人の適性がオーディションなどでも判断されているからだと思います。
『オセロ』のような作品は役とエスニシティが切り離せないので、今でも別かもしれませんが、そういう縛りがない作品では、観客の方もエスニシティは気にしないで役としてどうかということを見ています。
ですが今作では、アーバスノットが黒人であるということが、そのまま劇中にもスライドされていて、しかもアームストロングを助けたおかげで医学を学ぶことができたという設定に改変されていました。
「なんだか、ここ、もやもやするな」と思って見ていたら、英語圏の人で指摘している方がありました。アームストロングがアーバスノットの親友ではなく、いわゆるwhite savior(白人の救世主)になってしまっているではないかと。繰り返しますが、これは原作にはない設定です。ケネス・ブラナー、あるいは映画制作者による改変でしたが、物語上、あるいはミステリーのトリックなどのプロット上で必要な改変ではありませんでした。
さらに(この映画では神様の)ポアロに怪我をさせるのはアーバスノットです。これも原作にはない、映画独自の改変で、しかも物語上で必要な改変ではありませんでした。

こういうことが非常に多い映画でした。

ひとつ気になり出すと次々と気になってしまい、ラティーノの描かれ方も気になるし(原作ではイタリア系のアメリカ人だったはずが、南米のキューバ人に改変)、女性の描かれ方も気になるし、年配の人や病気を抱えている人の描き方も気になりました。しかもそれが原作にはない、ケネス・ブラナー版の改変で、なおかつ物語にまったく関係がないのです。
ポリティカル・コレクトネスに配慮したつもりかもしれませんが、全部裏目に出てしまっていて、かえって、ミソジニーや偏見がにじみ出ているようで、これもいやな印象を受けました。
こういう細かいところは、映画に勢いがあれば押し切ってしまえるくらいの些細な点なのかもしれません。気にならない人は気にならないのでしょう。ですが、わたくしはひっかかってしまい、これが感傷的なサントラに乗せて、舞台のような大げさな演技・演出で見せられることもあって、映画を心から楽しめませんでした。

もう一つ気になったのが、日本語で感想を書いている人で、こういった点にほとんど誰も触れていないということです。
少なくとも、映画公開後、ざっとネット上で検索した限りでは見つけられませんでした。
倫理的に結末に納得できないと言っている感想はありました。つまり、理由があれば人を殺しても良いというオチには納得できないと。
でもここは原作の結末を変えるわけにはいかなかったでしょうし、仕方がありません。
本当なら、こここそ、今の観客にも納得させるような解釈にすべきで、監督の腕の見せ所だったのではないかと思いますが、それについての新しい解釈などは、特に見るべき所はありませんでした。
それ以外に、この映画の問題点を指摘している感想をほとんどお見かけしませんでした。
あきれてものも言えない、つまらなさすぎて感想を言う気にもならないわ、というパターンもありえますけれど、ほかの映画の感想を見ていると、もう少し賛否両論があってもよさそうなものです。それが出てこないというところに、みんな何に遠慮しているのだろうかと、うすら寒いものを感じます。


以上、ぼろかすに言いましたが、良かったところは、とにかく今の時代に、アガサ・クリスティー原作の映画を制作してくれたことです。
ケネス・ブラナーはキャリアの長い俳優さんで、映画監督の経験もある方なので、特に昔からイギリスのドラマや、シェイクスピア作品の好きな人で、彼の名前を知らない人はいないでしょうから、彼のネームバリューでアガサ・クリスティー作品がまた注目されるのは、クリスティーの一ファンとしては歓迎したいです。
次回作はまたケネス・ブラナー主演で『ナイル殺人事件』が予定されています。
せめて監督が別の方になれば映画館へ観に行きたいですし、共演される俳優さんによっては考え直すかもしれませんが、「オリエント~」で相変わらずのケネス・ブラナー節に映画館で疲れてしまったので、おそらく映画館へは観に行かないと思います。
気が変わって観に行けたら、あるいはDVDや配信などでは必ず見ると思いますので、そのときにまた機会があれば感想をアップしたいと思います。

『ナイル殺人事件』はクリスティー作品の中でもかなりの傑作ですので、原作は自信をもってオススメいたします。




by n_umigame | 2018-05-27 23:58 | 映画・海外ドラマ